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本章で登場する舞台『としょかん』の漢字表記に使用する文字がなろうの仕様では表示できないため、※で代用しております。
正確な表記は書籍版 / 電子書籍版にてお楽しみください。
潤みかけた目尻をぐいぐいと擦って、芽来は質問を重ねる。
「もう一つ訊きたいんですけど、自我を封じていくとは聞いてましたが、確かに僕は入った途端、なにもわからなくなっていました。あれじゃなにも教えてあげられません。防衛反応……がどうこうで必要な措置っていうのはわかりますけど、もうちょっとなんとかならないんですか?」
芽来の懐疑的な問いに海原医師は首を横に振って、にべもなく即答する。
「ならンね。どんなにいいワクチンだって、打たれる方にとっちゃァ〝異物〟だィ。副反応で熱が出たり、身体が痛んだりする。まさしく他人であるアンタだってそうさ。どんなに凪君のためを思ってやろうとも、アンタは異物そのものだィ。自我の封印は異物感を最低限にするためだから、それなしでって話は無理だねィ。だいたい、いまの凪君に外の情報を直接与えるのも、薬に喩えりゃ劇薬みたいなもんだィ。脳の大半がくたばってる現段階でそんなモンぶち込んだって、受け止めきれない。どんな治療も根気よく、少しずつアプローチ。医療の原則だィ」
海原医師の答えに、芽来はしょんぼりと俯く。
早く治してあげたいという気持ちが逸って、頭では正しいとわかっていても、素直には飲み込めなかった。
そんな心情を察したのか、海原医師は明るい声で言った。
「君のおかげで間違いなく、醒心レベルは上がった。だから信じなよ。自分と、凪君をさァ」
「凪を……。そっか、そうですよね。悪いことばっか考えたって、仕方ない。いまは着実にできることをやるしかないんですよね」
「そうそう、そういうこと。ということだから芽来君、アンタは一旦、帰ンな。アンタにも十分な休息が必要だィ。ただでさえこの一週間、追い込んでンだから」
「いえ、大丈夫です! すぐに次の治療を……。つっ……⁉」
立ち上がりかけた芽来はふらつき、倒れそうになった。
近くにいた看護師がそれを支え、すんでのところで転倒は免れた。
その様子を見ていた海原医師が、深く溜息を吐く。
「凪君の心配ばっかしてさァ、アンタほんと、ダメだって。アンタがぶっ倒れちまったら、他の誰にもこの治療は続けられないンだよ? 凪君のためにも休みなさいよって言い方でもしなきゃァ、帰ってくれないンかィ?」
「いえ、本当に、大丈夫なんです、僕のことなんて……。ただちょっと、目眩がしただけで……」
芽来は脂汗を浮かべながら藻掻き、強引に立ち上がろうとする。
しかし看護師に支えてもらってなお、倒れそうになっている。
そんな芽来を見かねた海原医師は、とうとう大声を出した。
「いい加減にしたまえ!」
物腰が柔らかく、飄々としていた海原医師が怒声を張り上げたので、芽来も看護師もびくっと身体を震わせた。
海原医師は芽来を椅子に座らせ、両肩に手をそっと置いて諭すように語る。
「君が凪君を想う気持ちは、実に気高い。その歳でそれだけ他人を慮れる精神は、十分に立派だよ。けどね、医者として言わせてもらうが、他人を治そうって奴が不健康だったら、そんな奴に治してほしいと思うかね? いまにも死にそうな奴が医者だったら、自分の命なんか預けられないだろ。医療ってのは万全を期しても、トラブルが起こることもある。人の身体ってのは、いつ何時、どうなるのか、医者にだって全部はわからない。それに対応しなきゃいけない時、医者の体調が、なんて言い訳は通用しない。打てる手をすべて打つために、医者は健康でいなきゃいけない。君は医者じゃないが、治療に参加し、凪君の命を救う者だ。ならば、聞き分けなさい。命を安く見るな。君の命を犠牲にする程度のことで、凪君の命など救えるものか! 命は、等価だ! 君の命も、凪君の命も、決して安くない。そういう自己犠牲がかっこいいのは作り話の中だけだ。これはドラマじゃない。君と凪君、二人の人生を懸けた戦いなんだ」
滔々とした、それでいて噛みしめるような言葉。
芽来から手を離した海原医師は一歩下がり、深々と頭を下げた。
「……凪君の病状は特殊だ。通常の治療法では、改善を見込めない。こんなことを言いながら君に頼り、リスクを押し付ける私をどうか許してほしい。そしてどうかお願いだ。医者としてではなく、個人として言う。君も君自身を、もっと大事にしてほしい。命を粗末に扱わんでくれ」
「そんな……先生、やめてください! 頭を上げてください!」
慌てた芽来は海原医師に縋りつき、頭を上げさせた。
それからその目を見て、しばらく黙り込んで口を結び、ややあってからゆっくりと語りだした。
「先生の言葉を聞いて、気づきました。僕は多分、凪のために、なんてちっとも考えてなかった。自分のために凪を救おうとしてたんだと思います。凪がいない人生を生きるのが、辛いから……そういう人生から逃げるためなら、僕なんかどうなったっていいやって。でもこんなふうに疎んじた人生を救ってくれたのは、凪なんだ。命が同じ価値を持つなら……もし僕がどうにかなってたら、せっかく凪が救ってくれた僕がそうなってたら、凪を悲しませるのかなって、そう、思ったら……」
言葉尻が震えて、おしまいまで言えずに涙が零れてくる。
海原医師は、芽来の肩をぽんと叩いた。
「逆の立場になって考えてみりゃァ、よくわかったろィ? ほれっ、めそめそしなさんな」
芽来の手を取り、白衣のポケットから出した飴を二、三個握らせて、優しく微笑む。
「帰ったら舐めな。疲れた身体にゃァ糖分が一番だィ。ご飯食べてお風呂入って、しっかり寝て、また明日来とくれィ。頼むよ、芽来君」
「はい、わかりました。それじゃ、失礼します」
芽来はドアの前でぺこりと頭を下げてから、静かに退室していった。
ドアのほうを見ながら、一連のやり取りと見ていた看護師が苦笑する。
「先生がああいうことを仰るのは意外でした。いつも淡々としていらっしゃるから、てっきり患者さん一人ひとりにそれほど思い入れはなさらないほうかと……」
「なんちゅうことを言うんだィ。私は医者だよ? みぃんな健康でいてほしいってのは本懐さね。まァこちとらジジイなんだし、こういう甘じょっぱいやり取りはさせんでほしいがねェ。こっ恥ずかしいったらありゃしない。とにかく今日の治療はここまでだィ。経過観察、よろ~」
そう言って看護師を残し、海原医師も病室を後にした。
◇
少女たちは息せき切らし、ホホ朩のところまで戻ってきた。
ホホ朩はまた身体を天まで届くほどに大きくして、てきぱきと棚の整理をしていた。
「ホホ朩さーん! お仕事中にすみませーん! ちょっとお話を聞いてもらえませんかー⁉」
少女が大声でそう言うと、ホホ朩はするすると身体を縮め、慇懃に頭を下げた。
「これはこれは、お客人。どうです、お捜し物は見つかりましたか?」
「それは見つからなかったんですけど、わかったことがありまして。それで、あの、お願いがあるんですけど……この本を、バラバラにすることってできませんか?」
そう言って鞄から本を取り出す。するとホホ朩は眉を顰め、怪訝そうに首を傾げた。
「なぜです? いくらお客人の頼みと言えど、簡単に頷けるお話ではございませんが」
「それは、その……」
少女はヒヒ匕と目配せし合って、思わず口を噤んだ。優しげだったホホ朩の表情が曇り、鋭い目つきになったためである。
ヒヒ匕はさっと少女の背後に隠れ、素知らぬふりをする。
それを見逃さなかったホホ朩が、厳しい声で詰問する。
「ヒヒ匕? よもや、あなた……」
「しっ、知らねー! おいらは悪くねえ! こいつがやれって言ったんだ!」
「あっ、ちょっ、ずるい! ああいや、それはその通りなんだけどっ……!」
「はぁ……。いいでしょう、ひとまずお話を伺います。いったい、どういうことなのですか?」
じろり、とホホ朩の視線が少女に向く。
少し怖かったが、仔細を説明する他にないと観念した少女は、本を分割した経緯と起こったことを辿々しく語った。
それを聞いたホホ朩は少し考えて、やっと表情を和らがせた。
「この際、無断で本を割ったことは不問としましょう。それよりも、※にあなたの情報があるとは。ちょっと、それを見せていただけますか?」
少女は頷いて持ってきた本を鞄から取り出し、ホホ朩に渡した。
その頁をぺらぺらと捲ったホホ朩は何度も頷きながら、興味深そうに目をしばたかせる。
「確かにこの本には、遠世界凪という方のパーソナルデータが記されていますが……」
「あっ、そう、そうだ! 凪って名前! それ、わたしの名前なんです!」
「おいらも思い出したぞ! でも、なんでおいらたちは忘れちまってたんだ?」
「これが、あなたの名前……?」
本作は24/12/01開催の『文学フリマ東京39』で頒布される作品の立ち読み版です。
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予めご了承くださいませ。




