2-7「フェルド通り」
―――同日14時09分
一通り中央通りを巡った二人は、昼食を取ってから次の通りの巡回へと向かっていた。
中流階級の人間が数多く住まう住宅街の区画、フェルド通り。中央通りと同様に、小奇麗な建物が並び、生活力が溢れる人々が寝泊まりしている。街路は一通り綺麗に整備されていた。
その活気はゼスが通っていたアルバート通りより遥かに優る。友人と共に楽しそうに走る少年達と話し合う少女達。それを微笑ましく見守りながら杖を突いて歩く老婆。買い物袋を抱えて帰宅途中の主婦など、とにかく平民のごく普通の生活をした光景が広がっていた。
街道を歩くゼスとシェリーは、どんな瞬間も見逃さない眼光を放っている。だが周囲に不安を抱かせないようにシェリーがおだやかな表情を振舞う。
「アルバート通りとは違って、上品だな」
流石にここは興味が惹かれたのか、ゼスがそんな事を呟いた。
シェリーは得意げに応える。
「それはね。ここは誰もが職を持てる環境の民達が暮らしている場所だもの。それなりの収益はあるし、納税も収められるぐらいの経済力は持っているわ。彼らの努力の報酬であるのは違いないもの」
フェルド通りの説明をしながら、通りかかった少年達が、騎士様だー、と歓声を上げるのに対して微笑んで見せる。
石畳の上を歩いて、躓く様子も見せない騎士は姿勢を正しく振舞う必要がある、と念を押されているゼスは仕方なくそうしていた。
少し歩けば窓を開けて、布団を干している住民も見かけられる。花壇を飾って、水を与える元気そうな少女の姿もある。
こんな平和そうな住宅でも、巡回警備の対象になっているのだ。
ここはそれなりに裕福な家が集まっている為に空き巣や強盗と言った犯罪行為が少なからず発生するという。特にそういった犯罪者は事前に下見する事が多く、不審者を見つける為にも警備隊や騎士も見回る事が多い。
「特に最近では定期的な巡回は意味が無いから、騎士団とは別の、治安維持を担う“警備隊”が独自に変則的な巡回をするようになった、と聞いたわね。決められた時間に開始したら、不審者は警戒してここには来ないもの。騎士も、重要な任務が無い時は自主的に見回りに来る事はあるくらい、ここは最も民を護らないといけない箇所でもあるのよ」
それも騎士の理想に準じる栄えある方だけではあるけれど、とシェリーは付け加えた。
蒼衣の騎士団は貴族出と平民出が混在する軍隊だ。
聖都や聖王国各地に駐屯する警備隊とは違い、魔働術の扱いに秀でたエリート集団の集まりである騎士団では、才能があれば平民でも登用される。それ故、狭き門でもあるが希望者は年々増加の傾向にある。
しかし、騎士団の三分の二を占める貴族出の者は生まれながらに高い魔力を有している為、試験無しで登用される場合もある。その大半が貴族という権力の笠を被って、平民を見下す傾向にあった。そういう者は表立った犯罪が起こりにくい貴族街区やゼス達が回った中央通りを中心に巡回警備をし、フェルド通りや平民が多く住まう処は見回らない。
専らここを見回るのは平民出の騎士だけ、とシェリー。
蒼衣の騎士団も色々あるようだな、とゼスは彼女の説明を聞いて納得した。
「だが、その貴族出のボクお嬢様である君は、特異な存在と言う事だな」
「……それ、もしかしてバカにしているの?」
シェリーの声が低い。どうやら怒りの琴線に触れたようだ。
そもそも、高い魔力を保有している貴族なら無条件で騎士団に入団できるところを、この娘は態々試験を受けてまで騎士団に入ったそれが特異といえる。
「いいや。少なくとも、同僚が君のようなお人よしと直情的な人柄で肩身が狭い思いを少しは抱かずに済む」
肩をすくめて、ゼスは皮肉を口にする。
暗に、シェリーの性質は同僚として見るに堪えない、と言っていた。
それを理解したシェリーは再び顔を背けて、眉をきつく顰めた。
「やっぱりバカにしているじゃない。全く……」
流石に彼女自身、ゼスの性格が大体理解してきたのか、表立って怒鳴る事はしないようだった。
そもそも、ここは民達が住まう閑静な住宅街の中なのだ。悪い意味で注目してしまうことだろう。
それでも外国から来たゼスは、聖王国の性質を続けて説明するシェリーにお節介の評価も加えられるだろう、と思わざるを得なかった。
シェリーから聖王国の政策と経済状況、他国との関係、そしてこの国の重要な資源となっている“働石”の採掘量が世界屈指である事も聞かされる。
「“働石”とはその名の通り、魔働の力が溜まった鉱石の事よ。魔働エネルギーを有して動力、燃料、個人の魔力回復など日常生活と軍用品で様々な用途に使用される鉱物資源、“働石”は重要な物資で、我が国にとっては財産も等しいわ」
照明などの機械類はこの鉱石の魔働エネルギーによって稼働しており、純度の高い魔力を有する為、人間の魔力使用と比べるとより効果が良い。
何故鉱石に魔働が蓄積されているのか不明だが、魔働が実用化される以前の創世記に地中に流れる魔力を、その特殊な性質で吸収したと伝えられている。
魔力量は有限であり使い捨てになる為、重要な資源という位置づけで見られており、また国によっては“働石”の産出量が極端に少ない。その理由から、これの産出権を握ろうと戦争を起こす国すら現れるほどだ。
まさに「働石の一粒は血の一滴」とされる、人々の快適な生活には無くてはならない物質だ。
ならば、世界屈指の働石の産出国である聖王国が、何故に今まで他国の侵略も無くここまで平和というと、それは一重にこの国の歴史と聖騎士ゆかりの地が影響している。また、過去に聖王国は諸外国の支援をした事もあり、下手に侵略しようとする国が現れたら、それこそ周囲の国家はこぞって同盟を組んで聖王国に味方する。
それは侵略国家にとっても良い筈が無い。同盟国を助ける為、と周辺国家は聖王国に加担し、こちらに侵略される口実を作らせるだけだ。
聖王国の外交戦略に成功している賜物だった。
「―――というわけなの。その為、聖王国は千年以上も、平和に存在しているのよ。最近ではシュベルト帝国と聖王国の緊張状態が続いていたのは記憶に新しいけれど、緩和された数年前に陛下と―――」
そうしてシェリーが説明をしていた時に。
突然、前方から歩いて来ていた女性が、身体を傾けて地面に倒れ伏した。
「え……!?」
シェリーが驚いて話を中断した時には、ゼスは走り出していた。
彼は倒れた女性の状態を確かめる。躓いたわけでもなく、誰かに傷害を負わされたわけでもない。
さらに詳しく調べて行くと、女性に目立った外傷はない。だが、その顔色は悪く、酷い汗が流れており反応が無い。
女性はまだ若く、二十代後半と見受けられる。指に結婚指輪をつけているため、既婚者なのだろう。若奥様といった女性だった。
その直後、シェリーが駆け寄り女性を抱き起し始める。
「い、一体どうしたの!?」
「……ああ、どうやら意識が無いらしいな」
さらに驚いたシェリーは即座に女性の手首の脈を測る。
女性は弱い脈だったがまだ生きている。だが、依然として顔色は悪く、放っておいたら命に関わるのは明白だった。
「大丈夫ですか、貴女、大丈夫ですか!?」
シェリーは大声で呼びかけながら、女性の肩を叩いてみる。
女性はその声に反応し、僅かに声を漏らしたものの目を開ける気配は未だない。
この状態から、ゼスは一瞬で判断した。
「もしかしたら彼女は、何か持病があるかもしれんな……。恐らく、今その発作が出ている可能性は十分に高い。ここは、直ぐにでも診療所などに連れていくべきだな」
「そ、そうね……! すみません、誰か医者を呼んでください!」
住宅街で起こった異常な事態に集まっていた野次馬達も、介抱しているのが騎士と判り、ざわめきながらも担架を持ってこいと怒号が飛び交う。
その間にシェリーは女性に対して応急処置を施そうとするが、どのような持病を持っているか判らない為に基礎的な処置しか行う事が出来ない。刺激が強い処置などをすれば、逆に身体に悪影響を与えるかもしれない。
辺りが騒然となったところに、異常を聞きつけたのだろうか、中年の女性が人々をかき分けて姿を現した。
「こ、これは……あんた、マリアンじゃないか!? またあの発作が出たのかい!?」
倒れたマリアンと呼ばれた若い女性に駆け寄る中年女性は、彼女の顔を覗き込む。この慌て具合から、マリアンは危険な状態であるのは間違いない。
「失礼ですが、貴女は?」
「あたしゃ、彼女の近所に住んでいる者さね。あんた達が介抱してくれていたのかい?」
「はい。あの、それより彼女の今の状態は……」
改めてマリアンの表情を見るシェリー。
中年女性も、困惑した表情で説明し始める。
「生来は元気な娘だったのに、近頃原因不明の病が流行り出してから、彼女もそれに罹ってねぇ。こうして発作で意識が無くなる事が頻繁に起こるようになったのさ」
「近頃猛威を振るっているというあのリュスト病ですか!? 通りで……でも、あれは処方された薬を飲めば、一時的に抑えられる筈だと聞いています。薬は飲まれていなかったのですか?」
「そんなことないさ。彼女は毎日薬を飲んで何とかやっている。今日は丁度薬を貰いに行く日で、診療所に向かっていたところに発作が起きてしまったんだろうけれどねぇ……」
泣きそうな酷い顔で、中年女性はマリアンを見つめる。
そんな時、ゼスの声がその感傷を中断させる。
「それ以上の説明は後回しだ。この近くに診療所はあるか? 案内してもらいたいんだがな」
中年女性の話によると、マリアンが目指していた件の診療所はこの近くにあるらしい。そこの主治医が、住民と関わりが深くなるようにとフェルド通り内に居を構えているとの事だった。
ゼスは直ぐさま彼女とシェリーに先導を任せ、自らはマリアンを背負い、群衆を掻き分けながら診療所へと急行した。