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第三話

 文子と出会ってから二週間が経った土曜日。清人と文子は名古屋駅に降り立った。


「新幹線で一時間半……長かったな」


「むしろ一時間半で着いたのが凄いわ。今ってこんなに速く移動できるのね」


 改札を通り抜け、身体を伸ばした清人の隣で文子が感想を漏らした。


「文子さんって電車は知ってたんですね」


「知ってますぅ!隅田川にいた時も見てますぅ!」


 そういえばそうだと、清人は文子にごめんと謝った。


 二人が名古屋まで来たのは、清人の祖父の弘に会う為だった。


 一週間前、清人は弘に文子の事を話した。文子が元恋人以外で思い出した人物と、清人の祖父の名前が一致していたからだ。


 名古屋に住んでいる弘と同一人物かわからないが、知り合いで文子を知る者はいなかったため、ダメ元で確認してみたのだった。


 暫くして、祖父から清人宛てに電話があり、特徴を答えたところ、家まで連れてくるよう言われた。


「ここからなら歩いてでもいけそうだな」


「じゃ、歩いて行こっか」


 文子の提案に清人は頷いた。


「もし私の知っている弘ちゃんなら、楽しみだなぁ」


 文子はうきうきとした様子で言った。直後、祖父の弘がどんな人物なのか、文子が聞いてきた。


「優しい人だよ。じいちゃんも、ばあちゃんも。小さい頃は仕事が暇な時に遊んでくれたりしたし。最近は年末年始しか会ってなかったけど、電話の時はいつも心配してくれるし。話聞いてくれるし。まぁ、小学生の頃怒られた事はあったけど」


「ふぅん。何をしたの?」


「煙草吸おうとライターの火をつけた」


「それは清人君が悪いね」


「煙草吸ってるじいちゃんが格好良くて、真似したかったんだ。ちゃんと反省はしましたけどね」


 言い訳した時、弘は眉を下げながら参ったなと笑っていた。その時の顔を今でも覚えている事を話すと、文子は笑ってくれた。


 文子に、他にはどんな思い出があるのか聞かれたので、道中は祖父母との思い出を話すことにした。


 道すがら渡った橋を渡ろうとしすると、子どもの泣き声が聞こえた。小学生くらいの鳴き声だった。


「橋の下から聞こえるわ」


 気がついた文子は、咄嗟に橋の手すりから身を乗り出し、下を覗いたが、誰もいなかった。


「反対側にいるかもしれない、少し見てくる」


 清人は文子に言い残し、車道を横断した。手すりから身を乗り出し、下を覗いたが、誰もいなかった。なき声は、少し響いている。


 もしやと思い、清人は階段を駆け下りた。橋の真下、日陰がある場所に、ひとりの男の子と一匹の柴犬がいた。


「階段の真下だ。文子さん、近くの階段からここまで降りてきてくれ」


 清人は天を仰ぎ、叫んだ。刹那、文子のわかったという返事が聞こえた。


「大丈夫か少年。何があった?」


「このような醜態、まったくもってお恥ずかしい限りですが、聞いていただけますか?」


「お、おぉ……めっちゃかしこまるじゃん。聞くよ」


 物腰低い姿勢を見せる子供に、吾嬬はたじたじになった。


「愛犬のペロと一緒に散歩に出ていたんですが、今日の花火大会が楽しくて浮ついてしまい、このような人目のない場所で転倒をしてしまいました……」


「……つまり、浮かれて転んだってわけね」


 子供の膝をよく見てみると、血が少しだけ流れていた。軽い擦り傷ではあるそうだった。


「己が,己が……恥ずかしい……」


「大丈夫だ、転んで怪我なんてよくあることだ。俺もよくやってた」


「うううううう!!」


 励まそうとすると、子供は声を堪えなが泣き始めた。


「大丈夫そう?」


 降りてきた文子が様子を見ようと近づくと、子供の隣にいた犬が文子を吠えだした。


「えっ、えっ、なんでよ」


 動揺する文子に、清人が近づいて耳打ちをする。


「文子さん幽霊だから、警戒しているんじゃないの?」


「うそぉ……ショック」


 文子は目に見えて悲しそうだった。


 気の毒だったが、現状の問題を解決する事が優先だと思った清人は、文子に橋の上を指した。


「どうも、膝を怪我をしたみたいだから、すぐ近くにコンビニがあったから、水と消毒液と絆創膏を買ってきてください」


「わかったわ。水・消毒液・絆創膏ね!」


 駆け足でコンビニへ向かった文子を見届けた後、清人は視線を子供に移し、尋ねた。


「大丈夫か?体調悪くなったりはしていない?」


「己の弱さに憤るばかりです……」


「大丈夫だ、怪我は元気いっぱいの証拠だ。それに、花火大会があるなら誰だって浮かれるって」


 子供を励ましていると、文子が買い物から戻ってきた。子供を手当した後、清人は子供をおんぶした。


「家の場所案内できるか?」


 清人が子供に聞くと、代わりに犬が清人たちの二、三歩先を歩き、清人達に振り向いて鳴いた。


「ついてこいって事ですかね」


「多分」


 清人と文子は、先導する犬の後をついて行った。


 歩いている途中、子供が苦しそうに暑いと呟いた。それを見た文子が自分の手を子供にかざした。子供は涼しい、と呟いた。


 暫く歩くと、犬はマンションの中に入った。清人達もそれについていく。自分達の家であろう扉の前で犬が止まったので、文子がインターフォンを鳴らした。 


 出てきた女性を見て、子供がお母さんと呼んだ。


「いったい何が……」


 驚いた母親に、清人が経緯を伝えた。


「有難うございます。なんとお礼を申し上げればよいか……!」


「大事に至らなくて大丈夫ですが、熱中症とかの心配もあるんで、病院に行った方が良いかもしれません。じゃあな、少年」


 清人が子供に告げた後、文子も小さく手を振った。すると、犬が文子に近づき、舌を出しながら微笑んだ。


「寄ってきてくれた……!」


「暑いから涼みに来たのでは」


「どうしてそんなことを言うの?」


 すかさず怒った文子に、清人達は笑った。


「お兄さん、お姉さん、有難うございました!」


 安心した子供は、手を振りながら笑顔で見送ってくれた。


「そういや、花火大会があるみたいだね」


 帰り際、清人が文子に話を振った。


「花火大会……そういえば、隅田川でもあるよね」


「今度の土曜日ですっけ」


 清人はスマートフォンで花火大会の日時を確認した。


 その名前になったのこそ、昭和五十三年と比較的新しいが、その起源は江戸時代まで遡る。

 元々は、飢餓や疾病の犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈って行われたのが、様々な紆余曲折を経て、今日まで続いていた。


「キヨシさんと一緒に行った事もあるわ。今度キヨシさんと出会ったら、また一緒に行きたいなぁ」


 文子は思い出を噛みしめながら言った。


「じゃあ、それまでに手がかりを探さないとですね」


 清人の言葉に、文子は同意した。彼女の笑顔が、純な子供ようで、清人はその笑顔が眩しかった。


 マンションを出て、再び祖父母の家に向かおうとすると、誰かが清人の事を呼んだ。清人と文子は同時に振り返った。


 三歩先に清人の祖母、吾嬬和子が立っていた。


「ばあちゃん!」


 清人が呼ぶと、和子は目を細め、にんまりと口角を上げた。清人はその笑顔が大好きだった。


「あなたが、文子ちゃんかい。随分べっぴんさんねぇ」


 和子が文子に視線を映し、告げた。文子は小さく会釈をして挨拶した。


「初めまして。八広文子と申します」


 そんな礼儀正しい挨拶が出来たんだ、と清人は内心驚いた。文子がそれを察知したかのようにじっと睨んだので、すぐに目を逸らした。


「じいちゃんに来るよう言われたんだけど、ばあちゃん何処かに行こうとしてた?」


「いんや、清人から連絡があってからまだ憑かないから、じいちゃんがまだかまだかとうるさかったから、散歩のついでに探してたのよ」

 時計を見ると、子供を見つけてから一時間経過しようとしていた。


「げっ、いつの間にかこんな時間に……ごめん」

「大丈夫よぉ、事故とかじゃなくて安心したわ。そんじゃ行こうかねぇ」


 清人と文子は、和子の後をついていった。道すがら近況を話しながら、祖父母の家へ歩いて行った。


 祖父母の家は、二階建ての家だった。一階が喫茶店で、二階が祖父母の居住宅だった。

 喫茶店は元々祖父母が経営していたが、定年退職したため、現在は当時の従業員に譲り、たまに店を手伝っているようだ。


「ただいま戻りましたよ」


 和子がそう言いながら入店した。


 一番奥のテーブル席に。清人の祖父、吾嬬弘がそわそわしながら待っていた。


「じいさん、孫が帰ってきましたよ」


「じいちゃん、久しぶり」


「おぉ、帰ったか──」


 弘は清人を笑顔で迎えた後、背後にいた文子を見つけて固まった。


「ふ、ふみちゃんなのか……?」


 弘はゆっくりと立ちあがり、文子に近寄りながら尋ねた。


 文子は頷き、久しぶりと答えた。感極まった弘が、文子の手を取ろうとする。当然、弘の手は文子をすり抜けた。


 何度掴もうとしてもつかめなかった弘は、ゆっくりと清人へ振り向いた。


「御覧の通り、文子さんは幽霊でして、俺達の身体をすり抜ける……らしい」


 清人は頭をかきながら弘に答えた。後ろで和子があらまぁと穏やかに驚いていた。


「お迎え……か?」


 弘が文子の事を見ながら呟いたので、清人と文子は必死に否定した。


「滅多な事言うんじゃありません」


「あぁ、そうか……すまん」


 弘が謝った後、四人はテーブル席に座った。


 清人が文子と出会った経緯を話した。弘達は清人の話を真摯に聞き、茶化さずに受け入れてくれた。


「連絡来た時はどうしたものかと思ったが、本当だったとはなぁ」


「てことは、こちらの文子さんはやっぱり……」


「あぁ。キヨシ兄ちゃんの恋人だった……じいちゃんの知っているふみちゃんだよ。じいちゃんも昔は墨田に住んでいたからなぁ」


 弘の答えを聞いて、清人と文子は互いの顔を見た。


「キヨシさんの事、もっと詳しく教えてよ。文子さんがなんで幽霊のまま現世にいるのか、少しでも手がかりが欲しいんだ」


 清人のお願いに弘は頷き、話し始めた。


 吾嬬キヨシは、弘より十五も歳の離れた兄だった。誠実な人で、近所の人からも評判が良かった。キヨシは弘のことを大層可愛がってくれたそうだ。


 そして、キヨシと一緒に弘の事を可愛がってくれていたのが、八広文子だった。彼女はキヨシの幼馴染で、弘が物心ついた頃には、既に交際を始めていた。


「幼かったじいちゃんでもよくわかるほど、兄ちゃんとふみちゃんは仲が良かった」


 弘は当時のことを懐かしみながら話した。


「それで……キヨシさんは、どこにいるの?」


 文子が尋ねた。弘は少し固まった後、目を伏せて首を横に振った。


 一九四〇年。二十歳になったキヨシは兵役についた。国の為に命をかけ、五年後に終戦を迎えても、彼が帰ってくることはなかった。


 文子が知らなかったのは、それよりも先に、彼女が亡くなったからだと、弘は説明した。


「たまたま人がいない時に隅田川で足を滑らしてね……気がついた時にはもう遅かった」


 弘は唇を噛みしめた。周辺が静かになり、清人は空気が重く感じた。


 暫時の静寂の後、文子がそうだったんだと言葉を漏らし、息を大きく吐いた。


「まさかこの年になって、またふみちゃんに出会えるとは思ってなかったが……本当に会えてよかった」


「うん、私も。またこうして会えてよかった。話してくれてありがとう」


 弘の言葉に文子は頷き、礼を述べた。


 清人は、もっと激情を見せるのかと思っていたが、文子は存外淡泊な様子だった。


「さ、今日は二人とも疲れたでしょう。上でゆっくりしてて」


 和子が清人と文子に言った。


 弘と文子が先に出て、清人も店を出ようとした時、和子に肩を優しく叩かれた。振り向くと、彼女は優しく微笑みながら、頷いていた。その真意に清人はなんとなく気がついていた。


 二階の祖父母の家に上がると、祖父母は夕食の買い出しに行くと言って、外へ出て行った。清人と文子はリビングで寛いでいた。文子はどこかを見つめてるようでもなく、ただぼーっと前方を見ているようだった。


 清人が大丈夫か尋ねると、文子はあいまいな返答をした。


「……すごく失礼な事だとわかってるけど、特にすごく悲しいとか、そういう感情がわかないんだ」


 文子は小さく呟いた。


「自分の死因についても、だからあの場所にいたんだぁくらいだし。キヨシさんについても、そっかぁって感じ……なんか、薄情よね。君と会った時は、キヨシさんの事しか頭になかったのに、最低よ」


「……そんな事ないと思いますよ」


「そんな事あるよ」


 否定した清人に、文子は重ねるように返した。


「好きな思い出ばかり覚えてて、肝心な事は忘れてた。自分勝手で、最低な女よ」


 呟いた文子の瞳から涙が溢れた。あれっどうして、と文子は溢れ出る涙を救い上げた。涙が止まらない文子はごめんね、ごめんねと謝り続けた。


 清人は窓越しに外の空を眺め、呟いた。


「土曜日の花火大会、一緒に行きましょう」


「花火大会……?」


 聞き返した文子に清人は頷く。


「キヨシさんがもういないなら、その人の分まで楽しい思い出を作ればよい。そうしていつか、キヨシさんに会った時にたくさん話せるように」


 代わりでも構わない。


 清人は、少しでも文子の悲しい気持ちを消してあげたかった。涙を流しながら頷く文子に、清人は微笑み返した。


 その日、名古屋で行われた花火大会は見に行かず、二人は祖父母の家で一泊した。


 翌日、新幹線で帰る清人と文子を、祖父母は名古屋駅まで見送ってくれた。


「元気でね、清人。文子さんも、ほんのちょっぴりの時間だったけど、また一緒にいろいろ話しましょうね」


 握るように手を重ねてくれる和子に、文子は有難うございますと言った。


 二人を見ていた清人の肩を、弘が軽く叩く。振り向いた清人に、弘は少し離れて放し飼したいとこっそり誘った。


「お前、ふみちゃんをどうしたいんだ」


 地下街の入り口付近で、弘は清人に尋ねた。言葉にほんの少し棘を感じたが、彼は心配してくれているようだった。


「どうすれば良いのかはわからない。けど、文子さんが泣いてるのは見たくない」


「あの子はいつかいなくなるのか」


「それもわからない。キヨトさんに会えば何か手がかりがあるかもって考えていたから」


 清人が答えた後、弘は腕を組み、そうかと呟いた。


「でも、少しでも楽しい思い出を作ってあげて、笑顔で別れたいなって思ってる。キヨトさんの代わりになれるかはわからないけど」


「代わりになんてならなくていい。お前は確かに、キヨシ兄ちゃんによく似ているが、清人は清人だ」


 弘は清人に頭を下げるよう、ジェスチャーした。言われるがまま腰を低くした清人の頭を、半ば強く撫でた。


「あんま無理するなよ」


「……ありがとう」


 清人は小さく礼を言った。ほんのちょっぴり涙が出てきたので、弘にバレないようさっさと涙を拭いた。


「じゃあ、行ってきます」


 合流し、清人は弘と和子に手を振った。文子も清人の隣で、同じように言った。


「行ってらっしゃい」


「気を付けてね」


 和子と弘は、清人達が見えなくなるまで、ずっと笑顔で見送ってくれた。


「弘くんと何を話してたの?」


 帰りの新幹線内で、文子に聞かれた。


 言おうか迷った後、やっぱり内緒にしておこうと思った清人は秘密とだけ答えた。


「隅田川花火大会、楽しみですね」


「……そうだね」


 小さな声で答えた文子の手に、自分の手を重ねようとする。


 ほんの少しだけ感じる冷気に、胸騒ぎを覚えながら、清人は文子ともう少しだけ一緒にいれるよう、願った。


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