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万引き

「知らねえよ、こんなの」

「ふうん、じゃあ知らないうちに、この本が君の鞄に入ってたっていうのか」

 雑誌の立ち読みに寄った郊外型書店を出た鈴木雄一郎は店員に呼びとめられていた。胸がデフォルメされた女性が表紙に描かれた漫画週刊誌を雄一郎の鞄から抜き出し手に取っている。

「誰かが、入れたんだよ、きっと」

 浅黒い顔にバランス良く配置されたドングリ眼を見開いて雄一郎は弁明した。

「そうか、そうゆう言い訳は警察でしてもらおう。学校にも連絡するからな。ご丁寧に学校名と名前まで書いてあるじゃん。万引きする時ぐらい私服で来いってえの」

 メタルフレームの眼鏡をかけ、痩せて神経質そうな顔をした店員が雄一郎のジャージを指差していった。右手は雄一郎の腕を掴んでいる。振りほどこうとすると今度は両手で掴んできた。大学生ぐらいだろうか、中学三年生として平均的体格の雄一郎では、いくら痩せた店員でも振り払うことは出来なかった。

「色気づきやがって」小さな声だが吐き捨てるように言ったのが聞こえた。


「鈴木っ! どうしてこんなことをしたんだ」

 書店の事務所らしき部屋に座らされた雄一郎に、生徒指導課の横山教諭が詰問口調で言った。書店からの連絡を受け駆けつけた教諭は、露骨に迷惑そうな表情をしている。学校内でも滅多に笑顔を見せないこの男は、しかめ面が張り付いているように見えた。

「まったく、こんな時に限って担任の間宮先生は居ないんだから」

「だから、知らないっていってんだろ。信じてくれよ」

「本がお前の鞄に勝手に入るはずないだろう」

「だから、きっと誰かが――」

 はっと思いついて言葉が止まる。体育準備倉庫にたむろする不良少年達のにやにや笑いが浮かんだ。あいつらか……

「なあ、俺達とつるもうぜ」しつこく誘ってくる連中は、この書店でも立ち読みをしていた雄一郎を囲んできた。「バイク雑誌見てんのかよ、お前、無免じゃん。中山先輩のチームに入れば免許なんて関係ねえけどな」

あの時、鞄に入れたに違いない。

「もういいよ、俺がやった。金は払うよ」

 奴等が鞄に入れた証拠はない。迂闊なことをいうと、仲間入りを強要させる口実を与えることになる。そう考えたのだった。この状況では、雄一郎がどう弁明しようと信じてもらえないだろう、といった諦めもあった。

「金を払えば済むって問題じゃないっ!」

 横山の語調が鋭くなる。もみあげ周辺がすっかり白くなったこの教師は、親父代わりでも気取っているのだろうか。雄一郎はふうと小さく息を吐いてから答えた。

「スリルを味わいたかっただけだよ。ニ度としない――理由はいったぜ、もういいだろ」

 ねめつけるような視線を雄一郎から剥がすと、横山は書店の責任者らしき男に顔を向け深々と頭を下げる。

「申し訳ありません。難しい年頃の生徒でして――おそらく出来心なのでしょう。将来のある子供です。学校でキチンと言って聞かせますので、今回は何とぞ穏便おんびんに」

 雄一郎に向けていた目とは明らかに異なった媚びるような上目遣いになっていた。

「そうして下さい。地域のお客様あってこそ我々の商売も成り立っているのですし、先生のおっしゃる通り将来のあるお子さんです。警察に突き出すほどのことでもないでしょう。アルバイトの子も正義感に駆られて、ああいっただけだと思われます」

 正義感というよりは弱い者いじめを楽しんでるようだったな。雄一郎はアルバイト店員の薄ら笑いを思い出していた。

「いやあ、助かります。校長も教頭も不在のこんな時に警察沙汰は困りますので」

 再び深々と頭を下げる横山教諭の姿に大人の汚さを見た気がした。雄一郎の母親がドアを開けて入って来る。

 「雄一郎っ! なんてことしたのよ」

 この度は息子が大変なことをしでかして申し訳ありません。先生にまでご足労いただいて申し訳ありませんと、あちこちにペコペコ頭を下げる母親を見て雄一郎は思った。どうせおふくろも信じてくれっこないさ、警察に突き出されることはないんだ。面倒だし黙っておこう。

「しかも、こんないやらしい本」

「お母さん、本の内容は問題ではありませんから。私がお願いして今回は穏便に済ませてもらうことができました。一度ご主人様にもお話しになられた上、家庭できちんとした話し合いを持たれて下さい」

 横山は母親の見当違いな非難に苦笑いを堪えつつ、雄一郎の処分保留を自分の手柄のように言った。

 後は宜しく、と書店の責任者が部屋を出て行く。

「先生には本当に、ご迷惑をおかけしまして。改めて主人とお詫びにまいります」

「いえいえ、その必要はございません。学校でも私だけの胸に留めておきますので」

 おしつけがましい口調だった。


「親に恥をかかすな!ちゃんと小遣いは渡してあるだろう。警察にでも連れてかれたらどうするつもりだったんだ」

 市役所の上下水道課に勤める父親の叱責にも雄一郎は冤罪を主張しようとはしなかった。

「だから、もうしないってば」

「お父さんが課長になれるかどうかの大切な時期なのよ、軽はずみな真似はしないでちょうだい」

 母親の心配も親父の出世か、こんなことでもなければ生きてるのか死んでるのか分からないような父親だった。家に居る間は殆ど口も開かず、家族で出掛けた記憶も小学校の低学年ぐらいまで遡らないと思いだせない。土日はゴルフか釣りで家に居たためしがない。上司からの電話に見えるはずもないのにペコペコ頭を下げる。俺はこんな大人にはならないぞ。雄一郎はそう自分に言い聞かせていた。

 学校の裏手にある山を駆け回る赤いバイクを思い出していた。カン高い排気音を響かせジャンプしたかと思えば一気に坂を駆け下ってゆく。その様子をいつも校舎の屋上から眺めていた。あれがモトクロッサーってヤツだな、書店で立ち読みしたバイク雑誌でその呼び名は知っていた。ベガ農園――そう書かれた看板が山の麓にあった。あれに乗れたらきっとスカッとするぞ。長々と続く両親の説教は耳に入らなくなっていた。


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