緊急と許し
その後、フレミシッテをめぐる騒動は直ちに導き手の問題行動として広がった。
侵入不可の条約違反、不法滞在、詠星の誘致。
すぐに導き手の本部に苦言を呈したが、返答としては導き手の滞在は道に迷ったことでの不慮の事故、詠星の誘致はあくまで詠星の自由意思であるとして責任はないというものだった。それどころか紡ぎ手は詠星がどの支援を受けるか強制させているのかと逆に開き直られてしまった。
アルクとしてはそれだけで好感度はだださがりであるし、少なくともこの一件で導き手の肩身は狭くなったといえるだろう。それだけのことを見越しながらクローサーを動かしたお告げの人物とは何なのか、甚だ疑問だけがでてくる。
また、問題は導き手との関係だけではなかった。
数日後の夜。アルクの部屋をフェイが訪れた。
いつもの明るい表情とは異なり、どこか影のある笑みだ。
「……や。ちょっと、いい?」
「……ああ」
さしものアルクもいつもの癖で帰れなどとは言わない。
中に招き入れると、ワインと簡単なつまみをだす。しかし、フェイはそれには手をつけず、自身の指をいじっていた。
アルクもあまり飲む気にはならない。
「それで、エリシアのことだろう? どうだった?」
「うん……全然ダメ。ずっと部屋にこもりきりだと思う」
「そうか……」
エリシア。元フレミシッテの担当だ。
フレミシッテとの別れがあってから、ずっと顔をみれていない。どういった心境なのかはわかる。おそらく自責、後悔、謝罪と、負の感情に巻き込まれているのではないかと思う。
「ドアをノックしても開けるどころか動く気配すら感じなくてさ。どうすればいいのかなって」
「……すまないな。本来であれば俺一人が考えるべきことだろうに」
「一度は乗っかった船だし、エリシアの気持ちを考えたら、じゃあ私はしーらない、なんてできるわけないし。……もしかしたら、私の指導に問題があったのかもしれないしさ、他人事にはできない、かな」
フェイが自嘲するようにはにかむ。
フェイとしてはこう言いたいのだろう。自分の指導に不手際があったために、フレミシッテはエリシアのもとを離れてしまったのだと。つまりは、自分のせいでエリシアに苦しい思いをさせてしまっているのだと。
「それは違う」とはっきりアルクは言葉にする。
「だったら、絶対通知書まで出されて新人指導係となった俺にこそ責任があるだろうな。もっとエリシアに関わればこんなことにならなかったかもしれない」
「それは……無理だよ。詠星の支援をしながら新人指導なんてさ。星見手の頭がとち狂ってますって」
「俺も同意だ。それに、誰が悪い悪くないの話をしたところで誰も得することはない。自分が悪いのだと認知することで責任をとるのではなく、エリシアの現状を改善することで責任をとろう」
「……うん、だね」
励ましの言葉にしてはあまり良いものでもないだろうが、フェイは頷く。
アルクも、自分で言った言葉であるのに、自分の言葉に賛同する気持ちにはなれない。どうしたって自分が悪いという気持ちは引きずる。
「ひとまずはエリシアの気持ちにしっかりと向きあわないといけないな」
「でも、どうやって会う? 扉も開けてくれないし」
「そこは緊急事態だからと合鍵を使わせもらうしかないだろうな。フェイにピッキングしてもらうというのもあるが、現状ふざける余裕もないだろ?」
「そりゃあね」
「なら、鍵だな。一歩も部屋をでてないのだとしたら食事もとれているのか心配だ。明日の仕事はなしにするから部屋にいってみよう」
「うん」
フェイが俯く。
「エリシア、立ち直ってくれるかな」
「……どうだろうな。初めての支援だったろうに、他人に乗り変わられたのは自信をなくすには十分すぎる。新人だからという言い訳が彼女の中でできるならいいんだが、あのまじめな様子をみるとな……」
そもそもの話をしてしまえば、新人がいきなり詠星の担当をするなどスパルタに過ぎる。先ほど誰が悪いという話をしても、と自分で話していたが、星見手にこそ原因があるのではないか、という思いもあるにはあるのだ。
「ある程度経験を積めば今回のことは少なくとも最悪ではないとわかるんだがな」
最悪とはすなわち詠星が歪んでしまい、物理的に浄化する以外の選択肢がないこと。今回は少なくとも支援に失敗したのではなく、あくまで詠星の価値観で支援先が変更になったというだけだ。エリシアに責任のある話ではない。
ただ、人間失敗という経験に対し自身の未熟を嘆くことも少なくない。
「私さ、エリシアに会ったとしても、なんて声かけるのがよいのかなって、迷ってる。詠星の支援の時には色々頭も動かせるのにね、なんでだろ」
「なんでなんだろうな。状況に対する慣れ、というのもあるのかもしれないが、いずれにしても会いたくないわけではないんだろう?」
「うん、ちゃんと話はしたい。エリシアは悪くないって言わなきゃ」
「なら、まずは会うことからだな」
そうして、何か作戦を考えるというわけでもなく、互いに心の内を語りつつ、翌日を迎えた。
寮母に事情を伝え、合鍵をもらい、女子寮であるためフェイの同伴という形で入る。
まずはエリシアの部屋の扉をノック。
「エリシア、俺だ。開けてくれるか」
しかし、予想通り返答はない。
フェイが言っていたように、中で動く気配も感じない。
そこまで確認してから、「悪いが、入るぞ」と鍵を開き、中へと入る。
途端、異臭に顔をしかめる。
「これは……」
不快感を感じる、しかし誰もが嗅ぐことになるこの臭い。
部屋の主を探せば、ベッドで仰向けになっているようだった。
ただ、明らかに様子がおかしい。
「……エリシア!」
近寄れば何がおかしいのかもわかる。
目は開いている。しかし、うつろであり、何かを見ているという感じではない。
頬はこけ、腹部もこれ以上なく凹んでいる。食事をとっていないのだろう。肌の乾燥もひどく、唇の様子からも水分もとっていないことが推測される。
そして、臭いの正体であるが、ズボン、つまりは下腹部、さらに限定するなら股間部分に濡れと汚物のシミがみえていた。
つまり、ここ数日文字通り動いていないということだ。
これは精神的にもそうだが、何より身体的な問題がある。
遅れて状況を把握したフェイが「保健治療室行ってくる!」とダッシュで部屋をでる。
「エリシア、きこえるか、おい!」
肩をゆすり声をかけつつ、今のうちにできることをしていく。
ズボンを下ろし、中の下着もとる。うら若き少女の秘部が露わになるが、汚物で汚れているのとこのような状況では性欲を抱くなんてできない。部屋にある限りのタオルを集め、下腹部を拭きつつ、下に何枚か敷いて汚れるのを防ぐ。
代わりの下着とズボンをはかせたところでタイミングよくフェイが保健治療室のスタッフをつれて登場した。
すぐさま担架に乗せられた彼女は保健医療室へと運ばれる。部屋に残されたのはアルクとフェイ。不安げな瞳がアルクを見詰める。
「アルク……」
「大丈夫だ、なんてことはいわないが、あきらめるな。まだだ」
そして、アルクたちも保健治療室に向かう。
到着すると、すでに検査や点滴が行われているようでエリシアの周りはあわただしい雰囲気につつまれていた。
「二人とも、きたのね」
遠巻きに処置を見守っていたカリーナがふたりをみつける。
「はい。今きたところで、というのはわかっていますが、気持ちがこないことを否定しまして」
「そう。別にでてけというつもりはないわ。適当に座ってて」
いわれた通りに座って、アルクたちは処置が終わるのを待つ。
そうして一通りの処置が終わったころにはエリシアの表情は随分と回復したように感じた。
「飢餓があったから点滴で対応、膣の中で細菌が増えていたから洗浄、極度のストレス状態でもあったから安定剤の投与もしたわ。でも、命に別状はなしね。安静にすれば起きると思うわ」
そういってカリーナも離れる。
ベッドのそばに座り直し、エリシアが目を覚ますのを待つことにした。いつ目覚めるのかはわからないため、場合によっては翌日以降になることも十分に考えられるが、目覚めたときに誰もいないという状況は避けたい。
一旦は危機を乗り越えてほっと一安心だが、本番はこれからだ。
「アルク。私、先にみてるからさ、休んでていいよ」
「お前、精神的に疲れてるだろ? フェイが先に休むといい」
すると、「ううん」とフェイは首を横に振った。
「ちょっと、なに話すか考えておきたくて。エリシアの顔見たら、何か思いつくかもって思ってさ」
「……わかった」
カリーナには事前に許可はもらっているため、間仕切りカーテンを隔てた隣のベッドで横になる。
そして、目を閉じてしばしの仮眠をとることにした。
・
・
「本当に、私、どうやってエリシアに顔向けしたらいいんだろ」
月明かりが室内をゆっくりと照らす時間。たまらずフェイの口から言葉が漏れた。
もとはアルクより新人指導の手伝いをしてほしいといわれたことから始まった。
アルクも新しい詠星の支援に集中したいのは当然の思いであると思ったし、そんな中でエリシアの指導をアルクに指定してくる星見手に、もしやアルクは恨みでも買ったのかとも思った。
とはいえ、困ったときは持ちつ持たれつがフェイとアルクの関係である。手伝わないという選択肢はなかったし、手伝うこと自体に後悔はなかった。
エリシアという娘は言ってみれば真面目な性格だった。新人特有の敏感さ、自信のなさ、勤勉さ。フェイと違って軽妙に物事を考えるのではなく、そのひとつひとつを丁寧に、真剣に考えるような娘だった。
支援者という立場でいる以上、不要な緊張は詠星にも影響を与えてしまうと思うが、それが彼女の良いところでもあるのかもしれない。誰だって自分のことで真剣に悩んでくれていたら悪い気はないだろう。
ただ、いくら真面目とはいえ、理不尽な現象に対しては少しくらい回避の姿勢をみせるだろうとも思っていた。最悪フレミシッテの支援がうまくいかなかったとしても、自責の思いはありつつも、「でも」と考えることもするのではないかと思っていた。
しかし。
「きっと、全部、自分のせいだと思ってるんだろうなぁ」
エリシアの寝顔を見ながら、再度つぶやく。
どうやら彼女は恐るべきことに、フェイの想像以上に真面目だったようだった。フレミシッテとの支援に陰りが出始めたのも、フレミシッテが導き手のもとに行ってしまったことも、すべてがすべて自身の落ち度であると思っているのだろう。でも、新人だったからとか、でも、導き手なんてイレギュラーに会ってしまったからとか、そんな言い訳を一切しなかったのだろう。
そうして自分を責めて責めて責めぬいて、こんなことになってしまっている。
彼女のことだ。フェイが謝ったとしても悪いのは全部自分だからというだけだろう。
「そう、言われちゃうとさ。私、本当に何もいえなくなっちゃうじゃん」
詠星の支援は訓練すれば必ず成功するというものではない。心というものに対し、言動という曖昧なものを媒介して働きかける以上、イレギュラーや見落とし、勘違いや考えの相違は当然でて然るべきだ。なかったらそれはロボットだろう。
しかし、だからといってじゃあ自分は悪くないと思えるほどフェイも軽薄にはなれなかった。
新人の指導者としてもっと気づけたことがあったのではないか、事前に伝えられることがあったのではないか。そんな思考が次から次へと流れてくる。
そんな考えが頭を占めているのに、もし「フェイさんは何も悪くないです」と言われてしまったらどうなるか。
「とても、私の口から励ましとか、寄り添いとか、そんな言葉は言えないよね」
こんな弱音を吐いてしまう自分にも嫌気を感じる。
普段の自分はもっと軽妙に、何とかだよねー、と明るい口調であるはずだ。
今の自分はキャラではないと思う。ただ、メタ的に自分の状態を考えてみれば、どうしようもないほどに落ち込んでいるというのが評価になる。
落ち込んでいるのだ、自分は。
「ん……」
ふと、エリシアの口から音が漏れる。
フェイの心臓が跳ね、腰が浮く。
「……エリシア?」
息をとめて、今見えている視界にだけ集中する。
やがて、エリシアの瞼が震えたかと思うと、ゆっくりと碧眼が見えてくる。
その目が、フェイをとらえた。
「……ェイ、さん」
「良かった、目が覚めたんだね。待って、今アルクも――」
「な、んで」
エリシアの言葉にフェイが止まる。
「なん、で、泣いて、いる、のですか?」
「……へ?」
ぺたりとフェイは自分の頬に触れる。すると、手に生暖かい液体が付着した。
涙だ。いつの間にか泣いていたらしい。その、泣いていた理由を考えたとき、本当に情けない理由であると感じて、余計に涙がでそうになった。
「……ごめんね」
何に対してのごめんねなのだろうか。
ただ、でも、だけど、ごめんという言葉が何度も口にでる。そのあとに続いて、謝罪の理由が口からこぼれてくる。
「私が指導者でごめんね。フレミシッテを引き留められなくてごめん。こんなになるまで放っておいてごめんね。なんて言葉をかけたらいいかわからなくてごめん。あんなに自信満々にあれこれ言っておきながら、全然結果をだせなかった自分に落ち込んで、ごめんね……」
違う、こんなことを言うのは自分じゃない。これまで作り上げてきたフェイという人物の言葉ではない。
他者のために泣くのではなく、自分のために泣くなんて、そんな醜いの、違う。
それでもこの時はどうしてかこのような言葉と思考しかでてこなくて。
「エリシアの方がつらいのに、私なんかが泣いて――」
「許します」
すっと、エリシアの言葉が差し込まれました。
まだ寝起きで、かつ体調も万全でないため、どこか舌足らずさも感じさせつつも、エリシアは続ける。
「全部、許します。私だけしか、許せないから。許す理由を、作ってくれたから」
「エリ、シア?」
「ずっと、私のせいだと思っていました。今も、私のせいだと思っています。ずっとずっと、フレミシッテが離れてしまったのは、私だけが悪いんだって。私じゃなければ違ったのにって。多分どんな言葉をかけられてもこの気持ちは変わらない。変われないって思っていました。でも、今。今、フェイさんが泣いているのをみました。ずっとずっと先の先輩が、私のことで泣いたから。その涙の理由がフェイさんにとって嫌なものでも、私にとっては先輩でさえ涙がこぼれるくらいのことなんだってわかったから。それなら、私がどうにかなればどうにかなるものでもなかったかもって。そんな風に思って。多分悪い考えだけど、でも、やっと自分に優しくできたから」
どこか夢をみているかのような表情だ。
崩れた口調のままに、エリシアがほほ笑んだ。
「だから、全部許します。フェイさんのことも、自分のことも。自分を許す理由を与えてくれて、ありがとうございます」
瞬間、フェイはエリシアを抱きしめた。
そうして言葉に出たのは――
「あり、がとう」
謝罪ではなく、感謝だった。




