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第二話

 梅雨が明け、暑い日々が続いている。


「よう、吾嬬。今日も暑いな!」


 通学路で、太平がアブラゼミにも負けない声量で清人に声をかけてきた。


「暑いならひっついてくるな。鬱陶しい」


 清人は苛立ちながら太平の腕を引きはがした。


 振りほどかれた太平は特に気にもせず、清人に話しかけ続けた。


「期末テストも終わったんだし、もっとテンションあげていこうや」


「随分と張り切っているな」


「もうすぐ夏休みだぜ!バイトに遊びにナンパに部活に……青春真っ盛りって感じでよ、やる事目白押しさ」


 太平の言う通り、もうすぐ夏休みが始まる。


 高校生活初めての夏休みに気分が高揚している太平をよそに、清人は深くため息をついた。理由はもちろん、八広文子である。


 彼女と出会ってから一週間が経った。最初こそ、誰かに相談し、あわよくば早々にお別れを告げられるのかと思っていたが、理解があり順応の早い家族や幼馴染で、あっという間に文子は吾嬬家の一員として受け入れられてしまった。


 家族と蟠りなく接しているのは良い事なのかもしれないが、それよりも文子の距離感が清人の心配事だった。


 文子に関する情報を掴めず、疲労が積み重なっていた。清人はこの日、ずっと上の空だった。


「帰ろうぜ」


 ホームルームが終わり、太平が清人に声をかけた。


 文子のことを考えていたせいか、清人の返事は朝よりも重苦しくなってしまった。


「そういや、文子さんの事はどうなったんだ?」


 帰り道、聞いてきた太平に顔を向け、太平の肩を叩く。振りが良かったのか、とても良い音がした。いてぇ!と叫んだ太平の事を気にせず、力強く肩を掴んだ。


「聞いてくれるか」


「聞く。聞くから!お前なんだその握力」


 清人の強引な誘いに、太平は当惑していたが、それでも了承してくれた。


 清人と太平は、行きつけの喫茶店に行った。


「それで、今度はなんだ。文子さんのことか?」


 清人は顔をしかめ、目を閉じながら頷いた。


 家族のことなどについては問題ないことを伝えると、太平は安堵したように息を吐いた。


「それは良かった」


 太平が明るい声で言った。その言葉に清人は頷くことが出来なかった。


 他に問題があるのか、太平が尋ねた。清人は伝えようか暫時悩んだが、遠慮するなよと太平が後押ししてくれたので、意を決して打ち明ける事にした。


「距離感が、さ……近いのよ」


「…………はぁ?」


 太平の表情が、気にかけているような優しい顔から一変、怪訝な顔つきにすっかり変わってしまった。


 吾嬬家の家は個人の部屋が設けられるぐらいには大きい家だった。それなのに、文子はしょっちゅう清人に寄ってきては話しかけてきていた。


「おはようからおやすみまで、ずっと一緒にいるんだよ……」


「のろけか?童貞みたいなメンタルしやがって」


「どどど、童貞言うな!そうじゃなくて、あの人、俺のこと未だにキヨシさんって言うんだよ。お前も初対面の時見てただろ」


 早口で弁明をして、太平は納得してくれた。


 話しかけてくるとき、文子はいつも、清人のことをキヨシと呼ぶ。訂正をするたび、文子は謝るが、それがなぜだか、清人の心に嫌な気持ちを積み重ねさせていた。


「最近、家が居心地悪いんだよ。だからあんま帰りたくなくて……」


「それはまぁ、そうなるよな」


 太平は腕を組みながら頷いてくれた。


「文子さんが成仏しない理由については、何か進展あった?」


 太平の問いに清人は首を横に振って答えた。


「一応、みんな協力してくれるって言ってくれたけど、どうだろうか」


 二人がそれぞれで腕を組み、唸っていると、声をかけられた。


 来訪者の顔を見て清人はうわっと叫んだ。


「ふ、文子さん。どうしてここに」


「いつまで経っても帰ってこないから、探しに来ちゃった」


 文子はにんまりと口角を上げた。気がついたら、五時を過ぎていた。


 文子は太平に挨拶をし、当たり前のように清人の隣に座り、メニュー表を眺めていた。清人は当惑し、ため息をついた。文子は気にせず、清人に質問をした。


「なにをしてたの?」


「なんにも、石原とだべっていただけ」


「えぇー!私とはお喋りしてくれないのに!」


 文子は不満げに言った。清人が再びため息をつくと、太平は苦笑いした。


「今日は違う服を着ているんですね」


 太平が文子の服装を指摘した。


 前の服は洗濯しようと脱いだら何故か消えてしまったようで、清人の姉が昔着ていたシャツとロングパンツをお古で貰った。


 文子がその事を説明すると、太平は驚きながらも納得していた。


「あ、抹茶のかき氷とか美味しそう!キヨシさん一緒に食べよ!あーんしてあげる」


「いらない」


「照れちゃってもう。遠慮しないで、ね?

「もうそろそろ店出るし」


 清人は深いため息をついた。太平が代わりに話題を変えた。


「そういや、文子さんの手がかりだけど、他のところに出かけたりするのはどうだ?水族館もあるし、電車に乗れば動物園もあるし」


「動物園!いいなぁ。キヨシさんも、好きだったよね」


「いい加減にしろよ!」


 清人は文子にとうとう怒鳴ってしまった。


「何度言えば覚えるんだ!俺はキヨシって名前でもなければ、貴方の恋人じゃない!」


 清人の声が、店内に響いた。幸いにも、他の客は一人だけだったが、その一人キョトンとした顔で清人達を見た。


 文子は瞼を大きくあけながら、清人を見た。五秒ほど沈黙が続き、文子は小さくごめんと言った。


「いつもいつも……人の事を元カレ扱いしやがって」


 清人は窓の外を見て、愚痴をこぼした。文子が何かを言いたそうにしているのが、窓に反射して見えた。


「まだ、何か?」


 清人は窓に向かって聞いた。文子は答えるのを躊躇っているようで、清人は苛立ちを隠さずに催促した。


「……お父さんも、お母さんも、今日は遅くなるって。お姉さんは夜出かけるからいないって言ってた」


「あっそ」


 ぶっきらぼうに清人が言った。


 俯く彼女を見て、清人は強く言い過ぎたかもしれないと、思い直した。それでも、文子に謝る気にはなれなかった。


「じゃ、じゃあ……帰るね」


 冷気が遠ざかっていく。数秒後、店の扉につけられたベルが小さく鳴った。


「お、お連れ様は……」


 水を持ってきた店員に、太平が大丈夫ですと答えた。


 気まずい。ここ数日の自宅よりも居心地が悪い。でもそうさせたのは自分自身だと、清人は理解していた。


「俺達も出ます。うるさくしてすみません」


 清人は席を立った後、店員に謝った。店員は首を横に振りながらいえいえと答えた。


「何かお困りでしたら、話聞きますよ」


 店員は怒るどころか、力になるよう言ってくれた。その優しさに清人は余計申し訳なくなり、会計をした後、再び頭を下げ謝った。


「大丈夫か?」


 退店した後、太平が清人に声をかけた。清人は別にとぶっきらぼうに答えた。


 文子に対しての申し訳なさと、それでも残る不満と、店で騒いでしまった事に対する反省や羞恥心が、身体の中を回り続けていた。


 理性で制御しきれなくて、とにかく帰りたくてしょうがなかった。


 商店街を離れた後、太平が清人の方を強くつかんだ。


「待てって。おい、大丈夫か?」


 太平は困惑した表情で清人の顔を覗いた。さっきまでずっと名前を呼んでいたらしい。


 太平から公園で休もうと提案された。


 公園に着いた清人と太平は、公園のベンチに座る。


「まったく、お前もああやって声を荒げる事があるんだな。いや、俺はしょっちゅう怒られてる気がするけど……」


「しょうがないだろ……あの人はいつも、俺の事を元カレとして見てくるんだから」


「そうだな。何度も注意してるのに直してくれなかったら、心が折れるよな。そこは文子さんも良くなかったろうよ」


「そうだろ?さっきも食べさせようとしたし、毎晩風呂入ろうって言ってくるし」


「大変だな……大変なんだよな?俺が聞かされてるの、悩みだよな?」


「そうだが?」


 太平は柔らかい声のまま、そうかと呟き笑った。

「まぁでもさ、店内で怒鳴るのは良くないだろう。吾嬬だって、怒られるのは好きじゃないだろ?」


「それは、そうだけどさ……てか、なんで俺に探させるよう言ったんだよ。石原が一緒にいてやれば良かったじゃん」


「俺?無理むり。間に入る隙がなかったって」


 太平は笑いながら言った。


「あの人、お前に会って凄く嬉しそうだったじゃん。凄いニコニコでさ。お前しか頼りになる人間はいないんだよ。かといって、元カレの名前呼ばれるのは嫌だろうけど」


 文子がひとりぼっちで川を眺めていた事を清人は思い出す。


 虚ろな目をしていた。今の文子からは想像もつかないような、生気の抜けた表情だった。彼女は幽霊なのだから、それが正しいのかもしれないが。


「全部受け止めるべきじゃないけどさ、力になってやりなよ。なまじ話が通じる相手が苦しんでるは、夢見が悪いだろ?」


 太平の言葉に、清人は頷いた。見た目が好みで、うっかり同情してしまったが、困っている人は放っておけなかった。


「まぁ、文子さんの件は俺も悪い。そそのかした張本人だからな」


 太平のことを見る清人。


「……それもそうだ」


「あぁ、悪かったよ。他人の空似だとは思えなかった反応だったし、信じられない話だったけど、あの人マジで困っていたし、なにより、お前がどうにかしたそうな顔をしていたと、勝手に勘違いしていた」


「それは……合ってる。俺のほうこそ、ごめん。お前にもあたった」


「いいよ。それより、帰って文子さんにも謝れるか?」


 清人は頭をかいた。


 彼女が長い間心細かったのも理解できたが、それでもやはり、名前を間違われるのはいい気分ではなかった。正確には、元カレだと思い込み、恋人扱いしてくることが、気に入らなかったのだろう。


 その事に気がついた清人は、急に顔が熱くなった。

「多分、大丈夫だと思う」


「あぁ、大丈夫そうだな」


 清人の顔を見て太平は笑った。


 そのあと、大きく身体を伸ばし、大声で羨ましいなと嘆いた。


「くっそ俺よりもいろいろ楽しみやがって……」


「別に楽しんでたわけじゃ……」


「ふざけんなよ。あんな美人さんと一緒に暮らせるだけ幸せなんだからな」


「ご、ごめん……えぇ……?」


 太平の情緒の乱れ方に清人は当惑しながら謝った。


「俺もはやく甘酸っぱい青春がしてぇよ……!」


「するんだろ、夏休み入ったら」


「そうだった。もうすぐ夏休みじゃん」


 そろそろ帰ろう、と清人が言った。清人と太平は公園を出て、駐輪場まで歩いた。


「石原」


「ん、なんだ?」


「ありがとう」


「……ははっ、どういたしまして。またな!」


「うん。また」


 駐輪場を出た後、二人は笑顔を見せあい、それぞれの帰路についた。


 家に着いたが、灯りはついていなかった。


 リビングに入ると、文子が夕暮れに照らされながら、ソファに横たわっていた。


 部屋に入ってから寸秒、誰もいないと思った清人は、文子に気がついてほんの少しびっくりした。文子と目が合い、清人は小さくただいまと言った。文子も少しあとにおかえりと返した。


 清人は出入口で立ち尽くしたまま、どう切り出そうか悩んだ。悩んだ末、とにかく謝る事が優先だと思い、ぎこちない気持ちのまま、謝ろうとした。


「さっきはごめん」


 部屋に響いたその声は、ひとつではなかった。


 清人と文子が同じタイミングで謝ったため、お互いに固まってしまった。文子が先に、謝罪の理由を述べた。


「いつも、君の事をキヨシさんって呼んで、ごめんね。すごく嫌な気持ちだっただろうし。」


「俺の方こそ、さっきは、店の中で急に怒鳴ったりして、ごめん。もっと、ちゃんと冷静に伝えれれば良かったのに」


 文子は首を横に振って、そんなことないよと言った。清人は文子に近づき、床に座った。文子も清人の話を聞くために、身体を起こした。


「そりゃあ、いつも自分の名前を呼ばれないのは嫌だったけど……なんか、自分を見ていないようで、怖くて、寂しくて。寂しかったのは文子さんの方なのに」


「私はただ、君に甘えていただけ。現世に留まっている理由を探さなければならないのに。君をキヨシさんと思えば、楽になれるって思い込んでいた」


 清人は俯く文子の手に重ねた。手はすり抜けて、同じ場所に手を置いている。


「探すよ。キヨシさんの事も、文子さんが留まっている理由も」


「ありがとう、清人君」


 初めて名前をちゃんと呼んでくれた。


 ほっとしたのも束の間、文子も床に座り、清人の胸に自身を預けるように傾いた。急に体が近づいて緊張したが、実態のない彼女を受け止めることは出来なかった。


 ほんの少しだけ自分の胸に埋まる文子を見て、清人はじっとした。受け止めることは出来なくても、受け入れてあげたいと思った。


 暫くして、文子が笑った。


「な、なんですか……?」


「ううん、その、心臓の音がよく聞こえるなぁって」


「生きてますから」


「それにしては、早くない?」


「それは……」


 それは、文子に緊張しているから。緊張している理由を考えた途端、恥ずかしくなった清人は咄嗟に文子から離れた。


「そろそろご飯にしましょう」


 清人は誤魔化すように立ち上がり、キッチンへ向かった。


「そうだね、キヨシさ……あっ」


 うっかり間違えてしまった文子は、手を口に当て、罰が悪そうに清人を見た。


「いいですよ。わざとじゃないんでしょ?」


「駄目よ。やっぱり名前間違えるなんて良くないもの。えっと……清人君、だよね」


「えぇ、清人です」


「わかった。清人君、清人君、清人君……」


 文子は清人の顔を見ながら何度も名前を呼んだ。


 急に下の名前で呼ばれるのは、それはそれで恥ずかしかった。


「ちょ、ちょっとずつ呼べれたらいいですよ!」


 清人は答えた後、文子から少しだけ離れた。


 文子はきょとんとしてみせたあと、口を両手で抑えながらくすくす笑った。


「……なんすか」


「照れてるの、可愛いなあって思って」


「んなっ……!」


「可愛いって、いい意味でだよ?」


「からかわないでください」


 ため息とついた清人に文子はごめんねと謝った。


「キヨシさんにもそういう感じだったんですか?」


「そんな事なかったと思う。多分、清人くんだからそう思ったの」


「喜んでいいのか、よくないのか……」


「清人君のいいところだよ」


 褒められているのかもしれないが、恥ずかしい気持ちも混ざっていて、複雑だった。


「ごはん食べたら仲直りも込めてお風呂に入る?」


「入りませんって。まさかそれも、俺だからからかってるとか……?」


「そういえば、キヨシさんと一緒に入った事ないかも。あれ、どうだったかな?一緒に入ったらなにか思い出すかもー……?」


「やだこわぁい」


 怯える清人を見て文子はけたけた笑っていた。


 とんでもない人だと清人は思った。


「そういや、キヨシさんは、怒ったりしなかったんですか?」


 夕飯を食べた後、清人は文子に質問を投げかけた。


「うーん、してたと思うし、普通に喧嘩してたような気もする……でも、その度お母さんに怒られたっけなぁ」


 文子は顎に手を当てながら、天井を仰いだ。暫くして、何かを思い出したかのようにあっと声をあげた。


「そういえば、喧嘩してると、弘ちゃんの前で恥ずかしいなんて、怒られた気がする」


「弘ちゃん?」


「うん。清さんの弟で、凄く年が離れてて……忘れちゃってた」


「弘ちゃん……」


 清人はその名を復唱した。


 清人の祖父の名前も、弘だったのだ。しかし彼は今、日野にいる。墨田区に住んでいたかどうかは知らない。しかし、今は探す当てがないのも確かだった。


「一応、聞いてみるか」


 ぼそりと清人は呟き、祖父にメッセージを送ることにした。

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