サムーイン国にて⑤
応接室にあるソファはふかふかで、座るとそのふわふわが私の体を優しく受け止めてくれる。
「うわぁ!」
こんなにも一度座ったら立ち上がれなくなりそうなソファは初めて。これは絶対人をダメにするやつ!
私の座るふわふわのソファとルドさんの座る普通のソファの間にあるテーブルに、ランダーさんがコトリとマグカップと焼き菓子を置いてくれた。
「そのソファ、お気に召したようで何よりッス。どーぞ、お嬢さん。ホットミルクっスよ。」
「ありがとうございます。」
ランダーさんが用意してくれたのは、ホッとする温かさの……私の大好きな甘いミルク。
「うわぁ、濃厚。」
私がいつも飲んでいるミルクよりもずっと濃厚でコクがある。
「口に合わないか?やはりかにゃでの世界にいる牛とは味が違うのだな。すまない、オレ達の世界には牛はいない。これはモゥモゥと言う魔獣の乳で……。」
眉尻をへにゃりと下げたルドさんの言葉に、私の中に押し込められている不安が顔を出す。
「まじゅう……?」
私の世界?
牛がいない?
まじゅうって何?
「かにゃで、『大丈夫だ。落ち着いて。』」
顔を出した不安をランダーさんの声が再び私の中に押し込める。
「大隊長ぉ、かにゃでを動揺させる事言うのはNGっスよ。」
「す、すまないっ!!」
大きな体をシュンッと小さくするルドさんは、怒られて落ち込んだ大型犬っぽい。
小柄なランダーさん……ううん、周りの人が大きいから小柄に見えるだけで、ランダーさんはスラリとして背は高い。
ルドさんよりかは小柄なランダーさんに叱られる屈強なルドさんの様子はなんだか面白くて笑っちゃう。
「かにゃでが笑った!!」
「ごめんなさい。体の大きなルドさんがランダーさんに怒られてる様子が面白くて……。」
私が笑った事で目を輝かせたルドさんは、やっぱり尻尾をぶんぶん振る大型犬っぽく見える。
「そうかっ!よし、ランダー!もっと怒れっ!!」
「嫌ッス。」
ランダーさんに怒れと叫ぶルドさんに、それをバッサリと断るランダーさんのやりとりは漫才みたいで面白い。
クスクス笑う笑う私を見て、ランダーさんがフッと優しく笑った気がした。
「それじゃっ、話をさせてもらうっスよ。」
ランダーさんがルドさんの隣に座る。
「コレを見て欲しいっス。」
ランダーさんが私に見せたのは1冊の本。
表紙に描かれた絵の、うさぎのぬいぐるみを抱いた女の子が私にそっくりだ。
「コレは……私?」
このぬいぐるみは昔祖父母にもらった、私の宝物。
宿泊が必要になるほど遠方で開かれるコンクールに出る時は、必ず持って行っていた。
「これは……文字?」
うさぎのぬいぐるみを抱いて笑う私の絵の上には、私には読む事の出来ない不思議な文字が羅列されている。
「本のタイトルっス。恋はメロディ☆ト・キ・メ・キ♪ラビューンって書いてあるっス。」
本のタイトル?
「えぇ……っと、恋はメロディ☆ト・キ・メ・キ♪ラビュー……ン?」
本のタイトル……ダサくない?
表紙のうさぎのぬいぐるみに『ぴょん耳太郎』と名付けた実兄のネーミングセンスと同レベルね。
「ってそうじゃない!」
本のタイトルのダサさに意識を持ってかれたけど、大事なのはタイトルのダサさじゃない!!
私は頬を2回ピタピタと叩くと、改めて本を手に取った。
「くっ、モノローグが見たい。」
唸るルドさんの声が聞こえたけど、気にせず本を開く。
文字がわからないから内容はよくわからないけど、この本……この漫画に描かれている人物や風景は私の見知ったものだ。
しばらく眺めていると、文字は読めなくてもこの本の主人公が私の弟だってわかる。
「……よん。」
私の弟の名前は響矢。
『よん』って言うのは響矢のあだ名。
小さい頃の響矢を私達は『きょん』って呼んでいたけど、自分の事を『きょん』って発音出来なかった響矢が自分の事を『よん』と言っていた事からみんな響矢を『よん』と呼ぶようになった。
「そう、コレはかにゃでの弟のよんの物語っス。」
私が目にしているページは、響矢が友達と学校帰りにコンビニでうま◯棒を買ってるシーンだ。
ページをめくると友達と公園でサッカーをし、家に帰る響矢がいる。
「私の……家。」
家が無性に恋しくて、ドクン、と胸が鳴った。
「かにゃで、『本を閉じて、ゆっくり息を吸うんだ』。」
ランダーさんの声に、私は本を閉じてゆっくり息を吸う。
不安でドクンと鳴った胸の鼓動が少しだけ落ち着いた。
「私は、この本の登場人物の1人……って認識で正解?」
この本が響矢の物語なら、響矢の姉である私もこの本に登場するのだろう。
私達が本の登場人物だろうと推測は出来るけど、理解は出来ない。
到底信じられない話を受け入れられているのも……いつもなら混乱して過呼吸になっているはずなのに、呼吸が落ち着いているのもランダーさんの魔法によるものだろう。
私の問いかけに、ランダーさんが静かに頷いた。
「なら、私はどうして……?」
この本の中の世界から飛び出してここにいるの?
「かにゃでが現れた日は聖なる星の夜。1年に1夜だけ女神様の星が空に浮かぶと言われている特別な日だったっス。」
聖なる星の夜?
そう言えばここに来たばかりの時、ランダーさんがルドさんに星の女神様がルドさんの願いを叶えてくれたって言ってた。
私の視線がルドさんに向くと、ルドさんは大きな体をビクリと震わせて体を極力小さくしている。
「聖なる星の夜、決まった時間に祈りの大地と呼ばれる場所で自分の血液を供物に女神様に半裸で土下座して願えば女神様が願いを叶えてくれると言う伝説があるっス。」
私と出会った時のルドさんは、上半身裸でおでこに怪我をしていた。
で、私が空から落ちた日はその聖なる星の夜。
「聖なる星の夜の日は恋はメロディ☆ト・キ・メ・キ♪ラビューンの発売日前日。でもヌクイーナにある本屋に行くと、発売日へと日付の変わる2時間前に購入する事が出来るっス。」
ランダーさんが机の上に汚れた本を置いた。
「この本は大隊長が発売日の2時間前にヌクイーナの本屋で購入した本っス。早く読みたくて気が急いていたんっスねぇ。不測の事態とやらで本を汚してしまったらしいっス。」
綺麗な本と並べてみると、同じ本と思えないほど汚れている。
「かにゃでは大隊長の最推しキャラっス。かにゃでが表紙のこの本を汚してしまった事を、大隊長はかなり悔やんでしまった。大地に頭を打ちつけるほどに。」
ランダーさんの言葉にルドさんがますます縮こまっていく。
「そして大隊長は聖なる星の夜の女神様の星の輝く時間に、汚れてしまったかにゃでの表紙に半裸で祈ってしまったっス。かにゃでに会いたいと。それがたまたま祈りの大地の中心で頭から血を流していたんで、女神様が願いを叶えてくれたってわけ。女神様が願いを叶えてくれるなんて眉唾物かと思っていたっスけど、まさか本当に願いが叶うとはね。」
それで私がここに来てしまった。
と言うわけね。
「私は……帰れるの?」
恐る恐る尋ねる私の手を、ランダーさんがギュッと握った。
ランダーさんの手はゴツゴツして、少し冷たい。
「嘘は吐きたくないから正直に話すっスから、『落ち着いて取り乱さずに聞いて欲しい。』」
ランダーさんの真っ直ぐな瞳とルドさんの今にも泣きそうな表情から、私の望む答えはないとわかる。
「ランダー、この先はオレから話す。」
重々しく口を開いたのはルドさん。
「かにゃで、オレが軽率に願いを口にした為に……すまない。今のオレ達にはかにゃでを家に帰してやる事が出来ない。」
私の手を握るランダーさんの手に力がこもった。
「だが、必ずかにゃでが元の世界に帰る手段を探し出す!もし見つからなくても、来年の聖なる星の夜に女神様にかにゃでが帰れるよう全裸で願おう。」
ぜ、全裸。
「大隊長ぉ……それじゃただの変態っス。」
ランダーさんの呟きが耳に入らないルドさんも、私の、ランダーさんが握っていない方の手を握った。
「かにゃでの生活と安全はサムーイン国防衛隊の大隊長ルドヴィック=ベルガーが保証する。辛い思いはさせない。」
ルドさんの手はランダーさんのゴツゴツした手よりも更に大きくてゴツゴツで肉厚。
私の手がとても小さく見える。
「かにゃでが笑って過ごせるよう全力を尽くす。だから、ずっとオレの側にいてくれないだろうか?」
ルドさんの真剣な声が、私がここにいる間はルドさんが守ってくれると言っているのはわかるけど、ルドさんの言葉ってまるで……。
「求婚してるみたいっスね。」
ランダーさんの声と私の心の声が被った。
「ラララ、ラランダー!何を言っている?!求婚?つい心の本音が!!」
「大隊長、後で色々とお説教させてもらうっスよ。」
ランダーさんの目が据わってる。
そんなランダーさんの視線にルドさんの顔色が変わった。
この後、ルドさんはランダーさんにお説教されるとの事で、私はルドさんの部下さん達のいる食堂に場所を移すこととなる。
食堂で部下さん達から、私がルドさんとランダーさんの話を落ち着いて聞いていられたのは、ランダーさんが手を通して私に魔法をかけてくれていたからだと教えてもらった。
だからルドさんみたいなイケメンからプロポーズされても冷静でいられたんだなって、納得。