3.エリック・ダンシェル
本格的な冬は終わり春へと向かうこの季節、屋敷の庭にはまだ少し雪が残る。
その庭にあるガラス張りの温室にお茶の席を設け、侍女は離れた場所に待機してもらいエリックと向かい合う。
「早速本題に入るけど、アデリー様は殺されたの? 自殺ではなく?」
「やけに自殺にこだわるね」
「いや、そういうわけではないけど…」
エリックの企み通りに、レイフォード様と私の仲はかなり近くなった。
学園でも噂は広がり傍目で見れば、親密な仲だと思われてもおかしくはなかったと思う。
もちろん、そのことはアデリー様の耳にも届いていただろうし、一緒にいるところは何度も見られている。だからこそ―――、
「ええっと、亡くなったのは三日前、死後硬直と体内温度から死亡時刻は真夜中から明け方。場所はマイヤード侯爵家の離れの一室で、」
「…離れ?」
エリックの声が耳に入り、一旦思考を締め出す。
「マイヤード侯爵家には愛人を住まわすための離れがあるんだよ」
「うわー、高位貴族って感じ。そんなの家庭内はど修羅場じゃない?」
「いや、今は誰も住んではなくて。 噂ではアデリー様が追い出したらしい」
「へえ…、アデリー様が」
エリックは話しを進める。
「死因は首に受けた裂傷による失血死。凶器は弓矢」
「弓矢?」
「ああ、頚動脈を切り裂き骨で止まってた」
「……そう」
生々しさに顔をしかめると、エリックが慌ててた様子で手を振った。
「ああ、ごめんっ。 詳しく説明するつもりは…、ついクセで」
「いいよ、別に。ちょっと想像しちゃっただけだから」
私はカップを手に取りハーブティーを一口飲む。胃のムカつきがスッとする。
そしてエリックがどうしてこんなに事件の詳細を知っているかと言えば、それは前世の記憶と関係する。
「ホントに、殺人…なんだね。 犯人は捕まったの?」
「いや、まだだよ。 部屋のものは荒らされてないし、無くなってるものもないから物取りの犯行ではない。それと――」
躊躇うように少しだけ言い淀む。
「……暴行を、受けた形跡もない」
「ああ…」
なるほど。被害者が女性であればそういうこともある。プラス、高位貴族の令嬢を穢すともなればさらなるステータスとなる。
ただその場合は余程のことがない限り殺されることはなく、ただ貴族としての矜持からそれこそ自死を選ぶことになるだろう。
どちらにせよムカツク話しだ。
「だから今は怨恨の可能性で調べるみたい」
「恨みをかった、って」
「そう、マイヤード侯爵家に対してのものか、アデリー様個人に対してのものか」
「ふーん…。じゃあ容疑者は? ある程度絞り込めてたりするの?」
「どうだろう? 捜査の方は管轄ではないからね。 僕はあくまでも現場を調べるだけだから」
エリックは軽く肩を竦めてから冷めたハーブティーをぐいっと一気飲みした。
エリックの前世――、それは警察の鑑識課に所属してたという。
そんなのサスペンスドラマでしか見たことなく、聞いた時はかなり興奮したものだ。
ただまだ研修から現場に配属されて間がなく、大した経験値は踏んでいないと言っていたが、それでも中々お目にかかれる職種ではない。ただの社畜であった会社員の私では。
そして今、学生であるはずのエリックが何故そんな鑑識捜査官まがいのことをしてるかといえば。
エリックの父親であるダンシェル子爵は街の治安を守る部署のトップにいる人物の補佐官をしていて。でもその当時はまだ現場で指示を出す立場であったダンシェル子爵は、中々進まない捜査状況によく家で愚痴を零してたという。
うん、捜査の話しを家庭内で話すのは駄目なやつだとは思うが、それを聞いていた息子であるエリックが父親にポロリと助言してしまったことが事の発端。
それはこの世界ではまだ使われていなかった画期的な捜査であり、尚且つそれで事件が解決してしまった。
そりゃあ唖然となるし愕然とするだろう。
「うちの息子天才では…っ!!」
「いや…、父さん落ち着いて…」
目を輝かせる子爵を何とか落ち着かせて、説き伏せて、誤魔化して。
それでも、どうしてもと請われる現場だけは駆り出されることになった。
どうしても――、
それこそ侯爵令嬢の殺害事件なんてそうでしかない。
空になったカップに新しくハーブティーを注ぐ。
「この展開は元からあったものなの?」
少しだけ温くなっただろうそれを勧めて尋ねれば、エリックは「ありがとう」と返してから小さく首を振る。
「いや、僕も初めてだ。 基本アデリー様はレイフォード様ルートに入らないと登場しない人物なんだよ。 だから他のルートでのアデリー様の動向はわからないけれど…、今僕らが進んでいるルートにおいては婚約破棄一択のはずだ」
「そう、なんだ」
「うん。 レイフォード様ルートは他のルートより比較的穏やかだからね。 元々、婚約者同士の二人に強い感情はないから。まあ簡単過ぎて初心者ルートとも呼ばれていたけど、僕にとってはビジュアルが一番大事だから 。 リリアベルにはやっぱりレイフォード様だろ」
「ぶれないね?」
「そりゃあね」
私は苦笑を零して再びカップに口をつけた。ドサリバサリと屋根から解けた雪が落ちる音がする。
「想定外の事件かぁ。それはやっぱり私たちのせいかな」
「うーん…、ここがゲームだけの世界でないことは確かだろうね、なんせ選択ウィンドウがない。選べる選択は千差万別だ。その選択のひとつがこの状況を生んだかもしれないけど」
「せいって言ってるじゃない…」
「かもだよかも。 侯爵家のゴタゴタが原因かもしれないし。そうなってくると僕らとは関係ないことだ」
「何にせよ動機と原因はまだわからないってことね。――じゃあ凶器は?」
「え」
「そこから犯人を割り出したりは、」
「出来ないよ、矢はあっても本体が見つかっていない」
「…あら」
「てか、何? 探偵ごっこ?」
エリックは鼻の頭にシワを寄せる。けれど。
「だって気になるじゃない」
アデリー様とは深い関わりがあったわけではないが、関わりが無かったわけでもない。
そこに特定の人物を挟んでであれば十分に関わりはあった。そう、彼女の婚約者であるレイフォード様を通しては。
「――それより、レイフォード様には?」
「え、あー…、うん。 もう伝わってるよそりゃ。ずいぶんと驚いていたらしい」
「エリックが会ったわけじゃないのね」
「だね、僕は捜査員じゃないから。 もちろん、君もだよ、リリアベル」
さらに釘を刺してきた。
「さっきも言ったでしょ、気になるんだって。 でも気になるだけよ? まだ何も言ってないし」
「まだ」
「取りあえず?」
「余計悪くなった」
顔をしかめるエリックに私は小さく鼻を鳴らす。
前世の記憶に引きずられるのか事件に首を突っ込もうとすると途端態度を固くする。一般人は関わるなってやつだ。
でも私はそれについての対処法をいくつか取得済みだ。
「でもね、よく考えて。 アデリー様が殺されたってことは、まず容疑者として疑われるのは身近な人だよね」
「それがマニュアルだからね」
「うん。既に聴き込みとかも回ってると思うし。そうなれば学園の噂とかも仕入れてるよね」
「……だろうね」
「じゃあ私とレイフォード様って有力な容疑者候補じゃない?」
「いや、そうはならないよ」
あっさりと宣言するエリックを見て、「あ、これはもう、それを潰す方向で動いてるな」と思う。
( …なるほど、その件でお父様に会いに来たのね… )
私が自身の潔白を晴らす名目で首を突っ込んでくるだろうことを見越して、予め先手を打ってきたか。
ならば仕方ない、もう一つの原始的な方法でいくだけだ。
私は一定の評価のある甘い顔に、さらにシロップをかけたか如く甘い笑みを浮かべる。――と、エリックがギクリと顔を引き攣らせた。
「……ね、エリック」
「な、なに…」
「私、レイフォード様ルートでなくてもいいんだけど?」
「ええっ!? そんなのダメだ!」
「どうして?」
「どうしてってっ! だってリリアベルはレイフォード様じゃないと!」
「でもそれってエリックの意見だよねー。私関係なくない?」
「それは…っ」
甘い笑みを浮かべた割にはやる事は『脅し』だ。エリックが気に入ってるこの顔を使う戦法は、エリックが慣れてきたのもあるけど、それを踏まえた上で追い詰めた結果、ニヶ月間も顔を合わせてくれなくなったからもう二度としない。
まあだけど、この脅しの内容もどうかとは思う。
「それでね、私、現場が見たいなーって」
「うぐ…っ」
「ちょっとだけでいいんだけどなー」
「うぐぐ…」
「――ね?」
ここぞとばかりにニッコリと笑ってみせれば、エリックは少しだけ顔を赤らめ低く唸ったあと最終的には「……はあ」と肩を落とした。うん、勝った。
それにしてもどれだけ私とレイフォード様をくっつけたいんだ。
前にその理由を聞いてみたが「推しカプを推すのは当たり前」「他はあり得ないし認めない」「推しカプ至上主義最高…っ!」と、何だかわからないことを言っていた。流石にちょっとついていけない。
「わかった。犯人はエリックね」
「え?」
「だってアデリー様が亡くなって一番ホッとするのは貴方じゃない」
それは死者に対してとても失礼な言い方かも知れないが。
エリックはパチリと目を瞬かせると、フッと口の端を上げて軽く肩を竦めた。
「そうかもね」
□
我が家からマイヤード侯爵家までは歩いても半時間ほどだが、エリックが馬車で来ていたのでそれにて移動する。
「まだたくさん捜査関係者がいるのね?」
「ああ、敷地内に犯行に使った凶器が捨てられてないか探してるんだ」
たどり着いたマイヤード侯爵家はさすが侯爵家と言える立派さで、その敷地内には使用人とは明らかに異なる制服姿の人があちこちに見えた。
エリックはその制服が一番多く集まる方へ向かってゆくと、一人の男がこちらに気づき手を上げた。
「――よお、エリック、どうした? 何かわかったか?」
「やあ、ローラン兄さん、違うんだちょっと部屋をもう一度確認したくて」
エリックが兄さんと呼んだ二十半ば過ぎくらいの、茶色い目と髪の男は、ダンシェル子爵家の長男ではなくエリックの従兄にあたる。
「お久しぶりです、ミルズ卿」
「おお、リリアベル嬢も一緒か。うーん、相変わらず可愛いなぁ〜。今度デートでもしようか?」
「兄さんっ」
「フフ、考えときますね」
いつものように笑顔で流す。
エリックとは昔から一緒にいるので私も顔見知りの、甘いマスクと軽いノリのローラン・ミルズは制服を着ておらず、捜査員――所謂刑事の立場にある。
そんな従兄にエリックが尋ねる。
「ところで何か進展はあった?」
「おいおい、俺が最初に尋ねたことで察しろ」
「…ないんだね」
「ない」
きっぱり言い切る従兄にエリックは歯がゆそうな顔をする。
頭の中に捜査のために必要な知識はあっても、この世界ではまだ実現不可能なことが沢山ある。それは仕方ないこと。
「――あ、そうだそうだ丁度よい」
ポンと思い出したようにローランが手を打った。
「エリック、お前に聞きたいことがあって」
「え、何? 今回の件?」
「や、違うんだ、ちょっと――」
言葉を切ってチラリと私を見る。私が聞いていてはマズい話しのようだ。
「ミルズ卿、構いませんよ。 エリック、私ここらへんで待ってるわ」
「え、あ…、ん…わかった。 じゃあ、ごめんちょっと離れるよ。でも後でちゃんと案内するから」
「ええ」
「ごめんねリリアベル嬢。お詫びに今度お洒落なカフェに連れてってあげるね」
「ちょっとローラン兄さん…」
そちらの返事はもちろん無言の笑顔で、手を振って二人を見送った。
さて、暇ができてしまった。
エリックにはここらへんいると言ったが、そんな気はさらさらない。
制服の男たちがパラパラと見える庭を抜ける。思っきり視線は感じるが何も言われないので良しとしよう。
それにしても立派な庭だ。隙がないと言うか…、完全に計算し尽くされた庭。今はところどころ雪で覆われていて淋しいものだけど、春になれば咲出す花も同じように完璧で計算されたものが咲くのだろう。…いや、咲かせるが正解か。
庭園の先に見えて来たのはこじんまりとした邸宅、とは言っても侯爵家の建物であるのでそこそこ大きくしっかりと造られた家ではある。ただ侯爵家本館と、この庭園と、それらと比べると何処か隙のあるような、柔らかな雰囲気を醸し出している。
制服の男たちの出入りが激しいその邸宅に向かう途中の、小道の外れで密やかに囁かれる声に思わず足を止めた。
「お嬢様が殺されたのはあの愛人の呪いよ」
「呪いってちょっと…」
「絶対にそうよ。 だってあの愛人、最後までお嬢様に酷い罵声を浴びせてたのよ。 それこそ『死ね』とか『地獄におちろ』とか」
小声で会話をするのは侯爵家の使用人だろう。某テレビドラマではないが、意外とここういう会話の中から糸口を掴めたりする。
私は話しに興じる使用人たちに気づかれないよう木陰にそっと身を潜めた。
「でもまあお嬢様の方も凄かったけど」
「え、何よ? まさかの修羅場?」
「なわけないわよ。愛人の方は酷い醜態だったけれど、お嬢様は涼しい顔をしていたわ。 涼しいしいっていうよりも凍えるようだったけどね。 冷たい目で見下ろして…、
『幸せだったでしょう? 楽しかったでしょう? 満足したでしょう? 終わりは必ず来るものよ。貴方は十分に恩恵を受けてきた、最後の時くらい潔く去りなさい』
「――って」
「わぁ」
「凄いでしょ? ゾクゾクしちゃったわ」
「でも、お嬢様は亡くなっちゃたのよね…」
「……アデリーお嬢様…」
しんみりとした声で会話は終わり私はその場をそっと離れた。
先ほどの完璧に整えられた庭へと戻り、視線をふと下へと向ければ降り積もった雪から顔を出す紫色の小さな花、雪割草。
真っ白な雪の中、凛と立つ姿にアデリー様を重ねて。
私はその小さな花に、ゆっくりと手を伸ばした。