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トオルの言葉に、マナトは目を見開いて言葉を返せないでいる。
だが、チセは彼ほど衝撃を受けているわけではなかった。落ち着いてトオルに言葉を返す。
「教えてくれてありがとう。トオルが言いたいことは多分……レイカさんが元のままではなくて……魔物になってしまっているのではないか、ということじゃない?」
「……っ! そうだよ! レイカ姉ちゃんは俺に助けてって言ったけど……本当に、助けることなんてできるのか!?」
トオルのその言葉は、レイカの「助けて」の真意を知らないがためのものだ。
「……トオルが言うように『助ける』ことはできないと思う。それはマナトも私も分かってる。でも……できることをしたいの」
チセが真剣な表情で言うと、トオルはチセの目を見返した。視線が揺らがず凪いでいることを見て取ったのか、トオルも落ち着きを取り戻す。
「……悪い。ちょっと、うまく言えなかったかもしんねえ」
「……いや、大丈夫だ。伝わった」
気を取り直したマナトが応えた。トオルも表情を緩めた。
「まあお前らは頭いいもんな。大丈夫だよな?」
「頭がどうかはともかく、任せろ。レイカ姉の言葉は引き受けたし、トオルの気持ちも分かった。レイカ姉はそれでもトオルを助けたんだろ? それが事実で、それが答えだ。無理するな。レイカ姉のことは僕たちでなんとか考えてみるから」
「……ああ、そうだな! じゃあ、調べ学習のまとめと発表は俺らに任せろよ! すごいの作ってやるよ!」
「じゃあ、お願い。カナに負担かけすぎないでね?」
「信用ねえなあ。分かってるって。じゃあな!」
トオルは明るく請け負って手を振った。チセとマナトも手を振り返し、大学図書館への道を戻る。
「クロが私を庇って魔物と戦ったとき、長い爪を使っていたの。クロは猫だから爪が変化したのね。その……レイカさんは病気だったのでしょう? だから、そういうことなのだと思う」
「……分かってる。チセのノートにも書いてあったよね。魔物とは『変化するもの』(メタモルフォシス)であると。昼の世界での姿や性質が変化しただけで、根本から全く別のものに変わるわけではない。分かってるけど……動揺した」
「そうだよね……」
チセは言いつつ、コンビニで買ったあんまんの袋を取り出した。食べながら話すようなことではないと思いつつ、冷める前に食べてしまいたい。マナトも思い出したかのように自分の肉まんを取り出した。
まだ熱いあんまんを齧りつつ、なんとなくマナトの肉まんを見る。似たものが二つある様子に、記憶のどこかが刺激された。
「……ねえ、ちょっと思いついたことがあるのだけど……」
「……場所、分かったみたいね。よかった」
「地図もあったし、なんとなくこういう場所があるのは覚えてた。大丈夫だ」
チセは山の管理小屋のドアを開けてマナトを迎えた。山の中は街中よりも気温が低く、雪も積もっていたが、冬山を歩こうという者も一定数いるらしく雪道には足跡が残っていた。歩きにくいが歩けないというほどではなく、道を失う心配もなかった。
日曜日の、冬の午後だ。今から山を降りようとするなら厳しい時間だが、二人は今日中に山を降りるつもりがなかった。
「ここが、夏にチセたちが魔物に追われて使った小屋なんだね」
荷物を降ろしながらマナトが小屋の中を見回す。
「そうなの。本当は緊急避難用に開けてあるだけだから、こういう使い方をしてはいけないんだけど……」
コンビニの近くでトオルと別れてから、チセは自分の推測をマナトに話した。
クロがチセのところへ来た二回目と三回目、それぞれでチセはトオルとマナトと会った。それは偶然ではなくて、近しい者が夜の中にいる時にクロはチセを夜の中へ連れ出せたのではないか、という推測だ。
トオルが夜の中に行ってしまったときも、チセはなんとなく自分のせいではないかと思った。夜の方へと引かれているような感覚があったからだ。
おそらく、何らかの誘因力や伝染力があるのだと思う。夜の影響力が近しい者に伝播するのではないか。
推測に過ぎなかったし、確かめようもなかったが、クロやレイカからの接触がない以上、夜に行こうとするならこちらから動くしかない。
やみくもに夜に踏み込むよりも、少しでも彼らに会える可能性を高めるために考えたのがこれだった。二人で同時に夜の中へ入ることだ。チセが考え付き、マナトも賛成した。
そうなると、次に問題になるのは場所だ。どちらかの家から夜の中へ行くのは現実的ではない。夜が来たら人に見咎められずに外に出られる場所、と考えてチセが思いついたのが山の管理小屋だった。
もちろん家族には言えないからこっそり家を抜け出すことになるが、夜に同じことをするよりも成功率がずっと高い。それにチセは念には念を入れて、部屋に親が入りにくい状況も作っておいた。前日にカナの家に泊まり、夜通し遊んだり勉強したりして寝不足だということにしておいたのだ。早めに寝たいから起こさないでと言えば親は疑わなかった。
そうして家を抜け出し、食料と燃料――マナトがガスボンベ式のストーブを持ってきてくれるということなので、ボンベはチセが用意することにした――を買って小屋へ向かった。そうしてマナトを迎えたというわけだ。
「荷物ありがとう。重かったでしょう」
「いや、これくらいなら大丈夫だ。しかし寒いな」
「早速ストーブ使わせてもらうね」
ボンベをセットしてストーブを点け、敷物を広げる。その上に食料を並べるとマナトが笑った。
「そんな場合じゃないのに楽しくなってくるな。ピクニックみたいだ」
「敷物と食べ物だけ見ればそれっぽいかもね。敷物が分厚いけど。とりあえず飲み物はなにか飲んだ方がいいし、食べれば力も出るかも」
チセも笑ってマナトに勧めた。自分でもペットボトルの蓋を開け、お茶を飲む。温くなってはいたが暖かさが残っていた。
「ありがとう。いただきます」
マナトもペットボトルやおにぎりに手を伸ばした。しばらく二人で黙々と食べ、英気を養って備える。
ストーブで暖を取りつつ食べ物を胃に落ち着けると人心地ついた。マナトも少しリラックスしたようで表情を緩める。
「それで、今後のことだけど……」
「二人で外に出る。そしてクロかレイカさんに見つけてもらう。二人が助けてくれるかは分からないけれど。……自分で提案しておいて何だけど、行き当たりばったりで勝算の薄い賭けになってしまう。本当にいいの?」
「構わない。それしかないと思う。もともと僕は一人でそういうことをしようとしていたんだし、今回を逃せばもう機会はないと思うから」
「……そうかもね」
チセは言葉少なに同意した。この機を逃したくないのはチセも同じだ。クロを諦めたくない。
冬は日暮れが早い。窓の外はもうかなり暗い。太陽が沈むのはもうすぐだ。
――夜が、やってくる。