5.菫姫の改竄史
ああ、嫌な夢を見た。ものすごく鮮明な夢だ。
頭の中に、これまでになかった記憶がある。ザックといっしょに森に出かけていたら、いきなり男たちが襲ってきて、ザックが刺されたこと。すぐに駆けつけた騎士たちにわたしは保護されたけれど、わたしたちの近くにいたお父様とお母様もまた殺されたこと。
わたしはひとりきりになったこと。ーーなんて嫌な夢だったのだろう。
宵の日は、不思議なことが起こると言われているけれど。唯一神アシュテルラの気まぐれだとか、善が悪に転じる日だとか。この夢もそういう類いなのだろうか。
「──ヴィオ?」
鈴のように美しい、そして聞いたことがないのによく知っている声だった。そこには心配の色が滲んでいた。もう一度閉じようとしていたまぶたが、ふるりと揺れる。
「ああ、ヴィオ。大丈夫? ──もしかしてまた悪夢を見たの?」
とすん、と華奢で柔らかい体がわたしに抱きついてくる。
「大丈夫、大丈夫よ。ヴィオ」
これは誰? 混乱していると、その熱が離れた。
首元まで詰まった襟の、柔らかなナイトドレスを着た美しい少女が、私を心配そうに見上げている。
「ーーペルラ様」
なぜだか当たり前のように口からこぼれた名前は、今ごろ処刑されているはずの人のものだ。ペルラニア・マルガリーテ。公爵令嬢で、王太子の元婚約者。
「大丈夫よ、ヴィオ。あなたの今の家はここなの。
養女になってもいいとお父様もお母様も言っているのよ? もちろん、跡継ぎとして迎え入れるお従兄さまと結婚したっていいし」
ペルラ様は、優しい声音で言った。
今までわたしの頭の中にあった記憶のほうが夢で、この悲惨な真実こそが現実なのだと知らざるを得なかった。
ファイルヒェン男爵家の当主であるお父様も、お母様も、そして婚約者だったザックも。皆、マルガリーテ公爵を狙った野盗に襲われて死んだのだ、と──。
まだ成人しておらず、行き場のないわたしは、恩を感じたマルガリーテ公爵家で保護されている。
いまは叔父が代理を務めているが、成人したら婿をとるか、あるいは数少ない女男爵としてわたし自身が立つのか。
乾いた笑いがこぼれた。実感がない。ただその日の映像と音だけが記憶となって頭の中にあるのだ。
「ヴィオ? 大丈夫? 大丈夫よ。わたくしがいるから。──そうだわ、こちらに来て。今日しか見られないものを見ましょう」
ペルラ様はそういってわたしを立たせると、バルコニーに誘った。
「今日は花宵の日ですもの。アシュテルラ神の祝福、夜光花をいっしょに見ましょう?」
ついさっきまでと同じように、真っ暗な空が広がっていた。けれども、ここには虫の音も静けさもなく、庭を飾る魔導灯もない。
公爵邸は丘の上にあり、眼下に広がるのは華やかな王都の街だ。星のように煌めく、この国で一番美しい街。知るはずのない景色を、見慣れているのが悲しかった。
そして、夜空から絶えず降ってくる、花。
「──花?」
わたしがつぶやくと、ペルラ様はこてりと首をかしげた。
「毎年いっしょに見ているじゃない。どうしたの?」
花々は、一つ一つ違う形をしていた。
カンパニュラ、マーガレット、バラ。どれもが魔導灯のようにほのかな光を帯びて落ちてきて、地上に落ちると形を残すことなくふっと消えていく。
「これは、光の神・アシュテルラ様の祝福なのですってね。幻想的だわ」
わたしの瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
ペルラ様は一瞬ぎょっとした顔を見せたが、ため息をついてほほえみ、「大丈夫よ」と言ってわたしを抱きしめた。