7.リリアベル・グリーンフォス
本日二話目です。
地面の雪はほとんど溶け、緑が僅かに顔を出し始めた庭。スノードロップももう満開だ。
その庭で私は焚き火を見守る。
パチパチと細い枝に火が回ったのを確認して、徐々に投入する枝を太くしてゆく。火が安定してくるとやはり温かい。ついでに言えばさつま芋を投入したいところだが、貴族令嬢の矜持でそれは控えた。
大分と火が大きくなったところで、布に包んでいたものを取り出し火に焚べた。
それは棒の先に弓なりに湾曲した金具がついたもの。
その弓なりに反っていた部分の糸が焼き切れ、パンッと音を立て戻る。同時に火の粉が巻き上がり私は慌てて一歩引いた。
直ぐに火は落ち着き私が焚べたもの――、ボーガンを燃やし始める。
そう、これはアデリー様を死へと導いたボーガン。この時代であれば本当はクロスボウと言うらしい。エリックが後で教えてくれた。
ついでに実物も見せてもらったが、これは幾分小さい。アデリー様が特別に作らせたのかもしれない。
それよりも何故これを私が持っているのか?
あの夜、私もアデリー様に呼び出された。
わざわざ人を遣って私に直接手紙が渡るようにして。
〈 真夜中過ぎに、東側の通用門が空いているから。貴方に見せてあげるこれが私の答え 〉
でも、貴族令嬢がそんな時間に出れるわけないし、手紙の内容もよくわからない。
行く必要なんてないと思ってたのに、私はこっそり家を抜け出しアデリー様の元へと向かっていた。
三十分も掛けて侯爵家に辿り着き、通用門をくぐったのはいいけれど。
「ここからどうしろと?」
誰かに聞くわけにもいかないし、そもそも人っ子一人いない。ちっさなランタン一つでホントにどうしろと?
ぶつくさ文句を垂れながら適当に歩いて行けば灯りが見えた。部屋の灯りだろうけど、こんな時間なのに煌々と点っている。
だからきっとそこだろうと向い、私はアデリー様を発見した。
「………ああ」
私の口から零れたのは感嘆の声。
亡くなっているのは一目でわかった。でもそれはまるで現実味がなく、一枚の繊細で美しい絵画のように私の目には映った。
だからこそ、そこに邪魔なものが落ちてることが気になった。それがボーガンであり糸の残骸。
残念ながら仕掛けは失敗していたが、その時の私はそれが何のためのものかはわからずに回収した。ただ本当に邪魔だったから。
だってこれはアデリー様が作りあげた見事な演出。愛を見限ったアデリー様が出した答え。
自らの死を賭して。
なのでエリックから他殺だと言われた時に驚いた。しかも凶器を持ち去り話しをややこしくしてしまったのが私自身だとか。
まぁ実際それはアデリー様の意思に沿ったこととなったけれど、もしかしたらそれも含めての私の呼び出しだったのかもしれないと、今は思う。
「リリアベル!」
庭の小道をエリックがこちらへとやって来るのが見えた。炎の中のボーガンはほぼ原型を留めていないが、追加の枝を投入して最後に小さなメモを一枚の炎の中へと捨てた。
「ご機嫌よう、エリック」
「ああ。家の人に聞いたらこっちだって言われて、何してるの?」
「ただの焚き火」
「ふーん………芋は?」
「言うと思った」
入ってないと言うとエリックは残念そうな顔をする。仕方ない、後で厨房で聞いてみるか。
「で、レイフォード様は元気だった?」
「ああ、うん。もういつものレイフォード様に戻ってたよ」
「いつものね…」
エリックは事件の全ての決着がついたことの報告にレイフォード様に会いに行っていた。そのあとにこちらに寄ると先ぶれを受けていた。
「憔悴した感じのレイフォード様も良かったけど、やっぱりスチル通りのレイフォード様の方が断然いい! しかも今は色気がプラスされてさらにいい!」
「そう言われても…」
「でも傷心の今なら押せ押せでしょ」
「……本気で言ってる?」
エリックがへにょりと眉を下げた。
私はため息を吐く。
「レイフォード様の心にはもう誰も入れないよ。二人の人間が彼の心を捕えてしまったもの。 貴族としての政略結婚なら心がなくても出来るでしょうけど、エリックはリリアベルにそんなものは望まないでしょ?」
下がり眉のままぎゅっと口を結んだエリックに私は笑う。
「レイフォード様と私のツーショットなら散々見たじゃない、諦めなよ」
「………じゃあ今度はドミニク殿下で」
「………」
まだ言うか、こいつは。
「いやよ。今は当分そーゆーのはいらないわ」
「ええーっ、そんな!」
不満を口にするエリックを無視して残りの枝を全て火に焚べた。冷えた空気の中、でも焚き火の周囲は暖かく、パチパチと爆ぜる音も心地良い。
そこで、思い出したように上着のポケットから手紙を一枚取り出す。
「それって…」
エリックがギョッとした顔で私の手にある手紙を見る。
「うん、アデリー様が残したもう一枚の手紙よ」
「ああ、やっぱり…」
「顔が強ばってる。 怖い?」
「怖いというより…、恐ろしい、かな」
エリックがそう話す理由。こちらの手紙には恨みつらみが文章として書かれてたいたから。
妻とは違う女性を愛した父親になぞらえ、レイフォード様もリリアベルにうつつを抜かす最低な男だと。そんな父親の娘でいることも、そんな婚約者のいずれ妻になる未来も、欲しくないので私は命を絶つと。
その罪を被らすのは心からの嫌がらせであると、手紙には美しい文字で書き連ねられていた。
二通の内容の異なる手紙。どちらがアデリー様の本心だったのかはわからない。任せたと言われた通り私がレイフォード様に渡したのは先の一通でこちらはエリックと私以外は誰も見ていない。
でもわざわざこんな内容のものを残したということはこれもまたアデリー様の本心だったのだろうと思う。
「でも実際ゲームのアデリー様の性格ならこっちの手紙の方がぽいんだよねー…」
エリックのそんな呟きを聞きながら手紙を火に焚べた。ボォッと一瞬で燃え上がる。
――貴方に任せるわ。の意味は、また別の捉え方も出来るのだ。それは手紙の存在自体を握りつぶすこと。
火は再び落ち着きを取り戻し、ゆらゆらと小さな炎を揺らめかせる。それを見つめ私は口を開く。
「ね、エリック、この燃やした方じゃなくてレイフォード様に見せた手紙の方なんだけど」
これは私が考えたまた別の想像。
「あれって貴方とは書かれていたけどレイフォード様の固有名は一度も出なかったじゃない?」
「ん? ……まあ、確かに?」
「あの貴方の一部が別の人を指すってことはないかな」
「え、なにそれ」
「文章が不自然な気がするんだよね。今焼いた二通目の方がまだ自然だった」
「そう?」
エリックは首を傾げ、私は指先を口元に当てる。
「………想像なんだけど、アデリー様が好きだった人ってホントはレイフォード様のお兄さんじゃないかな?」
「はっ!! えっ!?」
「婚約者であれば家にもよく行っていただろうしお兄さんとも顔を合わせてたでしょう?」
「そりゃ…そう、だろうけど…」
「しかもレイフォード様のお兄さんはとても出来た人だって言うじゃない。その頃のアデリー様は十歳前後でしょ、同世代のレイフォード様よりも年上の立派な紳士の方に惹かれるのは普通にあるんじゃない?」
きっとそれは少女時代に誰もが体験する淡い憧れであり、初恋。普通は年齢と共に徐々に昇華されるもの、だけど彼女の初恋は思いもよらぬ形で突然に奪われた。
それがレイフォード様を守ったがために。
「兄が命を賭けて守った弟、しかも己の婚約者。 憎いという気持ちがあったとしてもそれはレイフォード様のせいじゃないというのもわかってる。 レイフォード様自身も苦しんでいたしね。 だからずっと見守っていたんじゃないかな」
「見守る? レイフォード様を?」
「そう。愛した人が命を賭けた者を、それに値するか」
「……流石に、重いし、激し過ぎない…?」
「目的のために自分で自分の命を絶つ人だよ。そりゃあ重いし激しいでしょ」
「ああ…、…だよね」
でもレイフォード様は段々と兄の功績を、己自身で上書きしだした。そこにたぶん齟齬が生じた。
レイフォード様にそんな意図はなかったけれど、アデリー様には兄の死を過去のものにしようとしてるように見えた。
だから許せなかった。
「あの最後の二行は確実にお兄さんのことだと思う。 『だから私も』って書いてたでしょ? レイフォード様の中でお兄さんとアデリー様は永遠に傷として残るんだよ。 きっとあの人はもう過去の傷を忘れることが出来ないと思うから」
私が先に推理したものを全て覆す想像。誰にも、もちろんレイフォード様にも、話せない内容。
エリックはもの凄く複雑な顔で黙った。
理解は出来ないが、反論も出来ないってとこだろう。
「――ま、何にせよこれは私の想像でしかないから。事件の結末が変わるわけでもないし」
「それはそうだけど…」
「でも結局のとこは本人にしかわからないよ、アデリー様が何を思ってどうしたかったかなんて。 言われた通り愛のカタチは人それぞれだからね」
「でも、そんな愛のカタチ、僕は嫌だな…」
「………」
エリックへと向ける目が据わる。どの口が言うか、だ。
「エリックが愛を語るな」
「え、何? 酷い」
「酷いのはそっちだから」
「僕が何したのさ」
「無神経だし、自己中だし、鈍感だし、人の気持ちを慮れないし、無神経だし」
「無神経二回言ったね」
「大事なことだからっ」
「ええぇー…」
僕なんかした?と首を捻るエリックにフンと鼻を鳴らす。
今朝――家に、アデリー様からの封筒が届いた。
郵送の事情か、日にちを設定してたのか、消印は事件当日だった。
入っていたのは一枚のメモ。
〈 貴方の愛の結末を楽しみに待っているわ 〉
首を捻ったままのエリックを見て私はため息を零す。
「……待ってるって言われても、私はそこにはいかないから」
エリックに付き合うのは、自分を犠牲にしているわけではない。その先の確実な勝利を見据えているからだ。
だけど、それがどうしても叶わないとなったら私は――、
「今、何か言った?」
「……何も言ってない」
「ふーん? ――あ、それより来月学年が上がったら生徒会に入らない」
「生徒会…? ……ちなみに何故?」
「え?」
「キーワードが既に怪しい」
「えっ、気のせい、…だよ」
「じゃあ何で?」
「あ、えーっと…」
「………何で?(笑顔)」
「ド…ドミニク殿下が生徒会長に、なる…んだ」
「………無神経めっ(笑顔)」
「ええっ!」
少しばかり考えを改めねばならないかも。
――誰が駒鳥 殺したの それは私 と駒鳥が言った
――私の愛で 私の命で 私が殺した 駒鳥を
終わりです。ありがとうございました。




