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夜想  作者: さざれ
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 膠着した事態を力ずくで打開したのは、太陽だった。秋の長い夜が明け、曙光とともに人間の時間が始まったのだ。

 クロにもレイカにもまだまだ聞き足りないことがあったし、そもそも何から聞いていいのか心の整理がついていなかったが、二人はチセが少し目を離した間に掻き消えてしまった。マナトに聞いても同じ印象を持ったようだ。クロに至っては夜明けとともに猫の姿になっていたからマナトはさらに目を疑うことになったようだが。

 夜が明けてみれば、そこは何の変哲もない公園だ。秋のひんやりと冷たい空気が清々しく、落ち葉が夜のうちに降りた露を含んで湿った匂いを立ち昇らせる。色を変えた木の葉がはらはらと散り落ち、木立の物寂しさが深まっていく。風情があり、秩序立って、定まった世界の姿だ。

 夜に置いて行かれるようなかたちになったチセとマナトは、どちらからともなく連れ立って公園の自販機へ向かった。マナトはブラックコーヒーを、チセはミルクティーを選び、ベンチに並んで腰かけて飲む。選んだのはどちらももちろんホットだ。

 レイカの言葉と、クロの沈黙。裏切り。チセの心の中はぐちゃぐちゃだ。一人なら叫び出していたかもしれないし、泣き出していたかもしれない。

 でも、ここにはマナトがいた。人前でみっともないところを見せられないという意地だけで、荒れ狂う心に蓋をする。

「……僕はまだ状況がよく分かっていないのだけど、早まって結論を出さない方がいい。君も夜通し歩いたんだろう? 体も頭も疲れた状態のままでは、思考がろくでもない方向に引っ張られてしまう。……正直、僕もまだ混乱している」

 チセははっとした。そして気付いた。マナトの状況はチセと同じなのだ。レイカは間違いなく、協力者としてマナトを夜の中に引き入れたがっている。そのことをマナトにどこまで説明したのか、マナトがどこまで理解したのか、そして受け容れたのか――拒絶したのか。分からないが、簡単な話でないことだけは分かる。

 思考がよそに向くと、少し心が落ち着いた。暖かいミルクティーを飲むと、現金なことに空腹さえ思い出した。まろやかな風味と砂糖の甘さが嬉しい。冷え切った体が内側から優しく暖まり、ほうっと吐く息が白い。

 チセは缶を両手で包み込むように持ち、じんわりとした熱で指を暖めた。あまり意識していなかったが体がそうとう冷えていたらしく、暖かいものに触れた指が少し痒いほどだった。

 指とお腹が温まると、ささくれ立った気持ちが宥められていくようだった。

 紅茶の香りがやさしく立ち昇る。紅茶は秋の飲み物だ、とチセはなんとなく思っている。読書のお供にきりっとしたレモンティーを飲むのも美味しいし、魔法瓶にティーバッグの紅茶を入れて紅葉を見に行くのも楽しいし、木枯らしの吹く公園で指を暖めながら飲むミルクティーも嬉しい。

 昼の日常が戻ってきたことを実感して、チセはようやく気を緩めた。ともかくも今は朝で、ここは人の世界で、クロもレイカもここにはいないのだ。そう思うと気持ちの箍が緩んでしまい、いきなり眠気が襲ってきた。そういえばミルクティーは眠気を誘うものでもあった。これはカフェインレスではなく普通の紅茶のはずだが、徹夜したうえにいろいろなことがありすぎて、そろそろ限界だ。

 ミルクティーを飲み終えて小さくあくびをかみ殺すと、マナトもどこかぼんやりした声で言った。

「……いろいろと話したいことはあるけど、日を改めようか。疲れた頭で考えてもろくなことにならないだろうし。今日が土曜日でよかったね。家でゆっくりできる」

「ほんとね。これが学校のある日で、一時間目から体育だったりしたら絶望だわ」

「まったくだ」

 マナトも少し笑って同意した。

「チセもおうちの人に黙って出てきたんだろう? 今から急いで帰っても朝食に間に合わないだろうし、先手を打って連絡しておこうか。ええと……急にラジオ体操に参加したくなったことにする?」

 チセは思わず吹き出した。ミルクティーを飲んでいる時でなくてよかった。マナトの言い訳のまずさが面白すぎる。いかにも慣れていない感じだ。

「年配の方が毎朝集まってラジオ体操をされているのは知っているけれど、子供が参加するのなんて夏休みくらいでしょう。実際に参加していないのだから確かめられたらばれちゃうし。一体どうしてそういう発想になったの?」

「いや、朝にすることなんてそのくらいしか思い浮かばなくて……」

 チセはますます笑い転げた。感情の箍が外れていることは自覚している。

「朝焼けを見に散歩したくなったとか、思い立ってジョギングを始めたとか、無難な理由なんていくらでもあるでしょうに」

「なるほど、その手があったか」

 難解な問題の解法を示されたかのような反応がおかしい。ひとしきり笑って、チセは気持ちを切り替えた。

「ともかく、言い訳には協力してもらうわ。私の親もマナトのことは信用しているから、一緒だったと言えばあまり怒られずに済みそう。マナトの方もそれでいい?」

「うん、お願いしたいな。僕の親もチセには信用があるし。……付き合ってるとか勘ぐられたらごめんね」

「こちらこそ。まあそう聞かれても否定すればいいだけだし、誤解されても別に何ともないしね」

「……子供でその割り切り方ができるのはすごいよ」

 マナトは苦笑し、携帯を取り出した。チセも懐から自分の携帯を取り出す。交互に使って互いの家に連絡を入れ、少しのお小言をもらって事を収め、手を振って別れる。

 チセはクロと、マナトはレイカと。夜の中で逢引きをするような形になっていたことには、どちらも触れなかった。

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