6.アデリー・マイヤード
侯爵様からの許可は直ぐに下りた。
「レイフォード様にも伝えておいたよ」
「そう、ありがとう」
「――で、ここがアデリー様の部屋だ」
侯爵家の使用人が開けてくれた扉の中へと入る。そこで私が漏らした呟きは、
「…ホントに、あの人は…」
苦笑と呆れだ。
それはエリックには聞こえなかったようで。
「ご感想は?」
「うん、侯爵令嬢の部屋となればどれだけゴージャスなのかと思ってたら拍子抜けした」
「でしょ。僕の妹の部屋より質素だ。物も少ないし」
「じゃなくて無駄な物がないのよ」
「同じじゃない?」
「全く違うよ。それより日記は?」
その話しは終わらせ当初の目的へと戻す。
「えっと戻したはずだから…、あ、あったあった」
エリックは窓際に置かれたシンプルな文机の引き出しから、薄紫色の日記帳を取り出し
「本当に日誌か日報を読んでるみたいになるよ」と私に渡す。
パラパラと目を通せば確かにエリックの言う通りで、それは直ぐに閉じた。そして日記帳を持って文机へと寄る。
「ね、知ってるエリック。人って目的の物があった場所を再度探さないの。まあ当たり前っちゃ当たり前だけどね、見つけたんだから。 でもそれがカモフラージュだとしたら?」
「…え」
「この文机違和感ない? 天端の板と引き出しの間隔、広いと思わない?」
「えっ!」
私は日記帳をエリックに押し付けると、文机から引き出しを抜き取る。それも押し付け、引き出しを抜き取った空間に手を突っ込み、目当ての物を探す。引き出しは二つ、二分の一確率だが運良くこちら側でそれを探り当ててグイと引っ張る。
カチッと音が鳴った。
体を戻し机の天端を上へと押し上げる。その下には、高さはないが引き出し二つ分の空間が空いた。
「ええぇー…、何で…」
「こんなの貴族女子としては当然の仕掛けよ、私の部屋の家具にもあるもの。どれがそうかは教えないけど」
エリックは「まじか…」と眉を下げる。今後に役立てて欲しい。
さて――と、仕切り直しそこに置かれてあるものを見る。
そこにあったのは一通の封筒。困惑が顔に浮かぶ。
「………これ、私宛てみたいなんだけど…」
「そうだねぇ」
「何で?」
「僕に聞かれても」
封筒の表には私の名前が書かれてある。
手書きの美しい字だ。
エリックは扉の横で待機している使用人を呼んだ。
「これはアデリー様の字かな?」
「ええ、たぶんそうだと思われます」
「そう。ありがとう」
頭を下げた使用人はまた扉の横へと戻り、エリックは手紙を拾い上げるとこちらへと渡した。
「私が開けていいの?」
「だって君宛てだからね。それに内容が今回のことに関係があるかどうかわからないし」
「じゃあ遠慮なく」
それならばと、封筒を開けた。入っていたのは、たたまれた三通の手紙。その一番上の手紙を開く。封筒の宛名と同じ綺麗な筆記の短い文章。
〈 貴方に任せるわ 〉
……どういう意味だろう?
流石にこれではわかりようがない。
なので続けて二枚目三枚目を開く。そちらには少し長い文章が書かれていて、両方ともに目を通した私は「ああ…」と低い声を零した。
エリックが眉を寄せる。
「……リリアベル? …え、何か大変なことが書かれてたりした?」
「……うんん、違う」
私は持っていた手紙をエリックへと手渡す。
「僕が見ても?」
小さく頷くと、エリックは直ぐに目を通し始め。最初は怪訝に、続いては驚いたように目を見開き、最後は何とも言えない顔で視線を上げた。
「これは……」
そこから先の言葉が続かない。私は、今度は小さく首を振る。
「……レイフォード様に会いに行こう」
□
レイフォード様がいる場所を尋ねて、使用人に案内されたのは庭の奥まったとこにある東屋。
頻繁には手入れされていないのか、少し雑多に繁った木々の中にある古びた東屋だ。
そこの手すりに片足を預けるように座り、レイフォード様は雪の残る庭を眺めていた。
「…ここはね、幼い頃彼女とよく過ごした場所なんだ」
こちらから話しかける前に、視線はそのまま動くことなくレイフォード様は唐突に話しを始めた。
「昔からここだけは割と手付かずでね、どちらかと言えば自然に近くて格好の遊び場にしていた。昼寝をしたり本を読んだりかくれんぼをしたり。 ……その頃の彼女はもっとよく笑う少女だったよ」
彼女が誰を指すかなんて言うまでもなく。
整った横顔を見せていたレイフォード様はゆっくりと顔をこちらに向ける。
「侯爵が言うには、半年くらい前から婚約解消の話しは聞いていたらしい。私のせいだと謝ってきたよ。 自分の愛人問題で娘は愛だとかそういうものを毛嫌いするようになったって」
薄っすらと笑みを浮かべた顔からは、その本当の感情は読み取れない。怒っているのか呆れているのか。
「だけどそうだろうか? らしくないと思わないかい? 彼女なら、そういった自分の感情を優先して物事の決めないと思うんだ。 何が正しいか、どれが一番良い結果を生むかを合理的に考える。
…まあ私との関係を、そのどちらとも当てはまらないと考えたのだとしたらそれまでだけど」
レイフォード様は少しだけ視線を伏せた。
「衝動的ではなく本当に、……アデリーに、嫌われていたんだな私は…」
零された声は小さくかすれていて、表情よりもしっかりとレイフォード様の感情を表してるようだった。
私とエリックはまだ東屋の入口に立っていて、だけど話しをするにあたって一歩足を踏み入れる。
「私が――、…私が今何を言ってもたぶん信じられないとは思うんですけど…、アデリー様はレイフォード様を嫌ってはいませんよ。寧ろとても好きだった」
視線を上げたレイフォード様はふっと片頬を歪めた。
「確かに、とても信じ難い話しだね。 でも、君がそんな慰めの言葉を口にするとは思わなかった」
少し皮肉げにそう返したレイフォード様を見据え、私ははっきりと告げる。
「慰めの言葉はなんかじゃないですよ、事実ですから。だって私はアデリー様本人からそれを確認しましたもの」
「彼女…、から…?」
「アデリー様が亡くなる前日、うちに訪ねて来られました、その時に」
「え?」
その驚く声は後ろに立つエリックからだ。「聞いてない」と零す。そりゃあそうだ、だって言ってないもの。
アデリー様が訪ねて来ることは、誰にも口外するなと家の使用人たちに私が口止めをした。もしかしたら修羅場になるかもしれないと思ったから。
だけど訪れたアデリー様はいつもと同じ落ち着いた様子で。応接間に案内しようとするのを「ここでいいわ」と門前で言う。それは流石に駄目だろう。なので仕方ないから庭へと誘った。
「すみません、時期的に寂しい庭で…」
「そうかしら? あそこにはスノードロップも咲いているし、ここに咲いてるのは節分草ね」
「植えっぱなしの放置気味なので、思いもよらないところから花が咲くんです」
「それは楽しそうね」
私はちょっと驚く、アデリー様が本当にそうだと言うように口元を緩めたから。
だけど冷たい風が吹きアデリー様の艷やかな黒髪がそれを隠し、次に見えた時には何事もなかったかのようなきゅっと締まった唇があった。少し色が薄く見えるのは寒いからか。
「あちらへ参りましょう。あそこなら少しは風を避けられますから」
「ええ」
木塀が並ぶ場所へとアデリー様を促す。五月にでもなれば木塀には鮮やかなバラが咲き誇るが、残念ながら今は棘を纏う枝が這うだけだ。
「で、お話しとは?」
ここなら少しはマシだと、話しを切り出す。前置きを省いた単刀直入な物言いに、でもアデリー様は気にすることなく、同じように全てを省いた言葉を口にした。
「貴方は、レイフォード様を愛しているの?」
………は? 今、なんて?
私は目を瞬かせ、たっぷりと時間を置いたあと口を開く。
「マイヤード…、いえ、アデリー様がそれを尋ねられる理由は?」
「答えをはぐらかすのかしら?」
「そうではなく、質問の意図がわからないものには簡単に答えなど返せませんよ」
「……確かに、その通りね」
アデリー様は木塀を這うバラの枝へと視線をやり、手を伸ばすと棘をひとつ折った。
「私はレイフォード様と婚約解消するわ」
「え」
「だから彼は自由な身になる」
「……何故…?」
「何故? おかしなことを。 レイフォード様は貴方に惹かれている、そして貴方が彼を愛しているのならそこは喜ぶべきでは?」
アデリー様の指先はペキペキと棘を折る。それに意味はないのかもしれないが、何かあるのではと思ってしまう。
「それで、貴方は彼を愛しているの?」
視線が戻り、静かな瞳が私の答えを促す。
だから今度こそ、私は答えに詰まった。
愛していると言えばそれは嘘だ。
嫌いではない。レイフォード様はとても素敵な人だから。じゃあ好きかと言われればたぶんそちら寄りではある。
ただ愛ではない。私にそこまでの思いはない。だって私にあるのは――。
「……レイフォード様は普通に好きです。 エリック、…幼馴染のダンシェル子爵令息も応援してくれてるので」
「貴方それは――」
「だけど愛しているとは、まだたぶん言えないですね…」
「………」
その導き出した答えに、目の前のアデリー様は何とも言えない顔をしている。そしてきっと私も。
アデリー様は深く息を吐いた。
「…愛のカタチは人それぞれということね、貴方の愛も、そして私の愛も」
「アデリー様の、愛…?」
思わず返せば、アデリー様は小さく口の端を上げた。笑みというより、それはどちらかと言えば悲しげな顔で。
「だけど私は愛を見限った。 だからレイフォード様とは婚約を解消するわ」
「え、それって」
「それだけを伝えたかったの。 お邪魔したわね」
話しはこれで終わりということ。
「………いえ、こちらこそ何のおもてなしもせずに」
「じゃあ、このままここで失礼するわ。ご機嫌よう、グリーンフォス子爵令嬢」
「はい。ご機嫌よう、アデリー様」
これが私が見た生きているアデリー様の最後だ。
アデリー様が言った愛、見限った愛、婚約解消となった、……愛。
「だからアデリー様は自死を選んだんです」
「――ま、待ってくれっ!!
………アデリーが、…自殺…?」
「先ほど現場で確認を済ませました。 後で詳しく調べ直しますが、マイヤード侯爵令嬢は自殺に間違いないかと」
愕然と、声を上げたレイフォード様に業務連絡のように淡々と答えたのはエリック。わざと感情を乗せないようにしたんだろう。
「…いや…、でも…、他殺だと…?」
「正確には他殺に見せかけた自殺、となります」
「そんな馬鹿な! 彼女が何のためにそんなことを!?」
「それは……」
「彼女がっ、アデリーが! そんなことをするはずないだろう!」
「レイフォード様…」
詰め寄るレイフォード様に、作っていたエリックの表情が崩れ、痛ましげに眉を寄せる。なので私が言葉を引き継いだ。
「必要があったんです。 アデリー様には」
「…必要…? …何故…」
「アデリー様は愛を見限ったと言っていました。だから婚約を解消すると」
「だからそれは私を…」
「違いますよ、アデリー様が見限ったものは『愛』そのものです」
「愛…?」
「……そこは確かに、変わっていったアデリー様とレイフォード様の関係もあったかもしれませんが、大きくは侯爵様の言う通り、侯爵様と愛人のせいだと思います。…もう確認することは叶いませんけれど…」
それが正解であるかどうかは、もう誰にもわからない。故人がカタチとして残したものがない限り。
「それが…、他殺に見せかけることと、どう繋がると…」
レイフォード様の問いに私は緩く首を振る。
「それもまた正確には違うんです」
「…違う、とは」
揺れる藍色の瞳を見つめながら、一呼吸おいて私は言う。
「アデリー様は貴方にその罪を押し付けたかった。
貴方を、犯人にしたかったんです」
「……………は…」
押し出すような息が吐かれ、驚愕に開かれた目が、スッと下へと沈んだ。
「…彼女はそこまでの私のことを…」
嫌いだったのか…と、零れる。だから訂正する。
「違いますよ。 先ほど言いましたよね? アデリー様はレイフォード様が好きだったと。 だからこそこんな計画を立てた」
「…そんな、そんな馬鹿なことがあるか!?」
レイフォード様は憤るように顔を上げた。
「好きだと!? 私を!? じゃあアデリーは好きだという者を罠に嵌めたということか!?」
「ええ、そうですよ。アデリー様は貴方を罠に嵌めた。だからあんな時間に呼び出し、口論をし、そして死んだ」
「――っ!」
「レイフォード様にはきっと理解出来ないと思います。けど、それがアデリー様の愛し方」
私は少しだけ声のトーンを落とす。
「……愛のカタチは色々だと言っていました。アデリー様が見限り捨てたのは移ろい変わる愛。そして求めたのは消えない跡を永遠に残す愛。貴方の心に棘を残し、抜けないようにするためにこんなことをした。 憎しみでなく愛してるがために」
アデリー様の激しい情。氷の心を溶かすほどの愛。
「馬鹿な…っ」
吐き捨てるような声だった。
そりゃあそうだ、レイフォード様にとっては迷惑極まりない行為でしかない。しかも。
己の命を賭してまで。
それは彼の過去を刺激するもの。
自分のために、自分のせいで。
アデリー様もそれは知っていたはずだ。
…いや、知っていたからこそか…。
私はアデリー様から託された手紙を取り出し、項垂れるレイフォード様の前に立つ。
それに対しエリックが何か言いたげにこちらを見たが言葉が出されることはなく、逆に口元をぐっと締めた。
「レイフォード様、これをお渡しします」
「……?」
私の声で、のろのろと顔を上げたレイフォード様に一枚の手紙を差し出す。
「アデリー様からの手紙です」
「………私に、か…?」
「ええ、レイフォード様に」
「………」
レイフォード様はゆっくりと手を伸ばし、手紙に触れる寸前で一度躊躇うように手を止めた。そして小さく息を吐いたあと、意を決したように受け取り――開く。
そんなに長くはない文章だ。
レイフォード様の目が手紙の上を数度往復してから、ぎゅっと閉じられ、グシャリと握りしめられた手紙。
それを拳ごと顔に推し当てレイフォード様は崩れ落ちるように膝をついた。
「――…ぁ……っ」
〈 これは私の懺悔。貴方を苦しめることの。
神の御前で永遠を誓ってもそれが何の意味を持たないことを知って私は考えた。どうすれば心を捕えることが出来るのかと。貴方の心に私を刻みつけることが出来るのかと。
きっと馬鹿なことをと怒るでしょう。だってこの行為は貴方の傷を広げるものだから。
だけどそれが私の望み。
貴方を愛してます。
だから私も貴方の傷となる 〉