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秋の夜の一件から、チセとマナトの間には奇妙な連帯感が芽生えた。秘密を共有する仲間ができたのだ。
夜の間は人の少年の姿をしていたクロが、チセが昔かわいがって飼っていた黒猫だということもマナトには話してある。とうぜん彼は驚いたが、意外とあっさり受け容れた。夜の中では何があってもおかしくないと思っているのと、クロの瞳が黄金に輝いていたことへの印象などから納得したらしい。
チセとマナトの間で何事かを分かち合ったらしいというのはカナとトオルも察したようだが、まさか二人が夜の中で会ったということまでは気付いていないようだった。もともとチセとマナト、カナとトオルという分け方で動くことも多く、チセとマナトが大学に出入りするようになってからは特にその傾向が顕著だったので、二人の接近はその延長線上だと捉えられたらしい。
チセとマナトは話したり一緒にいたりする頻度が増えたが、話の内容や二人の様子があまりに色気がないものだったせいか、付き合っていると邪推されることはなかった。誰と誰が付き合ったの、誰が誰を好きだのといった話題でいちいち盛り上がる年頃の少年少女たちの中にあって、しかしそんな彼ら彼女らが食いつきたくなるような面白みが皆無だったらしい。
「まあ、うちらにとってもその方がいいんだけどね。班の中でくっつかれるとこっちもやりづらいし」
給食を食べながら、言いにくいことをはっきりと言葉にしたのはカナだ。チセもご飯を口に運びながら苦笑いで応じた。
「四人の班のなかで二人がくっついたらそれはやりづらいよね。そういうことはないから安心して」
「分かってるって。それより聞いた? 七班の班内恋愛の話」
「ええ!? 実際にやってるとこあるの!?」
「それがあるみたいよー。よくやるよねー」
おっとりした口調で会話に加わったのはサヤだ。チセやマナトが大学のササラセ教授の研究室に時々お邪魔するようになったので――とは言ってもチセが行ったのは著作の内容について分からないところを質問しに行った一回だけだが――、その娘のサヤともなんとなく付き合いが多くなっている。
「でもまあ、もうすぐ冬休みじゃないー? 調べ学習の最終発表までもう少しだし、だいたいは調べ終えてあとはまとめるだけみたいなところも多いから、あんまり問題にならないのかもねー」
「……そうかもね」
チセは少し目を逸らした。まとめるのはカナとトオルに任せて期限ぎりぎりまで色々と調べようとしているチセには少し耳が痛い。どこかで切り上げるべきなのだろうが、踏ん切りがつかない。
「それより、カナはどうなのー? トオルと、とかー?」
サヤが身を乗り出して聞く。こうした話が好きらしい。カナは少し顔をしかめて素っ気なく言った。
「うちにだって選ぶ権利はあるよ。あんなお調子者はお断り。それに同じ班の中でどうこうなんて風通しが悪いったら」
その言葉が照れ隠しなのか、それとも本心なのか、チセには判別がつかない。カナとは古いつきあいだが、そうした機微は分からない。
「つまんないのー」
サヤは口を尖らせたが、カナからはそれ以上なにも引き出せなさそうだと見て取ったらしく引き下がった。代わりのようにチセに目を向ける。
「チセはどうなのー? マナトが相手じゃないなら、誰かに片思いでもしてるのー?」
「えっ……」
チセは言葉に窮した。とっさに否定できなかったのを見たサヤが食いつく。
「えー、そうなのー? 相手は誰ー?」
「え、ええっと、その……」
脳裏に思い浮かべるのは少年の姿をしたクロだ。付き合うだの好きだのといった話を聞くときに思い浮かべるのは彼しかいない。
(でも……猫だし)
そこが大問題だ。相手の気持ちがどうとかいう以前の問題だ。
しかし、夜の王はチセのことを、魔に魅入られたと言った。キスされたところを指して、所有の証だと言った。
そう、キスだ。いくら猫の姿でのことだったとはいえ、キスはキスだ。意識してしまうと顔が赤くなってしまい、そこをサヤに目ざとく見つけられてしまう。
「わー、赤くなったー? 誰のことを考えたのー? 教えてよー」
「えーっと……」
困ってカナの方に助けを求めるが、カナはにっこり笑って裏切った。
「うちも知りたいな? 誰?」
「うー……」
逃げ場がない。嘘もつけない。チセは言葉選びに苦慮しながら答えた。
「マナトでもトオルでもないよ。クラスの子でもない」
「誰ー? 誰ー?」
「サヤは知らないと思うよ。カナも分からないんじゃないかな」
そう答えるのが精いっぱいだ。嘘はついていないはずだ。
「あ、じゃあもしかして上級生ー? それとも下級生なのかなー? 一学年くらいだったら下でもありだよねー」
「うーん……。ちょっと上、かな……?」
少年の姿のクロはチセよりもいくつか年上に見えるが、学年は分からない。そもそもがチセと離されて夜の者になってしまったときの年齢なのだ。一歳にもなっていなかったくらいだと思うのだが、それが人間で言う何歳にあたるのかは分からない。実年齢で言うならものすごく下なのだが。
話が具体的になってきたのでサヤが目を輝かせた。カナも興味深そうな表情だ。
「もー、じらさないでよー。名前はー?」
「それは秘密。でもね……」
少し声をひそめ、内緒話のように言う。
「遠くにいて、なかなか会えない相手なの。……もしかして、これきりになってしまうかもしれなくて……。だからこの話はここまで。ね?」
「……分かったー。切ないねー……」
「……うん。そうだね」
チセの言葉に偽りや誤魔化しの響きがないことを感じ取ったのか、サヤは頷いて追及を止めた。
切ない、のだろう。これきりになってしまうかもというのは嘘ではない。彼は死と――裏切りを抱えていたという。
チセをたびたび夜に招いた彼が、夜の存在である彼が、チセの全面的な味方であるはずがなかったのだ。そう信じていたかっただけだったのだ。
彼は、候補者。野望を持って夜の王にならんとする者。
チセは、協力者。夜の王に挑まんとする者が求めた、外部からの助け。
そして、協力者は――昼の世界に戻れなくなるのだという。遠からずというのがいつのことになるのか分からないし、レイカが本当のことを語っているとも信じきれないが、クロは否定しなかった。否定できなかった。
チセがクロを昼の中へ引き戻そうと無理で無謀で馬鹿な試みをしている間、彼の方はチセを夜の中に引き入れ、夜に馴染ませ――夜から戻れなくしようとしていたのだ。
競争、とクロが漏らした言葉を思い出す。チセが彼を昼に連れていくか、彼がチセを夜に連れていくか……そういう、チセに勝ち目のない競争だったのだ。
「……チセー? ……大丈夫ー?」
知らないうちに表情を険しくし、唇を噛みしめていたらしい。サヤに心配され、チセははっと我に返った。
「ごめんね、からかいすぎた。あんまり思いつめないで。うちで相談に乗れることなら乗るし、聞かれたくないなら聞かないから」
カナも気遣ってくれる。チセはつとめて表情を緩めた。デザートのフルーツゼリーに手をつけ、気持ちを切り替える。
「二人ともありがとう。大丈夫だよ。それより、サヤにはそういう話はないの? まさか私たちに聞いてばかりってことはないよね?」
「えー? わたしー?」
「そうそう。サヤのお父様って大学教授でしょう? 大学生が家に来たりしないの? そういえばチセも大学に出入りしているけど……」
カナは言いかけたが、言葉を濁した。チセが思う相手が大学関係の者なのではないかと気を回してくれたらしい。チセはその部分には触れずに話に乗った。
「ゼミとか合宿とかあるんでしょう? 教授は民俗学がご専門だからフィールドワークとかも。たしかに、大学生と接することも何かとありそうだよね。サヤ、どうなの?」
「えー……?」
サヤが困ったように笑う。チセも笑いつつ、クロを自分がどう思っているかという難題については心に蓋をした。