当事者と壁
「ふーん、スゥファリィ、スゥファリィね。あたしは、えっと、フレミシッテ、っていうみたい」
「みたい?」
「あたし、まだ誕生して2日なのよ。だから、なんというか、自分の名前がしっくりこなくて」
「そーだったんだ。ボクも誕生してひと月くらいだから、誕生日は近いねぇ」
中庭に2人の少女が座っている。
まずは尋常な自己紹介から。
「そうなの!? そうだったんだ……ちょっとだけ安心したかも」
「安心かい?」
「うん。だって、ここにいる人たち、みんななんかしっかりしてて。すごい前を向いて歩いてるの。なんか私がおかしなやつなのかなって思っちゃうっていうか……でも、あなたは雰囲気も他とは違うように感じたから。その正体は、あたしと同じで、誕生してからそんなに時間が経ってないからなのね」
「そーだねぇ。言われてみると、みんな安定しているような感じだよねぇ」
「そうなのよ! なんであんなにしっかりした雰囲気が出せるんだろう……」
「なんでだろうねぇ。多分、自分の言葉の意味を思い出せてるからじゃないかなぁ」
スゥファリィの言葉に「意味」とフレミシッテが繰り返す。
「あたしたちの名前には何かしらの言葉と同じってやつよね。ねぇ、スゥファリィは、自分の名前の意味って知ってる?」
「んにゃ、わからないよぉ。きっと、わかってたらもうちょっとしゃきっとできてるかもしれないしねぇ」
「そっか、そうよね」
そこで一旦会話が止まる。
ふと、フレミシッテの顔をみると、彼女は所在なさげに瞳を揺らして芝生をみつめていた。不安そうな顔だ。一体何がそんなに不安なのか、しかし、スゥファリィももしかしたら同じような顔をしているのかもしれない。
ただ、このまま時間が過ぎるのもあまり心地よくないと感じたスゥファリィは話を振ることにした。
「そーいえば、君はどこで誕生したんだい? ボクはA1地区っていう場所に墜ちたんだ」
「えっと、あたし、まだその何とか地区っていうの、覚えてなくて。それにあたしの場合、生まれた後がちょっと特殊だったみたいだから……」
「特殊?」とスゥファリィは首を傾げた。
「ええ。あたし、どうやら誘拐されてたみたいなの」
「誘拐。誘拐っていうと……もしかして、導き手に誘拐されたのは、君なのかい?」
フレミシッテの言葉に、驚きの表情で返したスゥファリィ。
すると、今度はフレミシッテも驚きの表情で返す。
「え、なんで知ってるの? 嘘、もしかして、結構有名になってる?」
「有名かはわからないけど、ボクも君を探すチームにいたんだよねぇ」
「そうなの!?」
「うん。そもそもボクたちが最初に君の星が墜ちてくるのをみつけたんだぁ。だけど、君の姿がなくて、誘拐なんじゃってなってたんだよねぇ」
「そう、だったんだ……」
世間は狭い、そう感じるスゥファリィだった。しかし、相手も同じことを考えているのではないだろうか。
「多分、本当はあなたたちに感謝しなくちゃいけないんだろうけど……ごめんなさい、あまり感謝する気持ちにならないの」
「別に感謝されたくてしたわけじゃないけど、何かあったのかい?」
こうして少し話しただけでもひねくれた性格をしているようにはみえない。そんなフレミシッテが感謝できないというのは何故なのか、気になった。
「その、昨日も紡ぎ手の人とかが、君は誘拐されていたんだって言ってたんだけど……正直、誘拐されたって感じがしなかったの」
「……そーなのかい?」
「だって、導き手の人、ずっとあたしを気遣ってくれていたから。初めっからあたしにすごい親切だったの。誕生して間もなくて、混乱しっぱなしのあたしに丁寧にこの世界のことを教えてくれて、導き手の仕事についても教えてくれて。君のことを支援したいって。乱暴に扱われることもなかったし、お付きの詠星の人も優しかったし……あたしにはやっぱりあれが誘拐には思えなくて。そんなときに紡ぎ手の人たちが押し寄せてきて誘拐だって騒いだから、あたし、何が何だかわからなくて」
「……そっか。それじゃあ、びっくりするに決まっているよねぇ」
当事者から話をきいたことで、スゥファリィは当時の状況をよりありありと想像することになった。
アルクは言っていた。どちらかが絶対に正しいわけではないと。それならば、もしかしたらその導き手は本当にフレミシッテを支援したいという、紡ぎ手と同じ気持ちであっただけなのではないか。
ただ、それでも、侵入禁止の土地に上がり込んできたことへの免罪符にはならないが。
「でも、なんで君を迎え入れようとしたんだろうねぇ」
「わかんない。……はぁ、なんか、色々わかんない。周りのことも、あたしのことも」
その言葉にスゥファリィは心の中で頷く。同じ気持ちだ。
「って、あ、ごめんなさい、あたしの事ばっかり。あなたのことも教えてよ」
「ボクかい?︎︎︎︎︎︎ だけど、ボクもイマイチ自分のことが分からないんだよねぇ」
「そうなの?︎︎︎︎ でも、もう誕生してひと月経つんでしょ?」
「ボクにとってはまだひと月って感覚かなぁ。今の生活には慣れてきたけど、ボク自身のことは……もしかしたら、もっと分からなくなったかも」
スゥファリィの言葉にフレミシッテが目を丸くする。
「なんで?︎︎︎︎ 紡ぎ手って人達はあたし達がもつ言葉の意味を思い出させてくれるんでしょ?︎︎︎︎ ってことはあたしたちのことを分かるようにしてくれるってことじゃない。なのに、それじゃ、逆効果じゃない?」
「うん……だけど、紡ぎ手は驚いてる感じではなかったよぉ。多分、スランプみたいな感じになるのはあるんじゃないかなぁ」
スゥファリィが少し苦い顔で言う。
「そうなのかしら……でも、あなた、なんか苦しそうよ?︎︎︎︎ あたしはそんな気持ちになるくらいなら、早く答えを教えて欲しいって思っちゃうかも。だって、その方が早いし、確実じゃない。あたしたちがそんな風に悩まなくちゃいけない理由ってあるの?」
「どう、だろうねぇ。でも、今僕が抱えているものは、誰かに教えて貰うべきものなのかは……なんだか、違うような気もしてる」
言葉にしづらい。表現したい想いや思考はあるはずなのに、上手く言語化できない。もし、これが面談の最中であれば、きっとアルクは今抱えている想いを言葉として明確化してくれるのではないだろうか。そんな想いがスゥファリィにはあった。
「ふーん、そうなんだ。そういうもの、なのかしら」
「多分ね。君ももしかしたらひと月経つ頃には僕と同じことを考えてるかもねぇ」
「それはちょっと怖いかも……そうだ!」
不意にフレミシッテが大声を出す。
「また、こうしてお話するっていうの、だめ?︎︎︎︎︎あなたも誕生日が近いし、だけどあたしよりも先輩だから、あなたのお話聞けたら、あたしも少しは先行きが分かるような気がするの」
「……うん、いいよぉ。ボクも、君と話すのは嫌じゃないし」
それに、フレミシッテと話すことで、当時の自分を振り返る機会にもなるのではないか、という想いもあった。
「ありがと!︎︎︎︎ じゃあ、あたし、今日は他にも塔の探索に行かなくちゃだから、また今度ね」
「うん。また、ここで」
そうして、さっとフレミシッテは塔の中に消えていった。
その後ろ姿が消えるまで見詰め、ふっとスゥファリィは息を吐く。
「……面談を先送りする意味、あったかもしれないねぇ」
少なくとも、あのまま面談を続けていれば今日フレミシッテに出会うことは無かっただろう。
彼女との出会いは何かしら、スゥファリィに影響を与える。そんな感覚が漠然とあった。
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・
ぼうっと夜まで中庭で過ごしたスゥファリィはその足で寮に戻ってきた。
部屋に入るとトゥルーが日記を書いているところだった。
「あ、おかえりなのです!」
「うん、ただいまぁ。……ボク、ただいまって言ったの、初めてかも」
「そりゃそうなのですよ。いつもトゥルーと一緒に帰ってきてるのですからね」
ととと、と近寄ってきたトゥルーがスゥファリィの全身をしげしげを観察する。
「……特に変なところはなさそうなのですよ」
「そりゃあ歩いてきただけだからねぇ」
「でも、スゥファリィの体にとっては大きな出来事だったはずなのですよ」
「足のマッサージしてあげるのです」とトゥルーがスゥファリィを椅子に座らせる。
「いやぁ、そこまではだいじょぶだよぉ。ボク、どこも痛くないし」
「筋肉痛は思わぬところからやってくるのですよ。それは人間も詠星も同じなのです。トゥルーも初めの頃は体に慣れず何度地獄を見たことか……」
「うごごご……」と頭を抱えていたトゥルーだが、頭を振ると優しくスゥファリィのふくらはぎを揉み始めた。
「……トゥルーの手はあったかいねぇ」
「それほどでもないのです。……もしかして、子ども体温って思ったのです……?」
「思ってないさぁ」
軽くスゥファリィは笑った。即座にそう思えるのはアルクくらいだろう。
そういえばと。スゥファリィの胸中に好奇心が湧く。
「そーいえば、トゥルーは紡ぎ手とはいつからの関係なんだい?」
「紡ぎ手さんとです?︎︎︎︎そうですねー……なんと、もう7年にもなってしまうのですよ」
その言葉にスゥファリィは軽く目を見開く。
「7年かい?︎︎︎︎それは、思った以上に長い付き合いだったんだねぇ」
「はいなのです。なんせトゥルーは紡ぎ手さんの初めての支援対象だったのですから、紡ぎ手さんがまだまだ青二才だった頃からの付き合いなのですよ」
「そうだったんだ」とスゥファリィは再度驚く。
「じゃあ、その頃のトゥルーはもっと小さかったのかい?」
「いえ、今とほとんど変わらないのですよ……変わらない、のです、よ……ッ!」
ゆらりとトゥルーの背中から幽鬼的な気配が漏れたような気がした。
スゥファリィもよく理解したことだが、トゥルーというのはどうしてか子どもの姿である自分に思うところがあるようだ。
スゥファリィなどはこのままでも良いと思ってしまう。ーー大きくなったら毎日自分の足で歩くことになりかねないし。
「詠星はそのあたり、人間とは違うのですよ。生物的な成長による外見の変化は無いのです。代わりに、心理的な変化によって外見に変化が訪れることはあるのです」
「そうなのかい?」
「はいなのです。詠星によっては大きく変化することもあるのですよ。それこそ、子どもが一気に大人になるとかっていう夢のようなことも有り得るのです」
「トゥルーはどうだったんだい?」
「……トゥルーにそれ、ききます?」
ぎゅむ、ぎゅむ、と強くなるトゥルーの言葉に「ごめんってぇ」と謝る。
ふくらはぎのマッサージも終わったのか、足の裏を今度は押し始める。
「でも、変化かぁ。それは、どんな時に起こるんだい?」
「なんといえばいいのでしょう?︎︎︎︎壁を越えたような感覚があった時なのです?」
「壁、かぁ……」
曖昧な表現をスゥファリィは繰り返す。
「壁……あっ」
そうして口の中で転がしていた違和感がふと、溶ける。
「ねぇ、トゥルー」
「なんなのです?」
「トゥルーは、自分のことを考えた時に不安な気持ちになることはあったかい?」
すると、トゥルーは「勿論あるのですよ」と答える。
「むしろ、それはすべての詠星にあるものなのですよ。多分スゥファリィは、今、こんな気持ちだと思うのです。自分がなにか分からない、考えることで何かわかりたくないことがわかってしまうのではないか、と」
「っ!」
トゥルーの内心を見透かすような言葉にスゥファリィは緊張で体を強ばらせた。
「なんで、わかったんだい?」
「トゥルーも同じくらいの頃にスゥファリィと
同じ気持ちを抱えたからなのですよ。さっきの言葉で例えるなら、それが最初の壁だと思うのです」
「これが……」
スゥファリィが自身の胸に手を当てる。
「トゥルーは……トゥルーは、どうやって……」
どうやって乗り越えたんだい?
そう尋ねようとしたスゥファリィだったが、ことばにすることはできなかった。
『でも、今僕が抱えているものは、誰かに教えて貰うべきものなのかは……なんだか、違うような気もしてる』
フレミシッテとのやり取りの中で自身が発した言葉が脳内に反芻した。
「わかってるのですよ。もとから答えは言うつもりはないのですよ。多分、その乗り越え方は教えてあげられるものでもないですし、トゥルーが教えて乗り越えるのは、多分正しくないと思うのですよ」
「今日のトゥルーは、なんだか少し大人だねぇ」
「いつもなのですよ」
ややあって、「よし」とトゥルーが手を離す。
スゥファリィが足をぷらぷらと動かせばしっかりと疲れがとれているのを感じる。
「でも、もし心の準備ができたのなら、紡ぎ手さんと面談するのはおすすめするのですよ」
「やっぱり、した方が良いのかい?」
「悔しいことですけど、自分だけではどうしても深くまでは行けないのです。どうしても詠星はその一歩手前で止まってしまうみたいなのですよ」
「そーなんだ。……じゃあ、やってみようかな」
「グッドラック、なのですよ」
足もよし、心も少し、良し。
「ありがとねぇ、トゥルー」
「どういたしましてなのです。スゥファリィも今日は、お疲れ様でしたなのです。今更ですけど、変なことはなかったのです?」
「うん。あ、でも、誘拐事件の詠星に会ってきたよぉ」
スゥファリィがそう言うと、トゥルーは目を丸くした。
「そうだったのです? それは驚きなのです。どんな様子だったのです?」
「意志の強そうな子だったかなぁ。あとは、導き手のことが気になってるみたいだったよぉ」
「導き手に、なのです?」
次いでトゥルーが眉を顰める。
「あまり、悪影響がないとよいのですけど……」
「だいじょぶなんじゃないかなぁ。話をきいてると、その詠星には変なことはしてなかったみたいだし」
「返す返すも何しに来たのかわかんないのがもやもやするのです」
スゥファリィもまた、何が目的で導き手はやってきたのか想像できない。ただ、その選択肢のひとつには、本当に支援したい気持ちがあったのではないか、そんな思いが心にひっかかっている。
しばらく考えていたトゥルーだったが、やがて頭をふるふると振った。
「ま、今は無事に保護されているのだから大丈夫なのですよ。ですけど、いつ何があるとも限りませんし、スゥファリィも気をつけるのですよ?」
「わかってるさぁ」
そのように、その日の夜は終わった。