歩く練習と世界言語部
さてもさても。
やっとというべきか、詠星を担当することですべき手続き、説明はこれでひととおり終わったと言える。
詠星の身体検査、健康診断にはじまりアル・レイスの世界観、詠星という概念、初回面談、担当の決定、浄化活動の体験、講義の受講等等。
細かいところはもう少しあるが、大枠は終わったと見てよいだろう。
ここまでくればほっと一息。あくせくと動くのも終わる。
ここから先はスケジュールを組み、浄化活動と面談を通して言葉の意味を活性化し、スゥファリィが自身にこめられた言葉の意味を思い出すのを支援していくことになる。
「ひとまず、しばらくは浄化活動を続けていくことになるだろうな。意味が活性化するほど、感じること、考える事というのが増えてくるはずだ」
「えぇ……ボクはだらだらしてたいんだけどねぇ……」
テラスのテーブルを囲んだスゥファリィが日向ぼっこで微睡みに向かう最中の言葉である。
「君の場合はそのだらだらが終わるのが100年後とかになりかねん。流石にそこまでは待てないな」
「そんなことないよぉ。でも、50年は欲しいかなぁ」
「五十歩百歩なんだわ。正直なところ、俺も浄化活動は危険も多いし、好き好んではいきたくない。それこそ、許されるならスゥファリィと同じく、好きなだけ眠っていたいくらいだ」
「じゃあ、ボクと一緒に寝るかい?」
「それはそれで絵面が犯罪なんだよな……」
現在、アルクとスゥファリィが囲むテーブルにはトゥルーの姿はみえない。今日は別の仕事があるとのことだ。
そのため、初回面談という特殊な場を除けば初めての2人きりの状況と言える。
「ただ、浄化活動ももう少しの間はトゥルー同伴でやった方がいいだろうな。まだ、スゥファリィの顕能も未知数だし、可能性と危険性の感覚が掴めるまではそういった方向性でやっていこう」
「うん、ボクはそのあたりよくわかんないし、それでいいよぉ。でも、そうしたら今日はトゥルーがいないけどどうするんだい? 寝てもいいかい?」
そう言うが否やガチ寝に入ろうとするスゥファリィをアルクがとめる。
「確かにそれも最初は考えたんだが、スゥファリィの場合、本当に一日眠るだろうからな。健康な生活のためにも却下だ」
「やだぁ……」
蚊の鳴くような声がスゥファリィからするが、心を鬼にしてアルクは言葉を続ける。
「ということで、今日はもう少しスゥファリィ自身の理解が進むよう世界言語部に行こうと思う」
「また新しい名前がでたね。ボクの頭はもう何もいれたくないんだけどねぇ」
「そこは寛大な心で受け入れてくれ。世界言語部はあらゆる世界のあらゆる言語を調査・解析する研究所だ。もしかしたら、スゥファリィという言葉の意味について、何か手がかりが得られるかもしれない」
「ボクの、言葉の、意味……」
アルクの言葉にスゥファリィが考え込むように沈黙する。
そして、ややもすると、徐にスゥファリィは腕をアルクに向けて伸ばした。
何度も見たことのある姿であるために次の言葉は察しが突くのだが、「一応、きいておこう。どうした?」と尋ねる。
「おんぶ。世界言語部にいくんでしょ?」
「故に連れて行けとな。うん……そこについてなんだがな……」
と、苦い顔でアルクは答えた。
「歩く練習、しようか」
すると、スゥファリィは雷が落ちたように固まった。
眠たげな目が見開かれている。信じられないようなものを見る目だ。
「な、なんでだい、ボクは、ボクは何か嫌われるようなことをしてしまったのかい……?」
「少し前に話しただろう? 歩く練習をしようと」
「それは、冗談じゃないのかい……!?」
「それは、冗談じゃないんだ。そもそもスゥファリィは体力測定で分かったことだが、致命的に持久力がない。これではこの先どこかに行きたくても誰かの手を借りないといけないだろう? そういったわけで今後のためにスゥファリィには歩いて持久力を高めてほしいと思っている」
しかし、アルクの期待と裏腹にスゥファリィは椅子に背をべったりとくっつけると脱力する。
「うぅ……そんなのいいじゃんかぁ……紡ぎ手が全部運んでくれるだろうに……」
「流石にそれは難しい、というか、すべてを他人任せは望ましくないだろう」
「というわけで」と。このまま話していても埒があかないと判断したアルクは一度スゥファリィを抱き上げると地面に降ろす。それでも、立ったまま、ずーん、と顔を暗くしているばかりであるため、スゥファリィの小さい手を握り一緒に歩き始める。
「歩くのしんどいねぇ……寝たいねぇ……体動かしたくないねぇ……」
「走らせるとか浄化活動であれこれ動けとかは言わんが、塔内くらいは自分で歩けるようにはなってくれ」
傍からみればまるで誘拐犯である。
ぐずる少女の手を引いて歩く成人男性。周りの視線が実に痛い。
それでも、ここで折れるわけにはいかないと、アルクは心を無にして、歩き続けた。
・
・
5時の塔、そこに世界言語部の研究所はある。
煉瓦造りのこの建物は、所々に植物の蔦が生えていたり、重厚な見た目のインテリアが飾られていたりと見栄えも良い。
3階から最上階にかけては研究資料の保管庫兼図書館として多くの紡ぎ手や詠星に利用されている。
研究所の機能としては1階と2階になるが、今回は1階に向かう。
中に入ると、壁一面が書物と資料に囲まれた大部屋が迎える。
そこかしこで研究者が議論を交わしていたり、資料を読みふけったり、ともすればひとりごとのように謎の言語を呟いていたりと様々だ。
ひとまず手近な研究者を捕まえようと思ったアルクは近くを通り過ぎようとした女性の研究員に声をかける。
「すみません」
「はい、なんでしょう?」
「恐らく、少し前にスゥファリィという名前の詠星の情報が入ったんじゃないかと思うんですが、その調査結果を教えてもらえますか」
「スゥファリィ……」
ぽつりと呟いた女研究者だが、次の瞬間理解の色を示した目をする。
「ああ。最近登録された詠星ですよね。勿論情報は入ってますよ。と、言うことはもしかして」
「ええ。俺がスゥファリィの担当になりました」
「なるほどなるほど。そうしますと、そちらにいらっしゃるのが――」
「スゥファリィさんですね」と言おうとした女研究者であったが、スゥファリィの様子に表情こそ動かさないものの、目を瞬かせる。
「おや。とても険しい顔をしていらっしゃるというか、くたびれはてているように感じるのですが」
スゥファリィは頑張って歩いた。それはもう、10歩歩くごとに「おんぶしておくれよぉ」とせがむスゥファリィのお願いをどうにかこうにかはぐらかして頑張って歩かせた。その結果、スゥファリィは久しく行なっていない運動に息を上げ、呼吸を整えているのに四苦八苦していた。立っているのもやっとという様子だ。
「走ってきた、という様子でもなさそうですし……もしかして、逃げる女の子でも捕まえてきました?」
「俺をなんだと思ってるんだ? じゃなくて、物騒なことは言わんでください。この子は大分運動能力がないようでして、今は体質改善のために頑張ってもらっているんです」
「冗談です。スゥファリィという言葉の調査結果ですよね? 今お持ちします」
「適当に待っていてください」という言葉を添えた後、女研究者はぱたぱたとした足取りで上階に上がっていった。
その間、立ちっぱなしというのも疲れるし、何よりスゥファリィの身が持たない。なんなら足が震えている。
近くの空いているソファーを見つけると、そこにスゥファリィ共々座る。
「スゥファリィ、よく頑張ったな」
「つむ、ぎて、の、おにぃ……」
疲れてうまく頭もまわっていないのだろう。ぼーっとしたような表情になったスゥファリィはそのままアルクの膝を枕にして仰向けになった。
べちゃり、と。
「汗がひどいな……」
スゥファリィの体からとめどなく汗が滴り落ち、たちまちにアルクのズボンに染みを作っていく。
それについてはスゥファリィが頑張ってくれたので不問にするにして、問題なのはスゥファリィの体調だ。
前にアレンから言われていたことをしっかり覚えていたアルクは水筒を取り出しスゥファリィに手渡そうとする。
「スゥファリィ、飲めるか?」
「うー? あー……」
頭がうまく回っていないどころか動いてすらいないようだ。
仕方なく、アルクはスゥファリィの体勢を整えつつ、スゥファリィに水分補給を採らせる。また、代謝が激しく、栄養面に影響がでる恐れもあるときいているため、栄養ゼリーも吸わせる。
無抵抗に差し出されるものを摂取していくスゥファリィはまるで赤ん坊のようだ。
これが、人目のないところであればまだよかったのだが、ここは十分すぎるほどの人の出入りがある。そのため、誰かが通り過ぎるたび、「えっ?」というような視線が突き刺さる。とある研究員の2人組が「そういう趣味の人なのかな」と囁き合っていたのが一番ダメージになった。
「ふぃ~。生き返ったよぉ」
「それはよかった。体調はどうだ?」
「さっきまでは怠くて気持ち悪くて散々だったけど、今は落ち着いた気がするよぉ。紡ぎ手が飲ませてくれたもののおかげだねぇ」
ということは、やはりアレンの言うように、スゥファリィ相手には水分と栄養ゼリーを常備してくのが安心なのかもしれない。
ふへら、とはにかんだスゥファリィだったが、ふと、無言になり「でも」と続けた。
「ボクをこんなにしたのは紡ぎ手なんだから、ボクがお礼を言うのは、所謂マッチポンプってやつなんじゃないかい?」
「まぁ、その通りになるな。だから、むしろしっかり歩ききった自分を褒めてやってくれ」
そう言ってスゥファリィの頭を優しく撫でるとスゥファリィは目を細めた。
そのタイミングでぱたぱたと女研究員が戻ってきた。
「お待たせしました。っと、おや、もしかしてお楽しみ中でしたか?」
「何をどうみてそう思ったんだ? じゃなくて、あー、ありがとうございます」
あけすけに言ってくる女研究員にたまらず素で返してしまうが、相手は初対面のため、瞬時に敬語に切り替える。
「あ、わざわざ敬語にしなくても大丈夫ですよ。言語は伝わるのが大事ですから、私的には敬語も砕けた口調もスラングもおっさんのセクハラ言語も全然気にしません」
「また癖が強い研究者に出会ってしまった気がする……」
淡々とした感じではあるのに、やけに芯があるというか。
「それで、あー、結果はどうだったんだ?」
「はい。こちらが書類のコピーになっています。素晴らしいことにまだ未確認の世界、もしくは文明の言語の可能性が高いそうです」
声は平坦であるが、女研究者の目が爛々と輝いている。
「紡ぎ手的には該当する世界があった方がありがたいんだがな」
「はい、そうでしょうね。ですが、研究者的には新しい言語の発見はこれ以上にない蜜です」
「だろうな。……想定される言葉の候補は、想定通りか」
「といってもスゥファリィさんの特徴から推測したばかりのものですが。もしかしたら今後の研究如何で既知の世界の言葉であるとされる場合もあるかもしれませんが、個人的には新しい世界の言葉を推したいところです」
やはり研究者としては何より未知が増えることは歓迎されることなのだろう。
渡された書類は結論としてはわからないとなっているものの、今後の調査方針がびっしりと記載されており、書いた者の熱意を感じる。
アルクが膝上をみると、スゥファリィが仰向けのまま目を書類に向けていた。
「そーすると、ボクと同じ世界の詠星はまだいないってことになるんだねぇ」
「そうだな。……寂しい気持ちにさせてしまったか?」
スゥファリィが緩やかに首をふる。
「ううん。不思議な感じはあるけどねぇ。でも、紡ぎ手もいるし、トゥルーも一緒にいてくれるし、そーいう気持ちにはならずに済んでいるかなぁ」
「ならよかった」
書類を折り、懐へと仕舞う。進展はなかったもののわからないことがわかったというだけ、よしとしよう。
「ありがとう。そうしたら、俺たちは行くことにする」
「はい。わかりました。こちらでも何かわかりましたらお知らせするようにします」
アルクは頷き、続いてスゥファリィを見る。
「スゥファリィ、そろそろ立てる――」
「ねぇ、紡ぎ手」
立てるか、歩けるかと問いかけようとしたアルクをスゥファリィがさえぎる。
「ボクはね、今日、とっても頑張ったと思うんだ。頑張りに頑張った。なのに、紡ぎ手はさらにボクに頑張れっていうのかい?」
スゥファリィが自身の足を指さす。
「ボクの足ね、すっごく震えてるんだ。多分動かない、というか動けない」
「スゥファリィ……」
なんて答えればよいのか。
ただ、確かにスゥファリィの足は小刻みに震えているし、スゥファリィの言うことは事実なのだろう。また、スゥファリィのこの発言はひとつ、信頼を得る上で大切な分岐点であると感じた。
既に頑張ったというのに、さらに頑張れというのか。
つまり、そこで頑張れと言ってしまえばスゥファリィのここまでの頑張りを正当に評価していないと判断されてしまう可能性がある。
そのため、アルクは言葉を飲み込み「わかった」と答える。
体だけおこし、背中をみせてやれば這いよるようにスゥファリィがよじ登り、定位置につく。
がっちりと首に腕が回されているため、立っても落ちる様子はない。
その姿をみて、女研究者がいう。
「なるほど。そういう趣味のお方でしたか。公私混同しているように思いますがよろしいのですか?」
「違う! というか、俺、そんなにそういう趣味がある人間にみえるか!?」
「冗談です。ザッツキディング」
真顔でいう女研究者にアルクはため息一つ、ずるずると研究所をでるのであった。
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