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3-11「鉢合わせ事故」

 Side:S―――同日18時19分―――




 部屋の中は小ぢんまりながらも、綺麗に整えられており化粧台やクローゼット、ベッドが置かれている。

 令嬢として住んでいた屋敷の部屋に比べると雲泥の差だが、昨晩で野宿の経験をしたシェリーにとって、この部屋は可愛らしいと思うほど、順応性があった。


「さて、と。なんだかドッと疲れが出てきたわね。甲冑が重いと感じたのも初めてかもしれないわ」


 手に持っていた荷物を置き、まずは甲冑を取っていく。それを綺麗に机の上に並べて、荷物をクローゼットの中に入れる。

 その後は、着替えをハンガーにかけて何時でも着替えられるようにし、昨晩使用した着替えは、クローゼットに備えられている籠に入れて後で洗濯しようとその場に置いた。

 一通りの片づけを済ませたシェリーは、ベッドに腰かけてそのまま横になった。


「ふぅ。本当に大変だったわ今日は。初めての外、初めての野宿、初めての別の町。新鮮で、とても心躍ったけど、やはり馴れない事は凄く疲れるわね」


 誰かに聞かせるわけではない、ただ今までの出来事を整理したい為に一人呟く黒髪の少女。

 輝くような微笑みを浮かべていた彼女だったが、やがてその表情は硬くなる。


「それに……初めての、近しい歳の男性との対等な行動、か」


 彼女の頭の中に思い描いたのは、先程皮肉を投げてくれた銀髪の青年。頼もしいところがあると思えば、急にセクハラをしてくる謎の同僚。

 あの生意気な言動を思い出すたびに頭にくるシェリーだったが、同時に今朝の事を思い返していた。


「……ゼス、『殺すな』って、言ってた……」


 それは、今朝彼がうなされている時、聞いた寝言だった。

 盗み聞きするつもりはなかったのだが、ゼスは気付かないうちに大声で口に出してしまっていた為、その言葉がシェリーの耳に入ってしまったのだ。

 本人曰く、「怖い夢」。しかし、彼がうなされるほどの恐い夢とは一体なんであろうか。


“「止めろ、殺すな――――!」”


 何か、戦場に関する夢でも見ていたのか。しかし、不謹慎だが元傭兵であるゼスに、戦場で味わう恐怖は殆ど馴れている筈だ。普通に恐怖する夢を見ていても、あそこまでうなされる事など無いだろう。

 ということは、彼がその道を歩むきっかけになる夢だったのか。過去にトラウマになるような事が起こり、それが夢として現れてしまったのか。

 憶測の域を出ない。だが、ゼスのあの冷静な性格と皮肉を口にする態度は、きっと最初からではなく、その夢を通して形作られたのではないか、と思ってしまう。


「……彼が時折見せる、冷酷な態度もそれが影響しているのかしら?」


 考えれば考えるほど、頭の中が憶測の深みに嵌ってしまう。

 それに、彼の髪の事。昔自分を助けてくれた、銀の長い髪の帝国騎士と同じ髪の色をした青年は、何故か彼と雰囲気も似ている気がする。素気ない感じや、どんな状況でも動じない姿勢とか彼の姿をダブらせる。

 その後ろ姿を見る視界が、徐々に歪んで―――










「――――――――――――――はっ!?」


 一気に意識が覚醒して、身体を起こす。

 窓から差し込む光景は既に暗く、部屋にある時計の歯車が規則的に回っている。


「―――10分進んでる……。何時の間に寝ちゃったのかしら……」


 シェリーが眼を点にして、時計を注視しつつ頭を抱えた。


「そういえば、旅でかいた汗が染みついた服をそのまま着て寝てしまったわ。……気持ち悪いし、夕食前に入浴してこようかな」


 呟きながら着替えを持って、部屋の外を出る。

 目の前にパートナーの部屋への扉が見えるが、ふとシェリーは扉の前に立ち止まる。


「……気配がないわね。どこかへ出かけたのかしら?」


シェリーは首を傾げながら二階を後にし、受付で風呂について訊ねる。

受付にいた女性は応える。


「こちらにお風呂は無いのです。シャワーが主なのですが、それは一階にあって、あの通路を行って奥の右側の扉がシャワー室です。一人用しかありませんので、確認の為にこちらの名簿にお名前とご利用時間をお願いします」

「あら、なるほどね。書く物はあるかしら?」


女性が持っていたインク入りのペンを受け取り、空欄の名簿に流れるような達者な筆で情報を埋めるシェリー。


「有難うございます。タオルは必要ですか?」

「ええ、お願いします」


シェリーは、受付の棚から取り出したタオルを女将から手渡される。女将にお礼を告げて、彼女はシャワー室へと鼻歌交じりに向かっていった。




***




ごゆっくりとシェリーを見送った女将は、再び業務へと戻る。

暫くして、彼女の夫である、この宿のオーナーが受付へと戻ってきた。


「いや、急な交代すまんな。インクがなくなったから補充しに行っていたら手間取っちまった」

「あなた、いいかげんにインク入りペンを常駐しないと。羽ペンは色々不便よ?」

「俺は羽ペンが好きなんだよ。そう言うなって」


全く聞く耳を持つ様子がない夫の姿に、結婚してから何度目になるか判らない溜息を吐いた。


「いつか面倒な事が起こっても知りませんからね?」

「へいへい」


 陽気な笑みを浮かべて答えたオーナーは、新しいインク瓶の蓋を開けて、羽根ペンの切っ先を入れる。

 そして、左手でテーブルに置かれたシャワー室利用者の名簿を引き寄せた時に、女将が若干狼狽したように声をかけた。


「ね、ねぇあなた。今から何をしようと?」

「何って……シャワー室の利用者の名前を書くに決まっているじゃねぇか」


 何を当たり前の事を、と言うオーナーに、女将が続ける。


「そうじゃなくて。誰か、シャワー室を利用する人が居たの?」

「ん。あぁ。つい数分前にシャワーを使いたい客が居てな。先程の騎士の片割れなんだが、名簿を書こうとした時にインクが切れちまってな。仕方ねぇから、名前と利用時間を聞かせてもらってから、インクを取りに行ったんだ」


 オーナーのその言葉を聞いた瞬間、女将の顔は青ざめていく。


「あなた、そのお客様はどうしたの?」

「いや、まだ宿泊客は今のところあの騎士二人だけだし、もう一人の事を聞いたら『あの女は今寝ているから問題ないな』と言っていたんで……使っていいって言ってからインクを―――」

 

「バカッ! そういう事をなんで少しの間だけ交代して欲しいと頼んだ時に言ってくれなかったの!?」


 女将がロビー中に響き渡るような怒声を発して、オーナーの迂闊ぶりを非難した。

 流石のオーナーも妻の突然の反応に驚いて、まだ事情を知らない彼は、その理不尽な怒りっぷりに眉をひそめる。


「べ、別にそんなに怒鳴る事じゃないじゃないか。新しいインクを取りに行くのも、そんなに時間はかからなかったんだし」

「あの後、女性の騎士様がいらっしゃって、シャワーを使いたいと、書いて行ったばかりなのよ?」

「……げ。マジで!?」


 ようやく事情を理解したオーナーが慌てて、名簿に目を落とす。

 確かに自分が席を外した僅か数分の間に、新しいページの一番上にシェリーの名前が記載されてある。オーナーがインクを取りに行った後は、自分が対応した客の情報を記載するはずだった欄に、だ。

 元々、この宿で客が風呂を利用する為に名簿を使っているのは、女将の言葉通りで宿にはシャワー室が一つであり、狭い故に一人しか利用できないのが理由だった。無論、男女別ではない為、他の客との接触を防ぐ事を目的にし、宿側が常に管理するようにしているものなのだが。

 オーナーの男はみるみる汗を大量に流していく。


「お、起きるの早くないか……。いや、それよりまだあの銀髪の騎士が入ってからそんなに経ってねぇから、今頃―――」

「……だから面倒な事になるわよ、って言ったのに……」


 女将がシャワー室に駆け出そうとした時には、既に彼らの予想は的中していたのであった。





***





 2分前―――


 宿屋のシャワー室前にある脱衣所に入ったシェリーは、一人分の狭さに僅かな驚きを見せていた。


「……元々一人の人間が着替える為だけの用途だものね。ここで、洗濯物を洗うのかしら?」


 傍に置かれているのは、洗濯用に使う大きな桶。中には、男物のコートが置かれており、恐らくこの宿の人が洗濯の途中で放って置いているのだろう。

 それを気にしつつも、シェリーは着替えを空のバスケットに入れ、騎士制服を脱いでいく。

 タイトスカートのベルトを外し、その後で椅子に座って黒いタイツを一足ずつ取っていって、下着姿に。宿の人から与えられたバスタオルを持って黒い下着を脱ぎ、そのしなやかな肢体を露わにする。

 女性らしい細い肩と腕、特にそのすべらかな両脚は常に使うのか鍛え抜かれており、見る者によっては魔性の魅力を感じさせるだろう。

 シェリーは曲線を描く身体をバスタオルで巻いて隠し、脱いだ服をしわが出ないように折り畳んだ。


「さて、と。屋敷ではお風呂だったけれど、宿の人はシャワーだけって言っていたわね。構造は屋敷のと同じなら良いのだけど……」


 初めての屋敷の外での浴室利用に内心気分が高揚しているシェリーだったが、ふと何らかの違和感に気付いた。


「―――?」


 肌がその感覚を直接感じている。この先のシャワー室に、何かよく判らない気配がある。

 もしかして、従業員がシャワー室の掃除でもしているのか、それとも動物が入り込んでいるのだろうか。

 だが、扉の奥の気配は、まるで陽炎のようにはっきりしない。確かめるには、直接確認するしかない。


 シェリーは僅かに身構えつつ、ゆっくりとシャワー室の扉を開けた。

 室内は白い湯気が立ち篭っており、非常に視界が悪い。水気を鼻腔が感じ取り、つい先ほどまで使用された形跡がある。

 彼女が室内の状態をそう認識した瞬間。

 黒い一閃が真下から迫り、その切っ先がシェリーの面前に突きつけられた。


「……動くな」

「っ―――!?」


 白い湯気の奥から響く声に、硬直するシェリー。

 彼女の面前にあるのは、無骨で巨大な黒い大剣の切っ先。シェリーは見覚えがある。持ち主は「銀狼の牙」と呼称する、威力が未知数の武器だ。

 そして、声の主はこの大剣の持ち主だと推測できる。

 湯気の奥からうっすらと、銀髪を濡らし、鋭い視線を向けるゼスの姿があった。


「―――ゼ、ゼス!? な、なんでここに」

「君か……。見ての通り、シャワーを浴びていたところだ。脱衣所に入る人の気配を感じて、俺自身は気配を消して襲撃に備えていたのだが」

「け、気配を消していたって……。そ、それでさっき感じた気配は陽炎のようにハッキリしなかったのね……」


 突然の遭遇に動揺しているシェリーは、今耳に入った情報を無意識に処理して、独り言として呟いた。

 大剣を構えたままのゼスは、彼女の独り言を偶然耳にし、剣を下ろすと同時に僅かに意外そうな表情を浮かべる。


「ほう。俺が気配を消せば、まず一介の兵士には気付かれないものなのだがな……。君は僅かな俺の気配を感じるとは」


 シャワー室の扉を開けられた事で、呟くゼスの姿が見えるくらいに湯気が薄まる。

 今度はゼスが問い返した。


「部屋を出る時は寝ていたから先に入っていたが、早いお目覚めだな?」

「え、えぇ。食事前に、入ろうと思っ―――」


 そうしてシェリーは今目の前に見える光景を冷静になりつつある頭で認識する。

 外に逃げた湯気は、徐々にゼスの姿を公に晒していく。

 彼女の目に入ってきたのは、彼の鍛え抜かれた筋肉と逞しい胸板、引き締まった腹筋と両腕。そしてその下の―――。


「!?!!!!?」


 目の前の光景に激しく動揺するシェリー。彼女の顔は真っ赤に染り、脳の機能が完全に停止する。

 対し、ゼスは彼女の様子に首を傾げ、不意に視線を下ろすとある一点に向けて止まった。


「……何を動揺しているのかは知らないんだがな。とりあえず、自分の様子を見てみた方が良いんじゃないのか?」

「―――?」


 ゼスの言葉を聞く形で、辛うじてシェリーが我に返り、自分の様子を見る。

 彼女が巻いたタオルは両断されたように切り裂かれ、上から捲れるように落ちている。先ほどゼスが大剣でシェリーを牽制した時に、タオルを裂いてしまったのだろう。

 タオルによって覆い隠された形の良い胸のふくらみが外気に晒される。対照的に引き締まる腹と腰回りでバランスの良い造形とした自分の身体が目に入る。

 やがて、重力に逆らいきれないタオルは裂かれていない部分までもが緩み、そのまま床へと落下した。


―――み、見られ…………ッ!――――




「き―――きゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」




 瞬時に今の状況を理解したシェリーが悲鳴を上げながら無意識で魔働術式を組み上げるのと、脱衣所の扉が開いて宿の女将が飛び込んでくるのはほぼ同時だった。


「お、お客様!?」

「なっ!? 壊す気か、よせっ!」


 ゼスが珍しく驚いた表情で静止の声を上げるが、気が動転したシェリーに最早その声は聞こえていない。

 ただ、今のこの状況を無かった事にしたいが為に、彼女は目の前の光景を吹き飛ばそうと魔働術を発動した。

 声にならぬ絶叫を上げつつ、“ファイアボール”と。


「チッ!」


 最早制止は不可能と判断したのだろう、ゼスが持っていた大剣を魔働術式の前に突き出す。

 その直後にファイアボールは撃ち出されたが、大剣に衝突し、炸裂する前に弾かれるように離散した。

 シェリーの後ろに居た女将が魔働術の発動に驚いていたが、気付いたように直ぐに駆けだす。彼女は二人の間に立ち塞がり、直ぐに暴走しているシェリーを取り押さえた。


「お、お客様落ち着いてください! と、とりあえず替えのタオルがここにありますから!」


 女将は左手に持っていたタオルを羞恥で赤く染まるシェリーの顔から覆い、同時に左足でゼスが居るシャワー室の扉を閉めた。

 その時のゼスは初めて暴走するシェリーに対して冷や汗と、苦い表情で見つめていて、彼女の視界から外れたのだった。


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