5スパ いつか救われた彼女
あの日以来、俺と長津田は空き教室でたまーに話すようになっていた。内容はま~や様の配信についてだったり、クラスの様子だったり、くだらない雑談だ。
本人もリアルでVtuberのことを相談できる人間がいなかったらしく、こんな形とはいえ両方の顔を知っている俺は話し相手として都合がいいらしい。まぁ、俺もま~や様と同じ声帯から奏でられる音を聞けて満足だからWin-Winなのだが。
夕暮れに染まる空き教室で、今日も長津田と俺は話し込んでいた。
「あ、今日歌枠の配信あるから。もう帰るね」
「歌枠……またランオブの曲か?」
「もち」
不思議なことに、ま~や様はここ1年間、配信でランオブ以外の曲を歌ったことがない。
「前から疑問だったんだけど、他のアーティストの曲歌わないのか?」
そう問いかけると、長津田は即答した。
「歌わないよ。絶対」
「なんで」
「……言いたくない」
「そっか……」
まぁ、俺も嫌がる人間に理由を聞くほど野暮な男じゃない。
「なぁ長津田。クラスのLINEグループに今日の配信リンク張ってもいいか? みんなにま~や様の美声を知ってもらいたいんだ」
「あーはいはいわかった! 喋るから! 喋ればいいんでしょ!」
どういうわけか話す気になってくれたらしい。ラッキー。
「信者だから、アタシ。Landing Objectの」
「それは知ってる。教室での話聞いてたらわかるし」
「え、勝手に人の話聞いてんの? キモすぎなんだけど」
「お前ら陽キャさんが馬鹿デカ声で喋ってるから聞こえてくんだよ。つーか……信者でも、それしか歌わないのはやりすぎだろ」
「ランオブ以外の曲を歌ったら、それはもうアタシじゃない。だからアタシは歌い続ける。……それだけ」
なんとも不快な話だ。
「……わけがわからないな。あんなアーティストのどこがいいんだよ」
自分でも驚くぐらい卑屈な声が漏れた。
「……なに? アンタ、ランオブのこと嫌いなの?」
「別に嫌いじゃない」
「へぇ」
「大っ嫌いなだけだ」
過去に戻ってランオブを殺せるのなら、俺は迷わずそうするだろう。
しかし、長津田は俺の心情なんて知らない。いつもの無遠慮な態度でこちらを批判してくる。
「え、マジでありえないんだけど」
「好き嫌いなんて俺の勝手だろ。第一、あんな顔も名前も出してない野郎のどこがいいんだよ。まともに人とコミュニケーションも取らずにただ曲を上げ続けて……そんでもって無言で活動休止とか、ただのオナニー野郎だろ」
「ッ、馬鹿にしないで!」
襟を掴まれる。思わぬ力強さに、ひゅっと息が漏れた。
「アタシは……猫神ま~やは、ランオブのお陰で配信出来てるの。あの人がいなかったら今頃引退してたと思う。いや、絶対そう」
その言葉を聞いて、心臓が締め付けられるような感じがした。
喜び? いや、違う。この感情は恐怖だ。また俺の知らないところでLanding objectが誰かに影響を与えている。それを制御できないことへの恐怖感。
冷や汗を浮かべる俺をよそに、長津田は俺の目をまっすぐに見つめる。
「……語っていい?」
「……勝手にしろ」
「ま、やめろって言われても話すつもりだったけど」
じゃあ聞くなよ。この前の意趣返しだろうけど。
長津田はぽつぽつと語り始めた。
「……確か、一年前だったかな。あの頃、すっごい調子が良かったの。登録者も増えて、いろんなライバーともコラボ配信とかして……毎日が楽しかった。こんな日々がこれからも続くんだって思ってた」
一年前。奇しくも、俺が音楽活動を辞めた時期と一致している。
「でもね。それからしばらくして、有名な男性Vtuberとコラボ配信したの。……それがいけなかった」
「どうも彼は私のファンだったらしくて、コラボ配信でグイグイ接してくるの。私は何も思わなかったんだけど、向こうのファンはそれが気に食わなかったみたいで」
俺はその話を知っていた。ま~や様は過去に一度大きな炎上を起こしている。男性Vtuberとのコラボをきっかけに両者のファンが対立。はじめは小さな火種に過ぎなかったが、当時は珍しかったVtuberという存在に目をつけたアフィブログやら炎上系Youtuberが真偽不明の噂話をバラまいたのだ。
曰く、二人はニコ生時代からの知り合いで裏で同棲している。
曰く、今回のコラボは猫神が無理を言って通したものであり男性側に非はない。
曰く、この炎上は大手事務所が個人潰しで仕掛けたもらしい。
ま~や様のような個人Vtuberには、事務所のような後ろ盾がない。つまりは真偽不明の情報がばらまかれた時、それを公的に否定してくれる存在がないことを意味する。となれば炎上は終わらない。結局、事態は男性Vtuberが引退することになるまで終わらなかった。
振り返ってみればどれも嘘だと思える噂話ばかりだったが、「大手事務所が個人潰しに動いた」という話は一定の信ぴょう性があると俺は思っている。というのも、「鹿沼うみ」という大手に所属するVtuberが炎上を煽るような発言を度々繰り返していたからだ。
女性のくせに雄シカの角を付けたアバターである彼女は、「歌姫」としてVtuber三幻神の一翼を担っている。
「あることないことSNSに書き込まれて……アタシであるはずの『猫神ま~や』が、どんどん私から離れて行って……なんか、めっちゃ怖かった」
めっちゃ怖かった。飾らないその言葉が、逆説的に事態の深刻さを伝えてくる。
「リスナーの為に時間を削って、体力だって消耗して……こんなに頑張ってるのに、どうして信じてくれないの!? って、もうメンタルボロボロでさ。な~んか全部馬鹿らしくなって、配信辞めちゃったんだよね」
ま~や様は一か月間配信を休止した時期があった。たぶんその時期のことだろう。
「そんな時、Landing Objectを知ったの。一切メディアに出ないで、ただひたすらに曲を作り続ける覆面アーティスト。落ち込んでるときにあの人の曲を聴いて、めちゃめちゃ救われた。アタシの好みドンピシャだったし、なにより……ランオブの精神? 生き様っていうのかな。それがすっごい好きだった」
「生き様(笑)」
「茶化さないでよ。……知ってる? ランオブって一回だけインタビュー受けたことあんだよね」
知ってる。あれはランオブが有名になって調子に乗っていた頃。有名テレビ局からインタビューのオファーがあったのだ。
「年齢とか、職業とか、これまでの経歴とか……インタビュワーが色々質問するんだけどね。ランオブ様はずっと無言。な~んも答えないの。でも、音楽を作る動機だけはちゃんと答えたんだよね。なんて言ったと思う?」
正直答えたくないのだが、他人からその言葉を聞くよりも自分で言ったほうがマシだと俺は判断した。
「……『好きでやってるだけだから』」
「そう! なんだ、知ってんじゃん。実はファン?」
「なわけないだろ」
当時のLanding Objectサマは中二病真っ盛りで、それはもう痛々しいやつだった。
「ミステリアスな俺、かっこいい……」とわけのわからないアイデンティティにとりつかれ、ネット越しのインタビューでもアノニマスのマスクとか付けてたし。「インタビューで一言しか喋らない自分、異端すか?w」とか考えてたっけ。
あ、やばい。思い出すだけで背中がチクチクしてきた。やめてー! 勘弁してー!
「ふーん。まぁいいや。とにかくね。アタシ、その言葉を聞いてビビってきたの。登録者とかアンチとか、そんなのはどうでもいい。アタシは好きだから配信するの。それでファンが幸せになってくれればよし。嫌な奴は見なければいい。けど、そんなアンチたちですら笑っちゃうぐらい楽しい配信をしてやる! ってね」
理解はしたが、素直に認めることは出来なかった。
「でも、ランオブは楽曲作りから逃げた」
「……」
「色んな人を踏みつけて有名になったくせに。ファンが楽曲を待っているのに。勝手に消えて……無責任なヤツだと思わないのか?」
「思わないよ。だって、そんなの本人の勝手じゃん」
そこには一片の躊躇いもなかった。心の底からそう思っているのが伝わってきた。
そこで俺は、長津田がま~や様であることを再認識した。どこまでもまっすぐで、芯の通った力強さがある。俺とは正反対だ。
長津田は腰かけていた机からぴょいっと降りると、窓際に歩いていく。妙に綺麗な後ろ姿だった。
「とにかく。アタシの目標は一つ!」
「も、目標?」
「うん! ──もっともっと有名になって、リスナーに笑顔を届けて……いつかランオブに『ありがとう』って伝えんの!」
また、心臓が締め付けられる感覚。けれど、それは恐怖ではなかった。もしかしたら──
「って、時間大丈夫か?」
「え──やばっ!! 絶対間に合わないじゃんこれ!!」
「お、今回も質問コーナーに変更か」
「っ──いや。PCとUSBマイクは持ってきてるから、カラオケから配信する。じゃーね!」
「お、おう」
確かに近場にカラオケはあるけども。なんというプロ意識の高さ。さすがま~や様だぜ……。