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本章で登場するキャラクター名『ヴェリタス』の漢字表記に使用する文字がなろうの仕様では表示できないため、※で代用しております。
正確な表記は書籍版 / 電子書籍版にてお楽しみください。
「いえーい、一番乗りーぃ!」
少女は歓声をあげながら、草原にばたんと倒れ込む。
すると胸元のロロ口が呆れたように言った。
「まったく、子供っぽいんだから。それにしてもあんた、意外と足が速いのね」
「うふふ、みんなはまだかな?」
少女は躰を起こして、後ろを見た。
遠くの方からぴょんぴょん、ぶんぶん。メ㐅メとムム⼛が息せき切りながら追いついてきた。
「いやぁ、すっかり負けちゃった。不意打ちとは言え、僕が徒競走で負けるとは思わなかったよ」
「オレの羽を振り切るたぁ大した奴だぜ! なかなかやるじゃねえか!」
「えっへへー、意外な特技を発見したよ。わたしの特技って、走ることだったのかな?」
「そうかもね。うさぎの足から逃げ切るなんて、そうそう……」
楽しげに話していたメ㐅メが、急に押し黙ってぴょんと立ち上がった。
忙しなく耳や鼻を動かして、すっかり日の落ちた周囲の様子を探っている。
それを不安に思った少女が、こわごわと訊ねる。
「ど、どうし……」
「しっ! 静かに。誰かの足音が聴こえたんだ」
「なんだと? おい、どっちだ」
「音と匂いから考えると、たぶん……」
メ㐅メは素早く視線を巡らせ、来た道とは反対の方向に顔を向ける。一同もそれに習って、薄闇に目を凝らす。
するとその先に――一人の人影が見えた。
「な、なに……? こんなところに、誰が……」
怯える少女の前にムム⼛はさっと回り込み、低い声で言う。
「さぁてな。仲良くしてくれるような奴だと嬉しいが」
言葉とは裏腹に、ムム⼛はお尻の針をいつでも刺せるような体勢で滞空する。
ロロ口も刺々しい声で、鋭く言った。
「乙女の勘が告げてるわ。あれはそういう人じゃなさそうよ。みんな、油断しないで」
一行は息を潜めて、人影が近づいてくるのを凝視する。
じゃり、じゃり、土を踏みしめる音が大きくなってくる。
「どうする。先手を打っちまうか? 闇に紛れてカマしてやりゃあ、まず避けられねえ」
「逸らないでくれ、ムム⼛。まだ敵と決まった相手じゃない」
「持って回った言い方だぜ。お前のビビりようがあいつを〝敵〟って認めてるくせによ」
「そうとも、吾は諸君らの敵ではない。紛うことなく、友人である」
突然後ろから低い声が聞こえて、一行はわあっと悲鳴をあげて飛び上がった。
凝視していたはずの人物が、急に一行の真後ろに現れたのだ。
腰を抜かした少女が尻で草を引きずりながら、ばたばたと後退る。
「さっ、さっきまで遠いところにいたはずなのに、どうして……⁉」
怯えきった少女の問いに、その者は答えない。
白い仮面をつけ、黒い外套を羽織った大柄な人。
目の辺りに走る横一文字のスリットから、僅かに青い光が漏れている。
声は低かったが、男なのか女なのか判然としない。
なんら表情を伺えない白仮面から、機械的な調子の言葉が発せられる。
「やはり森を抜けて来たか。つまり覚醒を目指しているのだな。君は――なにも反省していない」
「は、反省……? なんのこと……?」
「おうおう、随分とナメた真似してくれてんじゃねえか! 勝手にベラベラ喋りやがって、まずは名乗るのが筋じゃねえのか、仮面野郎!」
ムム⼛が庇うように、そして威嚇するように少女の前に立ち塞がる。
それに続いてメ㐅メも姿勢を低くしつつ、睨めつけるような視線で白仮面を穿つ。
「あまり友好的な出会い方とは言えないね。ムム⼛の言う通り、まずは名前を教えてくれないか」
白仮面は二人の敵愾心になんら動じることなく、悠然と外套を翻して淡々と答えた。
「吾は〈校閲者〉――※。話の途中に割って入るな、虫けらども」
そう言って指を一つ鳴らすと、地面から蔓が伸びてきて、ムム⼛とメ㐅メを縛り上げた。
しかし身体の小さいムム⼛はそれを躱し、激昂しながら針を向けて一直線に飛んだ。
「いきなり襲ってくるたぁ、卑怯な奴め! ぶっ刺してやらァ!」
蜂の一刺し。剃刀のような鋭さで宙を辷り、鮮やかに決まるかと思われたその一撃は、鬱陶しげに振るわれた※の手によってあっけなく弾き飛ばされた。
「ムム⼛さんっ! ひどい、どうしてそんなことするの! なんの恨みがあって……」
「恨み? 愚かさも極まると滑稽だ。よもや恨み辛みで、吾がこんな仕事をしていると?」
※はゆらりと近づきながら、呪詛のような言葉を吐く。
「これは全て、君を救うための教唆だ。恥を得ず、己の身丈に合った暮らしを得るための薫陶だ。抑圧は規律と節操を保った気高い人生を送るのに、是非とも持つべき矜持である。君は実に不器用で頭が悪く、そのくせ自己顕示欲が大きい。その選択と願望は常に、大いなる生き恥を得る危険のあるものばかりだった。なにゆえ恥の多い生涯を送るか、失格人間」
「なに……? なんのこと? あなたの言ってること、全然わかんないよ! わたしはなにもわからなくて、記憶も、右目も、他にもあちこち失くしちゃってて……だから探してるだけ! それがそんなにいけないの⁉」
「然り。記憶も、目も、手も、胸もなに一つとして、いまの君には必要ない。全てを忘我し、丘へ戻れ。あの美しい、空だけを見つめて暮らせる丘へ。君の求める幸せは、そこにある」
「丘……? どうしてあなたがそれを知ってるの? まさかわたしをこんなふうにして、あの場所へ置いてったのは……!」
「然り、吾々である。それだけ知れれば十分だろう。さあ、丘へ戻れ」
※の一方的な通告に対し、少女の空っぽな胸に言いようのない感情が渦巻いた。
なぜこんなにも暴力的なのか。
なぜこんなにも理不尽なのか。
失ったそれぞれの行方が知れないことが、どれほどの恐怖と不安を感じさせているのか、この人にはわからないのか。
――そうだ。わからないのだ。
わかり合おうとする気がない。だからこんなに一方的なのだ。
「あなたが……わたしを奪ったの?」
「全てではない。だが一部はそうだ。吾は右目を管理している。その他は、知らぬ。吾の仲間や主が隠した」
そう言って※は懐から目玉を取り出した。
自分と同じ瞳の色。いや、外見など問題ではない。
少女は直感でそれが自分の目玉だと確信した。
怒りと恐怖に震えながら、少女は立ち上がった。
「返して……わたしのものを、返してっ!」
腹の底から叫んでなけなしの勇気を奮い起こし、※に向かって飛びかかった。
しかしすげなく突き飛ばされ、また地面に転がった。
「いまはその時ではない。ややもすれば永遠に、その時は来ないかもしれない。だが吾がこうして管理している限り、失くなりはしない。吾の言葉を信じよ」
「信じる? こんなにひどいことをするあなたの、なにを信じるの⁉ いいから返して、返して!」
少女は諦めず、※に再度掴みかかる。それを易々といなしながら、※は深い溜め息を吐いた。
「やはり、縛らねばならぬか。あまり暴力には訴えたくないが、君の幸せのためならば致し方ない。君は、吾らの……」
「よそ見が過ぎるぜ、仮面野郎!」
その時、いつの間にか後ろに回り込んでいたムム⼛が針を構えて突っ込んできた。
それに反応しようとした※は苦悶の声をあげ、足元を見た。
「うさぎの歯を甘く見ないことだ。あのくらいの戒め、すぐに噛み切れるよ!」
蔓の縄を抜け出したメ㐅メが、※の足首の辺りに深く歯を突き立てて噛みついていた。
それに気を取られた隙にムム⼛がびゅんびゅんと軌道を描いて、少女の目を握る手に針を刺した。
※は痛みで手を離し、宙を飛んで落ちた目はコロコロと少女の前まで転がってきた。
「やった! ありがとう、二人とも!」
少女はお礼を言いながら急いでそれを拾い上げ、空いた眼窩にぐいと押し込んだ。
するとかあっと光が迸って、目玉はするりと元の位置に収まった。
両目を取り戻し、初めて明らかになる世界。
それを目の当たりにした少女は、それまで抱いていた印象とまったく異なることに、すぐに気がついた。
なんと寒々しく、嘘くさく、空虚な場所だろうか。
いまは夜闇に沈み、暗くなった草原。しかし身が震えるほどの恐ろしさは、その闇の暗さが原因ではない。
もっと根幹の、世界の構造そのものに対する誤解、誤謬、錯誤。
美しかった森も、穏やかな風も、安らかだった丘も、青かった空も――全部作り物。
偽りの安寧。偽りの幸福。それはただ、目を背けた時に見る幻影。
目を失っていたことは、確かによくなかった。
こんなことに気づかないくらい自分も、他人も、世界も、見えていなかった。
本作は24/12/01開催の『文学フリマ東京39』で頒布される作品の立ち読み版です。
改行位置やルビなどをなろうユーザー向けに改変しておりますので、本編とは若干仕様が異なります。(内容に変更はございません)
予めご了承くださいませ。