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ごっこ遊び

作者: ホチ

 買い物を終えた僕と初乃さんは、食料品がたっぷり詰まったスーパーの買い物袋をぶら下げて店を出た。

 「ねぇ初乃さん、買った食品から見て今日のメインはハンバーグ?」

 ちなみに初乃とは名前ではなく名字で、彼女は自分の名前よりも名字を好んでいるそうで名前で呼ぶと怒られる。

 「だから内緒。昨日もそうだったけど月橋君は我慢って言葉知らないの?」

 「ガマン?何それ、辞書に書いてある?」

 「もうっ。ごはん作ってあげないよ」

 「それは勘弁してください」

 頭を下げると初乃さんはクスリと笑った。

 「心配しなくてもちゃんと作ってあげる。今日はそのために来たんだし」

 「ホント助かるよ。ありがとう」

 「いいよ、そんな手じゃ料理なんて到底無理だもんね」

 そう言って初乃さんは僕の左手に目をやった。

 つられて僕も自分の左手に目を移す。見つめる先は左手ではなく、正確には人差し指にぐるぐると巻かれている包帯だ。ため息をつくのは一体これで何度目だろうか。春が近づいているというのに僕の心は季節に逆行していた。


 左手人差し指の骨折。

 利き手ではないのでなんとかなるだろうという考えは大甘で、まさかこれほど生活に支障をきたすとは僕自身思いもしていなかった。

 着替えも、風呂も、洗濯物を干すときも、何から何までが不便だった。特に料理は泣きたかった。片手で包丁は使えない。

 ただ、悪いことばかりではなく良いこともあった。――昨晩の初乃さんの電話からことは始まった。

 『骨折!?大丈夫なの?』

 携帯越しの初乃さんの驚き方が、たまたま先に話した実家の母親とあまりにそっくりで笑いを堪えるのに苦労した。

 『どうして言わなかったの?』

 「骨折っていっても大したことなくてさ、医者もきれいな折れ方だから二週間もしたら良くなりそうだって言ってたし」

 『それで今日は何日目になるの?』

 「……五日目」

 『もっと早くに教えてくれたらよかったのに。生活、不便でしょ』

 「割とピンチになってきてる」

 食器も、洗濯物も、色々なことが溜まってきていた。

 『明日そっち行ってあげるから。それまでは我慢してね』

 「待てない、今すぐ来てくれないと僕死んじゃう」

 『はいはい、明日まで待っててね。それじゃあ……』

 「ちょっと待って!」

 初乃さんがサヨナラを言い終える前に僕は口を挟んだ。

 『何?』

 「好きだっ!」

 『――!知らないっ』

 ブチッ、乱暴に通話は途切れた。

 初乃さんの照れたときの反応はかわいい。意地悪をしてでも見たくなってしまう。

 にやけながら携帯を眺めていると、すぐにメールが届いたことを知らせる画面に切り替わった。着信音が鳴る前に確認ボタンを押してメールを開く。

 『私も』

 本当にかわいい。

 


 こうして救援に駆けつけてくれた初乃さんと外で待ち合わせ、そのまま買い物を済ませた僕たちはスーパーから出てきたわけだ。

 「それにしてもだいぶ買ったな」

 骨折した指を見ていると気が滅入ってくるので、僕は話題を買い物に戻した。

 「仕方ないよ。月橋君の家、冷蔵庫空っぽなんでしょ?」

 「冷蔵庫の食料使いきった次の日に骨折して、それからはずっとインスタントに頼ってたから入ってるのは麦茶くらいかな」

 「タイミングが良いのか悪いのかわからないね」

 「たぶん悪いんだと思う。ところでさ、こんなに買ったけど使いきるの?」

 食料品が詰まった買い物袋が大で二袋ある。一人暮らしの一週間分は余裕でありそうだ。

 「そのつもり。日持ちするの作って冷蔵庫に入れて置くつもりだから」

 「うわっ、本当に?マジで助かるよ」

 「それに今日は私も食べるし……」

 照れ隠しなのか初乃さんの発言には語弊があった。

 「明日の朝も、でしょ?」

 「――!」

 そう、恥ずかしがるその顔が堪らない。

 「な、何ニヤニヤしてるのよ」

 「ニヤニヤなんかしてないって。で、明日の朝も一緒に食べてくれるんでしょ?」

 「…………食べるけど」

 そう言って初乃さんは小さく頷きそのまま俯いた。彼女の長い髪が邪魔をして表情を覗けないのがもどかしい。

 「すっごい嬉しい」

 「もぅ……」


 「それじゃ帰りますか。荷物持つから貸して」

 「え、でもその左手じゃ持てないでしょ。一つは私が持つからいいよ」

 「そこまでしてもらうのは悪いよ。帰ったら家事全般してもらうわけだし」

 「私そこまでするとは言ってないんだけど」

 「とにかく荷物くらいは僕が持つよ。大丈夫、人差し指くらい使わなくってもこれくらい楽勝だからさ」

 「悪化しちゃったらどうするの」

 「それはそうなんだけど……あ」

 恥ずかしがる初乃さんの姿を見たいという強い気持ちが、僕に良案を思いつかせた。

 「せっかく袋に持ち手が二つ付いてるんだし、片方ずつ持とう。買い物袋の二つのうち一つは僕が右手で持つから、もう一つの袋は初乃さんと持ち手で半分ずつ。それなら僕の手もあまり負担にならないから」

 「でもそれは……」

 「決まりね。はい、半分持って」

 有無を言わさず初乃さんの右手に袋の持ち手半分を強引に握らせた。

 「ちょっと月橋君っ」

 「よし帰ろう」

 「手、本当にこれなら大丈夫なの?」

 「うん、すごく楽」

 「でもやっぱり私が一人で持ったほうが」

 「それはヤダ」

 初乃さんは多少逡巡したが、「痛くなったら教えてね」と心配しながらも降参してくれた。

 通りから逸れた道でも幸い道幅は広く、自動車も滅多に走らない。僕は堂々と並んで歩けた。対照的に初乃さんは照れているのか歩き方がぎこちなかった。……だがそれがいい。

 僕は考えていることを行動に移すことにした。家までは赤信号込みの遠回りをしてもせいぜい十分で着いてしまう。お互いの手を使った荷物の持ち合い(食料品が入った買い物袋というのがまた良い)という貴重なイベントに、無駄な時間は一切用意されていない。

 「初乃さん、こうして歩いていると僕たち買い物帰りの新婚さんに見られるかな」

 まだ日が高いので見ることは叶わないが、夕暮れ時ならば二人の長い影がコンクリートに並んでいるはずだ。

 「えっ。急に何言ってるの、見られるわけないでしょ」

 動揺したのか初乃さんの声の調子は少し上擦った。

 「そうかなぁ、自惚れでなくお似合いに見られると思うんだけど」

 「自分で言わないでよ……せいぜい恋人同士じゃない?」

 後半はごにょごにょとしか言ってくれない。

 「どうでしょうか!僕たち夫婦に見えませんか?」

 「ちょっと月橋君!?」

 「だけど人、いないよ?」

 「そうなんだけど、どこで誰が聞いているかわからないし恥ずかしいよ……」

 はい、反則技でました。――その上目遣いはかわいすぎる。

 「僕は恥ずかしくないし、むしろ見せびらかしたいくらいだけど」

 もちろん嘘だけど、慌てる初乃さんを見るためなら痛い役も買ってでよう。

 「からかわないで……月橋君のそういうところ私嫌いだよ」

 「だとすると僕のこと隅から隅まで嫌いってことになっちゃわない?」

 「バカ。他にもあるよ」

 「どこ?」

 「………」

 「どこどこ?」

 「いじわる……」

 終始このような会話を続けていると、早くも家の前に着いてしまった。楽しい時間を短く感じない方法を早く誰かに発見してもらいたいものだ。

 家といっても今の僕の給料では手当が付いても小さなアパートが限界で、風呂とトイレが別々というのがささやかな意地だった。

 二階への階段を上り、鍵を取り出すために買い物袋は初乃さんに預けたことで楽しいイベントはひとまず終わりを告げた。しかし荷物を持ち合うだけなのに想像以上にグッとくるものがある。――骨折しているうちに是非またしよう。

 「あれ?鍵が……」

 ポケットをまさぐりながら僕は慌てた顔をする。

 「落としたの!?」

 「ありますよ~」

 「くだらなすぎるからっ」

 「ごめんごめん」鍵を回してドアを開ける。「先入って」

 「おじゃましま~す。……これは酷いね」

 「掃除がんばろうな」

 「え~」

 先に部屋に上がった初乃さんの嘆きを聞きながら靴を脱いでいるとき、僕は大失敗に気づいた。

 「しまった!」

 「もう信用してあげない」

 気にせず初乃さんは台所へ進む。

 「違う。僕もう一度外に出るから」

 「え、何で?」

 僕が再び靴を履く気配を感じ取り、冷蔵庫の扉を開いたまま初乃さんはこちらに振り向いた。

 「大丈夫、初乃さんは家の中にいて。でさ、お願いがあるんだ」

 冷蔵庫を閉めた初乃さんがこちらに近づくのを待ってから、言った。

 「おかえりなさい、あなた。って出迎えてくれない?できればエプロン姿で」

 「なっ……んでそんなこと!」

 イヤだよ恥ずかしい、と背中を向け奥に戻ろうとする初乃さんの腕を僕はつかんだ。彼女の髪が揺れて隙間から覗いた耳は赤かった。

 僕が無言で腕をつかんだままでいると、

 「エプロンはこの家にないでしょ……?」

 「あればしてくれたんだ!?」

 「今度、買いに行こっか……」

 初乃さんのずっと逸らしていた視線が不意打ちで僕に向けられる。彼女の恥じらった瞳を介して伝染ったのか、僕まで照れくさくなってきてしまった。

 「そ、それじゃインターホン押すから」

 そう言うと、初乃さんは小さく頷いた。

 玄関を出て扉を閉めると、僕は緊張を解すために一息ついた。

 リハーサルなのかもしれない。ふとそんなことが頭をよぎる。

 ……やめよう。今重要なのはいかに初乃さんを恥ずかしがらせるかだ。僕は首をブンブンと振り、肩にのしかかった重圧を振り払った。

 一人暮らしにとって自宅の呼び鈴を押す機会は滅多にない。ムズムズするのを堪えながら僕はそれを押した。

 エプロン姿の初乃さんが帰りを出迎えてくれるシチュエーションは以前から逞しいほど想像してきている。果たして本物の破壊力はいかほどのものだろうか。

 玄関のドアがゆっくりと開く。エプロンを除けば初乃さんは概ねイメージ通りだった。……もちろん本物の方が断然良いのは言うまでもない。

 「おかえりなさい……あなた」

 「笑顔で迎えてくれるとなお良しなんだけど」

 「これが精一杯だよ……」

 「十分最高でした。ただいま」

 そう言って僕が笑うと、初乃さんもようやく笑顔を見せてくれた。 

 

 家に入り玄関の鍵を閉めてから、僕は言った。

 「最終的には裸エプロンね」

 絶句した初乃さんも乙なものだった。

読んで下さりありがとうございました。

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