健康診断と身体測定と顕能
保健治療室。そこは戦闘で怪我を負った紡ぎ手や詠星、また純粋に病気であったりなどの職員に対して治療と養生が施されるエリアだ。
エントランス兼展示エリアにあった培養槽を流用した治療カプセルやベッドが並び、看護スタッフや治療系の顕能を持つ詠星が仕事をこなしている。この広いエリアの片隅の机で座っている女性がひとり。隈がひどいがこれがこの人の健康体。髪の手入れもそれほどしていないためか髪は伸び放題で少しぼさぼさとしている。医療従事者がそんな不衛生でよいのかとも思うが、実際は衛生的な面はきちんとしているらしい。ただ、だらしないだけだ。
名前はカリーナ。しかし、殆どの人はドクターや先生と呼ぶことがほとんどだ。そんな人物のもとにアルクはスゥファリィをかかえながら向かう。
「どうも、ドクター」
「あら、アルク。また無茶でもしたの?」
「またとはききすてなりませんね。俺は安全第一でやっているつもりですよ」
「ガワは、でしょう? って、あら」
いつもの軽口を叩き合い、しかし、今回はいつもと違うことにカリーナは気づく。
「……アルク、あなた、とうとう……」
「いや、とうとうってなんですか。俺をなんだと思っているので?」
「だってこの前、子どもができるなら娘がほしいって言ってたじゃない。いくらモテないからと言って子どもを誘拐して娘にするなんて……」
「ドクター、もしかして喧嘩を売っていらっしゃいます?」
「違うの? じゃあもしかして捨て子でも拾った? こんなところに捨てる人なんていないと思うけど、でも、辛抱たまらなくなったってわけなのね」
「いや、捨て子でもありませんって。詠星です、詠星」
すると、カリーナはじっとスゥファリィの寝顔をみつめ、ややしてから「ふぅ」とせもたれにもたれかかった。
「……冗談よ。ほら、医者っていうのは常に命の喪失と紙一重の環境でしょう? こんな冗談でもしていないとやっていけないのよ」
「にしては、今、言葉を溜めましたよね?」
「なんのことかしら」
そんなあけすけなことを言いつつ、「それで」とカリーナは話題を転換した。
「その子、私のみたことのない子だし、新しい子ね。確かに今日の朝方に新しい詠星の情報は入ってきていたし……そういえば、保護したのもあなたという情報があったわね」
「それを分かっていて、あんなこといってたんですか……?」
すると、カリーナはすっと目を逸らすことで誤魔化すことにしたようだった。
「さて、世間話はこれくらいにして、仕事を始めましょう。健康診断でよいのでしょう?」
「はい。それでお願いします。ただ、みての通り、眠っていてまったく起きる気配もないんですが、やっぱり起こした方がいいですか?」
「いえ、それほど支障はないわ。そこのベッドでしましょう」
と、となりに置かれたベッドが指定されたため、そこにゆっくりと横たえる。
「……もちろん、でていくのよ? 素肌とかも露わにするから」
「わかってますよ……俺をなんだと思ってるんですか」
まったく、警備員といい、このドクターといい、冗談がすぎると思うアルクであった。
くすくすと笑うカリーナを背後にアルクはカーテンを閉め、健康診断が終わるのを待った。
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詠星を保護したとき、何が一番大変かと言えば、こういった諸々の検査や手続きと言える。
基本的には、よほど相性が悪かったり、都合が悪くない限り、保護した紡ぎ手が詠星の担当者となる。
そして、担当になったからにはやることは多い。これまでやってきていたように、まずは何もわからない詠星に対して、この世界のことと、詠星自身に対する概念を伝える。そして、落ち着いてきたあたりで新しい詠星としての登録作業と検査を行なう。
「スゥファリィ。スゥファリィ」
アルクがゆさゆさとスゥファリィの肩を揺らす。
そうしてしばらくして、ようやっとスゥファリィが薄く目を開けた。
「ん、ぅ……5年、経った?」
「経ってたまるか。眠いところ悪いが、検査をしなくちゃいけなくてな」
「検査……」
まだ寝ぼけ頭なのだろう。ふわふわとした様子で受け答えしていたスゥファリィだが、目を擦り、半目程に目を開いたスゥファリィは、周りを確認して――
「……だれ?」
困惑とも言える声をあげた。その予想通りな反応にアルクはため息ひとつ、眉を抑える。
そりゃあ困惑もするだろうよと、言ってしまいたいくらいだ。
周りには詠星生態部の研究者達がひしめき合うようにしてスゥファリィの姿を観察していた。みながみな、一挙手一投足すら見逃さないという気迫で、さすがのスゥファリィも目が覚めるというものだった。
その中のひとり、アレンがにちゃあ、とでも形容できそうな胡散臭い笑みを浮かべた。
「いやぁ、すまないね、お嬢さん。驚かせてしまっただろう? だけど、どうか安心してほしい。僕たちは決して、決して怪しい者達じゃあないんだ」
「言い方が怪しいんだわ」
アルクの突っ込みは見事にスルーされる。
「僕たちは詠星生態部というところの研究者達でね。言ってみれば君たちのような詠星の神秘について、解明する研究を行なっているんだ。それと同時に、君たち詠星が自身の言葉の意味を思い出せるよう、特性や顕能などの解析も行なっていてね、今回は君の体の特徴について、色々と記録を残させてほしいんだ。それによっては、もしかしたら君と同じ特徴をもつ詠星が確認できるかもしれないんだ」
総じて、研究者というのは、興奮するとタガが外れるというのがアルクの観察結果である。
現在、アレンは身体年齢凡そ幼女に向かって体の特徴を記録させてほしいという、変態的発言をしているわけだが、生憎とその発言が変態的だと気づけているのは悲しいかな、アルクしかいない。そして、加えて恐ろしいかな、アルクの声はもう殆ど研究者たちにはきこえていないのだ。つまり、指摘できる人がいない。
「えっと……よくわからないけど、ボクは何をすればいいんだい?」
「ああ、ありがとう! いや、なに、そう緊張しないでほしい! 確認したいことは、周りのお姉さん方がしてくれるからね。君には少し窮屈かもしれないけど、少しだけ協力してもらえたら嬉しい」
「さぁ、お嬢様をお連れしておくれ!」とアレンが演技的に言うと、周りの女研究者があれよあれよとスゥファリィを連れて研究所の奥へと連れ込んでしまった。
「……毎回思うが、本当に安全なのか?」
「何を言うんだい、我が友よ。僕たち詠星生態部は至って詠星には紳士的だとも。僕たちの世界にはない、未知の知識と、技術と、概念と、能力を持ってきてくれるんだ。そんな存在を粗雑に扱えるはずがないだろう?」
スゥファリィの姿がなくなったことで、いくぶん理性を取り戻したアレン他研究者達。中には、なんでアルクがいるんだという顔をしている者もいるあたり、始末におえない。
かくも、研究者とは人間ではないのではないか、と思うアルクである。先程の気持ち悪い発言をしておきながら、常識人めいた発言をするあたり、異人感も相当である。
「さよですか」と深くは突っ込むことはせず、アルクはスゥファリィの帰りを待った。
その間に、カリーナが健康診断の結果を持ってきた。
「特に異常なしね。何かしら障害があるってわけでもないみたい。若干脳の活動がゆっくりめなことを除けば健康体よ」
「脳の活動というと、あの異常な睡眠欲でしょうか」
「そうね。でも、そこまで問題ではないわ。まぁ、過剰な睡眠で体を壊すよりも栄養が足りずに、ということはあるかもしれないし、そこだけ注意かしら」
「それは健康体って言っていいんですかね……」
自分で食事をとれない生き物は生き物と言ってよいのか。
「ものすごく深い眠りってわけでもなかったから、頑張って起こせば起きると思うわよ。望ましい行動としては、定期的に起こしてあげることで、体に睡眠リズムを刻んであげることができたらよいかしら」
「それは……俺にはできそうにないですね」
定期的に起こすとなると、日中はともかくとして、朝であったりと、要はスゥファリィが詠星寮にいる時にはアルクは関与できない。今後相部屋になるであろう詠星にお願いできれば一番であるのだが。
「はぁ……それにしても、やっぱり眠ってるからかしら、いえ、やっぱり年齢かしらね、あのモチ肌はちょっと羨ましくなるわ」
「はぁ」
「……あなた、今、とても失礼なこと考えたでしょ」
「それは考えが飛躍すぎるというものです」
しかし、アルクはそっと目を逸らす。
なぜ世の女性というのはそういう悪意に敏感なのか。
「……まぁ、いいけど。今後の予定は考えてるの?」
「いつも通りといえばいつも通りですね」
これからしなくてはいけないことを数えて、アルクはため息をつく。
ひとまず、最低限必要なことまであと少しだ。
しばらくしてスゥファリィがほくほく顔の研究員とともに戻ってきた。
遠目からでもわかる。明らかにふらふらした足取りだ。顔をみれば、すべてを奪われたがごとくハイライトを失っている。
そしてそのままがしっとアルクの足にしがみつく。
「……君、よくもボクを売ったね……?」
「いや、本当にすまない……ただ、必要な行いではあるんだ」
「必要な行為、必要な行為……?」
ぶつぶつとスゥファリィが呟き続けている。
「大丈夫。決して傷つけるようなことはしていないわ」
女研究員がいう。その言葉自体は良いのだが若干顔が火照っているあたり、本当なのか怪しさを感じる。
「この様子で傷ついてないは無理があるんだが……本当に、大丈夫なんだろうな?」
「勿論。無理強いは絶対にしてないし、採るべきデータもちゃんと必要最低限に抑えたわ。好奇心旺盛な研究者たちだから、ちょっと、ほんのちょっとだけ研究者視点で質問することはあったけど、それくらいよ」
研究者のちょっとはちょっとではない、というのがアルクの所感である。以前、アレンから「ちょっとだけ質問させてほしいことがあるんだ」という言葉に乗っかった結果、2時間は拘束されたことがあるアルクだからこそ、そう断言できる。なお、ほとんどの紡ぎ手も同じ所感をもっている。
となると、これは質問攻めによる精神的疲労であると考える事ができるだろう。ストレス対処としてやや思考の停止が見られるが、正常範囲内、と信じたい。
「よく頑張ってくれた」とアルクがスゥファリィの頭を撫でると「ん」と目を細めて受け入れる。
しばらく撫でられたままのスゥファリィはそれでハイライトを取り戻した。
「紡ぎ手は、女の子たらしなんだねぇ。出会ってまもない女の子の頭を撫でるなんて」
「心外な評価だな。その場に適した行動を考えただけだとも。勿論嫌ならやめる」
「……ん」
やめて、と言われることはなかった。
なら、行動としては及第点だったのだろう。内心、ほっと息をつく。が、「ほほーん」という意味深な声が周りから聞こえることに気づく。
「アルク、手慣れてるねぇ。紡ぎ手はまず詠星との信頼関係の構築を重視するとはきくけど、どうやって関係を築くのかは僕たちも詳しく知らなかったんだ。こんな感じでいつもやっているのかい?」
「そんなわけないだろう。ケースバイケースだ」
特に身体的接触は慎重に実行するか考えなくてはいけない。目にみえる形、たとえば物をあげたり、相手に触れたりというのは、目で確認できてしまうから厄介だ。その量が信頼の証であると認識されてしまうと、物質的なかかわりがすべてになり、精神的な接触の影響が阻碍されかねない。
今回の場合は信頼関係の構築のため、というよりも、報酬の側面が強い。スゥファリィは特に何かを頼んでもあまり動いてくれなさそうな気配がぷんぷんする。頑張ってくれた時には相応の報酬を与えることは大切だ。尤も、会ったばかりの男に撫でられることを報酬としてカウントしてよいのかは甚だ疑問であるが、大切なのは当事者の気持ち。その当事者としては、良いらしい。
撫で終わるとこくりとスゥファリィは船を漕ぎ始めた。
「眠そうだな」
「うん……今日は、すごく疲れたからねぇ」
つい先ほどまで寝ていなかったか、という言葉がでそうになるが、カリーナの言葉を借りれば、脳の活動上仕方のないことでもある。
本当であれば、この後最後のやるべきことがあったのだが、今日は一旦お開きにするしかなさそうだ。
「じゃあ、一旦寮に戻ろうか」というと「うん」と返事が返ってくる。しかし、スゥファリィは足にしがみついたまま動かない。
「……スゥファリィ?」
「動けないねぇ」
そんな言葉が漏れる。すると、スゥファリィは顔を上げ「おんぶ」という。
それに対し、どう対応するかアルクの脳内がフル回転する。なにせ先程の通り、身体的な接触は危険が伴う。安易に受けてしまうことで、この少女が信頼関係に誤解を得てしまわないだろうか。ただ、スゥファリィの身体構造上の配慮として必要な行動ともとることはできる。その場合、盲目の人間が人に道案内を頼むのは何もおかしくないように、移動の補助をスゥファリィが願うのも至って普通のことであると考える事もできる。しかし、現状のアルクではスゥファリィのことをよく知らないため、どちらかと判定することはできない。
そこで身体の専門家であるカリーナをみる。彼女は肩を竦めた。
「問題ないと思うわよ。この子の活動限界を考えると、自然な行為であると思うわ」
その言葉に頷き、ならとアルクはしゃがんでスゥファリィに背中をみせる。スゥファリィは首に腕をまわし、肩あたりから顔をだすようにして収まる。
「支えはいるか?」
「んーん、だいじょぶ……十分さぁ」
実際立ち上がってもスゥファリィは辛そうな様子ではなかった。それどころか早速「すぅ……すぅ……」と寝息をたてている。
さすがは詠星と言おうか。これほど幼い見た目であっても、身体能力の高さをうかがいしれる。
「……にしても、軽いな」
本当に軽い。こうして立っていても、ふとスゥファリィを背負っているという事実を忘れそうになるほどだ。研究所では身体測定も含まれているから、どのような結果になるか、みるのが少し怖くなる。
「ふふっ。アルク、なんだか本当にお父さんみたいね」
「よしてください、ドクター。見栄えが酷いのは流石に自覚していますが、言われると余計に意識してしまう」
「とはいえ、嫌そうな顔ではないね。やはりアルク、君は――」
みなまで言わせず、アレンの頭をどつく。うめき声を上げ倒れるアレン。女研究員が仕方ないという顔でアレンを適当なソファーに投げ捨てた。
「では、俺はこれで」
「ええ。次の定期検診は一月後ね」
「私たち研究所の方にも是非進捗と情報を! 待っているわ!」
医者と女研究員に見送られ、アレンは寮へと向かうことになった。
行きと同じだけの好奇と一部変態をみるかのような目に晒されながらもどうにか詠星寮に到着する。いつもどおりベルを鳴らせば、少ししてエルメンテが顔をだす。
「ああ、紡ぎ手さんかい。お帰り。やることは終わったのかい?」
「いや、生憎途中でこの通りになってしまってな。初回面談までは進まなかった。ひとまず明日しようと思ってな。お姫様のお返しだ」
「それはご苦労様。そしたら王子様に代わってあとは私が引き受けようかね」
エルメンテがアルクの背中にまわり、スゥファリを引きはがす。
「……ん?」
引きはがす。はがすが、はがれない。
エルメンテはアルクの首を抱いているスゥファリの手を掴むと離そうとしていく。
「これは……結構、固いね」
アルクからはギリギリ見える、という感じだが、スゥファリを掴む手が震えていることから相当の力で引きはがそうとしているのだろう。というよりも、一体どれだけの力でアルクにしがみついているというのか。
さらにエルメンテが力をいれようとしたときーー突然、エルメンテの気配が遠ざかった。
違和感を感じ、「エルメンテ?」と口にしようとしたアルク。しかし、不意にふわりとした感覚に襲われる。どこか夜勤明けの睡眠にも似た心地よさと、すべてに対するやる気が削がれていくような感覚。
がくりと体が脱力する。そのまま倒れこみそうになり――誰かに支えられた。恐らくはエルメンテだろう。しかし、その姿を確認することもないまま、突然の眠気に襲われ、アルクは何かを言うまでもなく、目を閉じ、意識を手放した。