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少女はメ㐅メの後ろについて、野原を歩く。
真っ青なメ㐅メの身体、その背中には雲のような白い模様があって、まるで空がそのままうさぎの形になっているようだった。
「ところで、君は見たところ記憶以外にも失くしてるものがあるみたいだけど、なにから探すつもりなの?」
「それは……うーん、そうだなぁ……」
メ㐅メに言われて、少女はまじまじと右手、そして胸に空いた穴を見る。
それを見ているはずの目もまた、いまは片方しかない。そのわりに、視界に違和感はない。
しかし片目しかないのだから、これも見えているようで半分しか見えていないということだ。
「とりあえず目かな。一応見えてるんだけど、正常に見えてるわけじゃないはずだよね。ちゃんと見えてない状態っていうのは、捜し物をするのに差し障る気がするな」
「確かに、物事を正確に見極めるのは大切なことだ。じゃあ、まずは右目探しからだね」
「でも、どうやってなくしたんだろ? 落としちゃったのか、誰かに取られたのか……」
「ふーむ、そうだね……」
立ち止まったメ㐅メは少し考える素振りをしながら、後ろ足で背伸びをするようにひょいっと立った。
そして遠くを眺めながら、鼻先を森のほうへ向ける。
「落っことしたんだとしたら、早めに拾ったほうがいい。間違って食べちゃったり、持ち帰ったりする者がいるかもしれない。取られたんだとするなら、盗みを働いた者が隠れそうな場所を探すべきだ。その双方がいそうなところ、まずは森に行ってみるのはどうかな?」
「なーるほど、メ㐅メさん鋭いね! まるで探偵みたい」
「そうとも。うさぎは賢い動物なんだ」
まったく宛のなかった道行きに仮初でも目標が置かれるのは、不思議な安堵感があった。
少女はメ㐅メの提案に従って、まずは森を目指すことにした。
踏み入った森の中の空気は土の香りが一層強くて、少し湿っぽくひんやりとしていた。
日が高いところから差してくれているおかげで、薄緑のカーテンを重ねたような優しい光が木々の梢を縫うように満ちている。
「明るくて素敵な森だなぁ。昼寝でもしたいくらいだよ」
「別にいいよ。君の目玉が、誰かのおやつになるのが惜しくないならね」
「うー、いじわるな言い方。冗談だってば」
「足元に気をつけて。木の根は足を取られやすいよ」
「はーい。よっ、と……」
メ㐅メの注意を受けて、太い木の根に気を払いながら踏み越す。
その時、右足を置いたところのすぐ近くに、小さな赤い花が咲いていた。
綺麗な花。ノコギリソウかな――そんな感想が脳裏を掠めた瞬間、花がキーキー声で捲し立てた。
「ちょっと、気をつけてよバカ! この可憐なあたしを踏み潰そうってわけ⁉ これだから野蛮人はキライなの! 森に入らないでよ、野蛮人!」
「うわーっ⁉」
少女はそれに驚いて、盛大な尻もちをついてしまった。
すると少し先を行っていたメ㐅メが慌てて戻ってきて、その花にぺこりと頭を下げた。
「やあ、悪いねロロ口。別に彼女は森を荒らしに来たわけじゃないんだ。ちょっと捜し物をしてるんだよ。君を驚かせたことは許してあげて」
「捜し物? ふんっ、間抜けね。確かになんでもかんでも失くしそうな、とぼけた顔してるわ。あんた、なにを探してるって?」
「あいちち……。えっと、とりあえず右目を探してるんだけど……あなた、どっかで見なかった?」
少女は涙目で尻を擦りながら問いかけるが、ロロ口はぷいっと横を向いてしまった。
「そんなの知らないわ! 今頃、誰かが拾ったか、踏み潰したかしたんじゃない?」
「ええー、そんなぁ……」
「可哀想なことを言うなよ、ロロ口。君だって踏み潰されそうになって悲鳴をあげたじゃないか。彼女の目玉は踏み潰されたって構わないというのかい?」
「ふん、可哀想ですって? 気取り屋のメ㐅メらしいわ。こんな間抜けにいちいち構うんだから、あんたも大概ヒマね。まあ実際、可哀想で憐れだわ。よく見たらこの子、右手も胸もないじゃない。それを全部失くしちゃったっていうの? 救いようのないバカね」
「う、うう、ひどい……。確かにその通りだけど、そこまで言わなくてもいいじゃん……」
ロロ口の容赦ない攻撃に晒され、少女はしょんぼりと項垂れた。
少女があまりにも落ち込んだのをさすがに悪いと思ったのか、横を向いていたロロ口がゆっくりと少女に向き直った。
「……なによ、まるであたしが悪者みたいじゃない。あたしは本当のことを言っただけよ」
「正論がいつでも正しいとは限らないって、君くらい聡明な者ならわかってるだろ? なのに失せ物をした落ち度をチクチクと責めるのは、実に大人げないね。彼女を憐れに思うなら、君のような賢い者が導いてあげるのが道徳というもんなんじゃないの?」
「まあペラペラと、よく回る口だこと! このロロ口より回る口を持つあんたは生意気だわ! でもまあ、こういう弱者へ施しをするのは、あたしのような可憐な存在にとっては義務みたいなものかもしれないわね。仕方ない。こら、そこの間抜け!」
「ふぁえ?」
「特別にこのロロ口を手折る栄誉を授けてあげる。ノブレス・オブリージュの美しさを、あんたにとっくり教えてあげるわ。感謝しなさい」
「のぶれ……るーじゅ?」
「バカはこれだから! もうっ、さっさとあたしを摘めって言ってるの!」
「回りくどいけど、ロロ口も君の捜し物を手伝ってくれるって言ってるんだよ。素直に甘えたら?」
「えー、でも、なんかこの人、怖いし……」
「このあたしが授ける栄誉を、受け取らないって言うの⁉ 間抜けのくせに生意気! バラバラに引き千切るわよ!」
「ひえー! わかりましたぁ!」
もはや脅迫にも近い威圧に従って、少女はロロ口をぷつりと摘み取った。
「じゃ、じゃあ、右目探しを再開し……」
「待ちなさいよ間抜け! まさかこのあたしを、荷物みたいにぶらぶら持っておくつもり⁉」
「ええっ⁉ そう言われても、どうすれば……」
「特等席を用意なさい、と言いたいところだけど、あんたみたいに貧相な奴にそんなものないわね。仕方ないから、そこのポケットでいいわ。そこに挿してちょうだい」
ロロ口の厳しい指示に従って、少女は丁寧さを心がけながらそっと制服の胸ポケットに挿した。
落ち着ける場所に収まって満足したのか、ロロ口は幾ばくか声色を和らげながら問いかける。
「それで? その右目の在処に目星はついてるの?」
「それは全然。だからさっきロロ口さんに聞いたんだよ」
「そう言えばそうだったわね。なら、愚かなあんたにヒントを与えてあげるわ。目玉ってことは丸いんでしょ。それを転がして遊びそうな野蛮人、もしくはそんなものを午後のお茶の添え物にするような野蛮人がいるところは、洞窟よ。洞窟に住むような野蛮な獣くらいしか、あんたの目玉なんかに興味を示さないでしょうから」
「ええー……メ㐅メさん、どう思う?」
「一理あるね。だとするなら、急がなきゃ。獣のおやつになった後じゃ目も当てられない。まあ、いまは目が見当たらないんだけどね」
「本当につまらない洒落! つべこべ言ってないで、とっとと行きなさい!」
少女とメ㐅メはロロ口に急き立てられるようにして、前進を再開した。
そうして一行は森の奥へと踏み入り、徐々に深くなっていく木々の影に怯えたり、その影に目玉が落ちていないか探し回ったり、草むらから飛び出した蛇だの蛙だのに驚いたりしながら、どんどん進んでいった。
やがて陽が少し傾いた頃、落ち葉や草が積層していた地面の様子が、段々とぬるりとした緑苔やごつごつした石が覆うように変わっていった。
それから少しして木々がなくなり、その先の開けたところに件の洞窟があった。
「あの洞窟にはなにがいるの? まさか、熊とか……?」
不安げな少女に対し、ロロ口は小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「熊ならましね。もっと恐ろしいものが潜んでるかも」
「もっと⁉ ぐ、具体的には……?」
「さあ? あんな汚らしいところ、入ったことないもの」
ロロ口の警告に怯えて、少女は二の足を踏む。
その様子を見ていたメ㐅メが、ゆっくりと言った。
「どうする? 怖いならやめておこうか。安全とも限らないし」
「う、うう……でも右目は探したいし……みんな、ついてきてくれる?」
「ああ、もちろん」
「ふんっ、仕方ないわね。臆病者のなけなしの勇気を飾ってあげるから、早く行きましょ」
そうして三人はめいめいに頷き合って、洞窟に一歩を差し入れた。
冥い穴の奥からひゅううと冷たい風が吹いて、化け物の唸り声にも聞こえる低い音が反響する。
こつり、こつり、足音がいやに響く。
穴の幅は少女が両手を広げて二人分くらい、高さはちょっと背伸びをしても届かないくらい。
しかし進むほどに幅も高さも窄まって、横たわった円錐のように狭くなっていく。
これならなにかしらの獣が出たとしても、おそらく自分より小さいだろう――そんなふうに考えて安堵しかけたその時、一段と穴が窄まったところで嫌な感覚がして、少女は足を止めた。
それに気づいたメ㐅メが、ぴょこりと振り返る。
「この先には行けなさそうかい? 僕が行って見てこようか」
「いや、その……」
じわり、水に落とした墨のように拡がる恐怖。
それは超自然的脅威に対する有耶無耶なものではなく、もっと明確な――なんらかの経験に対する警告。
経験? 記憶がないはずなのに、わたしはこの恐怖を、その正体を、知っている?
おおお――ううう――風切り音に混ざる――声――言葉?
――早く消え――クズ――疫病神――生まれてこないほうが――
少女はひっと息を呑んだかと思うと、急に踵を返して駆け出した。
本作は24/12/01開催の『文学フリマ東京39』で頒布される作品の立ち読み版です。
改行位置やルビなどをなろうユーザー向けに改変しておりますので、本編とは若干仕様が異なります。(内容に変更はございません)
予めご了承くださいませ。