4.被害者と容疑者
艷やかで豊かな黒髪、アメジストのような紫色の瞳。人形のように整った顔は人に冷たい印象を与え、隙なく美しい身のこなしは彼女を完璧なものにする。
私がアデリー・マイヤードを初めて見て感じたイメージは、雪の女王だ。
だけど純粋にとても綺麗な人だと思った。
諸事情で移動はなるべく人通りの少ないところを選んで歩いてはいる。だけども。
「グリーンフォス子爵令嬢!」
声高に呼び止められて、自然にため息が零れる。結局は諸事情に捕まってしまった。
げんなりとした気持ちを何とか押し込め振り向けば見慣れた少女たちの姿。五人ほどいるが名前は――、必要性を感じなかったので覚えていない。
まあアレだ、アデリー様の取り巻きと言うやつだ。ここにアデリー様本人の姿はないけれど。
「ご機嫌よう皆さま。私に何か用事が?」
「用事がですって!ぬけぬけと図々しい!」
「貴方! レイフォード様はアデリー様の婚約者であることをわかっているの!」
「そうですね、ええ、わかっていますけど」
「なっ…! わかっててあの行動!? 本当に、なんて図々しい…」
図々しいを二回ももらってしまった。自分としても確かに間違ってはないと思うけど。
「あの、それで用事はそれってことですか?」
「それ以外に何があるっていうの! レイフォード様に近づくのはやめなさい!」
私が近づいたわけではない。エリックのせいだ。
「けれど別にやましいことは何もないですよ? それに、ブラッデン公爵令息とご一緒する時は、大抵エリック…、ダンシェル子爵令息と一緒ですから」
それは絶対ではないけれど、二人の時は人目のあるところか、開けた場所でしかない。
でもその回答ではお気に召さなかったらしい。色々な努力の結果の顔が般若のように変わる。
「言葉を交わすこと自体が許されないことなのよ!」
「それは…、流石にどうかと思いますが?」
「うるさい! 生意気なのよ貴方!」
「ちょ…っ!」
髪をグイと引っ張られた。まさかの暴挙に油断した。
パシッ!と耳元で音が鳴り、直ぐに頬が熱を持つ。叩かれたと理解したのは熱が痛みに変わってからだ。
再び振り上げられる手、だけどそれが降ろされる前に「やめなさい」と低い声が飛んだ。
スッと立つ姿勢の美しい麗人。
「……ア、アデリー様…」
「恥ずべき行為ね。多勢で一人を取り囲むなんて」
「でもこれはっ」
「その上見苦しい言い訳を重ねるつもり?」
「いえ…、その…」
「何にせよ、貴方たちが彼女に、…グリーンフォス子爵令嬢に無礼な行為を働いたのは確か。
――で、謝る気は?」
黒髪の少女の冷たい視線を受け、私を取り囲む少女たちはぐっと唇を噛んで。それを見た私はため息と共に声を漏らす。
「気持ちのない謝罪なんて結構ですよ、必要ありません、マイヤード侯爵令嬢様」
「……そうですか、わかりました。 では、貴方たちは先にお戻りなさい。令嬢への謝罪は私が引き継ぎます」
「アデリー様!?」
「グリーンフォス子爵令嬢は貴方たちの謝罪は必要ないと言ったのです。 ならばその行動に至った原因である私が謝るべきでしょう」
「そんなっ!」
「それを不服と思うのなら、今度から己の行動を律しなさい」
少女たちは、黒髪の少女――アデリー様の冷ややかな声に顔を青ざめさせ、そしてこれ以上ここに留まることは得策でないと思ったのか互いで押し合うようにして立ち去った。その際私を睨みつけて行くことは忘れずに。
何だかなぁ…と、大きく息を吐く。
「貴方への非道な所業にお詫び申し上げますわ、グリーンフォス子爵令嬢」
「………貴方が謝る必要もないですよね、マイヤード侯爵令嬢様」
綺麗な所作で頭を下げたアデリー様に私はそう返す。
「貴方を慮っての行動はたぶん半分くらいで、後は単に私が気に食わなかったからでしょう」
ゆっくりと姿勢を戻したアデリー様は微かに口角を上げる。
「半分でも、謝罪の価値はあるのでは?」
「でも謝ることは非を認めることですよ? 貴方は別に何もしていない。 …それとも、実はこうなるよう貴方が仕組んだことですか?」
私の言葉にアデリー様はさらに口角を上げ、美しい笑みを見せた。少しだけ息を飲む。
「そんな馬鹿げたことなど私がするはずないと、言ってしまえばそれまでですわ。それ以上誰も言及してはこないでしょうね」
「――えっ、じゃあ、貴方が、」
「いいえまさか。 言いましたように馬鹿げた恥ずべき行為など、私の矜持が許さない。 だけど違うという立証も出来ない。 言葉など私の立場では是とも、非とも変えられるものだから」
「………」
確かにその通りだろう。高位の貴族であるアデリー様の発言であれば白を黒、黒を白と言ってもそうだと頷くものも大勢いるはずだ。たとえそれに違和感を覚えたとしても。
だけど私は緩く首を振る。
「なら私は貴方の矜持を信じます、マイヤード侯爵令嬢様。 貴方はきっと貴方自身を裏切らない」
アデリー様は少し驚いたように目を見開き瞬いた。そして先ほど見せた笑みとはまた別の、どちらかといえば不格好な歪んだ笑みを浮かべた。
渇望と失望と自嘲と諦め、それが彼女の瞳に見えるもの。
「まさか…、それを言うのが貴方だったとは」
静かな声であった。けれど、雰囲気に飲まれ何も言えずにいれば、アデリー様は直ぐにハッとしたように視線を伏せ、フワリと翻るスカートまで計算したかの如く背を向けた。
そのまま何も言わずに立ち去る。滅多に見ることなどないだろう雪の女王が見せた動揺。
「……ふーん…、叩かれた価値はあったかな…」
見送る私はポツリと呟いた。
□
「リリアベル?」
いつの間にか戻って来ていたエリックからの呼び掛けに、伸ばしていた手をスッと引いて。立ち上がる私にエリックが怪訝な顔を向ける。
「どうかした? 何かあるの?」
「え…、うんん何でもない」
「そう? ――あ、それよりも、今レイフォード様がここに来ていて」
「レイフォード様が? 何故?」
「あー、うん、一応現場での事実確認的な」
「事実確認って…?」
エリックは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「どうもアデリー様が最後に会ったのはレイフォード様みたいなんだ」
「え」
エリック曰く、レイフォード様はその夜、アデリー様に手紙で呼び出され会いにいったらしい。だけど内密にということで誰にも告げず、公爵家の馬車でなく辻馬車を拾って向かったのだと言う。
「その手紙は?」
「燃やせと書いていたから燃やしたらしい」
「あちゃー…。 で、レイフォード様は何て?」
「話だけして帰ったみたいだ。けど、誰もそれを見てないんだよね」
侯爵家の防犯それでいいの?と思ったが、アデリー様の指示があったようだ。離れに近い通用門を開けておくようにと。
エリックは顔をしかめ渋い声で言う。
「せっかく二人は捜査の線上から外したっていうのに…。誰かがレイフォード様を陥れようとしてるんだよ。 レイフォード様であるはずないのに」
「エリックには確信があるの?」
「だって殺す動機がない」
「………」
それはどうだろうか? 動機という点であれば彼には『ある』と言えるのでは。私が言うのもなんだけど。
そんな私の表情に気づいたのか、エリックはきゅっと眉を寄せる。
「アデリー様が居ても居なくても、君とレイフォード様が結ばれることは確実なんだから殺す必要なんてないだろう、そんなの」
「………」
なるほどそうくるか。 私は気づかれないほどの小さなため息を吐く。
「まあ…、エリックの意見は取りあえず置いといて。 レイフォード様は今、容疑者候補なのね」
「……ローラン兄さんの話しではそうだね。それに辻馬車の馭者がレイフォード様が酷く思い詰めた面持ちで戻って来たとか言いやがってっ」
「エリック言葉遣いがアウトよ」
「うっ、……言いまして…」
でもそれは確かに有力な容疑者候補となり得る。
「それでレイフォード様は、アデリー様とどんな話しを?」
「大した話しではないって、夜会のこととか次の顔合わせの日程だとからしい。でも、それくらいの用事でわざわざそんな時間に来る必要はないだろうからって…。取りあえずは今日は一旦解放されたけれど、また呼び出しを受けるかもしれない」
「ふーん、それでもレイフォード様が解放されたってことは、その後でアデリー様が生きてることが確認されたってことね」
「ああ、使用人がアデリー様と扉越しに話してる」
「でも姿は見ていない、か」
私は指先を口元へと当てた。
「………」
「………リリアベル?」
「――ね、レイフォード様はもう帰ったかな?」
「え、どうだろう? 馬車停めの方に行ってみる?」
「ええ」
□
エリックと連れ立って馬車停めまで行くと丁度馬車に乗り込むところのレイフォード様が見えた。
「レイフォード様!」
エリックが大きく手を振り声を上げる。
「やあ、エリックにリリアベル」
エリックの呼び掛けに馬車からこちらへと向き直ったレイフォード様。久しぶりに顔を合わせたが、少し痩せたのか目元や頬に陰影が増えている。
「レイフォード様、ご機嫌よう…――とはいかないですよね、今日は」
言いかけて、流石に今日この場でご機嫌ようはないなと改める。それにレイフォード様の顔色もご機嫌ようとはほど遠い。
「ああ、君たちももう知っているのか…。というよりも、エリック、君は捜査関係者だよね? さっき彼らと話してるのを聞いた」
「えっ、…あ…」
「それが君の仕事ってわけだ」
チラリとレイフォード様が私を見た。でもそれは直ぐに逸れ視線はエリックへと戻る。形の良い唇が自嘲の笑みを刻んだ。
「――で、そんな君に呼び止められたってことは、私に不利な、そちらにとっては有利な何かが見つかったってことかな?」
「は…っ!?」
「容疑者から犯人に格上げだろうか?」
「そ――っ、そんなのあり得ないっ!絶対! レイフォード様を犯人だなんてっ、絶っ対にさせません!」
エリックの剣幕にレイフォード様の自嘲の笑みは消えて、今度は戸惑いが表情に現れた。それでもなお言い続けようとするエリック。その肩をポンポンと叩き、一旦落ち着け――、としてからレイフォード様に口を開く。
「だから言いましたよね、エリックは貴方の信奉者だって」
「…あ、ああ…」
「用事があったのは私です」
「君が?」
「はい、聞きたいことが。レイフォード様はアデリー様と最後にどんなことをお話しされたんですか?」
「………」
エリックの猛勢で若干引き気味だったレイフォード様の顔がすっと翳る。
「…何故そんなことを気にするんだ? そんなの大した――」
「ことないですよね。わざわざ遅くに、しかも人目につかないよう呼び出しておいて、大した話しとか。 そんなはずないですよね?」
「……でも実際そうなのだからそうとしか言えない」
翳った目で私を見下ろしそう言い切ったレイフォード様。何時ぞやと同じハイライトのない目だ。
「それは言えないんですか? 話したくないんですか?」
「どちらも違う、話す必要がないから言わないんだ」
「そう…、じゃあ言い方を変えます。 それはアデリー様の矜持を守るためですか? それともレイフォード様自身の?」
レイフォード様の顔がより一層翳った。
「アデリー様はレイフォード様に何を?」
いつの間にか翳った顔は下を向いていてレイフォード様の表情を隠す。
エリックが私の肩を叩いた。落ち着けではなく、大丈夫かというように。眉を下げたエリックに私は緩く首を振る。それは何の意味もない動作だけど。
「……アデリーから、」
ふいに声がして、私は視線を戻す。だけど声の主、レイフォード様はまだ下を向いたままで。綺麗にスッと通った鼻筋の向こうに見える口元が小さく動く。
「…婚約破棄に関する書類が届いたんだよ」
「婚約破棄…?」
「いや、どちらかと言えば婚約解消かな。 互いのためにもそれが良いだろうって」
顔を上げたレイフォード様にはもう翳りは見えなかったが、代わりに凪いだ目がそこにあった。
「真意を確かめたくて、それであの夜アデリーに会いに行ったんだ」
アデリー様はそのままの意味だと言ったらしい。
互いに気持ちがないのに婚約者という立場を維持するのは無駄だろうと。家同士の繋がりに関してもどちらかに瑕疵のある婚約解消ではない限り、それが破綻することはないだろうと。
アデリー様は淡々と、そう話したと言う。
「事後報告のように、私の意見など最初から聞くつもりはないかのように、事務的にあまりにも淡々と話しを進めるから少し憤りを覚えてね、口論になったんだ」
「口論ですか…」
「ああ。 これを言うと私は余計に不利な状況になるよね」
口論の末に勢いあまって、というパターンはいくらでもある動機だ。衝動的な犯行。だけどその際に弓矢なんて面倒くさいものを凶器として使うだろうか?
「最後は、『貴方なんて一度も好ましいと思ったことなどない』と言われてね。ずっと嫌われていたのかと愕然とした。 婚約していた期間以前の幼馴染として過ごしていた時期も含めてなら、それはとても長い間だ」
それに対して掛ける言葉はなく静かに黙る。
「…確かに、今の私はリリアベルに興味があるし実際惹かれている。だけど、アデリーとは長く共有した時間はあったんだ、そこに気持ちがなかったとは言えない」
レイフォード様は自嘲気味の笑みを口の端に小さく浮かべる。
「でも彼女にとっては違ったらしい」
「………」
「それに後悔もしてる」
「…後悔?」
「そのまま帰ってしまったことを。口論でもいい、もっと長い間あの場に留まっていればアデリーはこんなことになっていなかったかもしれない」
それはきっと誰もが思うもの。
あの時――、自分が――、私が――、
こうしていれば――。
でもその言葉を口にする時は全てが遅い。
ゲームでいけばここは慰めの声を掛けるところだろう、好感度を上げるならば。
だけど私は口を噤む。語るのは心の中だけ。
( レイフォード様は私に惹かれていると言ったけれど、ちゃんと…、わかっているのだろうか? )
呼び出されたとはいえ、婚約解消の手紙を受け直ぐにアデリー様に会いにいった意味を。そしてアデリー様の言葉で憤った理由を。
「…レイフォード様は…、泣きましたか?」
「え…?」
「アデリー様のために、きちんと泣けましたか?」
急な話しの振りに、レイフォード様はその言葉の意味を理解しようと目を瞬かせ、その後クッと顔を歪ませる。
「……無理だ。 きっと彼女のためには泣けない、…いや、泣きたくない」
その発言に至った心の中にあるわだかまりの意味を。その泣きたくない理由を。
…レイフォード様は、ちゃんと理解しているのだろうか?