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教育

「それで、あんた――もう美代ちゃんでいいよな。美代ちゃんは、あいつらのことをどう報告するつもりなんだ?」

「学校側が聴取した事実とは違うようですし、このままあの子たちの御両親に伝える訳にも行きませんよね。ジュンさに何かいい考えはないの?」

 中途半端にフランクになった口調に調子は狂うが、なんとか立て直して小野木が答える。

「もう一回、学校へ持ち帰って討議してみたらどうなんだ。町村ってガキが脅されてて、ああなったって言ってただろう。そのガキの話も聞いてみねえとわかんねえんじゃねえのかな」

「ええ、ガキではないですけどね。明日にでも町村君のところへは行こうと思っています。その前に鈴木君の言い分を横山主事と教頭に報告するつもりですが」

「多分、ニ・三日あれば山田は黙らすことが出来る。雄一郎たちも濡れ衣で親に叱られるのはたまんねえだろう、報告は少し待ってやってくんねえかな」

 美代子は小野木とカジのやり取りを思い出した。どうやってあのうるさ型の山田家を黙らすつもりなのだろう、校長ですら戦々恐々としているモンスターファミリーなのに。美代子は好奇心の虜になりかけている自分に気付いた。

「わかりました。とにかく町村君のところへ行って話を聞いてみます。学校への報告はその後にします。もう少し話をしてもいいですか? あの子達に関わる者、人間同士として、あなたの御意見が聞きたいんです」

「構わねえけど、言いたくねえことは言わねえからな」

 ツンと顎を持ち上げた小野木から可愛げのない返事が返ってくる。子供か、あんたは。やれやれといった様子で小さく首を振った美代子は小野木を見据えて言った。

「ジュンさは、何の関係もないあの子たちを、どうしてそんなに信じてあげられるの?」

 とうとうこの女もタメ口になりやがったか、俺はどうしても年長者としての敬いは受けられないらしい。そんな不満が小野木の口を尖らせる。

「信じるのに理由が要るのか?」

「そうじゃなくって、鈴木君の万引きに関しても今回も、あなたの口からあの子たちを疑う言葉が出てこなかったことを不思議に思うの。二年生の頃から担任を受け持っている私より、あなたとあの子達との関係は短いのでしょう」

「付き合いの長さなんざ関係ねえよ。あいつらが嘘ついてるかどうかなんか、目を見れば分かるじゃねえか。横山だかに食ってかかった時の美代ちゃんだって、俺と一緒だったんじゃねえのか」

 果たしてそうだったろうか、「美代ちゃんが信じてくれるなら、それでいいよ。証拠もないんだし」と、腰の引けた雄一郎を引っ張っ、横山に抗議に行った時の記憶を辿ってみる。形式的に山田の話は聞いたが、雄一郎への嫌疑を解いたようでもない横山が「学校側も処分はしないつもりだから、この話はこれでお終いにしましょう」と妥協案を提示し、それに頷いてしまった自分が情けなく思えた。

「そんなに一生懸命になる必要があるんですか? 警察沙汰にはならなかったんだから、もういいじゃないですか」

 相談を持ちかけた同僚達からも、期待できるような助言や参考になる意見は聞けなかった。その言葉には、余計なことに首を突っ込みたくないといった態度がありありと窺えた。

 教育カリキュラムの変更があれば、その毎にセミナーへの参加を余議なくされ、さらに担任ともなれば地域対応から苦情処理、進路指導のための出張まである。削減された教員数の現状では理想の教育を追い求める余裕もなく、ついつい無気力な発言になってしまうのも無理からぬことなのだろう。それは理解していた。でも、そういった大人の都合を生徒達に押しつけてよいものだろうか。疑問を持ちつつも周囲を説得、或いは鼓舞する言葉を見いだせない歯痒さを、美代子はいつも抱いていた。

 感情を表に出さず、クールに振舞うのが今時なのかも知れないが、それが教師として、また少年達の成長を見守るべく大人をしての正しい姿だとは、どうしても思えなかったのだ。

「君を見ていると、僕よりも生徒の方が大切なように感じる」

 担任の責任を全うしようと職務を優先させてばかりの美代子に、そう言って去って行った恋人を思い出した。心の奥底にしまいこんだはずの記憶だった

 そんな状況下で出逢った淳一のバイタリティ溢れる言動は、一見でたらめのようではあったが新鮮で頼もしくもあった。生徒と一緒に笑い合ったり、本気で叱ったりすることのできる同僚が一人として思いあたらない中、この小野木とカジに少年達は全幅の信頼を寄せている。美代子はその理由をどうしても知りたかった。

「熱いのかな、ジュンさは。だから鈴木君達に慕われてるのかしら」

「俺がか? そんなこと初めて言われたぞ」

「ちゃんとした証拠もなしにあなたを責めたのは悪かったわ。でも普通、初対面同然の私を穴に落とす? あの子たちとの出逢いも落とし穴だったそうよね。そんなふうに怒ったかと思うとバカみたいに笑う。亡くなった女性を思い出しては、よく泣いてるとも聞いているわ。熱いのでなければ、何ていったらいいのかしら……喜怒哀楽が激しい――感情表現が豊か――違うわね、うーん……」

「ガキどもめ、そんなことまで御注進してやがるのか。よく飼い馴らしたもんだな――あ、言葉通りに受け取るなよ褒めてんだから。あいつ等が信頼する数少ない大人の一人だと思うぞ、美代ちゃんは」

 飼い馴らすという言葉に反論しかけたが、即座に打ち消された上、意外な賛辞を受け取り、美代子は口をもごもごさせた。

「そうさな、俺が怒ろうと笑おうと時間は止まることなく流れて行く。いつまで生きられるかなんて確実な保証はありゃあしない。その時感じたことを、照れたり恥じらったりすることなく表現したいと思って実践してる。つまんない体裁を気にして今際の際に、ああすればよかった、こう言っておくべきだったと悔やまなきゃなんねえのはバカらしいと思わねえか? つまり俺はやりたいことをやってるだけだ。失敗も多いけどな」

 その失敗を思い出したのか、苦笑を浮かべて小野木は続けた。

「人に出来ることは、今を一生懸命に生きることだけだ。誰かのために何かが出来るなんてのは、とんだ思い上がりだよ。俺はあいつ等のためになんて思ったことは一度もない。あれこれ指図もしない。農園の仕事はあいつ等の方が詳しいしな。連中が知りたがって聞いてくることには答えるけど、後は勝手にさせてる。大人がああでないこうでないと口を出し過ぎるからいけねえんだよ。ガキなんてものは、放っておいた方が自分で考えることを覚えるもんだ」

 ガツンと頭を殴られたような感覚があった。生徒達により良い途を指し示そうと、恋愛も私生活も投げ打って突っ走ってきたつもりだった。押しつけがましい言葉も口にしたかも知れない。それ以外の方法を見いだせなかったのもあるが、間違っているとは思わなかった。小野木がしているのは気負うことなく、ただ傍で共に生きる。少年達の感性が共鳴したのは、そこだったのかも知れない。淡々と語る彼の言葉に新たな方向性が見えたような気がした。

「そう言えば、あの子達に言ったそうね、人は誰でも芸術家になれるんだって。いい言葉だと思うわ。それで、ジュンさは何の芸術家になったのかしら」

「俺か? 俺は悲しい恋ばかり繰り返す芸術家かな、もう引退しちゃったけどな」

 引退しちゃったんだ――美代子は少し残念な気持になった。

「もういいか? 外はまだ明るいけどこんな時間だ、腹が減っちまったい。夕飯を一緒にどうだい。カジさんも出掛けちゃったし一人のテーブルは寂しくっていけねえや。俺の料理だから味は保証出来ないがな」

 席を立って振り返る小野木の笑顔にドキリとした。男性と二人きりで食事をするのなんて何年ぶりだろうか。美代子は胸の高まりを隠すようにゆっくりとした口調で答えた。

「ご迷惑でなければ」

「散々立ち入った質問をした後に、今更何を遠慮してやがる。うちの野菜は新鮮だぞ、なんせ採りたてだからな。あ、好き嫌いはあるか」

「ええと、シイタケはちょっと」

「そんなら、それは入れないようにする。ちょいと待っててくれよな」


 見栄えは良くないがふんだんのボリュームで、彩りも豊かに盛られた皿がテーブルに並ぶ。昼食もとらないままここへ来たことを思い出した美代子は急激な空腹感に囚われ、早々に箸を伸ばそうとした。

「待てよ、お祈りが先だろう」

「あ、すみません……」

「Gimme your hand」

 言われるままに、差し出された手に自分の手を添える。淳一は英語で神への感謝を唱え始めた。

「Dear Lord. We thank you for this meel―― 」

 美代子は大学時代にホームステイをしたオハイオ州の農家を思い出していた。発音にアバウトなところはあったが文言は正確だった。ホストファミリーだったギブソン夫妻の手の温もりが、淳一の掌から蘇ってくる。

「――Amen, さっ、食おう」

「ジュンさはクリスチャンだったのね」

「んにゃ、ウォーカーって映画でデンゼル・ワシントンが、こうしてたのを思い出してな。一度やってみたかったんだ。生まれて初めてだぞ、お祈りなんて」

 そう言ってガハハと笑った。美代子は引き攣った笑いを顔に張りつかせ、思いつく限りの悪態を頭の中に並べ立てる。あんたは罰あたりで、イジワルで、怒りんぼうで、行きあたりばったりで――

「そのトマト、美味いだろう。化学肥料じゃあ、そうはでっかく育たねえぞ。ドレッシングは俺の幼馴染特製だ」

「ええ、甘くて瑞々しいわ。化学肥料じゃないってことは有機農法なのね」

「ああ、俺やガキどものウンコで育てた。あ、鶏糞と犬達のも混ざってるかな」

 ガサツで無神経でいい加減で乱暴でロクデナシで――悪態のボキャブラリーが尽きそうなのを美代子は呪った。小野木を頼もしく感じたことと、笑顔にときめいてしまった記憶を排除するには、もっと多くの悪態が必要に思えた。


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