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しかし、チセの意気込みとは逆に、マナトは懸念を浮かべてチセを見た。
「夜に深く関わってきた君に言うのは今更なんだけど……どう転んでも勝算は薄い。このまま僕たちが夜に囚われる可能性は高いし、レイカ姉やクロが夜の王になれる見込みは立っていない。僕は直接知っているわけではないけれど、夜の王などという圧倒的な存在にどう立ち向かうのか……協力者が少しいたところでどうにかなるような問題じゃない。言うまでもなく、危険だ」
「そうだね……」
言葉にされると怯みそうになるが、その通りだ。
「……でも、諦めるつもりはないんでしょう?」
「うん、僕はね。今だから言うけれど、トオルからレイカ姉のことを聞いたとき、僕も夜に踏み込もうと思った。危険だからみんなは巻き込まずに、一人でレイカ姉を探しに行こうと思ってた」
「……うん」
そう言われても驚かない。そんな気はしていた。
「……でも、なかなか踏み出せなかった。まだこれを調べていない、あれを考えていないと、行動しない理由を探していた。……怖かったんだ」
「それは当然だよ。いくら準備してもしすぎることはないし、夜が怖いのは人間として当たり前だもの」
言いながら、チセは自分がクロを探していたときのことを思い出した。もう五年も前のことだが、つい昨日のことのようだ。家や近所ばかりではなく、街中を探し回った。きりがなくて、しまいにはどこを探せばいいのかも分からなくなったが、それでも諦められなかった。――そして、夜の中を探すことはしなかった。
クロが夜の中に迷い込んでしまったのだと考えなかったわけではない。その可能性は最初から気付いていたが、夜の中では猫を探すどころか、一歩進むことすら危うい。不可能だと早々に諦めて、昼の中でできることをしていた。
その選択が間違っていたとは思わない。それしか出来ることがなかったのだから、そうするしかなかったのだ。
しかし、その選択が合っていたとも思えない。事実クロは夜の中にいて、夜の中でしか会えないのだから。
「……でも、探すものが夜の中にあるなら。……行くしか、ないものね」
「……そうだね」
マナトも同意する。チセは元気づけるように明るく言った。
「それに、昼の中でしていることが無駄になるわけでもないもの。夜の王の候補者については、少し進展があったよね? ササラセ教授のご専門の近隣分野の古典的な研究書にあった『王殺し』……これが夜の王の継承方法に通じるんじゃないか、って話」
……明るい話題ではないのだが。
夜の王の継承については謎が多い。そういった道もあるとクロやレイカに示されただけで、協力者が必要であることが教えられただけで、具体的な方法については不明だ。
昼の世界のそれとどのくらい関連があるのかも不明だ。昼の世界にかつて存在した王たちは、あるいは試練を経て、あるいは血筋で、あるいは力ずくで、王位を臣民に認めさせてきた。
しかし夜の世界に臣民はいない。人が定めた様式もなく、王とはほとんど世界そのものだ。昼の世界の王位継承が周囲の人間に認めさせるものなら、夜の世界の王位継承は王に、世界そのものに認めさせる行為だ。
途方もない話に、気が遠くなる。
それでもクロやレイカが挑もうとしているのは、それしか道がないからだ。後がないからだ。叶えたい願いがあるからだ。
(……クロは一体、どんな願いを叶えたいのだろう……)
チセを協力者として利用し、協力者が夜へ囚われることを教えずに裏切り、引き換えに叶えたい願いとは何なのだろう。
何度考えても、答えは出ない。
マナトもレイカの願いを知らないらしい。レイカに協力するかどうか迷っているのも、自身を犠牲にするからというだけでなく、判断材料が足りないこともあるだろう。
そして、王位を求めることの難しさも。
「……夜の王の交代は、昼のそれのように権力基盤を受け継がせるものではなくて、様式的に――そして本質的に――役目を交代するもののようだから。引退して子供の裏から采配を振るような昼の権力者とは違って、引退がすなわち存在の消滅である可能性は高いと思う。世界と一体化しているのだから」
「王位を交代することは、世界を作り替えることに等しいのかもね。願いが叶うというのは、きっとそういうことなんだわ」
「そうだね……」
「……」
沈黙し、視線を交わしあう。おそらく、お互いの考えていることは同じだ。
「……昼の中でこれ以上考えていても埒が明かないよね」
「……時間的な猶予がいつまであるかも分からないしな」
夜の中へ、また分け入っていく必要がある。
チセもマナトも、あれから一度も夜へ踏み込んでいない。クロもレイカも二人の前に姿を現してはいない。
クロがチセのところに来ないのは、あの気まずい別れから納得もできるのだが、レイカがマナトのところに来ないのは分からない。何らかの条件があるのかもしれない。
「こちらから働きかけることもできないしな……」
「試しにとか言ってうかつに夜の中に入るわけにもいかないしね……」
額を寄せ集めて唸っている二人の視界を、大学生のグループが通り過ぎる。ロビーは広いから話を聞かれる心配は薄いが、人が増えてきた。昼時になったのだ。
マナトが提案した。
「昼食の時間だし、気分転換に少し歩こうか。購買ではなく外のコンビニに行かない? コンビニの肉まんが食べたい気分だ」
「賛成。肉まんいいね。甘いものも欲しいな」
チセも応えて立ち上がる。
連れ立って図書館を出、校門を出てコンビニへ向かう。気分転換も兼ねているので、話題は食べ物のことに終始した。
「肉まんとかあんまんって冬の風物詩だよね。暖かい室内でのんびり食べるのもいいけど、寒い中を歩きながら行儀悪く食べるのも楽しいし」
チセが言うとマナトも笑って頷いた。
「カップ麺も冬がいっとう美味しいよね」
「そうだね。……あれ、トオル?」
チセは瞬いた。このあたりはチセたちの通う初等学校の学区から少し離れているので、トオルに会うとは思わなかった。
トオルもこちらへ気付き、手を上げて応える。
「よう。……大学に行ってきたのか?」
「うん、図書館にちょっとね。トオルは?」
マナトが問う。トオルは並んで歩きながら答えた。
「友達んちに行ってきたとこ。コンビニ寄ろうかと思って」
「そっか。私たちと一緒に行く?」
「ああ」
そのままコンビニに入り、買い物を済ませる。店を出て別れようとしたところでトオルが口を開いた。
「なあ……お前ら、レイカ姉ちゃんを助けるつもりなんだろ?」
「うん、そのつもりだよ。トオルは違うのか?」
「いや、俺だって助けたいよ。俺を助けてくれたんだし。そのために俺なりに頑張ったけど、方法が見つからない。お前らもそろそろ……ええと……」
「……諦めたら、か?」
「……ああ」
マナトが静かに問う。チセは驚いた。トオルがそんなことを言うとは思わなかった。怒りや不快さはなかったが、ただ意外だった。
「たしかにそろそろまとめに入らないといけない時期だけど。トオルとカナに任せてばっかりで負担だった?」
「いや、そうじゃない。そうじゃなくて……心配なんだ。お前らが」
チセの言葉に、トオルは首を振った。続けて言い募る。
「なんだかお前らだけで遠くに行っちまいそうな、そんな気がしたんだ。俺みたいに考えなしにじゃなくて、なんていうか……覚悟を持って、夜の中へ入ってしまうんじゃないかって。それは、本当にやばい」
トオルはごくりと喉を鳴らし、ためらってから言った。
「……助けられた俺が言いたくないけど……レイカ姉ちゃん、変だったんだ。魔物に襲われた俺を助けてくれたんだけど、その方法が……レイカ姉ちゃんが魔物に触ると、そこから魔物がぼろぼろと崩れていって……!」
「……それは、本当なのか?」
「そうだよ! 冗談で言えねえよ、こんなこと! でも、お前らが深入りしそうだったから言ったんだ! お前らまで変になったりいなくなったりしたら嫌だ……!」