保護と独白
エンプティ・タワーへと戻ったアルクたちはまず、スゥファリィを寮へ休ませた。
その後戦利品をゲトヴァリィへ献上したところ諸手をあげて喜ばれた。
「こいつは想定外だ!」という言葉はゲトヴァリィやアルクにかかわらず、今回捜索に参加したすべての紡ぎ手と詠星が思うことだろう。
後に聞いた話では、他にもさらなる証拠が次々と出てきたらしい。
詠星が川べりから上がったであろう場所の染み、そこから途中まで続く足跡、ラプラスに所属する紡ぎ手や詠星のものではない野営の跡、その傍で顕能を詠星の墜ちたところで確認された顕能の痕跡と同じ痕跡。
どれもこれも次の捜索を進めるうえで重要な証拠だ。
この時点で、有力視されていた詠星の誘拐事件であることが確定した。
とはいえこれだけでは詠星の居場所を突き止めることも、犯人を判明させることもできず、次にどのような調査を行うかが議論されるはずだった。
そんな中でアルク達が発見した誘拐された詠星のものと思われる髪の毛はあまりに大きな手掛かりであると言えた。
早速、ゲトヴァリィがとある詠星を呼んだ。『傍』の意味を持つ詠星、サビリだ。
「……いました」
会議室の一室。静かに述べられた言葉に室内が一瞬緊張を高め、弛緩する。
「そうか。そいつは今、どこにいる?」
サビリが地図の一点を指さす。
「A3地区の……ここは小さな山になっているとこだったか。なんでまたこんなところにいやがる?」
「確かに……B2地区からだと反対の場所だ。そんなことせずともそのまま東に進んでいれば今頃森の外にいただろうに、何故だ?」
「移動には川を使ったのかしら。それにしては今いる場所って川から遠いけれど。そのまま顕能を使って外にでればいいのに、どうしてわざわざそんな山の方に……体力が切れて休憩してる? それでもわざわざ川から離れることに意味を感じない。ねぇ、サビリ。誘拐された詠星って今も移動してる?」
女の紡ぎ手の言葉にサビリは首を振る。
「いえ、今もここに」
「そういえば野営の跡には2人分の痕跡があったな。ということは詠星と、何かしらの支援者か。もしかすると、複数人の運搬は難しいのかもしれないな。もしくは川に溶け込むのか泳ぐのかはわからないが、搭乗者の体力が持たないのか」
「山にはいくつか洞窟もあったと思う。そこで休んでるとか?」
「可能性は低くないな。が、なんだかな――」
紡ぎ手たちが揃って言う。
「「「何か変だ」」」
アルクも同じ思いだ。何か、胸につっかかるような感覚がある。
「……だな。イラつくが俺もそう思う。そもそも、こいつら、誘拐にしては証拠の隠滅が杜撰すぎる。突発的に動いたってならそれまでだが、仮にも詠星が動いてるんだ。そうさせるように指示させた支援者はそれほど馬鹿なやつではないはず。罠か?」
「どうだろうか。ただ、さすがにわざと証拠を残すにしても、川の中に落ちた髪の毛のことまでは与り知らないのではないか? そうなると、罠だとしても、相手方が見つかると想定している日はずっと後のはずだ。今なら意表をつけるかもしれない」
「それも否定しねぇ。が……」
ゲトヴァリィは地図をにらみつけると唸る。
「……参ったな。幸先が良すぎて、結果だけがわかって周辺情報が何も掴めてねぇ。恐らく相手はこっちに敵意を向けてくる。戦闘は避けられねぇ。とはいえ、相手の位置はつかめてんのに放置ってわけにもいかねぇ」
「そこについては、我々ですべて対処する必要もないんじゃないか? 戦闘に適した紡ぎ手と詠星に援助を頼もう」
「……ま、イラつくがその通りだな。適材適所ってやつだ」
そこで話はまとまったようだった。
方針としては戦闘に適した紡ぎ手と詠星のチームを派遣する。それと一緒に一部の捜索組が帯同し、誘拐された詠星の保護に動く。
今回アルクたちは待機組だ。スゥファリィという不安定な詠星を非認定機関の支援者に合わせるということでの悪影響を避けるためだ。
一昨日から働きっぱなしであり、休まる暇もなかったため、ありがたく待機することにする。あとは無事に詠星が保護されるのを待つばかりだ。
そうして翌日。ゲトヴァリィの提言は無事に認可され、星見手から詠星保護チームの派遣が通知された。
そして、その晩には、詠星が保護されることになった。
・
・
「え、ボクが眠っている間に全部終わっちゃったのかい?」
頑張った反動なのだろう。およそ2日を睡眠に費やしたスゥファリィは本日ようやくベッドから起き上がり、食堂でアルクたちと食事をしていた。その時にきかされた結果に、スゥファリィは目を丸くする。
「状況はちゃんと逐一報告していたのですよ。でも、スゥファリィはずうっと眠っててほとんど話をきいてなかったのですよ」
「お世話、というか介護も疲れたのですよ」と頬を膨らませるのはトゥルー。
「ごめんよぉ。それで、詠星が保護されたのはきいたけど、犯人は誰だったんだい?」
「ああ。【導き手】と呼ばれる支援者達だ」
アルクの言葉に「導き手?」とスゥファリィが首を傾げる。
「いくつかの小国で活動している【詠星支援・研究機関コーデ】の支援者だな。俺たちの支援スタイルとは異なり、積極的に詠星が出すきっかけを拾っては導き手が解釈していき、妥当な答えに導いていく。一時期は短期的な解決法が評判を呼んだこともあったが……実際には導き手の解釈次第で詠星の持つ意味が曲解されてしまうため、本当の意味というものに辿り着くことができなくなってしまう問題が出現した」
「そうなのかい? 早くに自分の言葉の意味がわかるなら、その方が楽な気がするけど」
「その方が良いと考える詠星も確かにいる。ただ、それにはいくつかの問題もある」
「例えば」とアルクは続ける。
「詠星の持つ意味を導き手が導く以上、詠星はその意味を受け入れるしかなくなる。導き手が君の持つ言葉の意味はこうだ、と言われれば、詠星はその意味を受け入れる。そこで生じた疑問や反論も、最終的には導き手の解釈にそぐわないという理由で、その考えは怪しいと却下される」
「逆に紡ぎ手さんたちはその言葉の意味をどう捉えるかの最終判断はを私たち詠星にゆだねるのですよ。主体と受動という違いがあるのです」
トゥルーが補足する。
「そうだな。導き手によって意味を導かれた詠星は自分が見出したものではない以上、導き手によって意味を保証されることになる。つまり、自分の言葉の意味に自信が持てなくなってしまうわけだ」
「『本当に自分の言葉はこれであっているのか。でも、導き手がこういうのだからきっと合っているはず』という感じなのです」
「そうして徐々に詠星は導き手がいなければ自身の在り方に安心できなくなる。一種の共依存のような状態だな」
アルクとトゥルーの説明によって、スゥファリィの目に理解の色が宿る。
「そういう違いがあるんだねぇ」
「どちらかが絶対的に正しい、なんて言うことはできないが、少なくとも俺たちラプラスの総意としては、支援者に依存した状態というのは正常な詠星の状態ではないと考えている」
そこまで話したところでスゥファリィは頷く。
「うん、犯人がどういった人たちなのかはわかったよぉ。それで、その導き手の人たちは、どうして詠星を攫おうとしたんだい?」
「目的ははっきりしなかった。相手は『導きが必要な彷徨い嘆く詠星に寄り添っただけ』と詩的なことを話していたくらいだ。そんな言い回しは【語り手】くらいにしてほしいところなんだが……」
「語り手?」
「それもとある支援者たちなんだが、話が長くなるからまた今度な。で、生憎紡ぎ手も導き手の言葉を間に受けるほど馬鹿じゃない。戦闘にもなったが、すぐに『また迎えにくるよ』と言い残して逃亡。詠星を攫いにきたにしてはあっさりとしすぎた逃亡だったらしい。連れの詠星も水に関する顕能があるのは確定だったようで、小さな沢の中に溶けて消えたようだ。現在は追跡チームが派遣されている。うまくいけば捕まえられるが……戦闘からも簡単に離脱してみせた技量からして、難しいかもしれないな」
「そーなんだぁ。なんだかもやもやが残ってる感じだねぇ。保護した詠星はどうだったんだい?」
「極度の混乱状態だったようだ。外見的な年齢はトゥルーくらいで、精神年齢も外見相応のものらしい。今は保健室で容態の確認をしている。今後は適切な紡ぎ手が割り振られることになるだろうな」
アルクが息をつく。
「今回の件については他にも色々問題が残っているが、それについては他の関係者や星見手にお任せだ。俺たちがすべき仕事としては終わりだな。お疲れ様。ゲトヴァリィもスゥファリィに大感謝と話していたぞ」
「えへへ。たまたまだよぉ。でも、無事に終わったのは良かったよぉ。ボクもすっごい安心した」
ふにゃりと笑うスゥファリィにもう以前の意欲の高さは感じられない。
「……さて、今回の件については片付いたということで、再度スゥファリィの支援に力を入れていくことになるが。よかったらここで一度、現在スゥファリィが抱えているものを整理したいと思っている。明日にでも面談ができればと思っているんだが、どうだ?」
アルクが尋ねる。すると、スゥファリィは一度固まり、そして視線を左右へと彷徨わせる。
「えっと……それは、しなくちゃダメなのかい?」
「できればした方が良いとは思っているが、準備ができていないというのであれば急かしはしない。 スゥファリィの意見を尊重したい」
その言葉にスゥファリィは俯いた。
「ボク……ボクは……」と小さく呟きがきこえる。しかし、答えを急ぐことはしない。
「……まだ、無理、だと思う」
「そうか。なら、もう少し面談は先にしようか。ただ、当然ひとりで抱えきれなくなることはあると思うから、その時は言ってくれ」
「……うん。ごめんよぉ」
「いや、謝ることじゃない」とアルクは首を横に振る。
「スゥファリィは別に、ただしたくないから先延ばしにしたわけじゃないだろう? 考えがあって先延ばしにしている。だとするなら、その時間はスゥファリィに必要な時間だと思ってるよ」
「……うん」
「さて、今日は休暇にしようか。仕事仕事だとあれこれ考える時間もなくなる。休暇申請はこっちでだしておくから、自由に過ごしてくれ」
その言葉にも「……うん」とだけスゥファリィは答えた。
・
・
トゥルーの背中におぶられていたスゥファリィ。
しかし、その途中でふと、スゥファリィがこう零した。
「……トゥルー、ボク、ちょっと歩いてくるよ」
瞬間、びくりとトゥルーの体が跳ね上がったのを感じた。
しかし、それを外にだすことはせず、「わかったのです」とトゥルーが降ろしてくれる。
トゥルーが向き直ってスゥファリィをみる。
「そしたらトゥルーもちょっと別のところに行ってくるのですよ。多分大丈夫だとは思うのですけど、もし疲れて動けなくなったら周りの人に助けを求めるのですよ?」
「うん、わかってるよぉ、だいじょぶ」
スゥファリィの目をみて、トゥルーが頷く。
「じゃ、またあとでなのです!」とトゥルーはどこかへと歩き去った。
途端ぽつりとひとりになるスゥファリィ。
「……そーいえば、ひとりになるの、初めてかも」
これまではいつもアルクかトゥルーか、そのどちらかは必ずいた。ましてや一人で歩くことなどなかった。
自身の足を見詰めたスゥファリィはそのままあてもなく歩き始める。
初めの頃は少し歩くだけでも汗をひどくかき、疲労をにじませていたが、今はアルクの特訓によりある程度は歩けるようになってきた。それでも、他の詠星や人と比べ脆弱な体力であるのは変わらず。それでも、今はこうしてひとりで歩けるくらいにはなっている。
「……ひとりになると、なんだか寂しいなぁ」
これはスゥファリィにとって初めての発見だが、どうやらひとりになると寂しくなるらしい。しかも、脳内にはいくつもの疑問が押し寄せ、たちまち心を不安にさせる。それをぶつける相手がいないのは、こんなにも辛いことなのか。
考え事。それは確かに形としてある。何より頭にこびりついているのは自分でも不思議なくらい固執していた”やると決めたからにはやらなければいけない”という思考。これはスゥファリィ自身、らしくない考えだと感じていた。おかしいではないか。これまで楽に楽にとやってきたのに、途端あれだけ熱意をもつなんて。
きっかけは間違いなくあの誘拐事件だ。
「……でも、ボクは、なんであんなにやる気がでたんだろう」
きっかけとなった出来事は誘拐事件。しかし、やる気のきっかけになったものがわからない。じゃあまた誘拐事件がおきれば同じようになるのかと言われれば恐らくならないだろうという感想になる。
「ボクは、なんで……」
それに、疑問なのは、スゥファリィがこの思考について考えを巡らそうとすると、やけに不安な気持ちが強くなるというものだ。何もこの思考で苦しんだ記憶もなければ、それほど大事にしたいと思える思考でもないはずなのに。それでも、この”やると決めたからにはやらなくてはいけない”という思考について考える時、不安、焦燥感、後悔、怒り、諦観、絶望、あらゆる感情がないまぜになったような感覚に陥る。一言でいうなら不快。
わからない。何故自分がそのような気持ちになるのか、わからないというのが本音だ。そして自分のことなのに何もわからない自分がとても気持ち悪く、不安だ。
ぐるぐると回る思考。いつの間にか外にでていた。
エンプティ・タワーの要所要所に設けられた中庭だ。空を見上げればゆっくりと雲が青空の中を流れている。
芝生の生い茂る中庭でぺたりと座り込む。穏やかな風がスゥファリィの頬を撫でる。
「なん、で」
次々と溢れ出る疑問。先程、アルクがスゥファリィに尋ねたこと。面談をしないかという言葉。本来あれは渡りに船だったはずだ。これだけ多くの疑問を、悩みを、一緒に整理できるというのであれば、何が何でも頷くべきだった。
それなのに。
「……こわ、くて」
怖かった。考えを整理していって、わからないことがわかるようになることで、何か、わからなければよかったのに、と思うようなことがでてくるのではないかと怖かった。先に進むことが怖かった。
「それなのに、何もわからない自分も気持ち悪いって……ボクは、どう、したいんだろうねぇ」
実にわがまま極まりない思考だ。あれもいや、これもいや、だけど安心できる結果はほしいだなんて。
誰かに答えを教えてほしい。しかし、これは誰かに教えてもらうものではないのではないか。
相反する考えがスゥファリィの胸中をうずまく。
アルクは言った。面談を先延ばしにしたいとスゥファリィがいったのは、きっとそれがスゥファリィにとって必要だからだと。しかし、本当にそうなのかという思いもある。これだけ悩み、考え、それでも、何もわからないだけが続いている。もし、この時間にも意味があるというなら、どういう意味であるのか。
「わから、ない、ねぇ」
わからない、それに尽きた。
そうして思考の彼方に意識を向けていたからか、スゥファリィは周りの気配にまるで気づいていなかった。
だから、「きゃっ」という声が後ろできこえたときに、ようやく誰かがいたことに気が付いた。
ゆっくりとスゥファリィが振り返る。
そこにいたのは、深紅の髪をたなびかせた少女。歳はスゥファリィより少し上、トゥルーくらい。髪はスゥファリィほどではないが長く、後ろでひとつに結わえられていた。髪と同じ目は本当は輝くようなものなのではないだろうか、しかし今はほんのりとくすみ、目には混乱と怯えが混じっているように感じられた。
そんな少女だが、どうやら階段を一段踏み外して転んでしまっていたらしい。不思議な態勢で固まっていた少女だったが、スゥファリィの視線に気づき、咳ばらいをひとつ。
「ね、ねぇ、あなた。こんなところで何してるの?」
外見年齢に相応した声が鼓膜を揺らした。