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夜想  作者: さざれ
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 自分でも、どうしてそれに目を惹かれたのか分からない。取り出して眺めるが、何の変哲もない赤ペンだ。

 何気なく呟く。

「授業みたいに、赤で目印をマークアップしてくれればいいのに……」

 と、ペンがチセの意を受けたかのように動いた。

「え!?」

 仰天するチセの目の前で手の中から赤ペンが飛び出し、地面に何かを描いた。まるで見えない手がペンを操っているかのような動きで、一筆書きに描き上げる。それは、

「……足跡?」

「足跡、だな」

 一つでは分からなかったが、ペンが地面については離れてを繰り返して描き続けるそれは、等間隔に並んだ足跡だった。

「もしかしてこれ……トオルの足跡!?」

 突拍子もない考えではあるが、そうとしか考えられなかった。なにせ、彼の使っていたペンが描いているのだ。

 ふと、先ほどの言葉を思い出す。昼の道具を夜の理屈で使う……こういうことなのだろうか?

 ペンで描かれた足跡は図書館の出入り口から前庭を通って等間隔に並び、県道へ出た。

 闇の中に浮かび上がる赤い線は不吉で、チセは後を追うのを躊躇った。と、足跡が端から消えていく。まるで砂浜に残る足跡を波が掻き消していくように。雪上の足跡に雪が降り積もっていくように。

「行くしかない……」

 ほかに手がかりはないし、迷っている時間もない。チセは心を決めて足跡を追った。

 足跡は県道を上り、チセたちの通う学校の方へ向かっている。チセは足早にそれを追いかけ、クロがそのあとに続く。足跡はやがて学校の門から中に入り、校庭に出た。山の斜面を整備して平らにした、だだっ広い校庭だ。

 そして、

「やだ……! 何これ……!?」

 チセは顔をひきつらせ、一歩後ずさった。クロも顔を険しくする。

 校庭の上に、ペンは狂ったように赤い足跡を無数に描いていた。まるで血を流しながら校庭を走り回りでもしたかのようで、思わず背筋に寒気が走るほどに不気味な眺めだ。

 その校庭を縁取るかのように魔物の影が蠢き、墨の池を思わせる闇がわだかまる校庭に赤い足跡が散る。それはまるで血が散っているかのようで、チセの脳裏に不吉な連想が働いた。

「赤ペンはマークアップする……間違ったところを……」

 そのことに思い至るのと同時だった。

 けたけたけたけた!

 闇が、口を開けて笑った。校庭に散った赤がいっせいに口を開き、耳障りな笑い声を立てる。間違った道に踏み込んだ獲物を喜ぶように。

「いやっ……!」

「まずい!」

 クロが切羽詰まった声を上げ、チセを抱えてその場から大きく跳躍した。無数の口から無数の舌のようなものが伸び、二人を絡め取ろうとする。

「時間切れが早まった! 走れ!」

 クロは叫び、チセを庇って得体の知れない魔物と対峙した。

(もしかして、こちらから夜に働きかけたから……!?)

 クロにとっても予想外のことが起きているようだ。だが、悠長に考えている時間などない。チセがクロの傍にいても出来ることがないどころか足手まといだ。

 チセはクロに突き飛ばされるように押され、その勢いのままつんのめりそうになりながら走った。とにかく、建物の中に入らなければ。後ろを振り返る余裕などなく、背後に迫る魔物の気配に凍るような恐怖を感じながら、間一髪で下駄箱の並ぶ玄関口に走り込んだ。焦りすぎて簀子に躓き、膝をしたたかに打ち付ける。

「痛っ……!」

 だが、そんなことにかかずらっている場合ではない。痛かろうが何しようが足を動かし、魔物から遠ざからなければならない。気持ちばかりが焦るが、全力疾走のあとにひどくぶつけた足は痛み、言うことを聞いてくれない。

(足……動け……!)

 焦りながら、せめてもの試行錯誤として体をねじる。姿勢を変えれば立てるかもしれないと思ってそうしたのだが、チセの目は予想外の光景を捉えた。

 玄関口は開け放されており、何の遮るものもない。だから魔物が手を伸ばしてチセを捕えにくるものだとばかり思っていたが、魔物の赤い触手はうねるばかりでこちらに入ってこない。

「もしかして……入れないの?」

 そのことにようやく思い至る。

(そっか……私もクロのまじないが切れる前は建物に入れなかったんだもの。魔物は入れない、そういうことよね)

 つい一週間前、山の中の東屋で仮初の安全を得たときのことを思い出す。東屋でもしばしの時間稼ぎになったのだから、校舎の玄関口はきっともっと安全だ。

 魔物は人の領域に入れない。そんな基本的なことすら失念していた。

 見えない壁に阻まれてでもいるように跳ね返される魔物の影、その向こうで長く伸びた爪を振るって魔物に対峙するクロを見ながら、チセはようやくクロがドアを開けられなかった理由を悟った。

(クロは……魔物だから……)

 人間の姿をしていても、彼は猫だ。そして魔物だ――人に害をなすものだ。

 だからといって、彼を諦めるつもりは毛頭ない。

「クロ! こっち!」

「だから俺は入れないって……!」

「いいから!」

 叫ぶと、チセは思い切り振りかぶり、投げた。蓋を開けた修正液を。

「消えて! ペンのインクならこれで消えるはずでしょう!?」

 破れかぶれに叫ぶ。

 夜の闇にあってあまりに小さい修正液は、しかし奇妙にくっきりと白く光るように見えた。それは流星のように地面に衝突し、そこから白が飛び散った。赤く躍り上がる炎のように動いていた魔物たちが断末魔の悲鳴を上げ、白が触れた部分がかさぶたのように赤を覆う。

「連想の理屈を、そういうふうに使ったのか……」

 感心したようにクロが言った。戦いから解放されて息を切らしていたが、怪我はなさそうだ。

「あんたに自覚はないのかもしれないが、それは魔術師のやり方だ。関係を繋げ、意味を与え、世界を塗り替える。それができるならあるいは……いや、まさか……」

 クロはそこで言葉を切り、ふと空を仰いだ。

「夏の短い夜が明けるな。あんたは生き残った。勝ちだ」

「勝ちって……て、トオル!?」

 ぐったりと校庭に倒れ伏している少年を見つけ、チセは仰天した。それまで蠢いていた闇は潮が引くようにいなくなり、何も知らぬげに木々が風にそよいでいる。校庭の際が朝日に照らされて明るく縁どられていた。夜が明け、人間の時間が始まったのだ。

 チセは慌ててトオルに駆け寄った。服のあちこちが切れ、体中から血を流している。

「大変! クロ、どうしよう……って、クロ!?」

 クロはいつの間にか姿を消していた。探したかったが重傷のトオルを放っておくわけにはいかず、チセは携帯で救急車を呼んだり、校舎で宿直をしていた先生を探してしどろもどろに状況を説明したり、なぜか校舎の空き教室に隠れていた級友たちに会って驚いたり、大慌てで走り回った。

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