16.神と愛し子(2)
目をつむって衝撃に備えた。しかし、いつまでまっても痛みもなにも襲ってはこなかった。
「おまえ……」
アシュテルラ神がはじめて焦った声を出す。
わたしの前に男の人が立っていて、その人が指先一本で雷を消した、──ように見える。
「かわいそうだからと願いを聞いてやったのに、恩をあだで返すのか?」
「──あんたが勝手にしたことだろう?」
その声を聞いて、心臓がどくりと跳ねる。
「……ザック?」
男性は振り返ってにやりと笑う。背が高くなっているけれど、見たことの無い服を着てるけれど、ふわふわした黒髪も、穏やかな森色の瞳も懐かしくて、視界がぼやけた。
「なあ、アシュテルラ。ここは俺に免じて引いてくれないか? 目的はその女だろう? 後始末をしてやるって言ってるんだ」
神はしばらく苛立ちを見せていたが、ふんと鼻を鳴らすと、ペルラニアを裾の長い衣装に包み込むようにして、消えた。
「んー、いろんなことがごちゃごちゃになってるな。どうしたもんか。歴史の修復は不可能だ……」
ザックはぶつぶつとつぶやいた。
「死者は送ろう」
そういうと、彼のてのひらにふわりと光が集まり、空へ弾け飛んでいった。あれは恐らく双子の──。
「光の神に人生を狂わされた者たち。
あんたたちには、道を選べるようにしたい。この記憶を消して生きて行くか、抱えて生きていくか」
「──あなたは? 私には、かつての級友の姿に見えるのだが」
セオドリク王子がこめかみを押さえながら言った。
そういえば、巻き戻る前の彼は、学院に通っていたのだと思い出す。ザックと同級生で……。
「半分正解」
ザックは悲しげに笑った。
「神と悪女のわがままに巻き込まれてさ。
かわいそうだから救済してやるとか言われて、今じゃあ俺まで神だ。知っているだろう? アシュテルラ王国の2柱の神。名前のない、闇の神──」
人々がざわめく。けれども、今となってはあの伝承こそが偽物なのではないかと思わざるを得ない。だって、アシュテルラ神は、自分勝手な子どものようだった。
ザックはてのひらを上に向けた。
魔導灯のような温かい卵色の光が無数に空へ昇っていったかと思うと、ふわりふわりと、光の花が落ちてきた。
「神の祝福……?」
「夜光花だ」
ぴりりと張りつめていた人々の声が、少しだけ和らいでいる。
あのときのことが脳裏に浮かぶ。辛いからと蓋をしてきた記憶が蘇る。
──あの日、世界が変わってしまう前。わたしの背中に回されたザックの腕に、きゅうと力がこもるのがわかった。わたしの心臓が跳ねた。
今日こそ伝えようと思っていた。わたしはあなたのことが好きだって。けれども。
「あ、あの、魔導灯なのだけど」
恥ずかしくて、話題を逸らすことしかできなかった。
それでもなんとか顔を上げると、ザックの目の中に、庭の魔導灯が映ってきらきらと揺れているのが見えた。緑色の目は夜の闇色に染まっており、夜空に星が瞬いているような。
ぽうっとなっていると、ザックはへにゃりと笑って「なに?」と訊いた。
「──ええと、その、魔導灯の形ももっと改良できたらいいなって。お花とか、花びらの形だったら素敵じゃない? こんなに真っ暗で、どうしても不安になってしまう人もいるから」
わたしは早口で言った。──ああ、違う。こんなことを言いたかったのではなかったのに──。
あのとき本当に伝えたかったことを思い出した。
「ザック、──覚えていてくれたの?」
それでも、わたしの口から出るのはその言葉ではなくて。話したいことも聞きたいこともありすぎて、頭の中がいっぱいになってしまった。ただただ苦しくて、鼻の奥がつんとして、視界が滲んでいく。
「……ヴィオが話してくれたことは、たぶん、全部覚えてる」
ザックの声に甘さが滲む。
「すぐに助けてやれなくてごめんな。不安にさせて悪かった。寂しい思いをさせたのも後悔してる」
わたしはザックの胸に飛び込んだ。
「──ザックが悪いわけないじゃない。ごめんなさい。ずっと伝えたかった。わたし、あなたのことが」
そう言いかけたくちびるが、指で押さえられた。
「待って待って。落ち着いてから。──それを言ってしまったら、ヴィオレッタはもう道を選べなくなる。あの女のように。ちゃんと俺の話を聞いて、それから考えてほしい」
「──っ、好き!」
「ばか、ヴィオ!」
わたしたちの周りを光が取り囲んでいく。その日、わたしたちは世界から消えた。