ベガの国から
「ジュンさー、宅急便だってよ」
「玄関の脇に印鑑がある。受け取っといてくれ」
玄関先で梨の箱詰めをしていた尚人の呼びかけに、薪割りの手を止めて小野木が答えた。届いたか――こいつ等が喜ぶといいんだけどな。小野木は段ボール箱の置かれた建物の正面へと歩を進めた。
「何か買ったのかい?」
「おう、お前らのユニフォームだ。鶏糞臭いジャージで家に迷惑かけてたろう。メンバーも固定したみたいだしそろそろいいかと思ってな。開けてみろ」
〝お前らの〟という言葉が耳に届き、他の少年達も歩み寄ってくる。
「あ、ツナギじゃん。それもディッキーズじゃないか」
メカニックとして成長しつつある誠が、目を輝かせた。
「サイズは適当だからな、後は身体の方で合わせろ。持って帰って母ちゃんに裾上げしてもらってもいいが最初は縮むからな。先ずは洗濯機にぶち込んでおけ」
「いいのか? こんなのもらって。安くねえんだろう」
雄一郎が心配そうに訊ねる。
「ガキが余計な遠慮するんじゃねえよ。不動産屋に頼んであった実家がようやく売れてな。もう少、早く揃えてやりたかったんだが、工具やらブーツやらで臨時収入は使っちまってたし――悪かったな」
「俺、これ欲しかったんだよ。でも、ここいらじゃあ売ってないし。ジュンさ、ありがとう」
整備を学んでいることを誇りたいのか、ジャージで作業する他の少年達との差異づけに農機具メーカーのツナギを着るようになっていた誠だった。彼にとって垂涎物のツナギだったらしい。カジに聞いておいて良かった。小野木の顔が綻ぶ。
「いいってことよ、お前らのお陰で収穫も無事終わったんだ。褒美にしちゃあケチ臭いかも知れないが勘弁しろよ。一人頭二着づつあるはずだ。おい、俺とカジさんの分も頼むぞ」
「あいさー」
誠は手に取って眺めていたツナギを段ボール箱に戻し、抱えて洗濯機のある裏口へと駆け出した。
「ジムもギターもバイクもタダで使わせてもらってて、その上にこのプレゼントだ。ケチくさいなんて思う訳ないよ。ありがとう。でも本当に売っちゃったのかい? 実家」
最近、急に大人びた口調で話すようになった雄一郎だった。
「ああ、妹を住まわせてたんだけどあいつにも家があるしな。潮時だよ、俺はもう井之口市には帰らねえ。家なんかあっても仕方ねえんだ」
少年時代から、ここに移り住むまでの三十有余年を過ごした家を手放すのは寂しくもあったが、住む者の居なくなった家屋は寂れゆくしかない。おいそれと精算出来るような過去ではなかったが、家の処分を手始めに、少しづつでも背負い込んだ重荷を下ろしてゆければという思いもあった。
「でも、入った金をぱっぱと使ってちゃあいけないんじゃないのか。梨を農協が買い取ってくれる金額なんて、たいしたことないって正が言ってたぜ」
今度は尚人が気遣いを見せる。
「おふくろみたいなこといいやがるんだな、お前も雄一郎も。心配するな、家だぞ売ったのは。ツナギの二十着や三十着買ったところで、たいして目減りもしやしねえさ。借金がある訳でもない。贅沢しなきゃ、食うに困らないぐらいは残ってる」
子供の頃、手にした金をすぐ使ってしまう小野木に母親はよく小言を言った。あんたは計画性がないから将来が心配だと。おふくろの言う通りだ。どこでどう歯車が狂ったのか、今や農園の主になってる。記憶が苦笑いを呼んだ。
「ならいいんだ。有難くもらっておくよ。実をいうと、鶏糞臭いジャージで帰るのは気が引けてたんだ。俺んちは、ああゆう家庭だし――」
語尾を濁らす尚人だった。俺も正達を手伝ってくる、といって洗濯機のある裏口へと駆け出して行った。悪いことしたな、あいつ等にも家にも。農家の息子である正や誠はともかく、そうでない三人は農業にも慣れてなければ、臭いにだって辛抱が必要だったはずだ。やっと買い与えてやることのできたツナギに喜ぶ少年達を見ていて、懐の温かいうちにと、小野木は更なる奮発を考えた。
「作業終了ー、飯食いに行くぞー」
六人掛けのテーブルに陣取り、めいめいに手渡されたメニューを広げる。
「二千円までだぞ、好きな物を注文しろ。足りないヤツはお代わり自由のサラダバーで腹を膨らませろ」 ステーキハウスと書かれたレストランだったが、ファミリーレストランと大差のない価格に小野木は安堵した。
「本当にご馳走になっちゃっていいのか? 美代ちゃんやカジさんは呼ばないでいいのか」
「美代ちゃんは進路指導で忙しいみたいだ。電話したけど来れねえってよ。カジさんは興信所の仕事で出張中だし、ここんとこ賑やかだったからひとりきりの夕飯が寂しくってな。収穫祝いだとでも思っておけや」
農家の二人、家族での外食に疎遠だった雄一郎には嬉しい小野木の好意だった。注文したステーキが届くのを待ち切れず、それぞれが山盛りのサラダを皿に取り、頬張り始めている。
「でもさあ、何でああ毎日毎日、薪割りをするんだ? 臨時収入があったならガスヒーターでも買えばいいじゃん」
「モトクロスコースにしちまった半分の梨の木を使わないと勿体ないじゃねえか。薪ストーブの風情を味わうなんてことは、街じゃ出来ねえんだぞ。うっかりとゴミさえ燃やせない世の中だからな」
「ダイオキシンとか二酸化炭素とかをいうんだな。でも農家だって畑ぐらい焼くぜ」
尚人がしたり顔で言った。
「そうゆうこった。二酸化炭素は植物が必要としてるし、リサイクルのための熱源だってダイオキシンぐらいは発生させる。除草剤にも含まれてるっていうしな。発ガン物質で毒性が高いからいけねえんだとさ。ガンなんてものは、なるヤツはなるし、ならねえヤツはならねえ。俺に言わせりゃ、クリーンエネルギーを謳う原発の方がよっぽどおっかねえや。被曝すれば遺伝子情報にまで損傷を与えるってんだからな。利便性なんて耳ざわりだけいい言葉に踊らされて必要悪を認め続けてると歯止めが利かなくなるぞ。周りがいいって言うならいい、それが普通なら安心出来るってような連中は考えることを止めちまえばいいんだ」
自ら発したガンという単語に、小野木はちらと紗江子を思い出し胸が痛んだ。
「でも地球を大切にっていう時代だぜ。ハイブリッドやEVがこれだけ持ち上げられてるんだから。同じ副産物を生みだすなら効率も考えないと」
カジの買ってくる自動車工学という雑誌を熱心に読む誠が知ったふうな口を叩く。
「お前は環境保護団体にでも入ってんのか。それに地球環境を考えるなら、人類が死滅するのが一番手っ取り早い」
首をすくめる誠に、尚人が救いの手を差し伸べた。
「ジュンさの話は極端過ぎるよ」
「そうじゃねえよ、もっと大局的に考えてみろって言ってんだ。人類が地球にとってガンかも知れないなら、地球が太陽系宇宙のガンかも知れないって思えねえか? 人類が生みだす毒で地球が壊れるとしたら、それもまた自然の摂理かも知れねえってことさ。そもそもてめえ等の明日すら不確かであるちっぽけな人間が、地球の未来を考えるなんて思い上がりも甚だしい、それを傲慢と呼ばずして何といお! あちち」
演説に熱がこもった小野木はステーキの乗った鉄板を叩いてしまったようだ。
「それがジュンさの哲学なんだ」
「哲学? そんなものはドブに捨てちまえ。どこかのジジイが何十年も何百年も前にぬかした言葉なんかに若者の可能性を摘ませることあない」
「人間は哲学を持たないと言うことがコロコロ変わったりするから良くないって横山が言ってたぜ」
「いいじゃねえか、十分おきに変わったって。それだけものを考えて成長したってことだ。横山か、あいつの哲学はさしずめ『長いものには巻かれろ』ってとこだろうな」
「違いねえ」
少年達が口を揃えて小野木の口癖を真似る。俺はこいつ等の言葉遣いには悪影響を与えているようだなと、小野木はほんのちょっぴり反省した。
「いいか、人が出来ることなんかほんの僅かしかねえんだ。今を一生懸命に生きろ。未来の地球のためとか世界平和のためにとか言う前にバスで立ってる婆さんに席を譲れ。人類の財産は愛、そして一番貴重なものは――」
「時間」
再び少年たちが声を揃える。
「だろ? 耳タコだってば、ジュンさのそれは」
「違いねえ」反省はこれっぽっちも生かされていないようだ。笑いの巻き起こるテーブルに周囲の客は迷惑そうに眉をひそめる。正が、サラダバーのお代わりに席を立った。「お前、何度目だよ」「四回目」「よく食えるなあ」
そう言う全員が、三回のお代わりをしていた。
「あのお、サラダバーのパスタがなくなっちゃったんだけど」
食べざかりの少年五人が、何度も何度も取りに行くのだ。いくらお代わりが自由とされているとはいえ、レストラン側の対応に遅れが出ることは否めない。
「はい、ただいま」
派手なアイメイクをしたウエイトレスがマニュアル通りの受け答えで厨房に注文を上げ、小声でこう付け加える。
「なあに? あの集団。パスタとベーコンチップがいつもの倍出てるわ。それになんか臭う」
「大方、家でロクなもん食べさせてもらってないんだろ。農家の多い町だからな」
中学生の正を軽視したのか、聞えよがしに厨房の中から若者が返す。俯き加減に空の皿を持って戻る正に、小野木が気づいた。
「どうした? 食い過ぎて腹でも痛くなったか」
「違うよ、今――」
正は耳にしたままを小野木に告げた。
「なんだと! おい、ねえちゃん、責任者を呼んでくれ」
客の立ったテーブルの片付けをするアルバイトらしきウエイトレスの腕を掴む。ただでさえ人相のよろしくない小野木が怒りの形相になっているのだ。ウエイトレスは目を見開いて大きくニ度頷くと奥のドアに駆け込んだ。
「どうしたの? ジュンさ何か怒ってる」
少年達の内では一番新参になる永田が控え目に訊ねてくる。
「正の話を聞いたろう。あれは客商売をしてるもんが――いや、人として口にしちゃいけねえ言葉だ」
ほどなくしてウエイトレスが駆け込んだドアが開き、三十代半ばと思しき男が出てきた。
「店長の白井でございます。私どもの対応に何か不手際がございましたでしょうか」
接客マニュアルに書かれた通りを読み上げる口調だった。
「厨房に居るあんちゃんとそこのねえちゃんが、こいつを愚弄した。アルバイトにせよ社員にせよ教育がなってない。こいつに謝罪してもらおう」
「ええと、愚弄を申されますと……」
愚弄という言葉を知らないのか、状況を確認したいのか、はたまた強面の小野木が口にするに似つかわしくない言葉だと思ったのか、鸚鵡返しに訊き返す白井に小野木の苛立ちが募った。
「そこのサラダバーを根こそぎ平らげたこいつ等もこいつ等だが、普段ロクなもの食べてないんじゃないかって言ったんだそうだ、臭うともな。愚弄だろうが、確かめてみろ」
ジュンさだって三回お代わりに行ったじゃないか、こいつ等もこいつ等ってのはなんだよ。少年達は同じ不平を共有したようで顔を見合わせて頷く。
白井は配膳カウンターの扉を開け厨房に入って行った。若者と額を寄せひそひそと話し合う。小野木に指差されたウエイトレスは気まずそうな顔で突っ立っていたが、別の客に呼ばれたのをこれ幸いと、客席の反対側に回って行った。
「大変、失礼いたしました。本日のお食事代金は結構でございますので、穏便にお引き取り願えませんでしょうか」
恐らく接客マニュアルを読み間違えているのだろう、騒ぎを起こすのが目的だったのではない小野木に言ってはいけない台詞だった。
「聞いてんのか、人の話を。食った分の金は払う。俺が言ってるのはそうゆうことじゃない。こいつを愚弄した謝罪をしろって言ってんだ。それに引き取れってのはなんだ、こいつ等まだ食ってんだぞ」
大きく腕を振り回して声を荒げる小野木の剣幕にたじろぎながらも、白井は再びマニュアルを頭の中で開いて読み上げる。
「ええと、失礼ですが、お客様のご要望をお伺いしてもよろしいでしょうか」
小野木はキレた。
「俺がたかりにでも見えるってのか、この野郎!」
色をなして立ちあがろうとする小野木を少年たちが必死で抑え込む。周囲の客のざわめきが大きくなった。
「けったくそ悪い店だ、ニ度ときてやらねえぞ」
RV車に乗り込み、発進させてからも小野木の怒りは冷めやらない。雄一郎は、これほどまでに他人の自分達を思い遣り、尊重してくれる大人を知らなかった。小野木やカジに出逢う以前、唯一信頼を寄せることが出来た大人の美代子は担任だった。家族に無関心な父親とその出世にしか興味がないような発言を繰り返す母親――彼等に見せてやりたいと思う小野木の言動だった。しかし多少やり過ぎの感があるようにも思えた。
「俺達のことに一生懸命になってくれるのは嬉しいけど、あれで警察でも呼ばれたらどうするんだよ。店長に殴りかかるんじゃないかと思ってひやひやしたぜ」
「こっちが悪い訳じゃねえだろう。警察呼ばれたって堂々としてりゃあいい」
「そりゃあそうだけど侮辱された正より、ジュンさの方がエキサイトしちゃってたよな」
場を和ませようとした尚人が、他の少年達を笑顔で見回す。
「普段の俺ならあのぐらいで怒らねえんだがな。その昔に観たVドラマを思い出したんだよ。子供の食べてるうどんだかラーメンだかを下げようとした店員に親父が怒鳴るシーンがあってな、あれを一度やってみたかった」
えへへと、笑う小野木を唖然として見つめるしかない少年達であった。




