2-11「シェリーの理想」
同日18時13分―――
結局、何かしらの情報を掴む事は無かった。
奴隷を全員馬車に乗せたダリオス伯爵は、兵士達と伴って貧困街から去って行った。
静寂に包まれ、外門へと続く通りに歩み出たゼスとシェリーは馬車が去った方角、フェード城の高く聳える尖塔へと目を向ける。
シェリーはそれまでダリオス伯爵や兵士達に斬りかかって奴隷達を助け出す事は無く、静観するしかなかったようだ。
自分が彼らを助けてどんな事が待ち受けているか、そして奴隷制を無くさない限り、同じ事が別の場所でも起きてしまう事、これらの結果から全員を助けられないと理解してしまった彼女。しかし、苦しむ今の奴隷達を見て見ぬフリをした事に激しく自己嫌悪に陥っていた。いつものような凛々しさは無く、力なく聖都のシンボルを眺めるだけだった。
そんな彼女にゼスが掛けてやれる言葉は、結果論しかない。
「君が出て行ったとしても、首尾よく助けられるとは限らない。ダリオスの私兵がどのような戦力なのか分からない内は、君も捕まってしまう可能性もあっただろう。今度は、リスクの少ない方法でより多くの奴隷を救えばいい。そんなに気を落とすな」
「……大丈夫よ。もう、過ぎた事だから」
なら良いが、とシェリーの言葉にゼスはそう応えた。
既に日は沈みかけている。そろそろ巡回任務も終わりを迎える時になっていく。暗くなる前に、アサラム小隊長に報告をする事もあるし、早めに騎士団本部に帰還した方が良いだろう。
だが、ずっと城を見つめるシェリーにどう促そうか、とゼスは分からなかった。元々彼は女性とあまり日常会話をした事が無い。傭兵として各地を放浪としていた彼に出会いなど殆ど無かったのは仕方が無い。ましてや、落胆している女性を慰める方法なんて知る由もない。
辺りが沈黙に包まれる。元より生気のないこの貧困街では喧騒も無く、本当に静寂した場となっていた。聞こえるのは、空を飛ぶ黒い鳥の鳴き声ぐらいだ。
「―――私は、騎士って護りたい者を護る力強く優しい光だと思ってた」
呟くように、シェリーが自身の想いを口にした。
ゼスはそれに耳を傾けるだけ。お互い、視線を交わる事は無く同じ方角を見つめている。
「苦しむ人々を助け、尊き者に敬意を払い、弱き者を庇い、強き者に決して屈しない。そんな人の理想を体現する、力と正義の守護者と思って今日まで頑張って来た。あの騎士のように、身体を張って助けられる騎士になりたいと思ってる……」
シェリーは決してゼスに言い聞かせたいと思っているのではなく、ただ自分に言い聞かせるような諭す口調で続けた。
「でも、騎士とて人の子。女神様のように全ての人を平等に助けられるわけじゃない。どうしようもない厳しい現実に阻まれて、苦悩することだって覚悟していたし、改めてその格差にガッカリしたわ。まだ騎士になったばかりで、その理想を行動に移せるほど傲慢じゃないって分かってる……でも」
自身の言葉で再び奮い立たせ、彼女の眼差しが次第に凛々しさを取り戻していく。
「それでも、私は決して諦めない。騎士になることが目標じゃなく、ここからスタートするの。今、苦しむ人が居て助けられなかったとしても、いつか必ず救い出してみせる。彼らだけじゃない、全ての不幸な人を救済して、笑顔で幸せを抱く事ができるように。例え、私自身が危険な事になったとしても、私は私の夢と理想を貫く」
その為に騎士になったのだから、と。
ゼスはシェリーの言葉を一字一句逃さすに聞き終えた。
それが彼女の結論であり、今まさに新たな目標を立てて希望を見出した少女。今救えなかった後悔で立ち止まるよりも、それを認めて未来へ踏み出す第一歩として抱いた決意。揺るぎない信念であった。
「それが、君の目指す道か」と、ゼスは淡々に言った。
「そうよ。だから落ち込んでもいられないし、頑張れる」と、シェリーは力強く答える。先ほどの弱さは、もう無い。
「だから、ゼスは運が良いわよ。この私の同僚になったのだから。アンタは冷静で、達観していて、きちんと論理的に将来を考えられる。それ以上に不躾で、野蛮で、馬鹿で阿呆で、デリカシーの無い変態男だけど。私と一緒に騎士になったのなら、アンタはきっと更生できるし理想が実現する事もできるわ」
シェリーは微笑みを浮かべて振り返り、真っ直ぐゼスに向かって見つめる。
そんな彼女の姿が眩しそうに、ゼスは腕を組んで目を逸らした。
「元々そんな気は無い。期待せずに聞き流しておこう」
「ふぅ、全く私がこうまで言っているのに、野蛮人はこれだから理解できないわね……。まぁ良いわ。これから長い付き合いになるだろうし、一緒に民達の為に頑張りましょう。勿論、あの奴隷達も全員救うのよ!」
意気込むように握りこぶしを作るシェリーは、ゼスの言葉をさほど気にしていない。むしろいつもの彼の皮肉な言葉として受け取っていた。
「さぁ、暗くなる前に小隊長の処に戻りましょう。奴隷達の件はダメ元で話したら何とかしてくれるかもしれないし、まだ方法は沢山あるわ」
「……。……ああ、そうだな」
ゼスが曖昧に返事をすると、シェリーは騎士団本部がある方面へと歩き出した。
彼女の後に続き、その長く黒い髪が流れる後ろ姿を見つめながらゼスは息を吐いた。
(全ての苦しむ人を助ける、力と正義ある理想の騎士、か……。よく臆面もなく言えるものだな)
彼の脳裏には、微笑みを浮かべて強い眼差しを向けるシェリーの姿が思い浮かぶ。
聞いた彼女の行動理念を、改めて頭の中で反芻させる。
(だからこそ、彼女はここまで努力してきたのだろう。そしてこれからも、その夢を実現する為に、諦める事無く一生懸命になって騎士を全うするのだろうな)
初めて彼女の強さを判った気がした。いたいけな少女が、高貴な貴族の道を棄て、騎士団の門を叩かせるような先に何があるのか。
全ての人を護る、その夢をひたむきに追いかけているから、彼女は強いのだ。
例え現実を突きつけられても、決して屈しない。
(成程―――君は素晴らしいな。今なら登用試験での君の強さが理解できる。俺には真似できない。天高く、陽射しのように強い光。理想の騎士を目指す、純粋な少女。俺には、決して手が届く事が無い夢―――全ての人を助ける、だからこそ)
だがゼスは、強いシェリーの考えが、この時どうしても理解できなかった。認めなかった。肯定しなかった。
いや、むしろ―――
(――――――反吐が出るな。無情の現実を知らない愚かな小娘故に)
―――その理想を拒絶したくなるほど、嫌悪した。
第二章「第十七小隊」 END
:ゼスは「リアリスト」の称号を得た。シェリーは「理想の騎士」の称号を得た。
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こんばんは、蒼雷のユウです。
ここで第二章は修了です。第二章は、主人公達が一か所の立場に根を張って、これからどのような出会いが待っているのか、どのような障害が立ち塞がろうとするのか、世界観や動きをピックアップした話となっています。
人は多く、活気がある。しかし、都会と同じく他人に関心を払う余裕は無く、日々に忙殺される。国内に蔓延る流行り病と解決方法は高価な阻害薬のみ。広がる貧富の差と、一部貴族の横暴と奴隷制度。
これからゼスとシェリーは、図らずも通常任務の傍ら、直面することになっていきます。
第三章は、配属から二週間後、彼らが初めて聖都外出任務を遂行するところから始まります。
また、次は間幕として登場人物と用語を簡潔にまとめて紹介する機会を設けています。
知識の整理はそちらで見ていただければ一目瞭然です。但し、ここまでのネタばれを含んでいますので、目を通す場合はご注意を。
それでは、また第三章にて。皆さまの心にこの小説が届く事を祈りつつ―――。