25
冬は夜が長い。部活動や課外活動も制限されるし、そもそも寒いからあまり皆が外に出たがらない。
窓の外に雪が降り積もるのを視界の端に映しながら、今日もあまり進展がなかったかとチセは小さく溜息をついた。
「……ごめんね。あんまり役に立つ情報を集められなくて……」
「ううん、そんなことないよ。私の方こそごめんね、焦っちゃって」
謝るマナトに、チセは慌てて首を振った。
二人がいるのは、大学図書館のロビーだ。大学生ではない二人は自習用の部屋を利用することができず、館内で話ができるところといえばロビーくらいのものだから、自然とここに来ることが多くなっている。
夜の中に踏み込んだという秘密を共有した二人は、そうした話をするときは大学図書館まで来ることに決めていた。外は寒いし、冬になって雪まで降り出したし、落ち着いて考え事をしながら歩ける季節ではない。付き合っていないのだからお互いの家に行くのも憚られる。喫茶店やファストフード店だとデートのようだし、クラスメートたちの耳もある。調べ学習の範囲のことなら聞かれても問題なかったが、実際に夜の中でどうこうという話になると聞かれては非常にまずい。だから市立図書館やショッピングモールなども待ち合わせて作戦会議をする場としては不適切だ。
そう、作戦会議だ。
チセはクロを、マナトはレイカを、諦めていない。それが恋情なのか友情なのか義理なのか何なのか分からなくても、近しい存在を夜の中に寂しいままにいさせたくないという気持ちは同じだ。
――たとえ本人たちが、それを望んでいるのだとしても。
「……でも実際、クロもレイカさんも、無理やり昼の中に引っ張ってくるわけにはいかないものね。本人たちがどう思うかという以前に、絶対うまくいかない」
「そうだね。あの秋の日も、朝が来たら二人ともいなくなってしまったし」
昼の世界と夜の世界は重ならない。一時的にイレギュラーに出入りできても、昼の存在は昼で生きるしかなく、夜の存在は夜の中で動くしかない。そして――それも、時間制限付きだ。
(制限時間は長くない……)
クロのまじないを受けたときの言葉が、意味合いを広げて脳裏に響く。まじないの効力によってチセが夜の中にいられる時間も、チセが夜から戻れる状態でいられる時間も……クロが姿をとどめておける時間も。どれもが差し迫っている。
「だからといって、二人がいつまでもあのまま夜の中にいられるわけでもない。二人が昼にも戻れないし、夜にもいられなくなるなら……」
チセは何度目になるか分からない結論を繰り返した。
「……夜の王について、夜の王になることについて、知らなければならない」
「……そうなんだよね」
マナトは溜息をついた。彼は夜の王について調べてくれているが、進捗は芳しくない。そうした存在について、単語レベルで触れている本はあるが、まとまった資料などない。下手をすればフィクションに分類される文学などの方が情報源として豊かなほどだ。チセももちろんマナトだけに任せず調べているが、難航している。
チセが夜の中で見聞きしたことを書き出し、資料から得た知見も書き加えてまとめたノートも、マナトにはそのまま見せた。事情を知らないカナとトオルには見せたことがなく、調べ学習で使うときも見せて問題がない部分を必要に応じてコピーして渡しただけだ。二冊になり、三冊になったそのノートを、マナトは手放しで褒めてくれた。チセはこれまでに三回夜へと踏み込んでおり、見聞きしたり知ったりした情報量もかなりのものだ。……自分が不穏に夜に馴染んでいくという変化も含めて。
クロの目的は最初からそれなのだったと思う。チセを最初に夜に誘い込んだときも、トオルが行方不明になった夜も。トオルを助ける気がなかったのにチセへまじないを施してくれたのは、トオルを間接的に助けるためなどではなく、チセを夜へと馴染ませる目的があったのだ。マナトと出会い、夜の王と会話した夜もそうだ。
(……?)
そこまで考えて、チセは少し引っ掛かりを覚えた。何か手掛かりがあった気がする。
しかしマナトが話し始めたことでそれは散じた。
「夜の王については、君とレイカから聞いたことがほとんどすべてだ。それ以上に詳しい情報となると眉唾のものも多いし、確かめようもない」
あの秋の夜、マナトはレイカの姿を追って夜の中へ踏み込んだと後で聞いた。チセがクロを追ったときと同じだ。しかしチセのように魔物に襲われることはなく、街の中をレイカと普通に歩いたそうだ。マナトは言葉を濁したが、彼もレイカから「まじない」を受けたらしかった。チセは一度目の夜にそれを受けることができなかったのだが、そもそもクロが猫だという時点でいろいろと違う部分があるのだろう。そう思っておくしかない。
他に違う点といえば、レイカはマナトへ、夜の王の存在や、自分が王位を狙っているということ、マナトに協力者としてそれを助けてほしいということを包み隠さず明かしたということだ。反対に、チセはそれらについてクロからまったく聞かされていなかった。夜の王の存在について知ったのは、自分が夢の中で出会ったときのことだ。しかしクロが夜の王の存在について知っていたことは疑いない。彼は自ら候補者として名乗りを上げたのだから。
「夜の王」についてレイカが知っていることも、チセとそこまで変わりはないようだった。夜を統べる存在、夜を具現化したような人型、年齢も性別も定かではなく、しかし途方もなく長い時を経ていることを思わせる凄みがあり、世界への深い理解がある……というよりも、世界そのものの叡智がほんの少し見える形で現れたかのような、そんなとんでもない存在だ。
しかしチセが知らなかったことが、レイカに知らされたことが、一つあった。それはクロも間違いなく知っているだろうとレイカは話していたということだ。夜の存在になった者が闇の中で天啓のように悟ること、それは――
――夜の王になれば、願いが叶う。
「マナト、レイカさんが話していたという、夜の王になれば何でも願い事が叶うという話だけど……」
「確かめようがないけど、レイカ姉は確信していたね。僕たちには分からないことだけど」
「でも、昼に戻るとか、そういうことは出来ないって話だったよね」
「あくまで夜の中での話だからね。夜を統べる存在であれば夜の世界を好きなようにできる、そういうことみたいだから。昼の世界までは力が及ばない」
昼の世界は人間によって作られ、かっちりと形が決まっている。しかしその理が夜には通用しないように、夜の理も昼に力を持てない。二つの世界は厳然と分かたれている。
「夜の存在になれば、夜の王の候補者として立てる、か……」
その資格がある者は無数にいるだろうが、知能を持ち、意思を持つ者となれば相当に少ないのではないだろうか。まして夜の存在は不安定だ。いつまでも候補者のままで――その形のままで――存在し続けられるわけではない。
魔物たちも、言ってしまえば昼の命を元にしたものだ。夜の中で違う存在になったように見えても、命が増えたわけでも長くなったわけでもない。命がなくなれば夜からも消える。クロやレイカのように昼の姿を失い、名残のように夜の中にいる者であればなおさら不安定で、失われやすい。
(……駄目、そうはさせない!)
理に抗うことが必要なら、抗ってみせよう。レイカを、あるいはクロを、夜の王にするために協力するのか――それはすなわち、マナトやチセが夜に囚われることと同義なのだが――、あるいはまったく別の道を見つけるのか。
できる限りのことをする。世界に、抗ってみせる。
そしてクロを――救うのだ。