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6スパ 強襲の淵野辺

 翌日。


 登校して教室に入ると、小さな違和感があった。うまく言葉にできないが、普段の教室とは違う雰囲気。


 まぁ俺のような世捨て人からすれば教室の様子なんて知ったこっちゃない。亮の登校をぼけーっと待っていると……



「おっは~」



 長津田が登校してきた。


 ……昨日の歌枠、なんやかんや最高だったな。やっぱりランオブの曲はいただけないけど。さすがま~や様だぜ。


 彼女を目で追っていると、俺はさっき違和感の正体に気付いた。


 淵野辺だ。彼女の様子がおかしい。いつもは朝からケタケタとやかましい笑い声をあげているのに、今日は無言。彼女だけじゃない。淵野辺を中心にして教室の隅で固まっている数人の女子全員が、不敵な笑みを浮かべて長津田を見ていた。


 

「……みう?」



 彼女もその違和感に気が付いたらしい。


 問いかけられた淵野辺は、獲物を見つけた獣のような嗜虐的な笑みを浮かべて──



「おはよ。ま~やちゃん」



 ……は?


 気づくと、取り巻きの女子たちもクスクス笑っている。



「ちょ、やめなよみう~」「ま~やちゃんがかわいそうだってばw」



 不味い。突如として訪れた緊急事態に、俺は固まらざるをえない。


 長津田も同じようで、その翡翠色の瞳が不安げに揺れている。言葉が出ないままそうして数秒間固まり、苦笑いを浮かべながら……



「な、なんのこと……?」



 取り繕った言葉は、どう考えても弱すぎた。



「とぼけないで欲しいんだが~?」

「と……とぼけるって。何の話?」

「ユナぴ、昨日カラオケ行ったよね」

「……そうだけど」

「みうたちもいたんだ。そのカラオケ」



 ──そういうことか。


 昨日、長津田は配信に遅刻しないため近場のカラオケから配信をした。そこを──運悪く、淵野辺たちに見られてしまったのだ。



「な~んかコソコソしてたから、こっそり後をつけたの。部屋の中を覗いてみたら──」



 そう言って淵野辺は嗜虐的な笑みを浮かべ、取り巻きの女子たちに視線をやった。突如として生まれる爆笑。俺はそれを見て、ぴくりとも笑えなかった。


 悪女。マジでガチのクソ女だ。


 別に気付いたなら黙っていればいい。むしろ友人ならそうするのが当然だ。にもかかわらずこうしてクラスメイトの前で──まるで知らしめるかのように語っているのは、淵野辺は長津田に悪感情があるから。


 思えば片鱗はあった。


 例えば、数学のテスト。長津田は淵野辺に教えてもらった範囲が間違っていたと言った。


 例えば、一昨日の跳び箱。あれだって、淵野辺の不自然なタイミングでの一言が招いた事故だ。


 例えば、これまでの全て。誰かをやり玉に挙げるとき、淵野辺はいつも長津田に同意を求めていた。まるでわざとヘイトを集中させるように。


 

「え、なんで隠してたん? ちょっとユナぴ、教えてよ~」



 淵野辺はああ見えて文武両道だ。友人も多い。彼女からしたら、その美貌とトーク力だけでカーストトップに居座っていた長津田がさぞ憎かったことだろう。他の女たちも、大なり小なり嫉妬があったのだと思う。


 だから引きずり下ろす。弱みを見せた長津田を徹底的にバカにし、カーストの順位を逆転させようとしている。


 このまま行けばその思惑は成功するだろう。当たり前だ。いかに長津田のコミュ力が高かろうと、一度明らかになった真実を隠すことは不可能だ。詰み。



「勝手にやってろよ……バカが」



 自業自得だ。確かに淵野辺も悪女だが、長津田もカーストトップに居座るために強権的な態度をとってきたのだから。恨みを買っていてもそれは身から出た錆だ。


 別に、俺には関係ない。


 しかし、どういうわけか俺は彼女たちから目が離せずにいた。



「あ、アタシは……その」



 長津田は必死に言い訳を探す。しかし、事ここに至ってはそんなものは無意味だ。


 淵野辺はそんな彼女を見下すように小さく笑い……



「ねぇ、あんなの止めなよ」

「え……」

「配信でオタクに媚びて、スパチャ?だっけ。お金貰ってるんでしょ。なんか援交みたいじゃん、それって」



 どこまでも露悪的に責め立てる。しかし、誰も止めようとしない。後ろの取り巻きはニヤニヤ笑っているだけだ。



「……違う! あれは……視聴者と配信者がお互いをリスペクトするための機能で……そもそアタシはお金目当てで配信なんて──」

「違わないんだが〜? 結果的に金貰ってんならそういうことでしょ。ていうかリスペクトて。どんだけ美化すんだっつーの。キモオタから搾取してるだけなのに」



 長津田の表情が歪む。



「アタシのことは悪くいってもいい! でも、視聴者のことはやめて!」

「はァ……? 何言ってんの。ただの金づるとしか見てない癖に」

「違う!」

「違わないだろ!」



 淵野辺が激情を剥き出しにしてまで長津田を否定する。まるで年幼い少女のように。


 俺はそれに小さな違和感を覚えるが、それも一瞬のことだ。淵野辺は小さく嘆息すると、いつもどおりの笑顔を顔に貼り付けた。そして────



「正直に言うね。ユナぴ、キモいんだよ」

「みう……」

「これまで散々『アタシはオタクじゃないです』みたいな顔してきて、実はあんな配信してたなんてさァ……」



 どれだけ長津田が口を開いても、その言葉が聞き入れられることはない。当たり前だ。彼女たちの間では「キモい配信をしていた裏切り者」というレッテルが貼られてしまっているのだから。


 それがどうしようもなく痛ましくて──けれど、俺は無理やり目を閉じた。知らない。俺は何も知らない。


 淵野辺は嘲笑を止めない。そして──



「絵畜生のくせに女王様気取ってたとか、マジで笑えるんだが?w」



 ガタァン! 気が付くと、俺は机を蹴飛ばしていた。


 周囲の視線が一斉に俺に注がれる。

 

 ……たしかに長津田は最悪だ。外見がいいからって調子に乗ってるし、平気で人をこき使う。この状況に陥ったのも本人の注意不足。擁護の余地なんてない。


 でも──それでも、あいつはプロだ。Vtuberという存在に真摯に向き合っている。


 あいつがVtuberであることを誰にも言わないでくれと俺に頼んできた理由は、きっと保身のためだけじゃない。画面の向こうにいるファンのことを心底想っているからだ。「長津田ユナ」という現実がVtunerである「猫神ま~や♡」を侵食すれば、きっとファンは不快に思う。身バレを喜ぶファンなんていない。


 もし自己顕示欲と金銭のためだけに配信をしているのなら、配信収入と自分の体を好きにしていいなんて言うはずがない。不測の事態に備えて、重くて仕方のない配信器具一式を毎日カバンにいれて持ち運ぶなんて狂人じみた真似もしない。


 そんなプロ意識の高いま~や様の信者である俺。


 俺がやるべきことは──きっと決まっている。



「借りるぞ、亮」

「え……」



 登校してきた亮が背負っていたアコースティックギターを強引に奪い去る。持つべきものは軽音部の友人だな。


 そうして俺は教卓まで歩き、教室を見渡した。



「あー、長津田。ちょっと語ってもいいか」

「え……」

「まぁダメだって言われても語るんだが」



 突如として現れたキモオタに、淵野辺が「なんだこいつ」みたいな目を向けてくる、あの時と同じだ。違うのは、長津田が泣きそうな瞳でこちらを見ていることぐらい。



「えー、ごほん。皆さんに、一つ伝えたいことがあります」



 注がれる好機の視線。まーたキモオタがハッスルしてるよ、と誰かが呟いた。そこから生まれる嘲笑。教室は一瞬にして元の騒々しさを取り戻した。


 そんな雑音をかき分けるかのように俺は弦を鳴らした。錆びついていた指先が、急激に感覚を取り戻していく。


 ウォーミングアップを終えると、教室は静まり返っていた。


 俺は考えた。すでに漏れてしまっている長津田の正体を隠す方法。全員の口止めをする? いや、そんなこと不可能だ。まず誰が知っているのかが不明だし、一人でも約束を破ればすべて崩れ去る。


 なら、方法は一つしかない。


 俺は息を吸って、決定的な一言を口にした。



「『Landing Object』、ランオブってアーティストいるでしょ。アレ、俺です」



 長津田由奈の正体より、さらにセンセーショナルな情報を明らかにすればいい。解決策はそれだ。



 絶対にするつもりがなかったカミングアウト。しかし、後悔。緊張。羞恥。そんな感情は一切湧いてこなかった。


 代わりに、ぼんやりと昔のことを思い出していた。昔と言ってもたかが1年前だが。


 ……あの頃、ランオブの人気は絶頂だった。街中のあらゆるモニターからMVが流れ、多くの若者は俺の曲に魅入られていた。ランオブは神。ランオブの曲に人生を救われた。毎日新曲を楽しみに待っている──数えきれない程の称賛が、SNSを通じて俺のもとに届いていた。


 しかし、その状況で俺が感じたのは喜びではなかった。恐怖だった。


 Landing Objectという存在が俺を離れて、一人でに動き出してしまったかのような不気味さ。俺はただ楽曲を作っているだけなのに。それだけのことしかやっていないのに。何人もの人生に影響を与えてしまっている。そして、それはもう止めることができない。


 怖くなった。俺の作った楽曲が誰かの人生を救った。それならきっと、どこかに俺の曲によって壊されてしまった人もいるんじゃないのか。俺は自意識過剰なオタクだから、そんな荒唐無稽な考えを否定できなかった。


 そして、それは現実となってしまった。



「私、曲作るの辞める」



 思い出すだけでもゾッとする。俺が壊してしまった人は、俺に音楽を教えてくれた姉さんだった。


 姉さんはピアニストとして数々のコンクールで入賞し、将来を有望視されていた。所属する音楽大学では特待生で、レコード会社の役員でもある父親からも期待されていた。


 だからきっと、彼女が俺に音楽を教えたのは間違いだった。


 中学に上がった頃、趣味が欲しいと言った俺に姉さんは優しくピアノを教えてくれた。


 俺は姉さんが好きで好きで大好きでたまらなくて、褒めてもらいたくて音楽を勉強し続けた。そしてやがて作曲にも手を出した。


 音楽を作れば姉さんが俺を見てくれる。だから俺は作曲が大好きだった。


 俺が──Landing Objectという存在が彼女のプライドを傷つけ、修復不可能なほどに歪めていたことに気がつけなくなるほどに。



「私は凡人」


「蓮也に私の気持ちなんてわからない」


「私、曲作るの辞める」


「死んじゃえばいいのに」



 彼女は心を病んでしまった。きっと今でも俺を憎んでる。


 そうして俺は気付いた。気が付いてしまった。これまで意識することのなかった、俺の音楽によって壊されてしまった人たちの存在に。


 音楽で人を救えるなんて幻想だ。けれど、音楽で人を壊すことはきっと難しくない。


 だから俺は引退した。誰も救えない代わりに、誰も壊すことはない。


 アンプもギターもハイエンドPCも全部破壊し、ガラクタだらけになった自室に閉じこもる日々。()()()()()()()()も、俺は一度も楽器を触っていない。歌を歌ったこともない。


 だけど──



『アタシの目標は一つ!』


『もっともっと有名になって、リスナーに笑顔を届けて……いつか、ランオブに『ありがとう』って伝えんの!』



 あんなにまっすぐなことを言われたら、俺も黙っているわけにはいかないよな。



 ギターを構える俺を、淵野辺が睨みつけてくる。



「ら、ランオブ? なにバカみたいなこと言ってんの。オタクくんさぁ……」

「なぁ淵野辺。前にも言ったよな」

「……なにを?」

「Vtuberは絵じゃねぇんだよ」

「は……?」

「心だ」



 呆気にとられる彼女をよそに、俺は再びギターを鳴らす。


 ウォーミングアップを終えた俺の指が弦の上を滑る。奏でられるリズムに任せるがまま、俺は歌いだした。



「────♪ ──!」



 作詞も作曲も即興だ。けれども俺は止まることはない。当たり前だ。俺はランオブ。かつて日本の頂点を戴いたアーティスト、Landing Objectなのだから。


 はじめは物見遊山で聞いていたクラスメイトたちも、気が付けば皆、息を呑んで俺の演奏を聴いていた。扉からは演奏を聴いた他クラスの人間も顔を覗かせている。



「……!」



 見れば、亮が異星人と遭遇したかのような目をこちらに向けていた。悪いな、後でギター返すよ。


 やがてCメロが終わる。まだだ。こんなのはLanding Objectじゃない。ラストのサビに差し掛かる。俺は指先の痛みに耐えながらサビを歌いきる。そしてケースから二本目のピックを取り出し、小指と薬指に挟む。突如として現れる重奏に教室がわっとどよめいた。


 これがLaning Objectの真骨頂。2つのピックによる演奏は有名アーティストをもってしても表現不可能と言わしめた秘技中の秘技であり、俺がランオブであることの証明でもあった。


 そして最後の転調。俺は2つのピックを宙に投げ捨て──



「────俺はま~や様を愛してるッ!!! 心の底からぁぁぁぁぁッ!!!」



 肺の空気をすべて出し切るまで叫び続ける。そうして生指で最後のコードを弾き終わり、俺はギターを置いた。


 皆、呆気に取られていた。人だらけなのに沈黙に満ちた教室が、どこか異質に見えた。



「本物……?」



 誰かが呟いた。せき止めていたダムが決壊するかのように、皆、口々に話し始める。



「本物だ……!」「は、ありえなくね?」「でも聞いただろ。あんなコード進行、マジもんじゃなきゃありえねぇよ」「ランオブだ……!」「ていうか、ま〜や様って誰?」「知らん」「だ、誰か録音してた人いる!?」



 ざわめきに包まれれる教室。そこに猫神ま~やという単語は存在せず、ただ復帰したアーティストに関する話が躍っているだけ。当たり前だ。ま~や様の登録者150万は多いが、さすがに1000万の前では霞む(最大限のイキり)。 



「蓮也……」



 喧噪の中、長津田がこちらに歩み寄ってくる。俺と彼女、視線が交錯する。


 これは……あれか。



「長津田──」



 あれだろ。感極まってキスしてくんだろ? 俺知ってる。でもどうしよう。俺が好きなのはま~や様であって長津田ではないのに。でもまぁ、長津田もよく見れば可愛いというか、翡翠色の瞳とかきらめくブロンドヘアーとか魅力的で──



「──こんな公衆の面前で愛を叫ぶなし!!」

「きょえっ」



 心底恥ずかしそうに顔を赤くした長津田が、俺の襟首を掴んできた。


 こうして、朝の動乱はなんとも締まらない終わり方となった。首は締まったけど。笑えねぇ。

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