夜勤明けとその後
「さて、と」
アルクはふと、懐から青色の固形物を取り出すとマッチを擦り、燃やす。何の抵抗もなく燃え始めたそれはやがて、青い煙を吐き出し始めた。
もくもくと青い煙が昇っていく。
恐らくここに詠星が落ちたことは本部も気づいているだろう。通常であれば一部の紡ぎ手が保護に駆り出されるが、今回はアルクがいた。
この青の煙は言ってみれば「詠星の保護は完了。追加の人員派遣は不要」という信号である。不要であるのに現場に向かわされるイライラというのはアルク自身よく身に染みているため、信号は必ずだすようにしている。
その後、拠点に戻るためにアルク一行は森の中を歩いていった。
幸い、道中で屑想に遭遇することはなく、さらなる残業にはならなかったのは本当に救いであった。
もっとも、敵がでなかったためにトゥルーからは「こんなことなら、トゥルーがおんぶしても良かったのですよ!」と文句を言ってきたということはあったのだが。
当の少女、スゥファリィはすっかり眠り込んでしまって「すぅ……すぅ……」と寝息を立てていた。一応腕は後ろに回して落ちないようには支えているものの、寝ているのに首元に回した腕をがっちりと離さないのはさすが詠星といおうか。いや、こんなことで詠星の身体能力のスペックを賛辞したくないと思うアルクであった。
そうしてしばらく歩き続けた結果、みえてきたのが、いくつもの塔と建物を導線で結んだ巨大な建物群であった。
「やっとみえてきたな」
「なんどみてもおぞましい雰囲気なのですよ。魔王とかでてきてもおかしくない見た目なのです」
【エンプティ・タワー】。
それがあの建物群の名前だ。人によっては中央の塔を除き、6の塔と6の建物があることから【時計城】と呼ぶ者もいる。
ここがアルクの所属する組織の本部であり、現在の拠点でもあった。
トゥルーの言う通り、見た目は爽やかな感じというよりは禍々しいと言った方がただしいかもしれない。黒色に近いレンガが使われていたり、青紫の篝火が焚かれていたりと、とても人をウェルカムするような感じではない。
何でも大昔の詠星の想い主を参考につくったのだとは言うが、どこまで信憑性があるのかはわからない。
そのエンプティ・タワーには小さな街が広がっている。とはいえ、まだ朝と夜の境であるため、人の姿はほとんどない。
それでも勤務時間から考えると、通常よりも遅い時間での到着のため、関門はすっかり開いていた。
警備員の詰め所に向かい、アルクは顔をだす。
「どうも、哨戒から帰りました」
「おう、アルクか、お疲れさん。じゃあいつも通り接敵した屑想の数の報告を頼む。ああ、それと、お前さんの哨戒地域から青の信号がみえたがおま――」
ひとりの警備員が紙を持ってくるが、アルクの背中に眠っている少女の姿をみてとまる。
「お前さん、その娘、どっからさらってきた? いや、いい。申し訳ないが、拘束を――」
「いや、さらってきた訳ではないんだが」
「なに? じゃあまさか……娘か? お前さん、いつのまにそんなに大きな娘さんを……いや、それよりも任務につれていくなんて――」
「娘でもないんだが!」
言わんこっちゃない。
見事に誤解されてしまっている。
「さっき言ってくれたように青の信号をだしたのは俺だ。それで察してもらえると助かるんだが……」
「……ということは、だ。その娘が詠星か?」
「ご名答」
「はぁ~。こんなに小さな娘はかなり久しぶりなんじゃないか。トゥルーちゃんよりちいせぇじゃねぇか」
矛先を向けられたトゥルーがぷくりと頬をふくらませる。
「確かにトゥルーも小さいですけど……でも、トゥルーは大人のレディなのですよ!」
しかしその言葉は「ははは」という警備員の愛想笑いによってうやむやにされてしまった。
「んじゃあ、詠星の保護はアルクがしたってことだな。そしたら、一応こっちの書類も書いてくれ」
「了解」
詠星の保護を行い、エンプティ・タワーに連れ帰ったことを証明する書類を記載し、警備員に渡す。
「よし、不備はないな。お疲れさん」
「お疲れ様」
「お前さん、この後はどうするんだ? やっぱり詠星生態部か?」
「いや、流石に夜勤明けに残業はしたくない……それに、この子もこの通り生まれたばかりなのか、深く眠っている。無理に起こすのも、だろう」
アルクの言葉に「そうか」と警備員は頷き「んじゃ、ゆっくり休めよ」とアルクたちを見送る。
「本当ならこのまま寮に帰りたいところだったが、ひとまず詠星寮に向かうか」
「はいなのですよ! 紡ぎ手さんがこっちにくるのはなんだか久しぶりなのですよ」
「まぁ、初めの時期ならともかく、今は何度もおしかけるのもだしな。距離感ってやつだ」
エンプティ・タワーには寮がふたつ用意されている。
ひとつは紡ぎ手や関係職員が寝泊りする職員寮。
そしてもうひとつが詠星が寝泊りする詠星寮である。
入口である6時の塔を抜け中央エントランスを東に歩く。
そうしてたどり着くのが四角い箱型の建物であり、3時の塔と呼ばれる、通称詠星寮だ。
それぞれの寮はさらに男子寮、女子寮に分かれている。
アルクは女子寮の玄関に垂れさがっているベルをチリンチリン、と鳴らす。
すると、しばらくして、ひとりの女性が現れた。
「おはよう、エルメンテ。朝早くにすまない。少しお願いしたいことがあってね」
「ただいまなのです、寮長さん!」
「おはよう、そしてお帰り。トゥルーも紡ぎ手さんも夜勤お疲れ様。で、お願いしたいことっていうのは、その子だね?」
エルメンテが目を向ける先にはすやすやと眠るスゥファリィの姿。
「話が早くて助かる。……別にさらってきたわけではないからな?」
「なんの心配をしているんだい。大方、新しい詠星なんだろう?」
「そう。流石に夜勤明けなのと、御覧の通り眠っているために詠星生態部にはまだ見せていない。加えて言えば、この子はまだここのものを何も見ていないから、起きた時に困惑する可能性が高い」
「なるほどね。じゃああたしはこの子のお守と、起きたらここの説明をしてあげればいいわけだ」
「本当に話が早くて助かるな……」
どこぞの警備員とは雲泥の理解度の差だ。
「それで、名前くらいはきいているんだろう?」
「ああ。名前はスゥファリィだ」
「スゥファリィ……ふむ、きかない響きだね」
「ああ、もしかすると、また新しい世界の詠星なのかもしれない」
「それはそれは。じゃあ、責任もってみてあげないとね」
とはいうが、エルメンテのことだ、どんな詠星であってもしっかりと面倒はみてくれるだろう。
「部屋は一旦あたしのところにしておこうかね」
「寮長さん、トゥルーも一緒に面倒みるのですよ! きっとこの子も、起きた時は知っている人がいた方が良いと思うのです!」
「トゥルー、あんたは夜勤明けなのに偉いね。そしたら、あたしの部屋で寝るといいよ。疲れはちゃんととらないとだからね」
「はいなのです!」
ひとまず、これで話すべきことは終わっただろう。
後のことはエルメンテに任せるとして、アルクはその場を離れることにした。
「それじゃ、一旦俺はこれで。また夜くらいに顔をだそうと思う。トゥルー、お疲れ様、おやすみ」
「お疲れ様なのでした! おやすみなのです!」
そして向かうは職員寮。
自分の部屋にたどりつくと荷物を投げ落とし、ふらふらとシャワーを浴びる。
そして、ラフな格好になると、「うぐぁ」とすべてを代表した呻きを残してベッドに倒れこんだ。
「つ、疲れた……」
仕事というのはせねば生きられない。もちろん、やりがいがないと仕事はつづかない。そういう意味では今の仕事は合っていると思うが、いかんせん、肉体労働が激しいのが問題。
「ふふ、しかし、今日は非番だ。眠、れ――」
アルク、動かなくなる。
ご臨終、ではなく、ご就寝である。
・
・
夜勤明けの睡眠は意外と早く起きてしまうものだが、こと紡ぎ手という職業においては、勝手に体が起きてしまう問題とも無縁。なぜなら、勝手に体がおきられないくらい疲れ果てているから。
あまりの疲労に体は休養を求め――目が覚めたころにはすっかり夕方になっていた。
「今、起きた」
寝起きの一言である。いったいアルクは誰に報告をしているのか。
「よく寝たが……夜も眠れるかが心配だな」
夜勤のよろしくないことは生活リズムをもどすのがちょっと大変というところ。
こんな時間におきるとなると、やや寝つきが悪くなってしまうだろう。
「本当なら今日はこのままのんびりと過ごしたいところだったが……」
しかし、残念ながら休日出勤である。寝る前に非番だなんて言っていたが、まったくもって夢物語である。
身だしなみをととのえ、しかし外出はないので、武器などは携帯せず部屋をでる。朝食兼昼食兼夕食をとると、そのまま詠星寮に向かう。
朝と同じようにチリンチリン、とベルを鳴らししばらく。
エルメンテが顔を出した。
「やぁ、紡ぎ手さん。待っていたよ」
「こんばんは。スゥファリィはどうだ?」
「まぁ、変わらずって感じかな。っと、部屋に案内するよ」
そう言って寮内に招かれる。
寮長の許可があれば男性であっても女子寮にはいることはできるのだが、代償として好気の視線がつきささる。
当然だ。男子禁制の寮に男がいたら、誰だって「おと、こ……?」とみざるをえない。
そんな視線に耐えつつも歩き、「ここだよ」と案内された部屋は、一言でいうなら落ち着いた部屋だった。
生活を重視したレイアウトといおうか。ところどころに植物が育てられていたりもして、大人の女性、というのを意識させる部屋だった。
そしてそんな部屋の片隅に退屈そうに椅子に座っているトゥルーの姿とベッドですやすやと眠るスゥファリィの姿があった。
スゥファリィは布団に隠れてうまくみえないが、トゥルーはかわいらしいパジャマ姿だ。これは……エルメンテの趣味だろうか。
アルクが部屋に入ってくると即座にトゥルーが反応し、笑顔を見せる。
「紡ぎ手さん、やっときたのですよ!」
「疲れがな……やっぱり最近、夜勤がきつくなっている気がする」
「それ、なんだかおじさんみたいなのですよ」
ぐさりと突きつけられる言葉の槍に心でしくしく泣きつつ、アルクはスゥファリィをみる。
「まだ、寝ているのか」
「そうなのですよ! 起こすのも可哀そうと思っていたのですけど、なんだかこのまま永眠しそうな勢いなのですよ!」
「そうだねぇ」とお茶菓子を持ってきたエルメンテも頷く。
「トゥルーもこの元気っぷりだろう? それでもこんなに起きないというのもねぇ」
まぁ、確かに、傍に「ですよー!」とうるさく騒ぐ少女がいるのに、我関せずとばかりに爆睡を決め込んでいるのだから、眠れるだけ眠りそうな気もする。
「ふむ……そしたら、一旦起こしてみるか」
同じようにスゥファリィの肩をゆすると「んん……」と声をあげる。
そうして少しして瞼が震え、やがて瞳がアルクの目をみつめた。
「おはよう、というよりおそようだな。体調はどうだ?」
「うん……あと1カ月……」
「おい、待て。木乃伊にでもなるつもりか?」
1カ月なんて寝ていたら餓死に脱水と死に至るコースまっしぐらである。というか、1カ月も眠れるつもりなのか、この少女は。
再度肩をゆすると、また目が開かれる。
「寝たい気持ちを否定するのは心が痛むが、君が起きるのを待っていたらこっちの寿命がつきそうな気がしてきた。申し訳ないが起きてもらってもいいか?」
「……んん……あと、2年したら……」
「寝るんかい。そして24倍に増やすな」
2年も寝たらいよいよ木乃伊である。
しかたなく布団をはぎとると「ふにゃあ」という情けない声がきこえてくる。
やはりスゥファリィもパジャマ姿のようだった。
「さ、起きる」とさらに肩をゆするとようやく鬱陶しいと思ったのか、「わかったよぉ」とものすごいしぶしぶとした顔で起き上がった。
「起きてくれてありがとう。さて、それじゃあまず、ここの説明から始めないとだな」
「ここ……?」
その言葉でやっとスゥファリィもここがどこかの部屋であるのに気づいたようだ。
こてん、と傾げられた首。
「ボク、また知らないところにいる」
「ここはエンプティ・タワーというところの詠星寮だ」
当然そんなことを言われてもスゥファリィが分かるはずもなく、さらに左右にこてん、こてんと首がかしげられる。
「と、まずは君自身の説明からになるな」
詠星を保護したとき、まず何が大変かといえばこの説明が大変なのだ。
話す内容を考えながら、アルクは口を開いた。