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夕凪残響の茜色の遠く世界の空の君の影【立ち読み版】  作者: 夜夜メイ
2. クロノスタシスが見えちゃうから
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本章で登場する舞台『としょかん』及びキャラクター名『ヴェリタス』『オブスキュラ』の漢字表記に使用する文字がなろうの仕様では表示できないため、※で代用しております。


正確な表記は書籍版 / 電子書籍版にてお楽しみください。

「お待ちなさい」


 二人の間に、ホホ朩(ほほはち)が割って入った。その後ろからヒヒ匕(ひひさじ)も刀身を伸ばしつつ立ち塞がる。


「最近、本の入荷がないと思っていましたが、原因はあなたがた〈批評家〉の仕業ですか。彼女を過剰に戒め、幸福を押しつけるのはおよしなさい。それは彼女自身が決めることです。それにこの鎖……わたくしが管理する本たちに、勝手なことをするのは許しません。すぐに解きなさい」

「そーだぜ。ズケズケとおいらたちの(としょかん)に踏み込んできやがって、えらそーにすんなよ、バーカ!」

「ふん、(ライブラリー)の管理人どもですか。お前たちは、ここの管理をしているだけでよいのです。私たちの仕事に口を挟む権利などありません。大人しく仕事に戻りなさい」

「なるほど。では言い直しましょう。司書たるわたくしの許しもなしに、(としょかん)での勝手な行いは――断じて許さないッ!」


 怒りを発したホホ朩の身体が、とてつもない大きさに膨らんでいく。

 天を衝くほど高い本棚たちより更に高く、その頭が空の果てに吸い込まれて見えなくなるほど、大きくなっていく。

 その巨大な影が落ちて、一帯はにわかに夜になった。


「吐いた唾は呑めねーぞ、いけ好かねえクソ仮面。真っ二つにして、本棚にぶちこんでやる!」


 ヒヒ匕の身体から、カチカチと音が鳴る。

 それは驟雨のように激しく連なって、そのたびに刃がどんどん伸びていく。

 彼方まで続く本棚を丸ごと両断できそうなほどの長さだ。


「踏み殺されたくなかったら、出ていけ余所者! ここはわたくしの領分だ!」


 (としょかん)中にうわんうわんとホホ朩の声が響く。

 夜闇を切り裂くように、ヒヒ匕の刃がキラリと光る。


 しかし(オブスキュラ)は怯える素振りすら見せず、ただ呆れたように嘆息するだけだった。


「――邪魔です」


 ぱちん、と指を一つ鳴らす。すると床から無数の鎖が伸びて、あっという間に二人を縛り上げた。

 そのまま抵抗する間もなく床に縫い付けられ、苦悶の声をあげる。


 そんな中、二人が大声で叫んだ。


「行って! あなたは、ここにいてはいけない! 二度とその大切な想いを、失わないで!」

「そうだ、行け! こいつに捕まったら、また忘却に逆戻りだ! 走れ、走れっ!」


 (オブスキュラ)がぐるりとこちらを向く。

 赤々と光る眼差しが射竦める。


 凪は少し逡巡したが、脱兎のごとく逃げ出した。

 去りしな、二人に向かって叫んだ。


「ありがとう、ありがとうっ! わたしの大事なものを、取り戻してくれてっ!」


 駆け出した凪は、迷路のような本棚の間をめちゃくちゃに走り回った。

 出口なんてわからない。どっちから来たかもわからない。


 恐怖と、二度と記憶を失いたくないという気持ちを燃料にして、ぐるぐると経巡りながらひた走った。

 しかし――。


「無駄な抵抗です。私からは、逃げられませんよ」


 すぐ背後から冷たい声が聞こえた。

 心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じて振り返ると、すぐそこに(オブスキュラ)がいた。


 刻みつけるような、規則正しい歩幅。

 かつん、かつん、ゆっくり歩いている。


 ――そんな、わたしは走ってるのに、どうして追いついてるの⁉


 上がった息で肺が爆発しそうだった。喉が痛んで堪らなかった。脚がもげてしまいそうだった。

 それでも走った。あれに捕まったら、一巻の終わり――。


 そう思いながら曲がり角を曲がった瞬間、凪は前から現れた何者かに首を掴まれ、そのまま締め上げられた。

 ――(オブスキュラ)だった。


「な、なんで……⁉ 後ろに、いたはずなのにっ……⁉」


 恐怖と、苦しさと、痛さが、野太い鎖のように絡みつく。

 底の見えない仮面の向こう、(オブスキュラ)は赤い眼差しを炯々と光らせながら、無機質に言った。


「逃げられないと言ったでしょう。徒競走はおしまいです。さあ、いまこそ、あなたを幸せに……」


 片手で凪を締め上げながら、もう片方の手で剣を構える。くるりと閃いた刃がこちらを向く。

 もうダメだ。ホホ朩さんもヒヒ匕さんも敵わなかった相手。

 わたしには、どうしようも――。


 その時、がらがらと荒々しい車輪の回る音、だかっだかっと蹄が打ち付ける音が聞こえた。


 訝しんだ(オブスキュラ)が音のするほうへ振り返ろうとした瞬間、全速力の馬車がその身体を撥ね飛ばした。

 戒めから自由になった凪が、床の上に転がる。


「約束、どおり、来た! 大丈夫⁉」


 聞き覚えのある声。

 御者台にいたのは、地底(ちのした)だった。


「ち、地底さん⁉ どうして、ここが……」

「そんなこと、いい! 早く、乗って!」


 撥ね飛ばされた(オブスキュラ)を見ると、ふらついてはいるが、もう立ち上がっていた。

 凪は慌てて荷台に乗り込み、姿勢を低くした。


「乗ったよ、地底さん!」

「わかった!」


 まさに阿吽の呼吸というべき淀みのなさで、地底は即座に鞭を入れた。

 再び走り出した馬車は、みるみるうちに(オブスキュラ)から遠ざかり、本棚の通路を抜け――(としょかん)を脱した。


 不安だった凪はしばらく後ろを見ていたが、追ってくる気配はなさそうだった。

 ごとんごとんと揺れる荷台の縁に背中を預けて、ようやく安堵の息を漏らす。


「死ぬかと思った……。はー、ほんと、助かった……。地底さん、ないすたいみんっ」

「約束、した。君が困ったら、必ず来る。これからも、そうだ」

「うん、そうだった。でも、本当に来てくれるなんて思わなかったから……ありがとう、地底さん」

「胸の穴、ない。捜し物、見つけたの?」

「あ……うん。そうなんだ。見つけたの。わたしのいちばん大切な……記憶を」


 車輪が上下する心地よい揺れを感じながら、しみじみと塞がった胸を見る。

 穴が開いていた時はそれが自然だと思っていたが、取り戻してみると目の時と同様、この姿こそが自然なのだと思える。


「そうそう、名前も思い出したんだ。わたし、凪って言うの。遅い自己紹介になっちゃったけど、改めてよろしくね」

「凪。覚えた。君は、凪。うん、よろしく」

「あとは右手と……ペンを探さなきゃ。でも……」


 凪はまたちらりと後ろを振り返った。

 (ヴェリタス)に続いて、(オブスキュラ)の襲撃。


 なにかを取り戻そうとするたび、あの恐ろしい白仮面を被った誰かが現れる。

 そして、自分のやっていることは間違いだと――取り戻してはいけないと言う。


 記憶が戻ったいまだからわかる。――この記憶は、不完全だ。


 あの時、光の奔流に耐えきれず、すべては受け止めきれなかった。

 (オブスキュラ)に強制的に遮断されたが、それがなければ光はまだまだ流れてきたように思う。


 彼らが言い募る〝過ち〟――それは取り戻しきっていない記憶の中にある気がする。


 馬車は坂道に差し掛かった。

 長い長い、急な坂。

 そこを駆け上っていくうちに濃い霧が出てきて、(としょかん)は完全に見えなくなった。


 凪は少々の不安を覚えつつ、取り戻した胸の前でそっと左手を握りしめた。


本作は24/12/01開催の『文学フリマ東京39』で頒布される作品の立ち読み版です。

改行位置やルビなどをなろうユーザー向けに改変しておりますので、本編とは若干仕様が異なります。(内容に変更はございません)

予めご了承くださいませ。

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