2スパ 復讐の鬼
放課後。俺は体育倉庫の清掃活動に勤しんでいた。
どうやら永遠の二番手こと淵野辺さんは今日の俺の態度が気に食わなかったらしく
「あ、罰として体育倉庫の掃除な~!」
とか自分の掃除を押し付けてきた。俺はそれに二つ返事でOKしてしまったワケ。
フン……別にビビッてなどいない。ただ善意でOKしてあげただけだから。ほんとに。「断ったらオタクくんが告ってきたって言いふらす」なんて脅しに屈したわけでは断じてない。ない。ないから、泣いてもないから。
それに、嫌なことはそれだけではない。
「……なんでお前までやってんの」
視線の先には、なぜか運動マットを折りたたんでいる長津田がいる。
「別に?」
「別にって、お前な……」
どういうわけか、俺が体育倉庫に向かっていたら「アタシも手伝う」とかわけのわからないことを言い始めたのだ。当然キモオタに拒否権はないからこうして一緒に掃除をしている。
ぶっちゃけ、気を遣うから帰ってほしいんだけど。
そんな俺の内心なんてつゆ知らず、長津田はボソっと呟いた。
「……アタシなりのお礼。これでもう貸し借りはナシだから」
「か、貸し借り? 意味不明なんだけど」
なに? いきなり貸し借りとか言い出してくんのマジで怖いんだけど。ウシ〇マくんかよ。
俺はコイツに貸しを作った覚えはない。まぁ、日ごろのパシリとかは貸しといえなくはないけど、それにお返しをするほど長津田は殊勝な人間じゃないはずだ。
手元の腕時計は6時を過ぎていた。30分からま~や様が配信を始める。こんなカスみたいな仕事をしている場合じゃない。
「なぁ、そろそろ6時だし。解散しないか」
「え────はぁ!? 6時!??」
長津田は心底驚いた様子。
「あ、アタシ帰るっ! 片づけよろしくっ!」
「はいはい」
倉庫の端にあったカバンを引っ掴み、長津田は急ぎ足で倉庫を出て行った。
俺も後に続こうとするが、黒い箱が落ちていることに気付く。長津田の忘れ物だろう。
拾ってみると、それはランオブのアルバムだった。1年前、活動休止の直前に発売されたアルバム。思わず眩暈がした。
俺は舌打ちして、長津田の後を追いかけた。正直膝で2つ折りにしてやりたい気分だが、一応、他人のものだしな。
校内に戻ると、閑散とした廊下をぐるぐると歩き回っている長津田がいた。なんだあれ。陽キャの行動はわからんなぁ……。
「やばい、遅刻しちゃう……でも、家に帰る時間なんてないし……!」
そんなことをブツブツ呟いていたが、ハッと顔を上げた彼女は突如廊下を走りだした。俺も後を追う。
彼女が入っていったのは空き教室だった。こんなところに何の用が? 疑問に思った俺は、扉についた窓から教室内を覗き見る。
電灯が外された薄暗い室内。年季が入った薄茶に変色した学習机の上で、長津田は一心不乱にノートPCを操作していた。
横には……USBマイク? あと、白色の箱……モバイルルーターのようなものも見える。
声をかけようと思ったが、あまりに真剣な様子だったので憚られた。
いったい何をしているんだ?
あ、もうそろそろま~や様の配信が始まる時間だ。とはいえ長津田の様子も気になるので、俺は右耳だけイヤホンを指して配信画面を開いた。運のいいことに、ちょうど配信がスタートするところだった。
「はろはろにゃーん!」『はろはろにゃーん!』
いつもの挨拶が聞こえる。しかし違和感があった。
うん? ま~や様、音ズレしてないか?
「今日は歌枠の予定だったけど、機材さんがご機嫌ななめだから質問コーナーにするにゃ。ごめんにゃ~!」
『今日は歌枠の予定だったけど、機材さんがご機嫌ななめだから質問コーナーにするにゃ。ごめんにゃ~!』
許すにゃ~!!!
機材トラブルという不測の事態でも、内容を変更して配信してくれるま~や様マジ柔軟性の塊。これもうスライムだろ。というか、ま~や様の歌枠はどういう訳かランオブの曲しか歌わないから個人的には質問コーナーの方がありがたい。
にしても、イヤホンしてない左耳からも音が聞こえるなんて、最近の音ズレも進化してるんだな。おじさん関心しちゃったよ。ははっ。
……。
…………。
あまりにも不快で荒唐無稽な現実をシャットアウトする為、俺は両耳にイヤホンを付けて音量を最大にした。
『あ、スパチャありがとに゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!』
あまりの大音響にま~や様の声が歪んで聞こえるが、現実をシャットアウトするには一歩足りなかった。
「あ、スパチャありがとにゃ~ん!」
扉の向こう側。ノートPCの前の長津田が……長津田が! 満面の笑みで! ま~や様と一言一句違わぬ言葉を!! 喋っているではないか。
あれか。長津田はま~や様の配信にシンクロして物マネする趣味を持ってるのか。なるほどね。これならま~や様=長津田 という方程式は崩れる。俺も自宅で配信見てるときは挨拶に合わせて「はろはろにゃ~ん!!」って叫ぶし、まぁおかしいことじゃない。
安心した俺は教室から離れようとして、不幸にも足を滑らせてしまった。思わず転びかける。
ガタン! 響く足音。不思議なことにイヤホンからもそれが聞こえた。
俺は泣いた。
────
俺は走った。日が暮れた街を縦横無尽に走り、一緒に頭にこびりついた不快な現実を汗と一緒に流しきってしまおうと頑張った。しかし、現実の二文字はその大きさを増すばかりで、抵抗すればするだけ俺の意識を侵食していった。
たどり着いた公園で、蛇口の水を頭からかぶる。
水道水の冷たさでヒートアップしていた頭が冷静さを取り戻す。すると、無性に腹が立ってきた。
「なにが『はろはろにゃ~ん♡』だよ……!」
おい、長津田。昼間は教室でオタクを虐げておいて、配信ではそのオタクたちに媚びを売っている。それどころかスパチャで金を搾り取っているわけだろ? それって裏切りじゃないか。
「許せねぇ……許せねぇよ俺……!」
俺は決意した。長津田ユナ……いや、猫神ま~や♡に罰を与えることを。