第6話
いつからか、
食べる時間が、少しだけ苦手になった。
匂いだけで、
喉の奥が勝手に動くことがあった。
腕を引っ張ったときのことは、
少しだけ覚えていた。
泣き声のこと。
先生の顔のこと。
全部、はっきりしているわけじゃなかった。
でも、
一つだけ残っているものがあった。
――少しだけ、静かになった。
それだけは、はっきりしていた。
どうしてそうなったのかは、わからなかった。
でも、
そうなることだけは、わかっていた。
午前の遊びの時間。
いつもと同じように、みんながそれぞれ動いている。
僕は、少し離れたところにいた。
そのとき、
椅子の上に帽子が置いてあるのが見えた。
誰かのものだった。
名前が書いてあったけど、ちゃんと見なかった。
近くに持ち主はいなかった。
少しだけ見てから、
手を伸ばした。
持ち上げる。
軽かった。
少しだけ、そのまま持っていた。
どうするのか、考えていた。
考えているというより、
前のことを思い出していた。
どうすれば、あの感じになるのか。
少しだけ、時間がかかった。
それから、
ロッカーの方に歩いた。
開ける。
奥に、少しだけ隙間があった。
そこに、帽子を押し込んだ。
見えない。
でも、
探せば見つかる。
それを確認してから、
扉を閉めた。
そのとき、
胸の奥が、少しだけ動いた。
前と似ていた。
でも、まだ足りなかった。
僕はそのまま、少し離れた場所に移動した。
待つことにした。
何を待っているのかは、わかっていた。
しばらくして、
「あれ……」
小さな声が聞こえた。
帽子の持ち主だった。
椅子の上を見て、
周りを見て、
少しずつ動きが速くなっていった。
「ない……」
声が少しだけ震えていた。
僕は、それを見ていた。
胸の奥が、少しだけざわついた。
前と同じ感じだった。
でも、
まだ静かにはなっていなかった。
少しだけ、待った。
もう少しだけ。
その子の動きが、少しだけ大きくなった。
視線が、少しだけ上を向いた。
そのとき、
僕は動いた。
「そこにあるよ」
ロッカーの方を指さした。
声は、普通だった。
その子はすぐに走っていった。
扉を開ける。
中を覗く。
「あった……!」
帽子を取り出して、
ぎゅっと握った。
さっきまで崩れそうだった顔が、
少しだけ戻っていた。
その顔を見たとき、
胸の奥が、静かになった。
はっきりと、わかった。
あのときと同じだった。
それで、終わった。
誰も何も言わなかった。
先生も気づいていなかった。
何も起きていないみたいだった。
でも、
僕の中では、少しだけ違っていた。
――できる。
そう思った。
もう一度やれば、
同じようになる気がした。
次の日、
同じことをやった。
少しだけ場所を変えて、
同じように隠して、
同じように待って、
同じように教えた。
同じだった。
胸の奥は、また静かになった。
それを何度か繰り返した。
そのたびに、
同じように静かになった。
少しずつ、
やり方がわかってきた。
見つからない場所じゃだめだった。
見つかる場所じゃないといけなかった。
すぐに教えてもだめだった。
少しだけ困ってからじゃないといけなかった。
それがわかった。
――こうすればいいんだ。
そう思った。
それから僕は、
同じことを続けた。




