体力測定と勉強
ピッ、とホイッスルが鳴る。
それと同時にスゥファリィが”走り”出す。
……そして5秒もしないうちに地面に倒れこんだ。
「もう、む、り、だねぇ……」
以上、これがスゥファリィの持久力である。全力疾走ではなく、持久力を求めた測定であるところに注目してもらいたい。
トゥルーが近寄ってスゥファリィを抱き起こせば、彼女は汗だくの状態で荒く息をついていた。あろうことか足も震えている。
「これは……本当に想像以上だな」
アルク自身、まさか自分の口からこれほど絶句した声がでるとは思わなかった。
確かにこれでは動くこと等できるはずがない。
そもそも、自身の体重を軽くしてこれなのだから、もはやスゥファリィの体は違う意味で研究対象になってしまいそうだ。
「スゥファリィ、大丈夫か?」
「どうやら、ボクは、ここまで、みたいだねぇ」
「さらば愛しの紡ぎ手」とスゥファリィが完全に脱力した。すわ、本当に死んでしまったかのと一瞬慌てるも、まぁ、予想通りというか、眠りについていた。
「体力の測定をしてみたものの、まさか軽いランニングの先に進めないとは」
「いやぁ、これは驚きだね! 本当に詠星というのは千差万別というか、うん、面白いよ!」
後ろから仰々しく腕を広げて近寄ってきたのは詠星生態部研究員のアレン。手にはクリップボードとペンが握られている。
今回の体力測定に当たりアルクは詠星生態部に測定の協力をお願いしていた。すると、どうだろうか、ひとつの餌に群がる魚のごとく、手の空いている――恐らく手の空いていない者すら――ものがこぞって希望をだしてきたのだ。そして、次の瞬間には研究員間で貴重な、誕生したばかりの詠星の体力測定をするという権利を巡って醜い争いが起きた。その勝者がアレンだ。
「距離にして4m、歩数にして9歩。可愛らしいね! それでこの汗のかきようだと、代謝も相当なんじゃないかい? 場合によっては栄養ゼリーなど常備しとかないと餓死する、なんて可能性もあるかもしれないね」
「それは危険だな。事前に知れたのはありがたい」
「ちなみになんだけど、君からみせてもらったスゥファリィの顕能の内容に体重の操作があっただろう? あれって軽くするだけではなく、浮かせることもできるんだろうか?」
「それは……どうだろうな。確かに試してみる価値はあるが、そっちの方が体力を使いそうな気もするな」
アルクとアレンが話している間に、トゥルーが「水です、飲むのですよ」とスゥファリィの介助をしていた。
眠りから覚まされたスゥファリィがこくこくとそれを飲み「ぷはぁ」と声をもらす。
「ボクはやっぱり動くのは無理だねぇ……」
「うーむ、そう、だな。流石にこの結果をみて自分で動けとは言えないな……ちなみにだが、浮くことってできたりするか?」
「浮く……」とスゥファリィが考え込むように俯く。
「……ううん。無理みたいだねぇ。そういう感じのはできないみたいだ」
「そう、か」
そうなると、いよいよスゥファリィは誰かの助けがないと満足に動けないことになるらしい。今後が心配である。
「さて、他にも確認しておきたいことがあるんだ。お嬢さん、いいかな?」
「えぇ……ボク、寝たいんだけど……」
「そこをどうにかお願いするよ! お嬢さんのことが色々分かれば、お嬢さんに有利なことをアルクに言ってやれるかもしれない! お嬢さんにとっても悪い条件ではないだろう?」
「それは……そうかもしれないねぇ」
流石は研究者だ。対象の動機づけを高めるという点では紡ぎ手顔負けの話術である。引き合いにだされたアルクはなんとも言えない顔をしていたが。
アレンの言葉に乗っかり、次々と測定が行なわれていく。筋力、脚力、反射神経、処理能力、柔軟性等等。
一連の測定が終わるころには、スゥファリィはよぼよぼな様子でトゥルーに背負われていた。
「……ボク、一生分の体力を使ったと思うよぉ……」
「お疲れ様。すまない。ただ、おかげで現状のスゥファリィの状態も良く知ることができた。これで君に無茶を言うことも少なくなると思う」
「そう、かい。それ、はよか――」
最後まで言い終わることなく、スゥファリィは眠りについた。
「ご臨終なのですよ」とトゥルーがぼそりとこぼしていた。
「うーん、これはすごく面白いデータが採れたよ。いっそのこと、すべての詠星の体力測定は義務にしたいところだね」
「とはいうがな……多分、それなりの詠星にはやる意味がないとも思うぞ」
「例えば」とアルクはトゥルーをみる。
「トゥルー。光の槍をどこまで飛ばせるか見せてくれるか?」
「ふっふ、朝飯前なのですよ!」
光の槍を生成したトゥルーはスゥファリィを背負ったまま投擲する。
空に投擲された槍はそのままどんどん遠くに生き、やがて点となり、消えてしまった。
「な? これじゃあ計測不能だ」
「ははは! 確かにね! でも、他の部分では人間なみなところもあると思うし、スゥファリィのような例もあるからね! もしかしたら体力測定の数値が顕能の内容や効果、はたまた言葉の意味に関連している可能性だってある!」
アレンがクリップボードに記載した結果に目を通す。
「スゥファリィの場合は、とにかく持久力に難があるのがわかったね。それなのに筋力、脚力は詠星並みかそれ以上。反射神経は性格に合う遅さだけど、処理能力は悪くない。これらがどのように詠星の特徴と関連するのか……うん、これは皆にもわくわくを届けた方がいいね! 次の会議のときにでも共有してみることにするよ!」
「そ、そうか」
アレンはほくほく顔だ。研究員というのはやはりどこかネジが外れているのだろう。
「じゃ、僕はこれからデータをまとめるから! できあがったものは届けにいくよ!」とスキップしそうな勢いでアレンが去っていった。
「スゥファリィ、改めてお疲れ様。今日の予定はこれで終了だ。あとは自由に過ごしてくれ」
「ほ、本当かい……? これでボクは40年くらい眠ってもよいのかい?」
「自分から木乃伊になろうとするな。今日は、だ」
「今日、今日は……?」
スゥファリィの目からハイライトが消えかかる。
その目がアルクをみつめた。
「じゃあ、明日は何があるんだい……?」
「あー……それなんだが」
と、言いにくそうにアルクが口を開いた。
・
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2時の塔、通称講義棟。
そこの教室の一室の机でスゥファリィが潰れていた。
「どうして、どうしてだい……ボクは、何か悪いことをしてしまったのかい……?」
「すごく、虐待している気分にさせられるが……これはな、どうしても必要なことなんだ」
「うぅ……」とスゥファリィがうめき声を挙げる。そんなスゥファリィの横では トゥルーがお行儀よく座っていた。
「お勉強は大事なことなのですよ。特にここの知識はただの知識ではなく、生きるための知識でもあるのです」
「うぅ……トゥルー……正論はね、時に人を傷つけるものなんだよぉ」
ここまでスゥファリィが弱っているのは珍しい。
「そもそも、スゥファリィはなんで勉強が苦手なんだ?」
「ボクはねぇ、あまり頭を使いたくないんだよぉ。何も考えずだらだら過ごしたいのさぁ」
「はぁ」とスゥファリィが深いため息をつく。
そんな風にぶつぶつとスゥファリィが愚痴をこぼす教室にひとりの女が入ってきた。
スーツに身をつつみ、眼鏡をかけている。切りそろえられたショートの髪、均整よりやや胸の強調がある体格。ただ、左腕だけが欠損しており、袖が頼りなく揺れていた。
「どうも。その子が新しい詠星のスゥファリィでしょうか?」
「はい、そうです。どうぞよろしくお願いします」
その女はつかつかとスゥファリィのもとに近づくと目線を合わせる。
「はじめまして、スゥファリィさん。私はここで詠星に対してアル・レイスの社会であったり、詠星の特性やそれにまつわる内容についての講師をしているロイズと申します。スゥファリィさんとは短くないお付き合いになると思いますから、どうぞよろしくお願いしますね」
「うん……ボクはスゥファリィだよぉ。よろしくぅ。でも、できたら、勉強はしたくないんだよねぇ……」
はじめましての人にさえそう言ってしまう程、スゥファリィの勉強嫌いは筋金入りのようだ。
ただ、そう言われたロイズは怒る訳でもなく、穏やかにスゥファリィに話しかける。
「おや、そうなのですね。勉強は一体どのようなところが嫌いなのでしょう?」
「頭を使うことが嫌なんだよねぇ」
「そうでしたか。でしたら、そうですね……スゥファリィさんは物語は好きですか?」
「うーん、嫌いではないと思うよぉ」
「それはよかった。それでしたら、今日はとある物語をお話ししましょう。スゥファリィさんはきいているだけで大丈夫ですよ」
「うん。でも、どんな物語なんだい?」
「何にしましょうか。そうだ、スゥファリィさんは最近浄化活動で森に行かれたのでしたね。実はその森には埋蔵金が隠されているという話があるんですよ」
「埋蔵金……そんなものがあるのかい?」
「えぇ。そんな噂をきいて、休みを使ってある紡ぎ手が探しにいったんです。ですが、同じく遠方から噂をきいたとある商人も探しにきたんですね。そして2人は互いに言い争いを始めてしまったんです。その時に商人が紡ぎ手に対して嫌がらせのために数々の煙で紡ぎ手の行動を阻害したのですが、それがちょうど紡ぎ手が使う信号弾と酷似していたんです。当然多くの紡ぎ手が向かったのですが、緊急性もないのに信号弾を用いたということで商人は拘束されたのです。なのですが、商人は遠方のマッハンカル小国に籍を置く商人だったので、紡ぎ手たちは罰を与えることができなかったんです」
「そうなのかい?」
「はい。実はここ一帯の森までを含めてこの地はどこの国にも属さない【不干渉地帯】と言われています。今は便宜的に詠星支援・研究機関ラプラスが土地を管理していますが、明確な領主がいるわけでもなければどこの国にも属していないので、当然国家間の条約もありません。そのため、この地でおいたをした他国の人間はその国に裁いてもらう必要があるのです」
「それは面倒くさくないかい?」
「はい、それはもう。そこでラプラスが考えた方法として――」
流れるように会話が始まり、かと思えばいつの間にか社会の話に移っている。
黙ってやりとりを聞いていたアルクだったが、ロイズからのアイコンタクトを受ける。
トゥルーも合図に気づき、アルクとトゥルーはそっと教室を離れた。スゥファリィは会話に夢中になって気づいていないようだった。
「流石ロイズ先生だ。先生にかかわらず、どこもかしこも口がうまい」
「……その筆頭は紡ぎ手さんたちなのですよ?」
トゥルーがじとっとした目をアルクに向ける。
「俺たちはあくまでその人物の心の内にひそむものを引き出しているだけさ。アレンのような綺麗な誘導やロイズ先生のような流れるような会話のシフトはできない」
「心の内を引っ張りだされるのが一番厄介なのですよ」
元はトゥルーもアルクの担当であったために、どういったやりとりをしてきたかは覚えているのだろう。
このままだと何故か責められるような心地がしたために、「ノーコメントだ」とアルクは話を打ち切った。
「さて、ひとまずスゥファリィの講義が終わるまでは何をするか……」
とはいってもやることは山積みである。
次の面談の時期も考えないといけないし、過去の文献などからスゥファリィに類似した顕能をもつ詠星がいるか確認しなくてはいけない。スゥファリィの負担にならないよう浄化活動にでかける頻度も考える必要があるし、トゥルーが手伝ってくれない時の対応はどうするかも考える必要があるだろう。また、スゥファリィに対する暫定的な意味も『睡眠』とは言えなくなり、他の候補を考え、そのうち一度登録する必要があるだろう。
「はぁ……頭が痛い」
「紡ぎ手さん、少し休んだらどうなのです?」
トゥルーが気遣うように言う。
「いや、スゥファリィが勉強を頑張ってくれている手前、俺だけ休むのも申し訳ない。ただ、疲れているのは確かだし、明日はお互い休みにしてしまおう」
頭の中で優先順位を整理していく。
「……そうだな、まずはトゥルーが手伝えない時の対応をまずは考えるとしようか」
「となると、トゥルーの知識も必要なのですよ!」
「お任せあれなのです!」と敬礼するトゥルーにアルクは苦笑した。
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「ということで、今日もきちゃいました。てへっ」
夜、ワイン片手にアルクの部屋を訪れたのはフェイ。
スゥファリィを担当する前はくることも少なかったのだが、今回はさほど間を空けず2回目の登場であった。
「……まぁ、好きにしてくれ」
アルクが素直に扉を開けると「おりょ?」とフェイが首を傾げる。
「今日は随分素直だね? ……ははーん、もしや私がくるのが恋し――」
「やっぱり帰ってくれるか?」
が、駄目。またもや、足が差し込まれる。
「じょーだんだって、ごめんって! んー、でも、なんか元気ない?」
「あぁ、まぁ、そうだな。やっぱり詠星を担当したてが一番疲れる」
「あー、そうだよねぇ。そしたらやっぱり私、帰ろうか?」
「いや、正直ちょうど良いタイミングできてくれたと思っていた」
アルクがそう言うと、数瞬フェイが動きを止めたようにみえた。
「……ま、まさか、私の体でストレスを発散しようと――」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ……? スゥファリィのことだ。ここ最近の情報でわからないことが増えてきてな。お前の知識が借りられたらありがたい」
「あー、なる。それだったら勿論ですとも!」
「じゃあ、グラス持ってきて!」と我が物顔で座るフェイにため息一つ、アルクはキッチンに向かった。
テーブルに戻ると、既にフェイはテーブルの上に広げられていた資料に釘付けになっているようだった。
乾杯もそこそこに興味深そうにフェイが声をあげる。
「顕能の内容、不思議だね! 体重を軽くしたり、動きを鈍らせたり、かと思えば眠らせたり! 確かにこれはスゥファリィ=睡眠、という意味に当てはめるには無理がでちゃうなぁ」
「あぁ、御明察だ。俺もそこで悩んでいた。ただ、明らかにスゥファリィの体質上、睡眠にかかわる意味だとは思うんだがなぁ」
「といっても、睡眠系の意味を持つんだとしたら、想い主は誰にどんな想いでその意味を届けようと思ったんだろうね」
「純粋な面でいえば『寝てほしい』という意味合いになるが……」
「やだ、もしかしてスゥファリィの想い主って超絶ブラックな職場で働いてたりするのかな?」
「いや、相手に届けたいのだとしたら想い主の大切な人が睡眠の時間をとれないほどに忙しいとも考えられる」
「だけど、そんな言葉を届けたくても届けられない……」
「詠星になるくらいだから、よほど口にはできない理由があるんだろうな」
「例えば?」
「そうだな……フェイは紡ぎ手の労働環境はどう思う?」
「ブラックとまではいかないけど、詠星を担当した途端、禿げそうになるくらい忙しくなります!」
「じゃあ、その忙しさに可哀そうだと思って、『詠星の支援を考えるのは一旦やめて眠ったら』と言われたらどうする?」
「無理! だって、私にとっては詠星一番だもの! 体が資本だから気をつけはするけど、必要な時以外は休むはノーセンキューでごぜえます!」
「みたいなパターンを想い主が考えている場合はどうだ?」
「ありがちだけど、でも、実際その可能性は高いよね」
「俺もその道筋が一番可能性が高いと踏んでいたんだが、顕能が、なぁ……」
「眠らせるはわかるし、まぁ、動きを鈍らせるというのも睡眠の派生みたいに考える事もできるけど、体重を軽くするっていうのがねぇ。夢の中みたいにふわふわしてる、みたいな?」
「……フェイ、今、自分でも無理やりだな、と思っただろ」
「うぃっす。その通りっす。でもー、それくらいしか思いつかないじゃん?」
「そりゃあそうかもしれないが。他には『面倒』の意味があるかもしれないとも思ったな」
「『面倒』ねぇ……確かにそれだったら諸々説明つきそうな感じもするけど、だとしたら想い主は相当鬱憤溜まってる感じになっちゃうね」
「まぁ……もしかしたらものすごく接待が面倒な上司相手の言葉かもしれないし……」
「なにそれ地獄じゃん」
終わらない討論が夜の闇にを静かに賑わしていた。