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短編集・散文集

銀色の濡れ鼠

作者: Berthe

 銀色の空から大粒の雨がどっと降りだした。砂塵をかぶったフロントガラスを激しく叩きつけて洗い流す。これで洗車を免れる、と思う間もなく視界がばっと水浸しになり、前の白い車が見る間にかすれて銀色に溶け去り、そのまま彼がブレーキを踏まなければ一触即発。


 しかも単にぶつかって車が大破の憂き目に遭うばかりでなく、運転手同士の陰湿なやり取りとなるだろう。


 だがもし銀色に溶け去った車体の運転手が激烈な輩だったら?


 彼はぐっと胸倉をつかまれて、ひどければ喉元をぎゅっと締めつけられるままに一瞬後には空を飛び、両手をばたつかせて、つまりは二の腕が立派にもりあがった屈強な男に息を止められそうになったところで、ごつい額に血管をうねらせた男の太い腕っぷしの中ではやや細くすぼまっている手首を、かろうじて持ちあげた自分の指先で必死に弱々しくたたき、ロープブレイクを要求。


 途端にきゅっとさらなる圧迫に遭うや否や、パッと握る手がゆるんで、無窮の責め苦からの突然の解放にほっとしたのもつかの間、固い地面にしたたか尻もちをつくと共に、ひんやりと路上を満たした優しい雨水が患部をさするよりも一層やわらかく、甘くて高いのみならず、張りつめた危機的な神経を一気に鎮静してそのまま極楽へと誘う女神の美声が、大きく開いた耳からここちよく進入し、外耳道を軽やかに音速でつたわり鼓膜を震わせて内耳へたどり着くが早いか、彼を狂喜の絶頂へと導いて震撼させる。


 ──大丈夫ですか?


 連れの男が見知らぬ男性の首元を締め上げてぐいっとつりあげたのにきゃっと恐怖の叫びをあげて車内に反響させた彼女は、きゅっと身がすくんで両目を固くとじ、小さく開いた耳を手のひらでそっと押さえたものの、静かにまぶたを開くと共に助手席からサンダルを履いた白い足先を車外へとさらす。


 たちまち豪雨に狙われて、こちらが許しもしないままに襲われてぐしょ濡れになった肌色の足がピカッと光を発して金色に輝き出し、彼女はそれに勇気づけられるままに波打つ地面へ一歩踏み出すと共にしぶきが周囲に羽のようにとびはねた。


 潮のながれを制しながら水面をわたって彼のもとへいそいそとたどり着くと、それは一瞬前の問いかけのとき。目の前の出来事に瞬時に魅せられた彼がどぎまぎして言葉に詰まるうちさらなる問いかけ。


 ──お怪我はありませんか?


 それは彼女の柔らかそうな厚みのある潤った桃色の唇から漏れた。連れの男に暴力を振るわれた彼の現状をあからさまに心配していたたまれなくなるままにその思いが胸からあふれだす。


 彼女の優しさ、慈しみの心、初めて接する自分へ向けられた仄かな愛情と恋心が彼の胸にぐさりと突き刺さり、それは胸から肺、そして全身へとくまなく、血管を強く若く大胆に脈動させながら瞬く間にひろがる。


 流動する血が彼の手先をどっと温かくして、悲運のさなかに舞い降りた運命の出会いによる神経の昂りが尻もちの痛みを緩和させたとき、彼女は白い手にたずさえていた透明な傘にやっと気がついたように慌ててひらくと、それを彼の頭上にさっとさしかける。


 透明なビニールの表面はみるみるうちに容赦のない豪快な雨に見舞われて、たちまち銀色の濡れ鼠になってぼんやりしだした視界越しに、突然はっきりと愛しはじめた未来の恋人の可憐な顔立ちが霞んでいく。


 だがそれもいいだろう。急がなくても自分たちの蜜月は始まったばかりなのだから。夢見る彼の耳元に屈強な男の耳障りな土間声がひびく。


 途端に彼は耳を閉ざして周囲を遮断し、傘の柄をにぎって差しのべられた彼女の手にそっと触れると、それは小さくて温かく、それをつつむ自分の手はいつもよりも大きくて温かく、どこまでも優しげなのにきゅっとみずから胸打たれて未来の幸福を確信した。

読んでいただきありがとうございました。

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