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デジャヴ

「あっ! 美代ちゃん、プリンは好きか? 昨日、娘が持ってきてくれてな。井之口市じゃ、いや、尾張県からも買いに来る物好きが居るってんだから、そこそこ有名らしいぞ」

「娘? 婚約者は亡くなったんでしょう、どうして娘が居るの?」

「固いこというなって。あいつ、大学まで出ておいて洋菓子職人になんかなりやがってな。パンティーなんとかっていうらしい」

「いえ、別に固いことを言ったつもりは……それと、洋菓子職人はパティシエです」

「そうそう、それそれ。パンティーはこないだ見せてもらったヤツだな。確か淡いグリーンだった。さすがに先生ともなると地味な色をお選びで」

 落とし穴であられもない姿をさらけ出してしまったことを思い出し、美代子は耳たぶが熱くなるのを感じた。しかし、色まで覚えていてそれを楽しげに口にする無神経男に紅潮は恥じらいの色から怒りのそれへと変貌を遂げる。

「変態おやじっ!」

「怒るとプリンが不味くなるぞ、いいから早く食べろ。あ、変態おやじと言えば……」

「いえば?」

 数秒前には怒っていたのが、構わず上機嫌で話し続ける小野木の語り口につい引き込まれてしまう。この旺盛すぎる好奇心を何とかせねばとは思うのだが、沸き起こってしまった興味は満たされること切望していた。

「俺の中学の担任が、とんでもないスケベオヤジでな。ほら中三ともなると胸の目立ち始める女の子も居るだろ。そいつは、何かと理由をつけては女生徒に抱きついていやがったんだ」

「セクハラのはしりみたいなもんですね、今だったら大問題だわ」

「おまけに、そいつはサディスティックな性癖でもあったのか、宿題を忘れた生徒を一人づづ教壇に上げては、製図で使うでっかい定規でケツを叩くんだよ。男も女もお構いなしでだぞ」

「本当の話なの? また、私をからかってるんじゃないでしょうね」

「んにゃ、同級生の証人ならいっぱい居る」

 何故だか小野木は自慢気に胸を張る。

「だとしたら、大問題だわ」

「生徒の側にだって事情ぐらいあるだろう。貧困で兄弟の面倒を見なきゃなんなかったとか、電気止められてて出来なかったとかさ。ところがヤツときたら、そんな理由も訊きやしねえ。単に生徒を殴る口実が欲しかったんじゃねえかってぐらい、嬉々として定規を振り回してやがった。ヤツの説によるとケツなら叩いても大したことにはならねえんだそうだ。怪しいもんだがな」

「根拠は薄そうね」

「あいつは人にものを教えるような器じゃなかったんだ。アウシュビッツの看守辺りでもやってた方が似合ってたんじゃねえかな。自分は太宰の生まれ変わりだとかもぬかしてやがったぞ。卒業式では、頼みもしねえのに勝手に詩吟をうなって自己陶酔に浸ってた」

「そんな先生なら当然辞めさせられたのよね」

「ところがどっこい」

「違うの?」

「あろうことか、最後にはどっかの校長に治まりやがった。それを聞いた俺は愕然《としちゃったね。教育の世界も政治力がものを言うのかって。あんなんが上に居たら先生も生徒も悲劇だぞ」

「大問題だわ」

 口を開きかけた美代子にタイミングを合わせ、小野木が同じ台詞を重ねる。

「言うと思った」

 小野木が小さくガッツポーズをする。呆気にとられたように開いた美代子の唇がそのまま笑い声を発した。

「ジュンさは話題が豊富ね」

「たいしたこたあない。美代ちゃんよか、ええと……」

「十一年、余計に生きてる分だけは多いかも知れないけどな」

「暗算は苦手みたいね」

 吹き出した美代子の言葉が、小野木にデジャヴを引き起こす。紗江子とは少しも似ていない美代子の顔をまじまじと見つめてしまった。

「長く引き止め過ぎたみたいだな。車だったろう? 麓まで街灯もないんだ。俺が先導するよ」

 乱暴だった小野木の口調が心なしか柔らかくなったように感じた。こちらこそ長居をしてしまってと、席を立つ。よろけた拍子に小野木に抱きとめられる格好になった。

「パシャか…」

 懐かしいグレープフルーツの香りが小野木の鼻をくすぐった。デジャヴがコンセテレーション(意味のある偶然)に変わる。

「珍しいわね、香水に詳しい男の人なんて」

「それと、インカントぐらいしか知らない。詳しい訳じゃないさ」

 抱き合った格好のまま会話が流れる。小野木の声は少し強張っていた。

「ありがとう。もう、離してもらっても……」

 顔を上げて、言いかけた美代子のふくよかな唇を淳一の唇が塞ぐ。

 ――だめ、理性が警鐘を鳴らすが、腰に回された掌の感触が激情を煽って押し流す。何より、美代子の唇が反応し始めてしまっていた。体の力が抜けてゆく。

 (なんてこった。雄一郎の左フックと同じで、俺の唇もパシャの香りに反応しちまったらしい。ええと、永遠を誓ったのが一人と、ずっとずっと愛してるのが一人、この子はどう位置づけすればいいのかな? 星もまた探さないといけねえのかな)

 抱きとめた美代子の体が腕の中で重みを増して行くのを感じながら、小野木は悩んでいた。


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