困惑と渇望
フレミシッテが誕生してひと月が過ぎた。
月日が経つのが早いのか、それとも月日はいつもこれくらいの速度でいつも過ぎているのか。
誕生してこの方、まだまだ分からない事ばかりだ。
フレミシッテはいつものように中庭に移動する。そこには先着していた少女の姿があった。
とても小さな体だ。フレミシッテよりもひとまわり小さい。長く美しい黒髪は少女の身長よりも長い。そのため、普通であれば少女の髪の先は常に地面を擦ると思うのだが、彼女の髪は重力に従うことすら億劫といわんばかりに微かに宙に浮いている。
少女は、ぼうっと何をするでもなく、空を見上げている。途中、白い蝶が少女の上空に飛んでいたかと思うと、徐に少女の頭に降りて羽休めを始めた。しかし、少女は気づく様子もなさそうだった。
陽だまりの中に座る少女の姿はフレミシッテの目からみても、どこか神秘性を感じる。傍からみればフレミシッテもその部類に入れるとは思うのだが、当人としては自分が特別とはまるで感じることができない。そんな自己肯定感の低さが不意にでてきて感情が荒れそうになる。しかし、深呼吸をひとつ。気持ちを落ち着かせたフレミシッテは少女スゥファリィに声をかけた。
「スゥファリィ、あなた、頭に蝶が乗ってるわよ」
「……うん? あ、ほんとだぁ」
軽くスゥファリィが頭を振ると、蝶がまた羽ばたき始め、スゥファリィのもとを離れる。
「さっきからずっとぼうっとしてたけど、何か考えてたの?」
「ううん、そんなにかなぁ。ただ、今日まで考えてたこととか、少し整理してたんだぁ」
「ふーん。整理、ね。私にはまだあまりわかんない感覚だわ」
フレミシッテはスゥファリィの隣に腰を下ろす。柔らかな芝生が日に当たり温かくなっている。
「別に特別なことじゃないさぁ。色んな悩みとか、考え事とか、感じたこととか、次に紡ぎ手と面談する時に何を話そうかなってやってただけ」
「それってそんなことする必要あるの? 話したいことがあるなら全部話せばいいのに」
フレミシッテの感覚としては、物事に順番を決めるというのは違和感がある。したいことがある、知りたいことがある、やりたいことがある、言いたいことがある。それならそう思った時にすればいいというのがフレミシッテの価値観だ。スゥファリィの整理というのも、全部言ってしまえば結果は同じなのではないかと思ってしまう。
だから、面談というものはフレミシッテにとってとても難しいものだった。どうして考えなくてはいけないのか、どうしても納得できない。
「うーん、ボクはそうは思わないかなぁ。だって、整理すればちゃんと自分で一回考える事ができるからねぇ。ボクは、そーいうのも必要なのかなぁって思うよぉ」
「そうなのね。まぁ、あなたがそれでいいならいいんでしょうけど」
とはいえ、他者の価値観に自分の価値観を押し付けることが良くないことはフレミシッテもわかる。だから、この話はここで一旦終わらせることにした。
「スゥファリィは最近どう? 紡ぎ手とはうまくやれてる?」
「うん、やれてるんじゃないかと思うよぉ。ボクもボク自身、よくわからないけど進んでるって感じがしてるし」
「そう……いいわね。確かに最近のあなたは、特に落ち着いてる感じがするし」
「ガワだけさぁ。まだまだ、考える事は沢山だよぉ」
しかし、そう語るスゥファリィの表情は穏やかに見える。余裕があるとでもいおうか。彼女の雰囲気からは焦りというものを感じない。
一方でフレミシッテの心の内から溢れ出る謎の焦燥感。その感情に気持ちが参りそうになり――怒りの感情が溢れそうになるのを、堪える。
「フレミシッテはどうなんだい?」
「私? 私は――」
答えようとして――
「……わからないの」
答えることができなかった。
「……わから、ないの。なんで……」
「フレミシッテ?」
スゥファリィが心配そうな目でフレミシッテをみる。
「別に紡ぎ手のことが嫌いなわけじゃないの。色々気にかけてくれるし、質問にも頑張って考えてくれているのはわかるの。……でも、もどかしくて」
フレミシッテは自他ともに認める直情の性格の通りに現在の想いをスゥファリィにもぶつける。
「私が欲しい答えはそれじゃないっていうか……私も色々と考えなくちゃいけないのがすっごい辛いの。特にここ最近。紡ぎ手と、あと紡ぎ手の指導をしてる紡ぎ手にも言われたわ。『その焦燥感はどこからくるのか』って。そんなの、私が知りたいくらいなのに……それでもどうにか考えてみようとすると、すごく苦しくなって、怖くなって……それで、この前も紡ぎ手から面談の時、もっと深くまで考えてみないかと誘われたんだけど、なんでか逃げちゃったの。やっぱり無理って。いつもの私だったらこんなの絶対言わない。すぐにでも紡ぎ手を質問攻めにするのに……」
「……問い返されて、考えなくちゃいけないのが怖い、ということかい?」
スゥファリィの言葉にフレミシッテが目を見開く。
「……なんで……もしかして」
「うん。すべてが同じかはわからないけど……ボクもその頃、そんな感じの気持ちになってたから」
「じゃあ!」
フレミシッテの何かを期待した視線に、しかしスゥファリィは緩やかに首を振る。
「……ごめん。それが何なのか、ボクは教えることはできないんだ」
「なんでよ! 知ってるなら教えて!」
掴みかかるような勢いでフレミシッテが迫る。
「ううん、それはダメ、ダメだと思うんだ」
「なんでダメなの!? だって、知ってるんでしょう、この気持ちから解放される方法を!」
「それは、君がみつけるべきだって、ボクは思うんだ」
「そんなことない! だって……答えを知ってる人がいるのに、それなのにわざわざ私が答えをみつけなくちゃいけないなんて、なんでそんな遠回りをしないといけないのよ!」
フレミシッテは早くこの現状から抜け出したかった。
誕生して、紡ぎ手がついて、最初は良かったのだ。顕能という力のコントロールは自分で努力すればできることだったし、浄化活動もやっていくうちにどんどん慣れていった。まずは体で感じて、感覚で調整していけた。
しかし、段々と体を動かすだけでは解決しない問題がでてきた。不意にでてきた『私は誰なんだろう』という疑問、『私を生んだ想い人ってどんな人だったんだろう』という疑問、『私の名前に込められた言葉は、その言葉の意味は何なんだろう』という疑問、そして自分自身のことについて考えようとすると溢れてくる不安、焦燥、混乱、困惑——怒り。
これは、いくら体を動かしても解決しなかった。体を動かし、顕能を自在に操り、それでも疑問と、自己探求によって現れる感情を振り切ることはできなかった。
そもそも謎なのだ。一体どうして自分のことを考えようとするとこんな感情がでるのか。何も探られて暗い過去などないはずなのに。紡ぎ手は言っていた。それは想い主の防衛反応か、想い主が言葉に込めた想いなのではないかと。紡ぎ手の指導をしている紡ぎ手も言っていた。『もしかしたら、自己探求によって言葉の意味に近づいて、想い主の無意識の防衛が不安や焦燥となってフレミシッテを阻んでるのかもしれないね』と。しかし、フレミシッテはうまく理解できなかった。顔も知らない、みたこともない、本当にいるのかもわからない、なのに自分に影響を与えているという想い主。一体どうやってフレミシッテに影響を与えているのか。フレミシッテの頭では理解できなかった。体で理解できるものでもなかった。
だからフレミシッテはなんども紡ぎ手に訴えた。どうかこの感情を解消する術を教えてほしいと。その術を教えてくれれば、もうこんな気持ちにならないように、その方法を何度も反復して覚えるからと。
しかし――しかし、紡ぎ手は首を縦に振らなかった。
『ねぇ、フレミシッテ。それなら、もっと深いところまで考えを整理してみない? きっとひとりでその気持ちに向き合ったら耐えられないと思うけど、私と一緒ならダメかな? それに、わからないことがわかるようになったら、自然と対処法だってみつかるかもしれないし……』
――そして、フレミシッテは断った。
「じゃあなに、スゥファリィはこれをひとりで考えて、答えをみつけたっていうの?」
「ボクひとりじゃないよ。ボク一人だったら、きっとどうにもできなくて、何もわからないままで、見当違いなことを考えてたんじゃないかと思う。紡ぎ手に話して、整理したことで、ボクは気づくことができたんだ。これは、きっと答えを教えてもらっても理解できるものじゃないと思うし、教えてもらうべきじゃないと思う。だって、こういうのは――」
茶化すわけでもなく、台本があったわけでもなく、至ってスゥファリィは真面目な顔で答えた。
フレミシッテの紡ぎ手と同じ表情、同じ言葉で。
『こういうのは、考える過程が大事だと思うんだ』
「——そんなの、わかってるッ!!」
フレミシッテの感情が荒れに荒れ、無意識のうちにあたりが火の海に包まれる。芝生が焼け、熱風が頬を撫でる。
「そんなのわかってるわよ! でも、だけど、それができないから困ってるんじゃない! それのやり方がわからないから言ってるんじゃない! なんでみんな私に考えさせようとするの!? 私はそんなことまで考えることなんてできないのに!」
「フレミシッテ、落ち着いて。お願いだから。——っ」
スゥファリィの苦悶の感情をみて、一瞬でフレミシッテの感情が沈静化した。ふっと火の海が消え、ちりちりと芝生の焼ける音と臭いだけがする。
スゥファリィの頬が火傷している。痛そうにしているが、スゥファリィはフレミシッテの目を離さなかった。
ただ。
「ちが、違うの。私、そういうわけじゃ」
「だ、だいじょぶ、だいじょぶだから――」
「——っ!」
瞬間、フレミシッテは、感情のままにその場から駆け出した。
わからない、わからない。どうしてあんなことをしてしまったのか、どうしてこんなことになってしまったのか。
紡ぎ手との面談の時にもフレミシッテは感情を荒らげてしまったことがある。しかし、流石に暴力に訴えることはしなかった。そんなの、まるで正しいことと思わないし、声を荒らげるのだって望んだことではなかった。
自分が分からなかった。自分が自分じゃないかのようだった。
(こんなの違う、こんなの、あたしじゃない!)
フレミシッテはわけも分からないままに走っていた。視界の端々で人々が驚いているようにもみえたが、フレミシッテの記憶からは直ぐに消える。
途中、制止の声も振り切り、いつの間にか森の中を走っていた。
目的地なんてない。ただ感情のままに走って、走って。
そうしてたどり着いたのは――
「…………」
そこは、フレミシッテが誕生した地。
目の前にはその時のクレーターがあった。
フレミシッテは力なく座り込む。そして、気づけば涙を流していた。
「わかんない、わかんないよぉ……あたしは、何がしたいのよ……」
フレミシッテの弱音。彼女が初めて漏らす、本当の心の内。
「お願いだから、誰か教えて。誰か、あたしを導いてよぉ……」
その声を待っていたのかもしれない。
たまたまそのタイミングで現れただけなのかもしれない。
しかし。
「ああ、勿論だとも」
声がした。
濡れる視界でフレミシッテは周囲を見渡す。
そうして、すぐ目の前で誰かが立っているを認めた。
「やぁ、久しぶり。ようやく迎えにくることができたよ、フレミシッテ」
男であるのに長い髪、男であるのに女のように優しい顔立ち、筋肉質とは程遠い痩せこけた細身、鼻をくすぐる独特な香り。
「とても苦しい思いをしてきたね。不相応なくらいに頑張ってきたね。君がそんなにも頑張る必要なんてないはずなのに。本当に、頑張ってきたよ。心細かっただろう?」
「あ……」
フレミシッテは声を漏らした。漏らすことくらいしかできなかった。
何故って。
「だけど、大丈夫。もう、これ以上頑張る必要なんてないんだ。不必要に考える必要だって。今度こそ。これからは、僕が君のすべてを導いてあげよう」
今、フレミシッテが望みに望んでいた存在が現れるとは思わなかったから。




