夜勤の帰りと墜つ星
さてもさても。
世の中しようがないということは当然あるのだろう。
最たるものは仕事。生きるには働かねばならないし、怠惰に過ごしてもただ死に向かうだけ。
叶うことなら楽に生きたいという思いが誰しもあるのだろうが、まぁ、それができるのはごく一部の恵まれた人間だけだろう。
畢竟、与えられた仕事は全うしなければならない。それがどの世においても常の概念だ。
さてもさても。
何故このようなことを徒然と考えているかとえば、それこそこのような考えをぼうっとしたくなるような状況が今あるからだ。
「紡ぎ手さん!」
少し遠くで聞こえてくる少女の声。
次の瞬間、アルクの頬を何かがかすめた。何が、なんて答えられるものではないのはよく理解している。あえて言うなら謎のエネルギー体だ。
後ろでみしりと音がするあたり、まともに受けていれば顔面が吹き飛んでもおかしくなかっただろう。
飛ばしてきたのはこれまたなんと表現すべきか分からない存在。どうにか言語化を試みるなら、『人型を保とうとする不定形に蠢く黒い塊』となる。目と思われる部位は赤い光が斑点のようについており、口もないのにその存在からは「ア……アア、ア……」と言葉として成立しない音を発している。
この正体不明の何かを、アルクたちは【屑想】と呼んでいる。
「トゥルー!」
「はいなのですよ!」
アルクが走り出すと、少女、トゥルーは何もない空間から光の槍を生成し始めた。
トゥルーと入れ替わるように屑想に飛び掛かり、武器である剣を突き出せば、屑想は顔から仰け反り倒れこむ。が、すぐに起き上がった屑想は腕を振り回してくる。それを力を逃がすように逸らしていく。悲しいかな、この屑想というのは正直人間が相手にするには膂力が強すぎるのだ。真正面から相手取ること等できやしない。
だからこそ。
「ほっ、さっ!」
アルクが時間を稼いだ間に準備を整えたトゥルーがくるりと器用に宙を回りながら――
「制、裁、なのですよ!」
光の槍を屑想の頭上から突き刺した。
屑想は数瞬動きを止めた後、形を失い始め黒い塵となって宙へと消えていく。
そこまで見届けてからアルクは「はぁ」と疲労の息を吐いてから座り込んだ。
「あー、帰りたい……」
空を見上げればまばゆいほどの満点の星空。テラスで珈琲を啜りながら天体観測ができたらどれほど素敵だろうか。
夜勤、肉体労働、加えて命の危険。
たまらず体が帰途の方向に傾きそうになるが、そうは問屋が許さない少女がここにひとり。
「なーにを言ってるのですか! まだまだ今日の務めは始まったばかりなのですよ!」
改めて紹介すると、名前をトゥルー。見た目は子どもであるし、それに見合った快活さもあわせもつ。深い青の髪は首元でひとつに結ばれ、可愛らしいといえば可愛らしいのだろう。しかし、現在は座り込んだアルクの目の前で腰に手を当て、ご立腹というポーズだ。
「トゥルー。人間はな、そうぽんぽんと連戦できるような体はしてないんだ。愚痴をこぼしてゆっくり休みつつ――」
「言い訳無用ですよ! というか、そんな一回一回休んでたら今日のお務めが間に合わないかもじゃないですか! 任されたお務めを果たしてこその紡ぎ手さんの正しさなのですよ!」
「容赦ないな、こいつ……」
結局子どもに変わらない彼女に合わせるのが大人に求められることなのだろう。……それとも、トゥルーの発言こそが大人であり、アルクが駄々をこねる子どもなのだろうか。
早速怠くなってきた体で立ち上がり、「行くかぁ」と任務を続けることとした。
・
・
「お、終わった……」
任務として割り当てられた哨戒範囲も回りきり、目につく屑想は浄化し終えた。
何も紡ぎ手という役職が屑想の浄化を常としているわけではない。こういった仕事は当然、ローテーションというべきか、特定の条件に達した者たちが優先して行うことになっている。
「お疲れ様なのでした! 紡ぎ手さん、やっぱり体力ないのです。ずっと前から思っていたんですけど、もっと体力つけたらどうなのです?」
「あのだなぁ……ひとつ、訂正をさせてもらうが、他の世界は知らないが、少なくともこの世界では俺くらいの体力はむしろ上位なんだ」
「それは前にもききましたけど、でも時間が経ってもまだトゥルーよりか弱いのですよ!」
「詠星と比べるな」
【詠星】。それは人間の形はせども人間という種族ではなく、一種特別な存在だ。
これまでトゥルーは何もないところから光の槍を生成したりしている。しかし、通常この世界の人間はそんな魔法のようなことはできない。詠星のみができる顕能と呼ばれる力だ。
ともあれ。
「んじゃ、そろそろ帰るか。日が昇りきる前にはベッドで安眠に耽りたい」
「なんだかおじさんみたいなことを言いやがるのですよ」
心に言葉の槍を受けつつ岐路についた。
・
・
叶うことなら、ここでの描写は無事に帰ってシャワーを浴びて暖かな布団の中で周りの人々は起き始めなくてはいけないということに対して優越感を感じながら眠りにつくシーンでありたかった。
現在は距離にして半分ほど歩いたところ。
異変というものに対する察知能力は紡ぎ手の必須能力ともいえる。
「……何か、落ちてくる?」
そんな感覚があったのだ。
それ故に空を見上げてみると。
青白い輝きが尾を引きながら天空から落ちてくるところだった。
それはそのまま少し先のところに落ち切ると、一度大きな発光をして、色を失った。
「紡ぎ手さん?」
「ああ……多分、同じだな」
何と同じかといえば、行けばわかる。
現時点でアルクの心境は穏やかではない。
頼む、夜勤はもう終わった気持ちなんだ、頼む、もう素直に帰って何の不安要素もなく眠らせてほしい。
ただ、紡ぎ手としての経験が何もないなんて答えてくれるわけもなく、心は発狂した叫びを挙げている。
茂みを描き分けながら、少し開けた場にたどり着いたアルクたちは。
「……すぅ……すぅ……」
そこに、すやすやと眠る少女の姿を認めた。
小さな少女だ。幼女と言ってもよいかもしれない。恐らく少女の身長では、立っても床を擦る長い黒髪。病的ではなく、美しいと言える白い肌、それでいて柔らかな質感。
小動物さながらに体を丸めて眠る少女は、ここが森の中ということを除けば、非常に微笑ましい光景とも言えた。
「おお~、初めてみたのですよ。トゥルーもこんな風に生まれたのですね~」
「ああ。まさかこのタイミングで詠星が誕生するとは……」
任務、追加である。
「はぁ」とため息をついたアルクは少女に近づき、片膝で座る。
軽く肩をゆすってあげると、少女は「んん」と声をあげ、やがてゆっくりとその黒瞳を開いた。
そして、目をこすりながら「ふわぁ~」と起きたて特有の行動をしたのみ、周りをみて、首を傾げ、アルクとトゥルーにを目に収める。
「んん……あれ、ここどこだろう。えっと、君たちは誰だい?」
少し舌足らずな、寝起きの声だ。
「俺はアルクという。こっちはトゥルーだ」
「トゥルーですよ!」
「恐らく君は、どうしてここにいるのかもわからないだろうし、記憶もほとんど思い出せないと思う」
そう言うと、少女は「うーん……あ、ほんとだ」とこぼす。
「ただ、安心してほしい。今はそれが正常だ。俺たちは君たちのような存在を一時的に保護し、記憶の回復を支援する機関を運営している。詳しい説明もしてあげたいが……ここではなんだ、一度落ち着ける場所に移動しないか?」
「うーん……よく、わからないけど、わかった」
頷く少女であるが、次の瞬間、瞼を落とし、横たわる。
アルクが慌てて支える。
「だめだねぇ……すごい眠いや」
「まだ誕生したばかりで体調が安定していないのかもしれないな。自分で歩けそうか?」
「んにゃ、無理かも……」
そう言って少女は徐にアルクに手を伸ばした。
「うん?」
「おんぶ」
「そ、れは、いや……だが……」
アルク、煩悶する。
想像してみてほしい。まだ幼い少女ではあるが、それをおんぶして凱旋する姿を。
ともすれば誘拐犯である。そして、まだ会って間もない男に身を寄せる事への危機感のなさにも唸る。
社会的な地位との葛藤に悩むアルクの姿を、困っていると解釈したのか、トゥルーが言う。
「それならトゥルーがおんぶするのですよ! トゥルーがお姉さんになるのです!」
「ああ、確かにトゥルーなら……いや、だめだな」
「なんぞ!」とトゥルーが叫ぶ。
「帰りとはいえ、まだ屑想がうろついている可能性は否定できない。特にここにいるのは誕生したての詠星だ。屑想にとってはこれ以上にない標的だろう。そんなのと遭遇しても、この子を背負ったままでは何かと危険がある」
そうなると、必然的にアルクが背負うしかなくなるのだが、それはもう致し方のないことだろう。
そう、致し方のないことなのだ。
「よいしょ、と」
背中をみせ、少女が首元に手を回したのを確認してから立ち上がる。
不思議なことにまるで重さを感じないことに不可思議さを感じながら、「よし、行くか」とトゥルーに声をかけると、トゥルーがじーっと見つめていることに気づく。
やはりお姉さん的振る舞いがしたかったのだろうか。
「ふと思ったのですけど、トゥルーも体はちっちゃいですし、その子もちっちゃいですし……もしかして紡ぎ手さん、ちっちゃい子が好きなんです?」
「待て、どう考えてもこれは不可抗力だろう!?」
「でも、紡ぎ手さん、ちっちゃい女の子おぶれて嬉しそうなのですよ」
「錯覚を事実にしようとするな!」
「はぁ」とため息をひとつ。
背中の少女には「腕、疲れないか?」と声をかける。
「うん、だいじょぶだよぉ。君の背中、結構おさまり良いかも」
「それは重畳」
「と、そうだ」と。
「名前を教えてもらっても良いか? 恐らく、名前だけは覚えているはずだ」
「名前……」
少女が思案するような声をだす。
そして、少し沈黙すると「ほんとだ」と言葉をもらす。
「なんで、名前だけは覚えてるんだろ。他のことは何も覚えてないのに」
「そういうものだ。何もおかしくないから安心してほしい」
「そっかぁ」
「それで、名前は教えてくれるか?」
「いいよぉ。ボクの名前は――」
眠そうな声のまま、少女は続ける。
「スゥファリィっていうんだ」