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夜想  作者: さざれ
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 王が語る言葉に、いよいよチセはついていけない。夢といい、集合的無意識といい、訳の分からない言葉が多すぎる。

『そうさな。この世界の人間は夢というものを知らぬ。集合的無意識の観念も知らぬ。それらを切り捨ててきたがゆえに。世界を明示的で個人的なものと定めてきたがゆえに。闇に怯えて夜を切り捨て、魔物を自ら肥大化させてきたがゆえに』

 流れるような王の言葉を、チセは息をつめて聞く。

(魔物を自ら肥大化させて……!? 魔物は人間にとって制御不可能なものなのに。人間を襲う、厭われるものなのに。それを自分たちで大きくしてきたというの……!?)

『そうだ。制御しようとする、厭う、それ自体が悪手であったな』

 そういえば、マナトはいつか、こう言っていなかっただろうか。

 夜を定義することはすなわち、魔物を定義することであると。

『それは本質を言い当てておるな。魔物とはすなわち、人がどのように夜を恐れるか、その恐れが具現化した姿であるがゆえに。魔物の本質は――変化するもの(メタモルフォシス)。夜は昼の人間にとって危険であるが、夜そのものが人に害意を持っているわけではない。夜の理が――変化を促す力が――昼の人間に耐え切れないだけだ。それらを不条理として自ら切り捨ててきたがために』

(――…………)

 チセは何かを言おうとし、しかし何も言えずに思いは言葉にならなかった。

 夜の王はまさしく夜の代弁者だった。昼の人間であるチセに、夜の言い分を分かりやすく伝えてくれる。

 そして、その内容も納得できるものだった。

 動植物が変化した魔物はたしかに危険だが、それらだけが夜の恐怖の理由というわけではない。夜そのものの性質が――変容を強いる力が――人間にとって本質的で致命的な危険なのだ。昼の世界は定型、夜の世界は不定形。そういうことなのだろう。

 チセが理解して呑み込むと、それでいいと王が頷くような気配があった。

『そなたは柔軟だな。昼の人間には受け容れがたい理屈のはずだが。それのおかげかな?』

 それ、と言いながら王が自分の額と頬を順に指さす。王が何を言わんとしているのかが分かり、チセは顔から火が出そうになった。

 額と頬は、クロに口付けられた場所だ。それ、と王が言うのはクロのまじないのことだろう。

 思わず顔を擦りたくなるが、蝶の体ではどうしようもできない。そもそも蝶に額や頬があるのだろうか。

 笑い含みに王は言った。

『擦ったとて取れるものではないぞ。其は所有の証。己のものだと周囲に示す印。そなた、夜の魔に魅入られたのであろう』

(…………クロ、話が違う! 魔物に襲われないおまじないだって言ったのに!)

『間違ってはおらんぞ? 己のものだから手を出すなと周囲を牽制する印であるからな。ただし、その印を付けた者から襲われないかどうかは別の話であるが』

 意味深に王は言い、ひらりと手をひらめかせて歪な三角形を描く。

『一度目は額へ。二度目は頬へ。……三度目は想像がつくであろう?』

(…………!)

 もちろん、想像がつかないわけはなかった。ただ、それを――口にすることができなかっただけだ。

『囚われるにせよ、逃れるにせよ、転機は三度目に来る。夜の存在が昼のそれと関わるとき、昼の存在は自分たちに理解できる形で夜を解釈する。繰り返しの開始、あるいは終焉が三であるゆえに』

(転機は三度目に来る……)

 そのことはどこかで聞いた覚えがあった。苦労して記憶を探ると――なぜだか昼に同じことをするよりも思い出しやすい気がするのだが――、サヤとマナトが確かそういった会話を交わしていたことを思い出した。

 市民会館での公開講座の後のことだ。二班が調べていたことについてサヤがマナトに語っていたのだが、文学の中で、三回の繰り返しがモチーフとしてよくみられるという話だった。夜の存在に追いかけられた昼の存在が、たとえば一度目に葡萄を、二回目に筍を、三回目に桃を投げて逃げ切ったという例を出していた。

『一度は一度でしかあらぬ。二度目は偶然かもしれぬ。しかし三度目は必然かもしれぬ。そこに意思が介在すれば必然になりうる。それを繰り返しと認識し、意味を持たせるならば』

 王が愉快げに語る。

『さて、三度目にそなたは何を選ぶのであろうな?』

(…………)

 チセは言葉を返せない。

 そのまま、王の姿がぼやけた。いや、王だけでなく、花野に靄がかかったかのように、世界が曖昧になっていく。

『そら、そなたを獲物と定めた者が取り返そうと必死になっておるわ。そろそろそなたが目覚めそうだ。夢も終わりのようだな』

 チセが蝶になっているこの摩訶不思議な状況が終わるのだろうか。その前に、と思い、チセは蝶の頭を垂れた。

(いろいろと教えてくださってありがとうございます)

 感謝を込めて伝えると、王は鷹揚に笑った。

『受け取っておこう。余にとっても楽しい時間であった。そなたの夢もこれで覚めるが――』

 王の顔は見えないが、にやりとひときわ楽しそうに笑った気配がした。

『――覚めた先の状況が、悪夢でなければよいな?』


「……チセ!」

 遠くからのようにクロの声が響く。それが実際に遠いわけではなくて、自分の意識が遠ざかっていたからだと気付き、チセの意識は覚醒した。

 目を開くと、自分を抱えるクロと目が合った。心配そうに、縋るように必死に、チセを覗き込んでいる。

「……クロ?」

「大丈夫か!? 意識ははっきりしているか!? 俺のことは分かるか!?」

 チセは頷いた。自分がクロに抱きかかえられている状況だと気付き、狼狽えて足に力を籠める。少しふらついたが、クロに体重を預けていたから転ぶことはなかった。確かめるように立ち、クロを見上げる。

「ありがとう。クロのことはちゃんと分かる。私、いったいどうなっていたの?」

「……眠っているように見えた。いきなり倒れたから驚いたが……」

 それでは、チセは眠っている間にあの不可解な状況になっていたのだろうか。自分が蝶になって花野を飛び、夜の王と名乗る存在と出会い、夜についての知識を得た。

 王から聞いたことも考え合わせると、夢から覚めるということは、眠りから覚めるということと等しいようだ。昼の世界においては眠りは眠りであり、夢などという訳の分からないものが関わってくる余地などないのだが。

「……その。本当に大丈夫か……?」

 遠慮がちに声をかけたのはマナトだ。そういえば彼は図書館でもチセのことを気遣ってくれた。そのときのコーヒーの香りやスポーツドリンクの味を思い出し、何か飲めるなら飲みたいと思ったが、夜の中でうかつなことはしない方がいいだろう。

「マナトも、ありがとう。大丈夫そう。私、どのくらい眠っていたの?」

「ほんの少しだ。数十秒くらいか?」

「それだけ!?」

 チセは驚いて思わず声を上げた。蝶として花野を飛んで、夜の王と意思を交わして、結構な時間が経ったと思ったのだが。不思議だが、そういうものとして捉えるしかない。

「それで、ええと、ごめん。せっかくレイカさんと会えたのに……」

 チセは話を戻そうとした。チセがクロの誘いに乗って夜に踏み込んだのはこのためでもあるのだから、レイカの言葉の真意を知って、解決しておきたい。

「……戻れないと言われてショックを受けてしまったのかも。それは……確かなの? 助けられる方法はないの?」

「レイカ姉。僕にも教えてほしい。三年間ずっと、助けたいと……知りたいと願っていたんだ。どうして……自分から夜に入ってしまったんだ?」

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