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7. ペルラニア奮闘記A

 ペルラは、第一王子の私室へ向かっていた。

 それは彼女が16歳、王子セオドリクが18歳の、ある春のうららかな日のことであった。


 王子付きの侍女()()()()に案内されて扉を開けると、セオドリクは青白い顔をしながらも、寝台の上に脚の短いテーブルを置いて、書物を懸命に読んでいた。


 彼についていた家庭教師は軒並み辞してしまったが、彼は諦めていないのだと知り、ペルラはほっとする。


「……ペルラ」

「セオ様」


 ペルラが入ってきたのに気づいたセオドリクは顔を上げ、ぱあっと笑顔になった。しかし次の瞬間には、こぶしをきゅっと握りしめ、目を伏せて「なぜ来たのだ」と問うた。


「私たちの婚約はとうに解消されている。王太子も弟になるだろう。君がこんなところに来る必要などないのだ」

「セオ様、そのような悲しいことをおっしゃらないで」


 ペルラは寝台の端に腰を下ろした。

 低い位置で二つに結われた銀髪がさらりと肩にかかる。灰白色の瞳は悲しげに潤み、それを見ていたセオドリクもまた、鼻の頭を赤くした。


 二人はどちらからともなく抱き合っていた。


「君もそろそろ新しい婚約者を見つけるべきだ」

「……わたくしは諦めません。あなたの病を治す薬を必ず見つけ出してみせます。たとえ何年かかっても」


 気丈な顔を見せるペルラに、セオドリクは声も出せずにすがりついた。





「さあ、お勉強もいいですが、娯楽も必要ですよ」


 ペルラがカーテンを全開にする。


「今日は市井で民に人気だという書物を取り寄せましたの。あなたが視察をしていたとき、書店に寄っていたのを思い出してお好きではないかと……」

「ふふ、ペルラは冗談もうまいな。だが、視察にいける年齢になった時には、私は既にこの体ではないか」

「……ああ、そうですわね。でも、誂えたかのようにお好みの物語だと思うのです。海の向こうの冒険譚なのですよ」


 巻きもどる前のセオドリクからは考えられないくらい、彼は弱り切っていた。騎士のように逞しかった身体は華奢で、線が細いため女性的な美しさ。燃えるように美しかった髪には艶がなく、目の下にはくまができていた。


 ──早く救ってあげなければ。ペルラはそう決意するのだった。






 帰宅すると問題ごとが起きていた。


「お引取りください」


 ペルラはぴしゃりと言った。

 マルガレーテ公爵家の門を叩くのは、伯爵令嬢トルテの父と義母、そして義妹であった。


 トルテは彼らに虐げられていたのである。


 彼らの企みで傷物にされそうだったところを保護した。

 実家のほうには制裁を与えておいたのだが、平民に落とされてもなおこうしてやってくる。卑しい人たちだ。


 その後も門の前で騒いでいたので、トルテの目に触れないようにしたかった。今ではペルラの騎士として仕えてくれているが、心の傷は消えていないだろう。


「彼らのこと、お父様にご相談しておいてほしいわ」


 侍女のエメリーに告げる。


「かしこまりました、お嬢様」


 エメリーは、一礼すると屋敷の奥へ消えていった。



 あの子は双子の妹ミーアとともに貧民街で奴隷商に捕まっているのを助けて連れ帰った。

 ひどい目に遭ったらしく、しばらくは話すことさえできなかったが、今では賢くよく働いてくれるありがたい侍女だ。


 本来ならば公爵令嬢の侍女となると貴族なので、反発はあったのだが……。父の一声で登用することが出来た。

 二人はペルラにとって特に信頼のおける使用人だ。巻戻りのことを打ち明けるくらいには。





 屋敷の地下には、研究施設がある。


 そこには女性にしては短い、水色の髪をしたふくよかな少女が、白衣を着込んでガラス瓶とにらめっこをしていた。


「キャンディス、どうかしら?」

「ペルラ様! 申し訳ありません。……今回もだめだったのです。症状が星点病と似ているようだったので、そちらのほうから当たってみているのですが……」


 キャンディスはうつむく。ペルラはそのふっくらとした頬を指でぷにっと押し、悲しげな笑みを見せた。


「いいのよ。もちろん、セオドリク様を早くお救いしてあげたいけれど……。新薬だなんてそうそうできるものではないわ」


 キャンディスは、母の患っていた病、星点病の新薬を未来で開発した少女だ。

 彼女自身が聡明であるのに、共同開発した平民の男に騙され、手柄を搾取されているのだとペルラは睨んでいた。


 今回はそうならないように、早い段階でコンタクトし、ずいぶん手伝ったのだが……。男の正体と離れたほうが良いことを説得できずにいるうちに事件が起こった。

 錯乱して暴れる男に、貴族女性の命でもある髪の毛を切られてしまったのだ。


 男はその場でわが家の騎士に切り捨てられた。

 騙されていたキャンディスは心に深い傷を負い、わが家に迎え入れたのだが、その後、ペルラが続けている王子セオドリクのための治療薬開発に協力してくれていた。


「そういえば、今日は長く家を空けてしまったのだけれど…… ヴィオの様子はどうだった?」


 ペルラが尋ねると、キャンディスは気まずげな顔をして、首をふるふると振った。


「部屋に閉じこもったままです。果実水くらいしか口にしていないのでは……」

「そう……。ずいぶん元気を取り戻したと思っていたのだけれど……。わたくしが進めた婿の話もやはり断ると」


 婚約者と両親を一度に失ってしまったヴィオレッタ。ペルラもその場におり、彼女の家の騎士たちがわたくしたちを助けてくれたからこそ起こった悲劇だった。


 だからこそ責任を感じてわが家に引き取り、ペルラと同じ本物の娘のように扱ってもらうようにしていた。


 しかし、先日、夜中に急に飛び起きたかと思うと、錯乱してしまったのだ。それからというものこの調子だ。やはり、心の傷というのは根深いのだろう。





 ひと通りやることを終えて部屋に戻ると、すっかり夜も更けていた。心の傷は、自分の中にもある。


「エメリー」


 ペルラは侍女を呼ぶ。


「どうされましたか? お嬢様」

「怖いの」

「──悪夢を?」

「……いっしょに寝てくれる?」


 エメリーはへにゃりと笑う。


「いいですよ。お嬢様はずっとお小さいままですね」

「もう!」


 そういってくつくつと笑うエメリーをぽかぽかと叩きながら、ペルラは少しだけ恐怖が和らぐのを感じていた。


 未来を知っているおかげで回避できることもたくさんある。でも、そうではないこともたくさんあった。


 ペルラが処刑された日まで、あと一年ほど。それを無事に乗り切れることを祈っている。



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