婚約破棄された令嬢は、聖女として逃亡する
「シルヴィア・ステラリア。今日この時を以て、お前との婚約を破棄する!」
――成った。
快哉をあげたいのを堪えて、シルヴィアは神妙な顔で礼をとった。
「――謹んで、承ります」
この国では魔力を持つ者が尊ばれる。ゆえに、魔力を持つ者は一定の年齢から国立の学園に通うことを強制される。
古く貴き血筋に連なるシルヴィアは、その魔力量を見込まれ、ルクドール王国の王子と婚約関係にあった。たった今、それは破棄されたが。
学園の卒業パーティ。そんな晴れがましい場で、衆目に知らしめるように――実際、そのとおりなのだろう。
「ふん、泣きわめきでもすればまだ可愛げがあったものを。こんなときでもお前は眉一つ動かさないんだな」
(その可愛げとやらを求めた結果が、殿下から片時も離れないアニー・リングストン嬢だとでも言うのかしら。どうでもいいけれど)
そう、どうでもいい。
将来の王太子妃として至極真っ当な注意をしただけのことが『リングストン嬢に嫉妬したステラリア公爵令嬢』として生徒間で噂されようが、それを真に受けた、リングストン嬢との初恋に溺れる王子が血筋と魔力量だけで結ばれた婚約関係の破棄を決めようが、それらの噂や状況を御せなかったという理由で将来の王太子妃失格として王たちに裁定されようが。
どうでもいい。捨てる国のことなんて。
「私は貴族の子女として当然の振る舞いをしているだけにございます」
「……っ、それは平民のアニーを侮辱しているのか?」
(そのお考えになる殿下の方が、よほど彼女が平民であることを気にしていると思うけれど)
――まあ、それもどうでもいい。
「そんなことは誓ってございません」と否定だけして、シルヴィアは場から下がる許可を王子からもぎとった。
(本来なら、ここで私の罪状が読み上げられ、吊るし上げられることになったのでしょうけど――そんなふうにされるようなこと、この私はしていませんもの)
シルヴィアには、前世の記憶がある。
日本という国で、なんということもない人生を生きていた記憶が。
その中で、この世界は物語だった。
アニー・リングストンを『主人公』とした、シンデレラ・ストーリー。
その中で、王子との恋愛を妨害する――有り体に言えば恋のスパイスとしての『悪役』だったのが、シルヴィアだった。
けれど、シルヴィアは、その物語の中のような、嫉妬に駆られた愚かしい行動などしていない。恋も愛も抱いていない相手が誰に心を傾けようとどうでもよかったからだ。
だからこそ、すべては『噂』で留まっていたし、けれどその『噂』ひとつも御せないということで、王太子妃失格の烙印を捺されたのである。
――それこそが、シルヴィアの狙いだったのだけれど。
『公衆の面前で婚約破棄をされた公爵令嬢』に好奇の視線が突き刺さるのを感じながら、シルヴィアは涼しい顔で会場を辞した。
学園のほとんどの人間がパーティに集まっているので、そこを出れば人目はないに等しい。
だからだろう。いつもは存在感を消しに消しているその人物は、そういった小細工なしで現れた。
「婚約破棄おめでとう、『聖女』サマ?」
「――どこに耳目があるかわからないのに、そのように呼ばないでくださいません?」
「いや~、晴れて王家の影もアンタから外れたみたいだし、ダイジョーブだろ」
「……それは、貴方の『加護』で確認しましたの?」
「じゃなきゃ、いくら俺だって、こんなうかつにアンタを呼ばないさ」
神の加護の現れである漆黒の髪と目は、思わず心を奪われそうになる美しさ。
それらに釣り合うだけの整ったかんばせと、適度に鍛えられた身体。
この大陸で最も神の加護厚き国・ノーヴァ神王国の王子――アルカ・ノーヴァの言葉を聞いて、シルヴィアはやっと肩の力を抜いた。
「それは朗報ですわね。念のためで王家の影をつけられたままかもしれないと思っていましたので」
「アンタの国の王は見切りが早いな~。ま、こっちには好都合だが」
「ええ、好都合です。こんな男尊女卑クソ王国からはとっととずらかりましょう」
「……アンタ、どっこにもそんな下町言葉覚える要素がないってのに、すらっと口にするから時々ビビるな。アンタの『加護』関連?」
「秘密ですわ。そんな簡単に手の内は明かしませんわよ」
「そう言われると暴きたくなるな」
そう告げるアルカの瞳に本気の色が混じっているのを感じとって、シルヴィアは溜息を吐く。
「そう安易に淑女の秘密を暴こうとなさらないで。貴方は既に、私の最大の秘密を知っているでしょう?」
「神の加護を得た聖女だってこと――だろ? そのことを表明すれば、国での扱いも違っただろうに」
「さっきも言いましたけれど、この国男尊女卑のクソ王国ですのよ。ろくなことになりませんわ。それに、『聖女』候補はもういますし」
「あー、平民の彼女か。たかだか魔力量が群を抜いてるだけで神が目を向けるわけないのになぁ」
「そういうこと、この国には伝わっておりませんので。――神への信仰心も、薄れておりますし」
「『神王国』の関係者の前でそれ言っちゃうんだ?」
「だからって、どうこうするつもりはないでしょう? ……どうせ、自然と滅びますわ、この国は」
この世界には、この世界を創り上げ、今なお見守る神がいる。
その当然の理を忘れた国がどうなるかなんて、自明のことだった。
シルヴィアは前世の記憶を思い出したとき、明確にこの世界に『神が在る』ことを理解した。それが世界の真理の一端に触れたという判定になり、神がシルヴィアを認識した。神に眼差された人間は『聖女』『聖者』となり、神の加護を受ける。ゆえにシルヴィアは『聖女』なのだった。
アルカが神に眼差された理由は知らないが、彼が『聖者』であることをシルヴィアは知っている。前世の記憶の中、この世界を舞台にした物語の中で知ったのだ。
シルヴィアは前世の記憶を利用して、アルカとのつながりを持った。いつか、この国を捨てて、彼の国に行くために。
「まあ、滅ぶだろうな、このままだと確実に。……で、ノーヴァでのアンタの扱いは、ホントに平民でいいのか? 一応蝶よ花よと育てられた公爵令嬢だろ。世話人がいないと生きてけないんじゃないかと心配なんだが」
「あら、保護された『聖女』の意向は何よりも優先される――ではなかったのかしら?」
「……そう自信満々なら、まあ大丈夫か。理屈じゃ無理だが、何せ『聖女』サマだからな」
「――その呼び方、やめてくださる? 貴方だって『聖者』でしょうに、揶揄われているように感じますの」
シルヴィアがそう言うと、アルカは「そういうつもりはなかったんだけど」と小首を傾げた。
「うーん……じゃ、シルヴィ?」
「……また、一足飛びに変えてきましたわね」
「平民のお嬢さん相手だとすれば、ちょうどいいだろ?」
「確かに、そうですわね……」
納得してしまったので、シルヴィアはそれ以上考えるのを止めた。
それよりも大事なことがあるので。
「ふふ、楽しみですわ。神王国はこのクソ王国とは比べものにならないくらい発展していると聞きますもの。その永住権が『聖女』というだけで得られるなんて、なんて僥倖」
「いや、そう言うけど、『聖女』ってかなり貴重な存在だからな? 襲名みたいなもんの俺の『聖者』とは違うからな?」
「懸案事項はありますけれど、まあ、いざとなればなんとでもなりますわよね」
「おーい、聞いてる?」
シルヴィアが最も懸念していたのは、物語の強制力だった。
しかしそれについてはある程度変更可能なことがこの度証明されたので――具体的には、シルヴィア自身の思考や行動に影響を与えるようなことはないとわかったので――とりあえず置いておく。
悠々自適な神王国ライフの傍ら、新たな『物語』が始まらないかは注視しておくけれど。
(本当は、『物語』に全く関わらないところで生きていきたい気もしますけれど……仕方ありませんわね、あの物語は『シリーズもの』でしたから……)
国ごとに主人公を変えて、王室関係者その他高貴な身分の方々と恋愛する物語だったのだ。つまり――このアルカ・ノーヴァもまた、物語の中の人物である。
(どこが一番マシかといったら……あと伝手を得やすいかといったら、神王国だったんですもの。他の国の人々は、『聖女候補』の噂を聞いてちょっと他国に忍び込もうとか、そういうことなさいませんものね……)
「え、その視線何? 呆れてるような、責めてるような、でも感謝してるみたいな」
「なんでもありませんわ。貴方のような方の周囲の人間は、気苦労が絶えないのだろうと思っただけです」
「その仲間に入ってくれるってこと?」
「何をどうしたらそんなお花畑な考えになるんですの?」
「あっ、これは正真正銘呆れてる視線。ちょっとクセになりそー」
「…………」
「あっ、これはドン引きしてる視線。うそうそ、さすがに変な扉は開かないって」
「…………これからも、つかず離れず、適切な距離感でお付き合いしましょうね」
「その笑顔、壁を感じるんだけど。さっきのは冗談だって!」
『聖女』と『聖者』である限り、まったく関わらないというわけにはいかないだろう。どれだけ、シルヴィアが只人の生活を望んでも。
それくらいは永住権にまつわる雑事として処理する心積もりである。『物語』がいつ動き始めるかもそれとなく探れるだろうから、むしろ多少の関わりは残しておきたい。
――そう考えていたシルヴィアは、アルカを相手役として展開する『物語』が変容するのを目の当たりにし、否応なくそれに巻き込まれた結果、何故か『主人公』に懐かれた挙げ句に自分がアルカと婚約関係になる未来など、ちっとも想定していなかったのだった。
続編はこちら→https://ncode.syosetu.com/n3197ku/
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