3-5「野宿」
Side:Z―――同日19時49分
「流石に暗くなったわね。足元が殆ど見えないわ」
「……遠くから森の主が声を轟かせているな。仕方ない、今日はここで野営の準備をするとしようか」
既に辺りは暗くなり、結局イザーク森林を抜ける事が出来なかった二人は、ここで一晩明かす事になった。
街道や見渡しの良い平野ならまだしも、日が沈んだ森林は深い闇の帳が下り、視界が悪くなる。それに、森林地帯は危険な魔物が多く生息し、大半が夜で活動的になる為、安全上からもこれ以上の進行は不可能と判断したからだった。
幸いにも、シェリーは明かりを照らす術と邪を払う結界術式を心得ていた為に、寝泊まりに困る事は無かった。
唯一あるとすれば、森林内でそれほど広い場所は無く、部屋に例えるなら三畳スペースぐらいでしか確保できなかった事だろう。結界術式は周囲の草叢の奥まで及んでいるが、これは着替える時や何か用をたす場合のスペースの為で、実質動き回れるのはそれほど無い。
「良い!? 絶対に動いちゃ駄目よ! 動いたらコロスから」
「……息するのも駄目なわけか。どの道死ぬな」
「誰も微動だにするなって言ってないじゃない……。とにかく、その場所から絶対に動かないで。直ぐに済むから」
「たかだか服を着替えるだけで、どうしてそこまで神経質になるのか……」
「返事は!?」
「……判った」
その気だるげな返事をゼスから聞いても、シェリーは警戒心を解く事が無いままその手に荷物を持って、茂みの奥へと身を隠した。
流石に濡れた服を着たまま一晩越すのは体調を崩すと考えた彼女が、着替えたいと言った事で今の状況になっている。
ゼスの着替えは私服の一着だけだが、シェリーの荷物は彼のより多く、三着も替えを持ってきていたようだった。
正直、五日の行程に三着も用意する必要があるのか、とゼスは思ったものだが、彼女曰く「これでも少ない方」とのこと。
女の生態はよく理解出来ない。荷物が少ない方が移動の際効率が良いと言うのに。ただ、女が準備と片付けに時間をかけるということは、ゼスは経験したことがある。
……正直、忘れたい経験だがな。
それは一年前の話になるが、とある商業都市で秘密裏にある貴族の四十代の婦人から依頼があった。
「夫が政界の著名人とコンタクトを持つ機会である宴に出席するとかこつけて、浮気をしている。自分も乗り込む為、同伴してほしい」という依頼だった。
何故、傭兵である自分だったのかは推測の域を出ないが、一番有力だったのはあまり表沙汰にしたくなくて、あえて関係者ではなく無関係の傭兵を雇いたかったのだろう。
また、これは彼自身知らないことだが、貴族婦人は華やかなパーティーに向けて外面も重要視していたらしく、都市内に居た傭兵の中で最も良かったゼスに白羽の矢が立った。
報酬が良く、楽そうな仕事だったと当時の彼は受けたものだが、後になって後悔の連続だった。
まず身だしなみや立ち振舞いから五月蠅くチェックされ、パーティ用の衣装を着るのに苦労し、婦人の準備を長時間待たされ、彼女の着るコルセットが入りきらず小言を聞きながら手伝わされた。いざパーティに入れば余計な事は喋らなくて良いとか、ここは何かフォローすべきと、色々無理難題を押し付けられたものである。
極めつけは、本題である浮気現場だった。実際、夫は若い女性と共にパーティに来ており、その光景を見つけた婦人は怒り心頭になって、その場は泥沼修羅場となった。
夫は自分の事を棚に上げて、婦人と共に居たゼスを嫌らしく非難してきたり、色々罵詈雑言を浴びせた。
結局、夫婦は別れる事になり、紆余曲折がありながらも依頼は達成したかに見えた。
しかし、屋敷に帰った直後、飲み物に睡眠薬を入れられたり、婦人が夫と正式に別れたのをよい事にツバメであるゼスに色目を使い始めたり、妖しい道具を手に持った彼女のお仲間が何やら出てきて、身の危険を感じたゼスは報酬を受け取ること無く、都市から逃げた。
彼自身の黒歴史、その顛末だ。
―――思い出しただけで震えてきたな。何かで気を逸らさねば。
茂みの奥からの衣擦れを聞きながら、暇つぶしに地図を開いて今後の予定を確認する。
地図を見てみると、聖都から目的地の鉱山町まで、現在地のイザーク森林で全体の三分の二を踏破したことになっている。この分ならば、明日の夕方前には到着は確実と言えるだろう。
その時間前に到着するなら、明日は早起きして早めに大森林を抜けたほうが良い。明日も迷子にならずに順調に森を出れるとは限らない為だ。特にシェリーは信頼できる付き人もなしに自分の力で外に出るのは初めてと見受けられるし、少し目を離せば途端に迷いかねないだろう。
その後は丘陵が続く荒野へと出る。
高低差があるのかどうか不明だが、あるとすれば森で神経を使った分そこで体力を消耗される。効率のいい動きをしないと速度は落ちてしまいかねない。いざとなれば、シェリーは馬に乗せるのが良いのだが、果たして頭が堅そうな彼女にその言葉が通じるかどうか。
ゼスは頭の中で描いた計画に嘆息していると、ようやく着替え終わったシェリーが茂みから出てきた。
「もう、動いていいわよ。って、地図を広げていたのね。どこまで行ったんだろう」
「……君は野宿を何だと思っていたんだ?」
地図を見下ろす為に出てきたシェリーの格好に、ゼスは眼を丸くした。
彼女の装いは白を基調とし、首元に模様―――家紋なのか、金の刺繍が施された上質なシルクのパジャマだった。とても外で寝る格好とは思えず、どうやら彼女は普段の生活と一緒に考えて着替えを用意してきたらしい。
「え? 寝る時って、私はいつもこれだけど?」
「寝る時がいつもどこか建物の中のような口調で言われてもな……」
それから二人は明日の経路を確認しつつ、移動中に木々から採集したアイノールという酸味が味わいの木の実と乾パン、動物などを狩猟し、それを捌いて火を通した煮物に、そして水を夕食にして、早めに休むことにした。
二人は大樹を挟む形で毛布二枚を地面に敷き、その間に入って就寝する事になる。夜の森林は異常に寒くなるが、シェリーの結界術式で結界内の温度は一定に保たれるのが、非常に助かる利点だ。
ゼスが毛布に入って横になろうとした時、大樹の奥からシェリーの顔が覗く。その表情は先ほどの着替えに行く前と同じ、警戒心を露わにしていた。
「良い!? 絶対にこの樹を超えちゃ駄目よ! もし間違って越えてもコロスから」
「……。前にも同じような台詞を言ったよな?」
「それはそれ、これはこれ、よ!」
「……その警戒した表情もなんとかならんか?」
「アンタが私の完璧な容姿に目が眩んで、寝ている隙に獣にならないとも限らないからよ。越えた瞬間に処刑確定よ」
「俺が君を襲うと?」
「その可能性が高い……いえ、もう確実に襲うわね!」
「……君を闇討ちして、俺に何か得があるのか?」
ゼスの他意の無い言葉を聞き、シェリーは驚きの表情を露わにして、次第にしどろもどろな口調になっていく。
「あ……え、えぇ~と……。闇討ちじゃなくて、夜ば―――じゃなくて、その……」
耳を真っ赤に染め上げ、視線を彷徨わせる。やがてその詰まりが耐えきれなくなったのか、一瞬ゼスを睨みつけると、大樹の奥に引っ込んだ。
「とにかく、私が寝てるからって変な事はしないでよ!」
「……何が言いたかったんだ?」
「お休み!」
それ以上の会話は不毛とばかりに大声で遮ったシェリーは、樹から顔を出さずに毛布の中に潜り込んだ。
最後まで彼女の話を理解できないまま、ゼスはうつ伏せで横になって毛布を掛けたのだった。