2.乗り越えたはずの、その日
時ははじめて処刑されたときから十年前に遡る───。
肘が、膝が、痛む。それだけではない。身体中に突き刺すようなじくじくした痛みがあった。重たい寝具の感触はあるのに、歯の根がかちかち鳴るほどに寒い。
そこではじめて、ペルラは自分が熱を出しているのだと気がついた。
熱? 死んだのではなく?
飛び起きて、時間が巻き戻っていることを知った。
ペルラは歓喜した。
この国を統べるといわれる光の神・アシュテルラに感謝した。
アシュテルラ神は、ごくまれに人の子を寵愛するのだと聞いたことがある。もしかするとペルラは、彼の方の愛し子なのかもしれない。
思い返せば、人生の中で後悔したことがいくつもあった。
処刑されたくない。でもそれだけでなく、諦めてきたことをすべてやり直せるチャンスなのでは。
たとえば、父が野盗に襲われて亡くなったこと。
病気で儚くなった母の治療法をあとになって知ったこと。
そして、慕う方の手を離してしまったこと。
使用人と話す以外にはずっとひとりぼっちだったから、できればおともだちもほしい。
可愛らしい妹のような子を甘やかし、慕ってくれたらどんなに素晴らしいだろう。
もう絶対に後悔したくない。ペルラはすぐに行動した。
あれから十二年が経った。
処刑された日を二年過ぎても、ペルラも、ペルラの両親も健在だ。
先ほども夜会に向かう彼らを笑顔で送り出したところだった。華やかな夜会用の服に身を包み、豪華な馬車で屋敷を後にする彼らを眺めながら、感慨深く思った。
巻きもどる前の知識をもとに商会を起こし、財産も潤沢である。なにかあっても家族三人生きていける程度の蓄えはできている。
今度は絶対に負けない。
以前は、社交界では冷遇されていてひとりぼっちだった。
両親を失くし、保護してくれる者もなく、一人娘のペルラだけが残ったことでいつ婚約解消されるかひやひやしながら王宮で暮らしていたから。
王子との仲も良くはなかったから、ペルラに近づくものはおらず、褒められるのも容姿ばかり。瞳の色にちなんだ"真珠姫"という呼び名があることは知っていたけれど、それも何かしらの揶揄いが含まれている気がしてならなかった。
でも今回は、覚えていたことを参考に三人の令嬢を救うこともできた。
ペルラにとってはじめてのおともだちだ。
トルペ伯爵令嬢が"下男と駆け落ちした"ということは前の生で知っていた。彼女が実家では冷遇されていたことから、それが嘘であると睨んでいた。醜聞になりそうなところを救えた。
キャンディス子爵令嬢には、領地に生えている毒草の活用法を伝えられた。それが母の病を治すための薬になると、のちに調べだしたのが彼女だったのだ。早いうちに彼女の功績を立てることができた。
そして、ーー父親と婚約者をほぼ同時に失ったヴィオレッタ女男爵には支援を惜しまなかった。あれだけの悲劇だ。彼女はしばらくは錯乱していた。けれども、屋敷に招いて、ずっと過ごすうちに落ち着いてくれた。
彼女にぴったりの婿を探すつもりでいたけれど、気丈なヴィオは、自らが爵位を継いだ。そして無我夢中で学び、働き、社交にも精を出した。ペルラはそんな彼女を取り立てて可愛がった。
本当の妹のように思っていて、いつでもそばに置いたことから、社交界では今ではペルラとついになるかのように"菫姫"と呼ばれるくらい。
彼女たちとはいい関係を築けている。
セオドリク殿下とも幼いころから交流を続け、巻きもどる前の世界でセオドリク殿下に婚約破棄を告げられた日も、処刑された日も、すでに過ぎ去ったのだ──!
でも、このごろセオドリク殿下の様子がおかしい。どうしてだか今日のエスコートも断られてしまった。
まさか、またなにかが起こっているのだろうか。
おともだちたちの様子だって変だ。もしかして、王子になにかあったときのためにと思い聖女アレッタを取り立てたせい……?
思い出すだけで指先が冷えてくる。腹の底がしんと重たくなる。
そろそろ身の振り方について考えなければいけないだろう。
「お嬢様には、まさに"真珠姫"の名がふさわしいです」
髪を結い上げてくれた侍女のミーアが言う。
「ええ。きっと王太子殿下もお嬢様の魅力に気づくはず」
そう言って、同じく侍女のエメリーは、うっとりした表情で香水瓶を差し出す。
確かに鏡の中のペルラは、侍女たちのおかげで最高にうつくしい。
銀糸のような髪はさらりと胸元に垂れているし、白い肌には傷ひとつない。真珠姫の所以ともなった銀灰色の瞳も光を放っている。
あとは仕上げをするだけ。
泣きそうな顔を微笑みの形に取り繕いながら、ペルラは香水を量に注意しながらひとふきした。
「お嬢さま、今日は一段とうつくしいです……!」
エメリーがペルラを抱きしめる。
「いやだ、ドレスが着崩れてしまうわ」
ペルラは困ったように笑った。
その後の、ペルラの記憶は曖昧だ。夢を見ていたような気がする。
そして気がついたらまた前と同じように処刑台に立っていたのだ。
ペルラは奮闘していた。いろんなことを変えてきた。それなのにどうしてこんなことになってしまったのだろう──。
「神様、アシュテルラさま、どうかもう一度お助けください……」
ペルラの瞳から、涙がひとしずく、つ、つ、と流れていった。
そのとき、空を割るような光があたりに満ちたのだった。