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調査開始

 玄関ホールを抜け、エレベーターに向かう三人に、受付嬢が声をかける。

「あの、失礼ですが……」

 顔を向けた小野木をみとめると受付嬢は嬉しそうに笑った。辞退はしたが、紗江子の葬儀に会社名義での香典を届けてくれた篠崎由美という娘だった。当時は小野木の下で総務の仕事をしていたが適性が認められたのだろう。小野木も懐かしさの混じった笑顔になった。

「かかりちょー、かかりちょーじゃないですか。戻ってきたんですか」

「よせやい、俺はもう係長じゃない、部外者だ。社長に逢いに来ただけだよ、用が済んだらすぐに消える」

「えー、期待しちゃったじゃないですか」

 何を期待したんだ、この熊男に。斎藤は受付嬢のはしゃぎぶりが少し気に入らなかった。

「社長はもう来てる?」

「はい、社長室でお待ちです」

「そうか、ありがとう。セキュリティチェックを頼みます」

 斎藤がそう言って提げていたアタッシェケースをカウンターの上で開いた。立っていた警備会社の制服を着た男が鞄の中を無造作に探る。失礼します、ともう一人の警備員が小野木の鞄に手をかけようとした。

「何しやがるっ!」

「あっ、この人達はいいです。調査の方々ですから」

 斎藤がそう告げると、気色ばむ小野木の鞄から警備員が手を離した。

「今回の件があったもんで、空のメモリひとつ持ち出さない、持ち込まないようにって常務が始めたんです」

「クライアントソフトを入れるなりLAN接続を制限するメモリを使うなり、方法はあるだろうが。これじゃあテロリスト扱いじゃねえか、こんなことまでする必要があるのか」

「もちろん、それも使ってます。常務曰く、念には念を。だそうです」

 出社してきた女子社員も反対側のカウンターでバッグを開いて見せていた。

「ちょっと、ひどいですよね。係……小野木さんが居たら絶対にさせなかったですよね」

「ああ、俺の鞄の中身は相当怪しげだからな。しかし、人を信じないってのは金がかかるもんだな。あいつ等に幾ら払ってんだ?」

 小野木は小声で同意を求めてくる受付嬢に冗談を交えて答えた。

「あーあ、喜んで損した。斎藤さんが辞めて係長が戻ったのかと思っちゃったわ」

 露骨に落胆の表情を見せる受付嬢が斎藤はおもしろくない。

「知ってるか? あの人は亡くなった婚約者の遺骨を砕いて食べたんだぞ、俺の一部にするんだって。ホラーだろ」

「いいなあ、誰か私をそんな風に愛してくれないかしら」

 受付嬢は夢見るような表情になった。 だめだこりゃ、斎藤は頭を振った。

「もういいか? 社長に俺が来た旨を、伝えてくれるかな」

「係長なら、いつでもオッケーです」

「だから部外者だっていってるだろう、役に立たない受付嬢だな。おっと、ひとつ頼みがある」

 小野木は受付嬢に顔を近付け、何事が囁いた。すると彼女も小野木に耳打ちを返してくる、小野木は頷きながらメモを取った。

 三人は降りてきたエレベーターに乗り込み七階の表示ボタンを押した。

 

「おお、来てくれたか。何だその格好は」北村隆夫は鷹揚に笑って目を細めた。

 たった二年の無沙汰だったが、出迎える北村隆夫の髪にはかなり白いものが増えていた。発注元の多くを占める自動車関連業界の長引く不況が、富士ノベルテックの業績にも暗い影を落としているのだろう。そこへもってきての今回の事件だ、最高責任者としてあれこれ頭を悩ます日々を慮る小野木だった。

「御無沙汰しております。野良仕事のせいで胸も背中も分厚くなってしまい、スーツのボタンがとまらなかったんです。申し訳ありません」

 黒いポロシャツ姿の小野木が頭を下げる。カジはちゃんとしたスーツ姿だった。

「社員なら許す訳には行かんが、今は外部の人間だからな。止むを得まい。しかし逞しくなったもんだな。忘れもせんよ、退社の挨拶に来た時の尾羽打ち枯らしたようだった小野木――失礼、小野木君と呼ばねばな。しかしその様子なら安心だ、まあ座ってくれ」

 古傷を辿られ、しきりに頭を掻きむしる小野木とカジに高級そうなソファを勧めた。社員時代には一度も腰をおろすことのなかったイタリア製のそれは、二人の尻を心地よく包み込んだ。

「小野木で結構です。ここに居る間は以前の私だと思って下さい」

 そろそろ六十を数えるはずの北村だったが、引き締まった体躯が年齢を感じさせない。柔和な目は常務時代に見せた鋭い光こそ影を潜めていたが、代わりに鉈の重厚さを纏っているようだった。

「カジさん――でしたね。以前の調査は見事でした。今回も宜しくお願いします」

「ご期待に副えるよう、努力いたします」

 最小限の言葉で返すカジに小さく顎を引いて頷くと、北村はファイルを手渡して言った。

「早速だが頼む。これが社員名簿だ。すまんが私はこれから会議でな、詳細は斎藤から聞いてくれ。各部署には協力を惜しまないよう伝えてある。裕之……常務は難色を示したがな」

「部外者に恥を知らせる必要はないと思われたのでしょう。愛社精神のあらわれですよ」

「だと、いいのだが……」

 それでは、我々はこれで。暇を告げ、階下の社員食堂へと下りる。四人掛けの机で作戦会議が始まった。

「今、何人居るんだ?」

 ファイルをぱらぱらと捲りながら小野木が訊ねる。

「派遣の二人を含めて八十六人のはずっす。設計の現場は二十九人で検査課と管理課にそれぞれ九人。パソコンは全ての部署にありますけど、図面を開けるのは全てUSBキーで一台づつ認証する現場と検査課、そして管理課のだけです。終業時にはファイルは空にして管理課にデータは集約されます。

「ほお、そこまでは調べたのか。で、流出はどの時点で起きたんだ?」

「ええ、祐さんに言われて。流出は構想設計の段階らしいんすけど――」

「なんだ、現場まで下りてきてねえのか? だったらポンチ絵みたいなもんだろう。そんなもんが流出したところで大した問題にはならねえんじゃねえのか?」

「アイソメ図だそうです。打ち合わせの途中で紛失したみたいっす」

「紛失? 話が違うじゃねえか」

「でも結局ゼルダー社の目についたからこそ、こういった記者発表があった訳で――常務は流出だと言い切っておられます」

【夢のCVTは絵に描いた餅、ゼルダー社の日置部長が明言。住新工業も開発断念を発表】

 斎藤は新聞記事のコピーを小野木に渡す。

「ふうん。で、アイソメ図は誰が描いたんだ?」

「営業の長谷川が接客室のプレゼン用パソで描いたそうです。でも、あれにはブラウザも入ってないんすよ」

「何でまた営業になんか描かせたんだよ」

「長谷川は去年まで設計にいたヤツなんす。常務に営業へと引っ張られたんすね。アイソメ図ぐらいなら自分でも描けるっていうところを見せたかったんじゃないすか」

「へーえ、で?」

「打ち合わせが終わって、常務が住新の下川次長をロビーまで送って、部屋に戻った時になくなっていたそうっす。みんなが大騒ぎして探してるところに俺も通りかかったんすけど、全員が怖い顔になってたから何が起こったのかも訊けなかったんすよ」

 うーん、といって小野木が腕を組んだ。

「何か腑に落ちない点でも、あるんですか」

 考え込んだ様子の小野木にカジが訊ねた。

「いや、アイソメ図ってのはさあ、手書きのスケッチ、こっちをポンチ絵っていうんだけど、それを基に書きあげた三次元図面で、確か寸法も仕上げ記号も入ってなかったはずなんだ。実際、ここいら――いわゆるイメージの具現化だな――これが設計ん中でも一番重要ではあるんだけど、材質の指定もなきゃ寸法もない、そんなものを欲しがるヤツがいるのかなと思って」

「でも現実にそれがゼルダー社の知るところとなって、あの記者発表があったんす。それで下川次長が血相を変えて怒鳴りこんできた訳っすからそれなりの価値はあったんじゃないっすか? えらい恥をかかされたって言ってたそうっすよ」

「結局、モノにならなかったんだろ? だったらそう怒らなくたっていいじゃねえか。恥ぐらい俺は毎日かいてるぞ」

 小野木はとうとう鼻くそをほじり始めた。

 斎藤は焦った。そもそも調査自体に気乗りのしない様子だったのだ。何かに興味を持たせ、その種火に薪をくべ続けておかないと、いつ、やーめたと、言いだすか分からない。

「どこから回ります? パソを調べるならマスターキー借りてきますけど」

「そっちはまあ、ぼちぼちとな。祐二が居なきゃ分かんねえよ今時のネット犯罪は。でも接客室でなくなったんならパソはいいだろ、面倒くさい。その必要があれば祐二を呼べばいい。設計のヤツ等、手を止められるの嫌がるしな」

 中退ながら東京の工業大学で情報処理を学んでいた加藤祐二のハッキング手腕は出色の腕前を見せた。

「とりあえず挨拶回りにでも行くか、先ずは人を見ておこう」

 そう言って小野木が席を立つ。カジが続いた。

「人すか」

「あのな」

 先を歩く小野木が振り返り、うんざりした顔を斎藤に向ける。

「お前も三十になったんだ。いい加減、そのスカスカは止めろ。体育会系の学生でもあるまいし」

「クセなんすもん」

 胸を張って言い返す斎藤だった。


「小野木じゃないか、戻ったのか?」 「いや、探偵ごっこに駆り出された。迷惑な話だ、お前らのせいだぞ」

 あちらこちらで、同様の声をかけられる。無沙汰を詫びる言葉と挨拶だけを繰り返す小野木に、これが何の調査になるのだろう? と斎藤は不安になった。

「こいつと、こいつと、こいつかな――ひょっとしたら、こいつも。勘だし外れたらごめん」

 食堂に戻り、社員名簿を開いた小野木が指を差す。

「当たらずとも遠からずでしょう。露骨に我々を煙たがっていましたからね。ですが、この部長は外してもいいでしょう。あのマスターバンカーはバチです」

「ほお、カジさんも目をつけるところは同じか――由美ちゃん曰く、高そうなスーツを着ているのは常務と伊藤部長と成瀬、経理の浅野課長だそうだ。社長も外しといていいだろうな」

 玄関ホールでの受付嬢とのヒソヒソ話は、スーツが変わった人間を訊いていたらしい。

「物欲に支配された人間は自己顕示欲がどこかに現れます。条件が重なるのは三人ですね、祐二を呼びましょう」

「知られた俺のツラじゃ尾行は無理だしな、頼むよ。あ、祐二を呼ぶなら各部署のメール送信履歴も洗っておいてもらおうかな」

 二人のやり取りを聞いていた斎藤が疑問を口にする。

「バチってなんすか?」

「ニセもんってことだ」

「え? じゃあ、あの三百万だとか自慢してた上野部長の時計はニセもんなんすか? フランク・ミュラーって言ってましたよ」

「そうゆうことだな。マスターバンカーはモデル名だ。しかし、我が社――いや、この会社では今、高級時計が流行ってんのか? サラリーマンが持つもんじゃねえぞ、あんなもん」

「常務のせいですよ。時計が人の品性を語るとか言ったもんで、車を売ってロレックスを買ったヤツまで居るんすから。そいつがさっき話した長谷川なんすけどね」

「品性は魂が語るもんだ。で、その常務はどこなんだ?」

「接待っす。下川次長のご機嫌とりだって、おっしゃってました。山下課長はどうなんすか? あの口うるささは異常っすよ。靴だってジョンなんとかっていう高級品っす」

「ジョンロブだ。あの人は俺がいた頃からあれを履いてる。叩き上げの山下さんは俺みたいに大した実績もないままに引き上げられた人間が嫌いなだけだ。後釜のお前にうるさいのは、俺のとばっちりってとこだろう。有難く受け取っておけ」

「そんな置き土産は要らないっすよ」

「口うるさいけど、あの人の社に対するロイヤリティは人一倍だよ。ミステリーの鉄則にもある、怪しそうなヤツほど犯人じゃない。個人的感情や先入観は捨てろ、待てよ? だとすると……」

「だとすると?」

 席を立って背後に回った小野木が突然、斎藤の腕を後ろ手に捻り上げた。

「犯人はお前かっ、キリキリと白状しやがれっ!」

「いてててて、何するんすか、止めてくださいよお」

「あははは、冗談だ」

 小野木が手を離す。珍しくカジまでもが口の端に笑いを浮かべていた。まったく、この男だけはどこまでが本気で、どこからが冗談か分からない。捻り上げられた腕をさすりながら斎藤が心中でぼやく。

「そうか、常務はいないのか……話を聞きたかったんだがな。いつか見た奴のクレイジーアワーは本物だったし、スーツもヒューゴボスなんかを着てやがったからな」

「奴って何すか、常務まで疑うんすか? 社長の息子が、そんなことする訳ないっすよ。あの仕事を請け負ったのも常務なんすから」

「まあ一応な。俺はぼんぼんが嫌いなんだ」

 そう言うと椅子に深くもたれ込んで小野木は大欠伸をした。個人的感情は捨てろと、どの口が言ったんだ。そう言おうとしたが、また腕を捻り上げられてもかなわない。斎藤は開きかけた口をつぐんだ。


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