To doと歪みの手前
時間が過ぎ、夕刻が近づいてきた。この土地は昼が短く夜が長い。
エンプティ・タワーに来て8年。今では慣れたが、それでも時々「もう夜になるのか」とこぼしてしまう。
今この瞬間も、アルクのこぼした言葉でフェイとエリシアがはっとした。
「ありゃま、ほんとだ」
「き、気づかなかったです……」
それだけ全員が集中していたという証拠になる。
中央に置かれた用紙には細かくフレミシッテに関する情報が記載されている。とはいえ、エリシア自身会って数日であるのだから、わかる情報は少ない。それでも、その情報を基に考えられることはいくらでもあった。
「ひとまず確認すること、することは明らかになったと言えるか」
紙にまとめたのはエリシアだ。アルクやフェイが好き勝手議論し合う内容を必死に書き留めたために汚くなった字で次のように記載がされている。
――――――――――――――――――――
【確認すること】
・顕能について(どんな内容のもの? 殺傷能力の有無は? コントロールはできるか?)
・具体的な思考回路(性格は? 何を重視する? 物事の対処の仕方は解決志向型・情緒志向型どっち? 喜怒哀楽のタイミングは? 知的能力とそこから想定される精神年齢は? 内省はしやすい? 楽観的・悲観的? 悩みに対して行う感情表出は?)
・対人関係能力(人付き合いは良い? 苦手なタイプは? 会話は好き? 話題の傾向は?)
・身体スペック(運動能力は?)
・趣味嗜好(好きなもの・嫌いなものは? 興味・関心の対象は?)
・仕事への意欲(積極的・消極的? 完璧主義・妥協型?)
・………
・……
・…
【すること】
・顕能の確認(同上)
・初回面談→初回面談報告書の作成→星見手への提出
・デイリー業務を覚える
・詠星へ塔内の説明
・………
・……
・…
――――――――――――――――――――
「はぁ……いつの間にか、こんなに……」
「詠星の支援は初めが一番大変と言われている。とにかくやることは多いし考える事は多いし、その癖不安は尽きないしと、大抵何割かは裏で吐きそうな顔をしている。逆に言えば、これを乗り越えることができれば、ほんの気持ち少しだけ楽になれる」
「ほんの気持ちだけなんですか……?」
エリシアががっくしと肩を下げた。
「それでもまだ最低限のものだけどねー。本当なら導き手がフレミシッテに与えた影響も確認しておきたいし。スゥファリィがフレミシッテと接触した時の話を聞くと、結構影響は大きそうだし」
「そうだな。思考が誘導されているように感じる。当面何でどうしてと質問が絶えないように思うが、一般的なものに関しては答えて良いとして、フレミシッテ自身のことについては内省を促した方が良いだろうな」
「表情は豊かそうな子だよね。実は結構外交的だったりするのかな」
「燃えるような赤で統一された外見だしな。怒りのや情熱といった言葉に関連する可能性は充分有り得るな。スゥファリィからもやりとりを聞くことがあるが、よく話すそうだ」
「そうなると感情のコントロールが上手くできるかちょっと心配かも。衝動性とかでたときが大変だよね」
「その場合はタイム・アウトを試してみるか、内省の力が強いなら、思考を活性化させて感情の舵取りをさせてみることになるか?」
「あ、あとスゥファリィとの接触はどうするの?」
「特に禁止するつもりは無いさ。お互い支援中の詠星で不安定なところはあるから悪い方向に相互作用が働かないかが心配ではあるが、近しい外見年齢の相手は紡ぎ手とはまた別の関係が育めるかもしれない」
「友達は大事だよね! じゃあ、今回のことでスゥファリィの支援の方向性にーー」
瞬く間に談義を再開させたアルクとフェイ。
あわわ、とエリシアが筆をとった。
結局、検討が終了したのはそれからさらに時間が過ぎ、すっかり夜になってからだった。
「あ、ありがとうございました……」と掠れたように言うエリシアは気のせいでなければ大分げっそりしている。
「お疲れ様。詰め込みすぎたな、すまない」
「メモ、凄い大変だったよね……でも、これで現時点で考えられることは大分考えられたんじゃないかと思うよ!」
「でも、お腹すいたぁ」とフェイが手足を投げ出す。
「そうだ! このまま皆で食堂にしゃれこまない?」
「俺は構わないが……」
アルクはエリシアをみる。
頭が沸騰したようにふらふらと所在なく彷徨わせて居たエリシアであったが、暫くしてフェイの言葉を咀嚼することが出来たようで「い、行きます……」と力無く言う。
「よし、決定!」とばっと立ち上がったフェイが扉を開いて振り返る。
「ほら、行こー!」
「とのことだが、行けるか?」
「た、多分」
疲れもだいぶ溜まっているようだ。メモした書類を大事そうに抱えながらでていくエリシアにアルクは少し懐かしさを感じていた。自分も初めはこうだったのだろう。
食堂は時間も遅めであるからか、人もまばらだった。
ただ、足を踏み入れると同時に異様な雰囲気に包まれていることに気づく。
それはフェイもエリシアも同じようで、フェイは少し目を細め、エリシア「あれ?」と現在の空気感を指摘する。しかし、声を発する前にアルクが身振りで制した。
状況を確認する。一見すると紡ぎ手も詠星も変わらないような表情だ。しかし、意図して変わらない表情をしているのがうかがえる。
時折ちらりと。特定の方向を気にしているのがわかる。
その視線の先では一組の男女がテーブルを囲んでいた。どうやら紡ぎ手の男と詠星の女のようだ。ただ、横あいから見える表情は仲睦まじいとは程遠い。紡ぎ手の方は必死な顔をしている。対して詠星の方はどこか呆然とした感じでただならぬ様子であるのがうかがえる。
全力で耳をすませば、ぶつぶつと詠星呟いているのがきこえる。
「ーーなので、私はひとひらの花弁に過ぎず、結局大輪の一部でしかなくて、私が抱えるこの思いは全く見当違いなものだったのでしょうか? 私は寄り添うことでは何も得られなくて、食い破り腹に収めることが唯一の近道だったのでしょうか? この気持ちは決して哀愁という言葉で定義できるものではなくて。私が望んだ評価は周りの誰もしてくれないから、私自身がーー」
「違う、それは違うんだ、パッフィネ! 君がどれだけの哀しさを抱えているかはよく分かっている! 無理して哀愁を誇示する必要は無い、無いんだ!」
「ーーに近づき、私が本当の意味に至るには、私自身で全てを引き起こす必要があるのでしょうか? 全ての人に私の哀しさを知ってもらうには私が教える必要があるからにして。つまり私がーー」
「パッフィネ!」
紡ぎ手の悲痛な叫びが食堂に響く。この段階で、食堂にいる一部の紡ぎ手が腰を落とし、何時でも走り出す準備を始めた。そして、多くの詠星が不安、心配を湛えた瞳で見守っている。
「……まずいな。詠星もそうだが、紡ぎ手に冷静さがない」
「うん。それに詠星はもう曲解の渦に閉じこもっちゃってる。これじゃあ普通の言葉はもう届きそうにない……」
アルクとフェイが冷静に分析する中、エリシアは顔面を蒼白とさせ、震える声で「なんで」とつぶやく。
「なんで……だって、ここはエンプティ・タワーで……紡ぎ手だってこんなにいて……なのに……なのに、どうして詠星が歪みそうになっているんですか……!?」
エリシアの声音は信じられない、という意味をこれ以上もなく孕んでいた。
少し前に話題になったばかりの歪み、その症状がこの詠星に見られていた。
恐ろしいのは、大分状況が進んでしまっているということ。一体食堂という空間でどうしたらこのような状態にできるというのか。
一度歪んでしまった詠星は二度と元に戻ることはできない。
つまり、今を逃せばもう介入の機会はなくなる。それでも周りの紡ぎ手や詠星が何も動かない、それどころか武器に手を触れているのは、こうなった詠星を赤の他人が戻すのは実質的に不可能であるからだ。
何も知らない詠星に、一体どのような言葉を投げかけろというのか。なまじ、下手に介入して悪化させてしまう可能性だってある。そのために、周りの人々は担当の紡ぎ手が光明を見出すのを願うような面持ちで見守ることしかできなかった。
そして、それはフェイも、アルクも。
否。
「……ねぇ、アルク」
「わかっている」
即座に動いたのは、唯一にしてアルクだけだった。
「どうしてこうなった?」
アルクが紡ぎ手と詠星の傍に座る。
突然の登場に紡ぎ手が目を白黒とさせる。そして、次の瞬間には疑問符でいづぱいの顔を浮かべた。
「は? いや、あんた、何を――」
「今の状況をどうにかしたいと思うなら、どうしてこうなったか、教えてくれ」
紡ぎ手の疑問をさえぎり、淡々と、感情をこめないようにアルクが問いを重ねる。
それだけでも紡ぎ手は少し冷静さを得たのか、しかし尚も何かを言い募ろうとして――被りを振った。
「……いきなりだったんだ。今後の予定を食事をとりながら決めていて、突然パッフィナが『胸が哀しい』と言ったんだ。誕生してからよく言う言葉だったから、大丈夫、気のせいだって伝えて……いつも、こういえば『そうですよね』と返してくれていたのに、今回は何も返事がなくて、『そうでしょうか?』って。それで段々と表情が平坦になって、独り言を言い始めて……」
「……なるほどな」
内心、大きなため息をつき、目の前の紡ぎ手を罵倒する。
(この、馬鹿野郎が)
苦しさを伝えてきたのに、それを大丈夫と、気のせいと? まるで受け止められた気持ちになれない言葉をどれだけこの詠星は寛容な心で受け流してきたのか、この紡ぎ手は気づいてないとでも言うのだろうか。
しかし、アルクは何も指摘せず、今は確認すべきことのために口を開いた。
「支援期間は?」
「ご、5カ月」
「言葉はもうわかっているのか?」
「い、いや、わからない。ただ、哀しいって言葉をよく使うから、哀しさとか哀愁とかの意味だろうって考えてはいて」
「そうか。想像するに性格は悲観的な面が強いか?」
「あ、ああ。抑うつ傾向も高い」
「そうか」
最低限はきいたとアルクは詠星パッフィナをみやる。彼女はアルクの存在に、否、周りのすべてに気づいていない。瞳の光は失われかけ、平坦な顔で空をみつめている。それでいて、口だけは動いて抑揚のない思考を発露している。
「——胸の奥が哀しいです。哀しいけど理解はされません。どれだけ多くの言葉を重ねても他人に伝わることのない感情は水を掴むがごとき虚しいもので、理解されたいほどに遠くに行ってしまって、だからただ受け止めるだけでは何も進むことはないから私が教えてあげないといけないのでしょうか? 終わりのみえない現状に――」
徐々に、パッフィナの気配は揺らぎ始めている。
恐らくは自身の中で、ひとつの曲解がなされようとしているのだろう。それがパッフィナにとって確信に変わった時、彼女はもう支援される詠星ではなく、浄化しなくてはいけない災厄となってしまう。歪に解釈した言葉を真実であると証明するためにあらゆる表現を始める存在へと。
故に。これ以上の悪化は認めてはいけない。
アルクは姿勢を正す。そして、パッフィナの内言をききつつ、口だけ動かす。パッフィナの思考を予想し想定される言葉を見出す。
そうしてーー
「——世界は私をみてくれないのでしょうか? それならどうすれば私を世界はみてくれるのでしょうか? 私に今できることはきっと――」
「「きっと、私自身がこの感情を形にすることなのでしょうか?」」
パッフィナの言葉にアルクの声が重なった。パッフィナもアルクも発する言葉は同じ。しかし、パッフィナの声音平坦としている一方で、アルクの声音は異常な程に悲愴という感情が乗っている。
男の紡ぎ手が驚愕に目を見開く。アルクの声音にも驚いたのだろう。しかし、それよりも驚いたのは、きっとアルクがパッフィナの独白を引き継いだからだ。
アルクはそのままパッフィナの言葉に伴奏するように続ける。
「「哀しさは伝わりません。哀しさは伝えられません。みえないものを、人はみてくれません。だから私の想いもみてはくれないのでしょうか? どれだけ言葉を尽くしたとしても、どれだけ行儀のよい淑女であろうとも、私はただ流されるだけで、哀愁漂う流浪の鳥であるのでしょうか?」」
アルクが言葉を紡ぐにつれ、徐々にパッフィナの口数が減じてくる。
同じ内容を話しながらきくという感覚に、身体的な乱れを感じているのかもしれない。
「「私は誰かに哀しさを理解してほしくて、誰かの傍にいればそれが叶うと思ったのでしょうか? 結局時間が過ぎても私はずっと最初のままで、進むと思っていた時間も進むことはなくて、私のみじめさだけが心にのしかかって、私がこれだけ苦しくなったのは、私自身のせいになってしまって、それなのに、私に希望は何もなくて、ずっと暗い日々の中で、深海に溺れるような心地になるのは、本当に私のせいなのでしょうか?」」
言葉が紡がれる。
「「私のせいだとするならば、私が責任をとらなくてはいけなくて、私が私の言葉の意味をみつけることで、やっと私は私の哀しさを誰かに伝えられる気がして。私のことは誰も理解できないから、私がすべてを教えないといけないから」——だけど、目の前の男はどうして私の想いを言葉にできているのでしょうか?」
アルクの言葉に、初めてパッフィナが明確に反応した。また、ここで初めてアルクはパッフィナが口していない言葉を紡いだ。
パッフィナは肩を一瞬震わせ、焦点の合わない瞳をアルクへと向ける。
しかし、アルクはその変化を指摘するわけでもなく、朗々と言葉を紡ぐ。この時点でパッフィナの口が停止する。
「私は何度も私の想いを伝える努力をしてきました。私は幾度も感情を表現する機会に挑戦してきました。ですが、どれほどの試行を重ねても、私が満足できたことはありませんでした。だから私は言葉に意味はないのだと気付くことはできました。すべては行動によって示されるのであって、言葉に意味はないのでしょうか? ——それなら、どうして私は想いを口にしているのでしょうか?」
また、ぴくりとパッフィナの肩が揺れる。
瞳も揺らぎ始めた。息の合間に、こぼれる様にして「あ……」という音が漏れたようにも感じた。
「私の胸は哀しさで満たされています。私の哀しさが和らぐことはないのでしょうか? 私は哀愁に満ちた海に溺れることが正しいと考えました。——それでも、窒息したくないと思ったのはどうしてなのでしょうか?」
「——声を、だし、たい、から?」
ついには、パッフィナの口から意味を孕んだ言葉が漏れた。
されど、アルクは言葉を紡ぐ。
「私は散々我慢を重ねて、私の想いが届くことを願って、淡い期待に引きずられながら、今日という日を迎えました。青い感情に支配されて、何もかもがみじめで粗末に感じて、私のことなんて誰も気にしないからと、もう誰かの言葉に耳を貸したくなかったのでしょうか? ――だというのに、どうして私はこの男の声をきかずにはいられないのでしょうか?」
「——わたしの、いいたいことを、はなしている、から?」
「私のことを理解してくれる人は誰もいません。私は孤独で私は寂しい。光の届かない洞窟の中で膝を抱える童のように、震えて何かが変わるのを待つしかないのでしょうか? 私に手を差し伸べてくれる人もいません。私を見てくれる人もいません。私の心はずっと哀しくて、私の胸は哀しいです。——それでは、この男の隣にいる私の紡ぎ手は、どうしてそんなにも気遣うような目で私をみているのでしょうか?」
パッフィナが、担当の紡ぎ手をみる。紡ぎ手は、今にも泣きだしそうな顔でパッフィナを見詰めていた。
「私の想いを伝えるのは難しいです。私はこれからも胸が哀しくなるでしょう。——ですが、本当にひとりで抱えるしかないのでしょうか?」
「——」
パッフィナはもう、何のつぶやきもしていなかった。
ただ、凪のような目で紡ぎ手を見詰める。
やがて、一筋の涙がパッフィナの目からこぼれた。
「——紡ぎ手さんは、まだ私を、見捨てないでくれてますか?」
「っ! ああ、ああ! 見捨ててない、見捨てるわけがない!」
その言葉は、確かにアルクの耳にも真情であるのが伝わってきた。
風圧すら感じてしまいそうな紡ぎ手の声音に、パッフィナは静かに「……よかったです」と漏らす。そうして、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。
「これからも、よろしくお願いします」
そう言い残して、パッフィナの体が傾く。即座に紡ぎ手がパッフィナのもとにまわり、その体を支える。
目の前でパッフィナの状態を確認したアルクはふぅ、と息をついた。
「不安定な状態から少し安定した状態に戻った反動で気を失っているだけだ。歪んではいない」
「そ、そうか……そうかぁ……」
震えるような声で紡ぎ手が言葉を返し、次いで泣きじゃくるような声が漏れ始めた。
紡ぎ手もまた安心したのだろう。
アルクも気を楽にしたいところだが、その前にすることがある。
「誰か、担架をも――」
「もうすぐくる!」
持ってきてくれ、と言おうとしたところで、様子を見守っていた紡ぎ手のひとりが声をあげた。
「お前が出張った時点で人をやってる! なんなら癒し手も呼んでる最中だ!」
「了解だ! 助かる!」
みれば、顔なじみの紡ぎ手だった。
行動を読まれていることに恥ずかしさを感じるものの、ことここに至っては頼もしい。
なら、後は到着を待つだけか、とようやくアルクは肩の力を抜く。そのまま、泣きじゃくる紡ぎ手をみやった。
「泣いているところ悪いが、支援は今回何回目だ?」
「ま、まだ、2回目だ」
「そうか。だとしたら、今回の件は肝が冷えてしかたなかっただろうな。お疲れ様」
「い、いや、むしろ、本当に助かった。あんたがいなかったら、もしかしたら――」
「歪んでいた可能性は、十分にあっただろうな」
アルクの実感の籠った声音に、紡ぎ手が顔を固くする。
「今回のことを戒めると同時に、先輩として助言だ。どのような言葉であっても、一度受け止める癖をつけた方がいい。すぐにそれは大丈夫であるとか気にするなとかと言ってしまうと、どれだけ心をこめたとしても、相手は受け取ったと思ってもらえない。まぁ、そのあたりはパッフィナの断片的な独白からも感じられたと思うが」
「ああ……ああ、本当にそうだ。これからは、絶対にそうする……」
「それとわかった、という言葉の使い方も気をつけた方がいい。全然話をきいてないのに、あなたの気持ちはよくわかる、というのは煽りでしかない」
「そうだよな……俺、これまで、ずっとパッフィナに酷いこと言っちまってた……」
アルクは安堵の息をつく。この紡ぎ手は、内省自体はできていそうだったからだ。その内省がこの場限りのものでないかは心配なところであるが。
そうこうアルクが紡ぎ手に助言を伝えていると、あわただしく担架を担いだ保健治療室の救護班が到着した。彼らはてきぱきとした所作で大事にパッフィナを乗せると、一刻を争うがごとく速度で保健治療室に向かう。
その後を紡ぎ手も追いかけ、止まる。
アルクの方へと紡ぎ手が振り返る。
「なぁ、あんたの名前を教えてくれないか?」
「アルクだ」
「アルク……アルクだな。俺はバァジ。いつか、この大恩を返させてくれ!」
そう言い残して、紡ぎ手バァジは走り去った。
食堂に残った紡ぎ手や詠星は喜びの声を挙げる者、拍手をする者、あからさまに安堵の息を漏らす者、その場に座り込む者と様々であったが、そうじて食堂は明るい雰囲気に包まれることになった。
アルクもまた達成感に脱力しているとテーブルにことん、と飲み物が置かれる。
「お疲れ様。さすがの腕前で嫉妬しそう! その腕ちぎって食べてもいい?」
「猟奇的にもほどがあるだろう」
フェイだ。恐らくはあえてそのような完全なる冗談を口にしたのだろう。アルクは苦笑で返し、飲み物を流し込む。話過ぎて痛んだ喉が潤う感覚だ。
後ろからはエリシアが安堵し、少し涙ぐんだ顔で近づく。
「本当に、よかったです。もうだめかと思って……アルクさん、とってもすごかったです」
「いや、たまさかうまくいっただけだ。何事もなく済んでよかった」
「そのたまさかが何回も続いてんだからアルクの実力でしょ! よっ、女誑し!」
「その評価は違うよな!?」
「だけど」と目尻を拭いながらエリシアは疑念を口にする。
「どうして、あの詠星はこんなことになってしまったんでしょうか?」
紡ぎ手がいて、しっかりと支援も入っているのにどうして、ということだろう。
「原因は明らかで、紡ぎ手の言葉がけが正しくなかった」
「え……じゃあ紡ぎ手のせいで、詠星はあんなふうになったんですか!?」
きっと、エリシアの中では、詠星に紡ぎ手がつけば歪むことは無いと思っていたのかもしれない。
しかし、アルクは首を振ってその考えを否定する。
「紡ぎ手は支援者だ。しかし、だからこそ紡ぎ手は詠星に多大な影響を与える。どれだけ紡ぎ手が詠星の意志を第一に支援するとしても、その影響から逃れられない。紡ぎ手の関わり次第ではこうなる可能性もある。だから、紡ぎ手は全ての発言に責任を持つ必要がある。……とはいえ、今回のは紡ぎ手の経験不足もあったかもしれないが、それにしても食堂で歪みが生じかける、というのは前代未聞だ。この後はたっぷりと前指導者から叱咤が入るだろうな」
「……じゃあ、私が間違ったら……フレミシッテも……」
エリシアが途端に不安げな顔をする。
このように考えているのだろうか、とアルクは想像する。自分が支援に失敗すれば、フレミシッテは歪んで、後戻りのできない状況になってしまうのではないかと。
「……それを回避するために俺やフェイがいる。逆に失敗を恐れて詠星の言葉に何も返せなくなれば、それも大問題になる。少しずつ、フレミシッテの傾向を掴んでいこう」
「……はい」
それで一旦はエリシアも落ち着いたようだった。
アルクは再度、深く息をつくと天井を見上げる。
(久しぶりにこんなことしたな)
その反動のために。
――私は暗がりの海に漂っていて、変わらない景色に嘆くことしか出来なくて、誰も助けてくれないなら私が泳ぐしかなくて、私が望んでいたものは遠くなっていくだから、私に――
パッフィナの思考がまだ、頭から漏れてくる。
頭痛を抑えるように、アルクはこめかみを強く押し、食事をとるために立ち上がった。




