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本章で登場する舞台『としょかん』及びキャラクター名『ヴェリタス』『オブスキュラ』の漢字表記に使用する文字がなろうの仕様では表示できないため、※で代用しております。
正確な表記は書籍版 / 電子書籍版にてお楽しみください。
――漫画家になりたい。
たった、それだけの願い。しかしそれこそが、人生すべてを懸けた願い。
ホホ朩の語った物語によってそれを思い出した途端、口が勝手に喋りだした。
「そうだ、わたしは……漫画家になりたかった。そのために、死ぬほど描いた。いくらでも描いた。そういう人生を送ってた。そんな大事なこと、どうして、忘れちゃってたんだろ……」
「それは……」
ホホ朩が答えようとすると突然、※全体が光りだした。
棚という棚の本が輝き、その中でも一際強く、漫画に関する列の本たちが目も眩むほどの強さで光を放った。
「なっ、なに⁉ なにが起きてるの⁉」
「やはり、そういうことでしたか。あなたは、他人でも客人でもなく……!」
ホホ朩が言い終わる前に、光は本棚を飛び出した。
そして束になってねじ曲がり、凪の胸に向かって一直線に飛んできた。
その光の奔流が胸の穴に注がれた瞬間、凪の頭にあらゆる記憶が流れ込んできた。
生まれてから今日までの、一生分の記憶。
それが荒れ狂う濁流のようにごうごうと注ぎ込まれ、数々のハイライトが瞼の裏に瞬く。
あまりの衝撃に、凪は悲鳴を上げた。
「いけない、こんないっぺんに受け止めるなんて! ヒヒ匕、早く本を切って!」
「冗談だろ⁉ いますぐこの※全部の本を切れってのか⁉ 無理無理、無理だぜ、そんなの! だいたい、どれを切れってんだ! そもそもなんなんだよ、なにが起きてんだよ⁉」
「無茶でもなんでもやりなさい! 手当たり次第で構わない! でないと、彼女が!」
「ああ畜生、べらぼうめ、やるしかねーのか⁉ どうなったって知らねーぞ!」
手のつけようがない事態に二人が慌てふためき、絶望しているところへ、静かな声が響いた。
「やれやれ、やはりこうなりましたか。進むは地獄、戻るは安寧。なのに、あなたという人は……」
驚いた二人が振り返ると、そこには真っ白な姿をした何者かが立っていた。
その者は右手を高々と振り上げ、厳かに諳んじた。
「――函架制限〈閉架〉」
その言葉が響いた途端、本棚という本棚に太く黒い鎖がぐるぐると巻き付いた。
ありとあらゆる本が戒められ、輝きを失っていく。
やがて※の光が消え、凪に向かっていた奔流も収まった。
声の主は右手を降ろし、こつん、こつんと固い靴音を鳴らしながら、ゆっくりと凪に近づいた。
「※を振り切って、なにをしているのかと思えば……あなたは本当に愚かです。自ら幸福より遠のく道を選び、また茨の上を走ろうと言うのですか。取り戻さぬほうがよいと諫言されたのに、取り戻してしまうとは……」
理知的で丁寧な声。しかしホホ朩のそれとは異なり、どこか冷淡な印象だった。
ぐったりと横たわっていた凪が、薄く目を開ける。その者を見る。
「た、助けてくれたの……? ありが……」
礼を言いかけた口がひっと息を呑み、途中で止まった。
大柄の身体。純白の外套を纏い、腰に大剣を佩いている。
性別のわからない、無記号な外見。
そして縦に裂けるようなスリットの入った、見覚えのある白仮面――。
「※……さん……⁉」
怯えた凪は飛び起きて、じりじりと後退った。
するとその白仮面は、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、私は※――〈抑制者〉※です。※とは同僚のようなものですが、まあそれはこの際、どうでもいいでしょう。しかし……」
※の仮面のスリットから覗く、赤い光――その眼差しが、凪の胸元に注がれる。
凪もつられてそこを見ると、胸の穴が塞がっていた。
ふと自分に意識を向けてみると――思い出せる。
自分の名前も、漫画が大好きで描き続けていたことも、漫画家を目指していたことも。
そこまで思い至って、凪は失われたままの右手を見た。
「手は戻ってない……。また別に見つけなきゃいけないんだ……。それに、もう一つ思い出した。ペンがない。大事な、ペンがない……」
「いいえ、見つける必要はありません。いま得たものも、ここに置いていってください」
そう言って※はスラリと剣を抜いた。
抜き身の刃を見て、凪は震えながらさらに後退った。
「な、なにを……⁉」
「切り離します。あなたが余計な真似をしなければ、こんなことには……」
※は腰を低く落とし、刺突の構えを取る。
嘘でも冗談でもない。本当にあの大きな剣を、自分に突き立てるつもりだ。
凪は左手を胸へ庇うように押し当てながら、叫んだ。
「どうして⁉ これは、わたしのものなのに! こんな大切なこと、もう二度と忘れたくないよ! やめて、お願い!」
※はそれに構わず、じりじりと迫る。
「重々存じ上げています。それゆえに、あなたは致命的な傷を負った。自らの半身とも言えるその情熱に、あなたは殺されかけた。それを幸せと認めなかったのは、あなた自身です。ならばこそ、同じ過ちは繰り返させない。今度こそ幸せになりましょう。自分を幸せにできるのは、自分だけ。ゆえに、あなたはこれ以上――進んではいけません」
猛獣のような迫力に、凪は声も出せなかった。
震える脚は、石膏で固められたように動かない。
また、奪われるのか。また、忘れるのか。
どうして? そんな理不尽、もう二度と――。
本作は24/12/01開催の『文学フリマ東京39』で頒布される作品の立ち読み版です。
改行位置やルビなどをなろうユーザー向けに改変しておりますので、本編とは若干仕様が異なります。(内容に変更はございません)
予めご了承くださいませ。




