ひとでなし
小野木自身、女性に手が早いといった認識はなかった。成り行きで逢ったその日に体を重ねてしまったことは少なくないが、決して強要した訳ではなく、お互いが求め合った結果だったと信じていた。
しかし男女の仲が急接近するのにセックスは非常に有効であるといえる。数を重ね、完全にフランクな口調になった美代子が頼み事を切り出してくる。
「今度は美代ちゃんに泣きついたのか、あいつ」
「ええ、聞くぐらいは聞いてあげたら? 彼も、交友関係を一新したいみたいだし」
「ああ、本気ならいいんだ。そうしてみる。でも尚人は拒絶反応を示すだろうな、間違いなく」
「ジュンさが口添えしてあげてよ」
「そうしたくなるほどの腕前であることを祈るよ。さもなきゃ尚人も納得しやしねえだろう」
「写真、起こせば?」
枕元の紗江子の遺影を伏せたままなのに気づいた美代子が言った。
「うん、後でな」
「私なら気にしないわよ。亡くなった人には、どう頑張ったって勝てやしないんだし――きれいよね、紗江子さん。私もこんな風に生まれたかったなあ。羨ましいわ」
「そんなつもりで伏せたんじゃねえよ。それに美代ちゃんも、それなりにキュートだぜ」
「それなりにかあ」
美人ではないが、大きな瞳を持つ美代子の容姿は人並み以上だと褒めたつもりだったのだが、言葉を選び損ねたことに気づく。感情の起伏の激しい彼女の反撃に備えたが、予想したような事態にはならない。どうやら話の続きがあるらしい。
「愛に臆病にならないでか……いい言葉ね。でもジュンさはまだそれを実践出来てないような気がするわ」
「何で? 臆病じゃないから美代ちゃんとこうなってんじゃねえか」
「その目よ」
また、それか――哀しい色とか言われるのだろうか。はたまた現在の恋人だけを見ようとしない姿勢を責められるのか。過去や未来に必要以上に拘る女性の視点が小野木には重荷であった。
「あなたは時々、すごく哀しい目をするの」
やはりか――親しくなった女性からは毎度のようにそう指摘される。そしてその度に背負った十字架の重さを再認識させられることになる。五感を閉ざしたくなる瞬間だ。
「俺の目をまともな人間の目として判断するからいけねえんだよ。人でなしのそれだと思ってみろ。気になんなくなるから」
説明を始めれば薄れかけた罪悪感がクローズアップされることは分かっていた。
「どうして、そんなふうにいうのかなあ、自分を卑下すれば罪の意識は消えるの?」
「んにゃ、そうなってくれれば嬉しいけど無理だな」
「じゃあ、どうして? 嫌いよ、そうゆう言い方」
抗議口調になった美代子が、その場しのぎの嘘で引き下がることはないだろう。同じ話はしたくない、人でなしの線で通しておくか。小野木は方針決定を下す。
「人には、どんな理由があろうとやっちゃいけないことってのが三つあると思うんだ。裏切り、殺人、レイプがそれだ。俺はそのうち二つをしでかしてる。人でなしでなくって何だっていうんだよ」
「殺人? 本当に」
以前の告白では聞かされていない事実だった。そんな前科があったのだろうか。美代子は息を止めて続きに耳を傾ける。
「愛する女性が望んだ子供を堕ろさせたって事は、立派な――立派ってこたぁねえな、歴然たる殺人だ。救いようがねえよ。俺はその女性をも共犯者にしちゃったんだから」
その話は訊いていた。紗江子という女性との哀し過ぎる別離に感情が占められ、そういう女性が居たことや家族がいたことを反芻して考える余裕がなかったのかも知れない。慰謝料でも払い続けているのだろうか? 直接的表現を避けて訊ねてみた。
「許してもらえてないの?」
「わかんねえよ。ただ、口でどう言おうと許せることじゃないと思う。頭では理解できたって感情まではコントロール出来るもんじゃないだろう。心の痛みなんて自分以外に分かりっこないんだからさ。人はそれぞれ物差しの尺度だって違うんだ。ただ、どんな物差しで測ろうと許されないのが、さっき言った三つだ。俺は傍に居続けることで、その女性が立ち直るのを見届けようとした。勿論、拒否されたけどな。俺の要求が、俺自身を楽にするためのものだと分かったんじゃないのかな。最低と言われようと、死んでしまえと言われようと腹も立たなかった。不当に侮辱されてるなんて思ってるうちは、罪の大きさに気づいいないんだ。その人の人生に唾を吐きかけるような真似をしたんだ。同じことをされたって文句のいえる筋合いなんかない」
「償おうとしたから奥さんとも別れたんでしょう? すべきことはしたじゃない」
「わかんねえ女だな。犯した罪は消えない。例えば殺人罪で服役したとする。懲役を勤めあげて出所した。それで罪を精算したと被害者の家族や友人は納得するか? しねえだろ。救済は訪れない、終息の時なんて来やしねえんだよ」
切り上げたい話題にしつこく食い下がる美代子に、小野木は苛立ちを隠せなくなってきていた。
「大きな声を出さないで。だったら私の気持ちはどうなるのよ。過ぎたことにいつまでもウジウジと後悔し続けるあなたを好きになった私にも償いの気持ちを持てって言うの? どこに居るかもからない人達に」
「それは……」
返す言葉が見つからなかった。美代子の、そして同じ言葉を口にした紗江子が本当に言いたかったことはこれだったのか。深く掘り下げて考えたことなどなかった。罪の重さばかりを悔いて精神的な視野狭窄に陥っていたと言われても仕方のないような美代子の指摘だった。小野木は乾きかけた瘡蓋が疼くような感覚に陥る。
憎悪と、いつ終わるのかも分からない贖罪を背負ったまま生きて行くのは辛い。いつか許される日が来るのだろうか。そんな思いを忘れさせてくれる少年達と過ごす時間や美代子との逢瀬は小野木にとって魂の休まる時間ではあった。しかし一時罪悪感を頭の片隅に追いやることは出来ても、澱のように深く胸の底に沈みこんだ感情は消え去ることはなかった。
「ごめん、やっぱり俺達――いや、俺は誰かと上手くやってゆくなんて考えちゃいけねえ気がする」
結局、別れを提案しなければならなくなる。その言葉の意味を解した美代子の目に涙が溢れていった。
「勝手になさいっ、ずっと独りで苦しんでいるがいいわ」
ベッドから起き上がると散らばっていた衣服を拾い集め、さっさと身に着け始める。
「帰るのか? 麓までは暗いぞ。俺が運転しようか」
「結構です。こんな意気地なしの運転が安心できるもんですか」
美代子は大きな音を立てて階段を駆け降りて行った。
意気地なしかあ……人でなしとどっちがいいのかな。諦めが小野木の脳裏をよぎった。
先導を提案しても美代子は堅く口を結んで返事すらしない。小野木は仕方なく気をつけてな、と声を掛けて送りだした。そろそろと走り出した美代子の車はヘッドランプを点けることさえ忘れているようだった。
自業自得だな、今後は目がどうのこうのと言わない女性を探すか、若しくは何を言われてもすっとぼけるかだな。深く溜息をつき、部屋に戻ろうとする小野木の目にブレーキランプが傾くのが見えた。脱輪したようだ。部屋に戻って車のキーを手にすると荷室にけん引ロープがあるのを確認してRV車をスタートさせた。
「大丈夫か? だから、言わんこっちゃねえ」
排水溝として掘られたくぼみに左前輪がはまり込んでいた。ドアを開いて声を掛ける美代子は顔を下に向けたまま、子供のように何度もしゃくりあげている。
「ほっといてっ!」
「もう十月なんだ。山田達をとっ捕まえた時分じゃない。ほっとけって言われてほっとけるもんか。ガキみたいなことを言って俺を困らせないでくれ。こんなとこで夜を明かす訳にも行かねえだろう。俺に腹を立てるのはいい。こんなんで恩を着せたりはしねえからJAFかなんかだと思って素直に助けられておけよ。後ろに引っ張るからギアはニュートラル、サイドブレーキは俺の合図で戻すんだぞ。わかったのか?」
目線を動かさぬまま数秒考えた末に、美代子は小さく頷いた。小野木のRV車が小型乗用車を引き上げることなど造作もない。スルスルと上がったタイヤの裏側を覗きこんで足回りにダメージがないことを確かめると、エンジンをかけ直してヘッドライトのスイッチを捻った。その間も美代子はシートから腰を上げる仕草すら見せない。
「悪いな、電灯も付いてない道で。見た所、足回りにダメージはなさそうだけど国道に出て異常を感じるようなら言ってくれ。カジさんに見てもらうから」
再び黙って頷くだけの美代子を先導して、門扉を開いてやる。
「どうやら美代ちゃんも傷つけちゃったみたいだな。ごめん、やっぱり俺は不器用なのかも知れない」
今度は頭を振った。何に対する返事なのかを確かめることも出来ずに、小野木は門を抜ける青い車体を見送った。




